雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

アメリカから孫がやって来た

2019-12-06 07:11:40 | 日常生活、園芸、バラ

★ シーズンオフの休みなので、アメリカから孫がやって来る。
  正月は日本で迎えて10日ぐらいまで滞在するらしい。

 アメリカ・カリフォルニアのIrvine からだが、早くから予約すると結構安い値段で航空券が買えるようで、帰る便も既に買っているようだ。

今回はロスからではなくて、サンフランシスコ経由ー関西空港でやってくる。
家からすぐ近くの『ジョンウエイン空港からサンフランシスコ』に飛び、
そこから今回は『ユーナイテッド航空』で来るらしい。

ロスまで車で行ってロスー関空よりも、サンフランシスコ経由の方が、送る側から言えば車で動く距離が短く便利なのかも知れない。



★ 今現在、12月5日の昼過ぎだが、『ua35』と検索すると、こんな画面が現れて、

 いま現在の飛行状態だと『16時19分』に関空到着の予定だから、あと3時間ちょっとで日本に着くことになる。

 『関西国際空港国際便・到着便』などで検索しても出てくるはずだが、今回はなかなか出てこなかったのだが『ua35』は娘が教えてくれたのである。
 
  

 

関空から神戸・三宮までは『空港バス』でやってきて、三宮までは迎えに行ってやろうと思っている。


  

 料金は2000円だが、時間は1時間ちょっと掛かる。

その時間表もこんな具合に出ているので、4時20分ごろの到着なら、この辺りの時間のバスになるのだろう。
 三宮には6時半から7時ごろになるはずである。
  


家から三宮までは40分もあれば充分だから、関空に着いたら何時のバス乗るののか『電話をしてくるように』と言ってあるので、電話が掛かってきたら、家を出るように待機中なのである。

何でも解る便利な世の中になったものである。

 
★ 5時過ぎに家を出て、三の宮まで迎えに行った。
   


 6時20分着のバスでやってきた。

  

  
7時ちょっと過ぎには、三木に戻ってきた。

    



★ところで、孫・門野真也は去年の12月にバークレー大学を卒業して、1月にアメリカのサッカーのプロになって1年目なのである。

日本で過ごす約1ヶ月も『体調管理』には気を付けるようだから、私もちょっとは見習いたいと思ったりしている。

ごく最近、末弟と二人で海で遊んでいる写真だが、結構いい体をしていて、こちらに来ても、まずやることが『ジムの確保』で、1ヶ月の短期契約をすることにしている。

  
 
 
 
私が行ってる三木総合体育館のジムでは『気に入らなくて』近くにある24時間営業のこんな本格的なジムに申し込みすることになっている。


 


とは言いながらも、シーズンオフの休みだから、日本の回転ずしも、焼き肉も楽しみにしている筈だが、去年までのようには食わないのだろうか?

 日本には小学生の2年生まではいたので、日本の友達と遊ぶことも楽しみにしているようである。

今日の夜は、日本に来るたびに、誘って頂いている『フットサル』を米田和彦さんなどとやることになっているらしい。

そんなことで、日本での第1日がスタートするのだろう。


 
コメント

ずっと昔、Team Green にいた和田斎くんが 訪ねて来てくれた

2019-12-05 06:54:33 | M/Cレース

★ まさにこのブログの標題通りの出来事なのである。

 『ずっと昔、カワサキのレースチームにいたメカニックの方』が
わざわざ『私に会いたいと』三木まで訪ねて来てくれたのである。

 『和田斎さん』 ちょっと名前の売れたカワサキのレースメカニックの方で、
勿論名前も知っているのだが、『直接二人で話などしたことのない方』なのである。

実は、KAWASAKI Z1 FAN CLUB 登山道夫さんと、先日垂水にある『和田さんの弟さん』がおられるバイクショップに立ち寄って、その際記念スナップを撮ったりしたのだが、

どうも事の始まりは、弟さんから『登山さんと私の写真』を見せて貰って、突然登山さんにこんな連絡をされたようである。

 登山さんのところに『メール』が入っていて、
そこには『KMJ時代に古谷専務に良くしてもらったのに、何のご挨拶もせずに川重戻り・・・』などとあって、


     


登山さんから私に『和田さんが会いたいと言われてますが・・』ということで、
昨日お会いすることになったのである。


★こんなかっこいいポルシェに乗ってやってきた。

突然なぜ『来られたのか』と聞いてみると、
KMJのTeam Green 入り』を希望された和田さんを『私が面倒見て実現した
と仰るのだが、全く記憶にないのである。

当時和田さんの直接の上司だったTeam Green 重本修次郎さんあたりがそうしたのだと思う。
Team Green のことは120%重本君に任していたので、多分彼の裁量でそうなったのだろう。


    

 
 

 延々3時間半も、途切れることなく、昔話に夢中になった。
 ホントに彼と直接話をしたのは、昨日が初めてなのである
 そんな方が、わざわざ三木まで訪ねて頂けるということは、なかなか世の中にはないことなので、私にとってはこの上ない喜びでもある。


 昨日の話の中で出た方々の名前を順不同に申し上げると、こんな方たちで、
レース界では、みんな結構な有名人で、なかなかレベルの高い『レースの話』になったのである。

野口種晴・片山義美・小島松久・三橋実・藤井敏雄・デグナー・シモンズ・谷口尚巳・安良岡健・ガリーニクソン・金谷秀夫・山本隆・歳森康師・星野一義・加藤文博・従野孝・宗和孝宏・北川圭一・塚本昭一・多田喜代一・飯原武志・梁明さん  

このライダーたちの名前を見て『解る』方は相当の『レース通』だと言っていい。

 
カワサキ関係者も、ここに名前の出た方は、川重の社長や副社長などが並んでいるのだが、みんな若い頃はレース部門の担当経験があって、『レース』に対しての理解が深かったので、和田さんとの会話の中でも、名前がいっぱい出てきたのである。

山田煕明・苧野豊秋・髙橋鐵郎・大槻幸雄・安藤佶郎・松尾勇・田崎雅元・岩崎茂樹・重本修次郎・野村純一・石川薫・大津信・大庭浩さんなど

 

   
 


★ 私自身もカワサキの『レース関係』には若い頃から長く関係したし、当時の日本の二輪のレース界の方々ともいろんな形で繋がっていたのだが、こんな『レースの世界』は、ちょっと以上に独特な世界だし、その中にいないと理解できないことも多いのだが、そんな独特の世界の話について行けるのは『私の特』みたいなものである。

和田斎さん』も、そんな独特の世界に生きられた方だから、3時間半も懐かしい話が途切れることなく続いたのである。
先日、同じくここに来られた『カワサキの安井隆志さん』とも、よく存じ上げてはいたのだが、二人で直接話をしたのは、初めてだった。
会社の中では『職位』などが邪魔をして、なかなか現実に直接話をする機会を持てないのだが、退職後10年以上も経って、わざわざ『話をする』ために三木の田舎まで足を運んで頂けるのは、ホントにありがたいことだと思う。


★ 独特の『レース界』の中にいた人たちでの『レース話』はまた独特で、初めて『二人で話した和田斎さん』とも延々3時間半、昼飯も食わずに続いたのだが、
勿論、カワサキのレース話には欠かせない方『平井稔男さん』の話も出て、 

家に戻って、平井さんの旧いブログを見ていたら、
多田喜代一・塚本昭一・宗和孝宏の日本人トリオが、
1989年のフランス、ル・マン24時間耐久に参戦し、見事3位入賞を果たしたのだが、そのメカニックメンバーの中に中に『和田斎』さんの名前もあった。

Team Kawasaki
 総監督    武本晃 
 監 督     野田忠世
  ライダー   宗和孝宏 多田喜代一 塚本昭一 前田忠士
 メカニック  渡辺芳男 釈迦堂利郎 前田和広 藤本延彦 中村浩三 
       戎 俊 和田斎 渡辺嘉雄 田村嘉隆
                    総勢15名のつわもの達である。


★私の家はすぐ近くなので歩いてきたのだが、
 帰りは、和田斎さんの ポルシェに乗せて貰って、
 家のすぐ近くまで送って貰ったのである。

 

 
和田斎さん、 昨日行った綾部に古民家をお持ちのようなので、
ひょっとしたら来年4月の『綾部プロジェクト』でも、何か繋がるかも知れない。

 兎に角、なかなか楽しい3時間半だったのである。


コメント

綾部プロジェクト スタート

2019-12-04 07:45:18 | カワサキワールド

★カワサキバイクマガジンの今月号に『Z1 開発者大槻幸雄さんの「殿堂入り」』
   というニュースが流れた。

カワサキの二輪事業に同じ時期一緒に関わったものとして,
ホントにご同慶の至りなのである。

 
    


 大槻幸雄さんとは、カワサキの創生期レース仲間として、ご一緒させて頂いたこともあって、今でもゴルフコンペZ1会でもご一緒させて頂いているし、Facebook でもトモダチで繋がっていて、コメントなども頂いている。
 
その大槻幸雄さんも会員の一人になっておられるKAWASAKI Z1 FAN CLUB の来年度のイベントが4月18日に京都・綾部市で開催することになっていたのだが、実は綾部市は大槻さんのご出身地なのでもある。

 そんなことで未だ半年も先の話なのだが、
是非大槻幸雄さんをお招きして、Z1のファンたちでお祝いをしたいということで、大槻さんにご出席を依頼したら『快諾』を頂いたので、
急遽『綾部プロジェクト』が動き始めたのである。

 いつもは40人前後のこじんまりとした会合なのだが、
大槻幸雄さんがご出席』ということになると、人数も増えるかもと、異例のことなのだが半年前にその予約を開始したら、申し込みが殺到して即満杯になってしまったので、当初予約しようとしたところの他に、隣の宿泊施設の温泉ホテルも全館予約し、対応しようとしているのである。

このZのユーザーたちの一泊『ツーリング・プロジェクト』は
今回は登山道夫さんのご担当なのだが、
大槻さんがご出席となると、一緒にお祝いをというカワサキの関係者も増えそうなので、私もお手伝いをすることにしたのである。


★そんなこともあって、昨日は登山さんと二人で、現地の当初の宿舎とすぐ隣の温泉ホテルの概要を視察に行ってきた。

綾部市は、初めてだったが福知山の隣のこんな静かな環境で山々に囲まれ紅葉が見事だった。
三木から綾部まで往路は高速に乗らずに立杭などを通って、地道を走ったのだが、二輪のツーリングには最高の山道・田舎道の連続だった。三木を8時に出発して、10時20分に現地に到着したから2時間20分の行程だった。

  
   
 
 人口3万5000人という綾部市は、福知山のすぐ隣で、こんな山々の自然に囲まれたいい環境で、今回の場所は綾部市の北東部あたりの静かな環境なのである。
  





こんな環境の中に当初からの予定の施設があり、
どうも人数が増えそうなので、そのすぐ隣のホテルを全館を借り切ったのだが、
そのホテルは温泉付きで、両施設は同じ経営者だから、当日は温泉も借り切りみたいなことになるのだろう。
 

 
どんな内容にするのかはまだ決まっていないのだが、
昨日見てきた限りでは、100名ぐらいまでは大丈夫なようだし、
施設も想像以上に立派なのである。


  





その具体的な内容については、登山さんから更にいろいろと会員方々に連絡されるのだと思うが、
その状況によって具体的な対応内容が決まっていくものと思われる。

1泊どまりのイベントなので、時間も充分あるし、
大槻さんをはじめNPO The Good  Times 関係のカワサキの人たちも、
山本隆さんなど有名人が、既に何人も決まっているし、
大槻さんのお話をはじめ、結構オモシロいイベントになる可能性を秘めている。

私自身も現役時代から、数多くのイベントを手掛けてきたので、頑張りたいし、
大槻幸雄さんの殿堂入り』の祝賀イベントだから、それに見合うものにしたいと思っている。
 
その舞台になる施設は『大丈夫なのか?』を観てきたのだが、
これは間違いなく大丈夫なので、
このプロジェクトは、今後ますますオモシロく楽しく、
 
 Kawasaki. Let the Good Times roll !! 
  というカワサキの基本コンセプト通りに、
  Kawasaki  に出会う人たちがグッドタイムになるような展開を、
 当日、大槻さんに出会う方たちがハッピーになるような展開を
 心がけて、今から立案しようと思っている。
 
時期的にはまだまだ余裕があるのだが、
年が明ける頃から登山さんが具体的に動き始められることになりそうなのである。




コメント

関初太郎 さんのこと

2019-12-03 05:37:00 | カワサキワールド

★ Facebook にこんな『私との2ショット』の写真を使っている関初太郎さん、
  もう60年近いお付き合いである。




 
三木のKAWASAKI Z1 FAN CLUB での写真だから、もう5年ぐらい前のことだと思うが、確か豊岡への一泊ツーリングの時ではなかったか?
 昔のことはよく覚えているのだが、最近のことはすぐ忘れてしまうのである。



  


 
ご自身のFacebook にも書かれているように、
昭和42年(1964)カワサキオートバイ定期採用第2期生での入社だが、
私が初めて関君に会ったのは、昭和45年の12月に私が大阪母店長に異動して、彼は京都営業所にいたころで、それ以来60年に近いお付き合いなのである。

 
★ 関初太郎さんについて『関初太郎 雑感日記』とチェックしてみたら、
このブログを始めて5ヶ月目の2007年2月に、こんなブログをアップしている。


その頃はまだブログに写真のアップも出来なかった頃だと思うが、こんなことが書かれている。
 
『以前、苧野豊秋さんのことを書いたとき、「Hさんに聞きました」というKshopさんのコメントを頂いたが、どなたのことか解らなかったのだが、昨日の私のブログ「反町ジャパンの反町くん」に高1、中1の息子さんたちがサッカーに熱中しているとのコメントを頂いた。
今回はKshopをクリックすると、モトボックスセキのホームページが現れた。
関君だったのか。読んでいてくれてたのだ。』

などと書いている。
彼がまだ独身時代の若い頃、京都の営業所が新幹線の高架下で狭くてみすぼらしい頃だが、藤田孝明君率いるこの営業所は、久後淳一郎、関初太郎、柏原久、吉川健一など、ユニークなのが揃っていた。総資本率10%の実績をずっと続けていた私の知る限り、カワサキの歴史の中でも最も充実した内容の営業所だった。

彼はその後、東京営業所時代に急逝された城北カワサキさんのお店の後を継いで販売店に転身するのだが、その時の東京所長も藤田孝明君で、彼の『ユニークな対応』が彼の販売店への転身のきっかけになったのである。

その後、新宿のショールームで新しい形の5時以降はショップに転換する『After 5』という新しい形の展開でも同じカワサキOBの五島さんなどと一緒に仕事もした仲間でもある。
販売店というよりは、ずっと仲間という意識のほうが強かった。

私の最後の勤めの札幌にいたころも、『南,五島,関、佐々木』というカワサキの懐かしいメンバーでわざわざ札幌まで遊びに来てくれたりしたのだが、これはまさしく『新宿のAfter5』の担当メンバーなのである。


★彼は信州・長野の出身で、『信州そば』などもよく送って頂いたりしたのだが、
 『蕎麦湯』は湯をかき混ぜずに静かに『うわずみ』を注ぐために、こんな容器になっていると教えてくれたのは、関初太郎さんであったことは間違いない。

 

 
 冒頭に書いた『豊岡へのツーリング』の時、蕎麦で有名な出石のこんな蕎麦屋の2階で昼飯を食ったのだが、その時関初太郎さんが教えてくれたことなのである。

  
  

 

人間の記憶はなかなかオモシロいもので、こんなことだけは確り、覚えているのである。

そんな関君やカワサキの同期入社の吉田純一さんや柏原久さんなどとは、
今もFacebook で繋がっていて、ネット上では毎日お会いしているのだが、
関さんのFacebook ページに、『私とのツーショット』の写真をお使いになったのはいつ頃からなのか?
これは実は、初めて気が付いたので、こんなブログを改めてアップしたのである。

 『昔の仲間たち』は、『私の人生の宝物』なのである。
 


 

コメント

年賀状  雑感

2019-12-02 06:34:14 | 私の生き方、考え方&意見

★ 12月になった。
5年前までは11月末から12月上旬は猛烈に忙しい毎日を何十年も過ごしていた。
 毎年出していた100枚の年賀状を書き上げるのが大変だったのである。

年賀状はその枚数を100枚と決めて、すべて毛筆で書いていたのだが、
2014年に母を亡くして、『印刷した喪中はがき』を発送したものだから、
それが途切れて、いろいろ考えた結果、
2015年からは年賀状の発送を止めてしまったのである。


★ 年賀状に関して5年前の2014年11月のブログにこんなことを書いている。

毎年100枚と数を限って、自分の手で毛筆で年賀状を書いてきました。
私なりにその時代時代に、100人を選んでいたと思います。・・・・・・
親戚や子どもたちにも、出していましたが、娘家族がアメリカに行って10年、年賀状などの仕来たりのない国ですから、出すにも出せなくなりました。・・・・・
ネット社会で、パソコンを使えば簡単に年賀状も創れる世の中になりましたが、年賀状は日本の文化ですから、昔のママがいいとずっと毛筆で書いていたのですが・・・
 
昨年母が亡くなりました。 『初めて喪中はがきの印刷されたもの』を発送しました。


★  個人的に『印刷した葉書』を発送したのは 、この時が初めてのことだった。
それまでは、転勤時の連絡や、お礼状もすべて自筆で、お一人、お一人に書いていたのである。 
葉書を出す相手の方に対して、『私なりの想い』を『私なりに』書くべきだと思ったし、すべて一律というのもどうかな?と思っていたりしたのだが、
喪中はがき』を発送してしまって、
そんな『私なりのやり方が途絶えてしまった』のが、一度考えてみようと思ったきっかけなのである。

毎年出していた上司の方なども、年々数は少なくなるし、100人の相手の方の半数近くがFacebook などで繋がっているなど、周りの環境の変化もあったのだが、
私なりのやり方が途絶えてしまった』ことが最大の理由だったと思うし、『やる気』を失ってしまったのだろう。



   

 これは年賀状そのものではなくて、ネットに出した年賀のご挨拶なのだが、
こんな感じで1枚1枚相手の方に対して文章の違ったものを出すのは結構な労度であったのは間違いなくて、それなりの覚悟みたいなものが要ったのである。

 今思うと、ちょうど『やめる時期』だったのかなとも思ったりする。


★ それにしても、日本の年賀状はまだ健在で、今でも約70%の人たちが、年賀状を出しているらしい。

 当方から、年賀状を出さなくなって、もう5年にもなるのだが、毎年我が家には何枚かの年賀状が届くのである。
気を遣って頂いて、誠に恐縮なのだが、敢えてご返事など出さないことにしている。

一方で、Facebookでは、 歳が変わると直ぐ、『謹賀新年』のご挨拶を出させて頂いたりしている。

 これが今年の新春にFacebook にアップした新年のご挨拶である。


   
 
 
 こんなことを思ってスタートした2019年もあと1ヶ月である。

 『今年何か新しいこと』見つけられたかな? と今思っている。
 何か、あったような気もする。
 この1ヶ月、じっくり考えてみようかなと思っている。
 
     
 
 
 
    
コメント

祖父と孫の関係など、普通はどうなんだろう?

2019-12-01 06:02:57 | 発想$感想

★ 私には男の子ばかりだが4人の孫がいる。
 その『祖父と孫』の関係は、結構仲良くてトモダチみたいなところもある。
 Facebook などではまさしくみんな『トモダチ』で繋がっている。

私自身は、父方の祖父も母方の祖母も、私が生まれた時には既に亡くなっていたので、私は知らないし、少なくともおじいちゃんやおばあちゃんから『遊んでもらった』経験など全くないのである。

父方の祖母』は102歳まで長生きしたのだが、
昔の祖母らしい毅然としたところがあって、話などはしたが甘えたことは一度もない。

『母方の祖父』は私が朝鮮にいた小学生の頃は、年に何度か京城(今のソウル)の我が家に来ていたが、父と碁を打っているのをヨコから観ていたようなことが多くて、直接話をしたことなどは覚えていない。

昔の孫と「祖父や祖母」との関係はこんなのが普通だったのだろうか?
私の母と息子や娘の関係』も、どちらかというとそれに近く『一定の距離感』があったような気がする。

それに比べると、『私と家内の孫との関係』は、全然違ってホントにトモダチみたいなところがあるのだが、
そんなことになる原因は、孫側にあるのではなくて『おじいちゃんとおばあちゃん側』にあるような気がする。
私と家内』は、孫に対して毅然としたところなど全くないのである。



★ そんな『孫たちとのお付き合い』だが、
今週の木曜日、12月5日には娘のほうの孫の次男・門野真也が1ヶ月ほど三木に遊びにやってくる。
大体『祖父母のところ』に単身でそれも1ヶ月も遊びに来ようと思うのは、何故かな?
と思ったりする。


門野真也、今はアメリカのサッカーのプロ選手だが、こどもの頃は私が一番連れ歩いた孫である。
誰に似たのか、『変わったところ』が沢山あって、
家内のところには、しょっちゅう電話を掛けてきて、いろんなことを喋っている。

『日本が好きなのか?
アメリカの大学で初めての日本人のキャプテンであったからか、
真也の周りにはいつも『日の丸』があって、

  

  
 下宿の部屋にも、自分の部屋にも日の丸が飾ってあった。

  



サッカーも子どもの頃は、下手くそでリフテイングも碌に出来なかったのに、
アメリカに行って努力して、まさかと思ったが、ホントにプロのサッカー選手になってしまった。

何をやっても熱中し努力する。 
子どもの頃は『カブトムシ』を獲るのに熱中して、
 

こんなに沢山獲っていた。





絵もなかなか上手くて、こんな鉛筆画をネットで送ってくれたりする。

       

  
 
 
 不思議なことに料理も得意なのである。
 これはごく最近ネットに出ていた写真からだが、

 こんな牛タンを買ってきて

 



 ちゃんと自分で料理して
 


 こんな『タン料理』に仕上げている。

 



 サッカーより料理のほうが上手いのではと思ったりするが、
サッカーでも先日は、名門Strikers FC Academy のOB戦で2得点して、そのホームぺージにこのように載せて貰っている。

  
 
  


★ 私自身も何事にも、結構熱心に努力はするのだが、
プロや専門家』を目指すほどの熱心さはない。 
そんな分野は、努力のレベルが高すぎて『しんどいだけだ』と思ってしまうのである。

それが、孫の真也を見ていると『努力の真面目さ』が全く違うレベルで、
料理にしても、トレーニングにしても、そのやり方を見ていると、
熱心さが中途半端ではないところがある。

前回来た時は、まだ大学生だったので、日本の焼肉や、回転ずしはびっくりするほど食ったのだが、今回は果たしてどんな体調管理の生活をするのだろう。

 年末から新春にかけて、結構賑やかになりそうである。
 多分、年末からは孫の長男の力也もやってくるのだろう。
 なかなかイイ『祖父・祖母と孫との関係』だとは思うが、
 
 今は、世間一般に昔と違って、こんな感じになってるのだろうか?


コメント