三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【環境住宅とは「いい居心地」の探究】

2018年02月16日 07時10分47秒 | Weblog
日本人は北海道に集団移住するようになってから
住宅というものの意味についてより深く考えはじめるようになった。
明治以前にはごく局所的にしか、この列島北端の島には日本人は
住んでいなかったのは、日本社会の基本である米作に適していなかったから。
そういう土地に経済的魅力を感じていなかったということでしょう。
長い積雪寒冷期を持っていて、夏場の気候安定期が短い。
なにより、民族的な住宅技術である木造構法には
寒冷気候への対応力がほぼ考えられていなかった。
その日本の住宅建築技術が、多くの先人たちの努力で革新されてきた。
明治の革命政権政府は、北海道への移住を勧めるために
多くの「補助金」を支給したとされる。
その魅力に釣られて移住した人々は、しかしあくまでも「出稼ぎ」根性で
開拓期の社会混乱の中で「一旗揚げて」その郷里に帰還する気分だった。
なので、補助金を与えて永住的住宅建設資金を出しているのに、
建てられた「住宅」は、ごく間に合わせの仮設的小屋ばかりだった。
司馬遼太郎さんの北海道住宅についての取材記述によれば、
そうした小屋で火事が多発したとされる。
それは単に火の不始末だけであったかどうか、という側聞を書かれていた。

そういった経緯まであったように、
北海道では官民を挙げて、この地で人が住み続けられる住宅に
情熱が注ぎ込まれてきたと言っていい。
今日でも「北方型住宅」とか、「きた住まいる」といった
「地域住宅施策」に社会背景的根拠があるというのは、北海道だけでしょう。
積雪寒冷という気候風土条件から自由な居住環境を実現する
「環境性能」努力を、150年以上北海道地域は続けてきた。
世界でもこうした寒冷対応住宅技術は、北欧や北米などで
この数十年において実現された「環境技術」であることは明白。
日本中央の無関心とはまったく別の地平で、北海道は北欧や北米と連携し、
「環境性能技術」を創造してきたと言えるでしょう。
寒冷地で「断熱気密」工法開発努力が重ねられたことが無視されたりする
そういうことには、強い違和感を持たざるを得ない理由です。
結局、住宅がもとめるものは、住む人を安定した環境でつつむこと。
いま、温暖地域でも冬の寒さ、夏の暑さへの室内居住環境対応が
ごく常識的に求められるように変化してきている。
できればそういったみなさんに、あるオピニオンを持った住宅情報を
ぜひ提供していきたい、そんな思いで関西版やWEBマガジンの展開などで
拡散していきたいと思っています。
写真は大阪中心部梅田の大きな書店での「Replan関西」陳列の様子。
コメント
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