三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【冬場の運動不足対策 やっぱり歩くぞ!】

2017年12月21日 06時17分35秒 | Weblog


さてきのう、関西出張から帰還致しました。
ことし最後の出張でしたが、多数のみなさんと対話できて無事完了。

で、本日からはホームグラウンドでの日々の「戦い」であります。
寒冷地での健康促進の戦い、冬場最大の問題はやはり運動不足です。
健康に注意しようとすれば、食生活の改善と
両輪として、適度な運動が絶対に欠かせない。
食生活の方は、わたしとカミさんとも目的が共有できているので、
毎日の食事作りは楽しいくらいで順調に推移しているのですが、
この運動不足対策はなかなかに難しい。
夏場は北海道神宮境内周辺の散歩が習慣になっているので、
なんとかできているのですが、冬場は決め手がない。
室内での運動では、朝早い時間で自由にできるというものは考えられない。
で、いろいろと考えた末に、やっぱり寒くても
北海道神宮への毎朝の参詣を兼ねた散歩が
精神的な部分もあって、いちばん継続性が高いと判断致しました。
大雪が降ればムリかも知れませんが、まぁ大雪ならば「雪かき」が運動になる。
最近試行的に散歩してみると、案外冬場でも散歩している人は多い。
なので、散歩路はそこそこ踏み固められ「けもの道」がついている。
しかし、千変万化する北海道サッポロの路面状況は一筋縄ではいかない。
適当に寒気と暖気が繰り返されるので、ツルツル状況が厳しい。
寒さ対策は衣類の選定でどうでもなるけれど、
なんといっても、足下対策が悩ましかったのであります。

で、先週日曜日に札幌市内の山登り系運動具店「秀岳荘」で初買い物。
ふつうに量販店などで売られている靴とはだいぶ違う。
やはり滑り止めとかの部分の屈強さが感じられた。
まぁ、値段も2−3倍くらいの違いがあるのが困ったところなんですが(笑)
健康維持のためと言うことと、そういうのを買えば、
「よし、モトを取ってやろう」と考えることに期待した(笑)。
ここのところがポイントかなと、わたしには思われた次第です。
ようするに、運動ってその心がけを維持する気持ちの問題が大きい。
投資することで、目的への執着が深まる効果がある。
それとやっぱりファッションなので、気分の盛り上がりということもある。
目的だけではやっぱり人間は動けない。
住宅でも同じだと思うのですが、どんなに高性能で高断熱高気密でも
やはり日々の使い勝手に配慮されて、しかも楽しくなるデザインが
人間の気持ちを高めてくれるものだろうと思うのです。

っていうような購買動機で選んだ靴であります。
購買にはカミさんも付き合ってもらった。
投資の機会であることが自然に伝わって、健康増進の目的が
より夫婦共有のテーマとして再確認できる。
彼女も納得できたデザインだったようです。
さて、本日からこの靴を履いてさっそく出掛けたいと思います。
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【出張合間に「お初天神」参詣】

2017年12月20日 06時39分55秒 | Weblog


さて本日までの出張日程で、きのうは兵庫県をぐるっと回ってきました。
1日目は京都市内をあちこち巡って、きのうは兵庫県内行脚。
兵庫県は北は寒冷で雪も積もっていた日本海に面する地域もあり、
一方で淡路島のように温暖な地域もある。
はじめて日本海側まで走ってみて、その気候多様性に驚きました。
まぁきのうは淡路島には行きませんでしたが・・・。
レンタカーで走破した距離はおおむね400km超というもの。
さすがにやや運転疲れも感じられていました。
本日は京都市内から大阪市内を巡って、午後、関空から帰還の予定。
本年最終の出張日程もどうやらメドが立ってきた次第。

で、昨日は梅田・曾根崎町にて会食であります。
大阪に来ても、だいたいミナミの方に行くことが多かったので、
この曾根崎町ははじめての探訪でありました。
御堂筋から教えられるままに、「お初天神通」を散策。
なにやら、艶っぽい名前の通りでありますが、
近松門左衛門・曽根崎心中の題材になった心中事件の舞台ということ。
そういうことは初めて知った。
人間いくつになっても、知らないことだらけであります。
わたしは、毎日のように北海道神宮にお詣りする習慣もあるので、
せっかくということでお詣りしてまいりました。
恋人たちの聖地とかいう謳い文句で、
中高年おじさんとしてはやや気後れもしながらも
民俗探訪と楽しませてもらいました。
こういう商魂のたくましい神さまはまことに大阪らしい。
でもまぁ、東京新橋の神社でも「あめのうずめの命」が祭神になっているし、
曽根崎心中という事件の舞台になったという故事も
それを商機と捉えた大阪人の気っ風もよくわかりますね。
夜の時間帯でしたが、そんな時間にも若い娘さんたちが詣っていた。
で、食事後、立ち寄った「正調・スナック」で「えびす」さんの縁起物も発見。
わたしなど、七福神といわれてもなんのことやらと、
どんな神さまたちか、たぶん北海道には上陸されなかったように思う次第(笑)。
ちなみに、恵比須(えびす)・大黒・毘沙門(びしゃもん)・弁天・福禄寿(ふくろくじゅ)
・寿老人・布袋(ほてい)の総称なんだそうで、
わたしが知らないだけで、北海道にも来られているのかも知れません(笑)。
でもそういう神さまへの信仰が現実に根付いている様子は
さすがに文化の底の厚さかと、酒の酔いとともに感じ入りました。

さて、本日帰還後はいよいよ、ことしも最終週の追い込みであります。
あと十数日しか残っていませんが、まだまだやること山積。
しっかり片付けていきたいと思います。
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【北海道での木製3重ガラス窓の歴史】

2017年12月19日 06時27分03秒 | Weblog
既報のように昨日から関西に入っております。
各所を行脚して、いろいろな情報交換をさせていただいています。
そうすると、やはりマーケットの違いを実感させられることがある。
きのう話が盛り上がっていたのは、窓のお話しであります。
いわゆる「高性能窓」の流通価格に極端な違いがある。
それで逆に北海道の市場構造の先進性をあらためて実感させられる。

北海道ではもう30年以上前に建築家たちが
比較的に容易に高断熱高気密住宅が建築できた
「ブロック2重積み工法」住宅に取り組んでいた。
高断熱高気密研究を実践的に研究されていた北大・荒谷登先生自邸などで
盛んにこの工法で住宅が建てられていたので、一種のブームだった。
鎌田紀彦先生も室蘭の自宅はブロック外断熱の住宅だった。
関西地区で安藤忠雄がコンクリート打ち放しの住宅を建てていた時期に当たる。
ブロックは施工的に容易に「気密化」が可能であり、
その外側で断熱するのもラクで非常にカンタンに外断熱住宅ができた。
手順としては「断熱層を保護する」ために外に通気層を設け、
外壁はどんな素材でもよく、多くは連続する工事になるブロックが選択された。
わが家の場合はより個性的にレンガを積み上げたりした。
そのときに、よく似合う窓がなかなかなかったのです。
樹脂のペアガラス窓が現実的だけれど、
ブロックの重厚さに対してデザイン的なチープさは否めなかった。
そんな状況の中で、木製窓が彗星のように北海道にもたらされた。
スウェーデン在住の日本人建築家がアシストして、
現地で製造されている木製3重ガラス窓を直輸入してくれた。
高価にはなったけれど、性能との見合い、
デザイン的な圧倒的迫力などを考え合わせれば魅力的で、
多くの建築家がこの窓を導入した。
その結果、価格も低廉化してさらに導入が進むという好循環が始まった。
また、ブロックのセンチ寸法単位は輸入の木製3重ガラス窓と相性が良く、
建物に奥行きのある陰影を作ることができるようになった。
北欧のパインは油分や年輪の堅牢さなど、窓材としての耐久性も高かった。
こういったデザインと性能要件の2重の奇跡が相まって
北海道だけが治外法権のように窓の性能が急速に向上した。
そのことも与って、木造建築でも樹脂サッシ化が進み
小さなメーカーでも高性能の窓で市場シェアを獲得するマーケットができた。
日本の一地域でそういった市場変化・革命が起こったと言って良い。
その結果、激しい市場競争で高性能化と低価格化が同時進行した。

こういったことについて、情報がたしかに不足しているのかも知れない。
わたしどもReplanでも、この北欧の日本人建築家
笠島氏へのインタビュー記事を掲載したりした。
もう26-7年前になる。そんなことで、北海道ではユーザー段階でも
こういった窓の革新について一定の理解が存在するけれど、
関西でヒアリングしていて、彼我の認識の相違に愕然とする。
窓についての市場構造が数十年の単位で遅れているのが現実なのでしょう。
いま、YKKの430シリーズがようやく市場構造に変化をもたらせているのが、
実態としての「風穴」であるということのようです。
このような状況をどうやって「革新」していくべきか、
はやくも具体的問題に直面させられる思いであります。
さしあたり、笠島さんのインタビューなど再度情報発信してみたい。
住宅の情報が果たすべき役割には実に多くのことがあると実感する次第。
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【やがて歴史になっていく都市風景と建築】

2017年12月18日 05時26分28秒 | Weblog


上の写真は、月刊誌「HANADA」1月号のグラビア写真より。
「占領下の日本」と題された特集の中の1枚であります。
写真の提供は「昭和館」という東京九段にある国立施設で、
戦中戦後の国民生活の歴史的資料・情報を次世代に伝えるというもの。
ジェラルド・ワーナーさんという方の撮影。
かれはGHQ外交局の幹部将校で1948年から1950年まで日本に来て
終戦直後、復興期の日本を夫人とともに探訪して写真撮影した。
活気ある戦後復興期の様子が写真から伝わってくる。
写真はそのうちの1枚で、札幌駅とその周辺を撮影したもの。
手前側には市電・札幌駅前の様子も見えている。
この停留所から手前側に、大通りや4丁目などの中心繁華街が連なる。
わたしの生年は1952年で、3才のとき1955年に札幌に移転した。
わが家は、この札幌駅から約1km西にあって、この札幌駅前の市電から
停留所は2つめか3つめの「西11丁目」停留所だった。
この札幌駅前は西4丁目か3丁目に相当する。
歩いてもそう遠くない駅のそばに住んでいたことになる。
この時期に札幌駅舎は新装されて、下の写真のように建て替えられていた。
この駅舎は1952年に供用が開始されたとされているので、
わが家が、岩見沢市栗沢から一家で移転してきたときには、
この駅舎を利用していたことになる。
上下の写真を見比べると、木造とRC造の違いがあきらかで、
復興期を超えた時代に、わが家は札幌にやってきたことになる。
ただ、やはり上の写真が浪漫的なのに対して下はモダニズム的無機質さを
どうしても感じてしまう。時代精神がこうしたデザインに顕れている。

わたしは、6人兄弟の末っ子として育ったので、
母が「里帰り」で岩見沢市の次の駅、三笠まで出掛けるときには
札幌駅からの道行きにいつも同行させられた記憶が鮮明に残っている。
ときどき夫婦ケンカの末に母親が家を飛び出して、実家に戻ったこともあったようで
そんな事情が子供心にわかったときもあった(笑)。
父が母に詫びていたようなおぼろげな記憶もある。
そんな移動の行き帰りにこの札幌駅を利用していた。
一度など大雪の時に三笠まで行ったので、三笠駅まで母の実家から
若々しい年上の従兄弟が「馬そり」を仕立ててくれて、
夜道を走って母の実家に着いたようなこともあった。
そのロマンチックで甘美な道行きが幼年期の精華だったと感じている。
そうした行き帰りのときの情景が鮮明な記憶として焼き付いている。
わたしがいまでもいろいろな地域に出張を重ねても苦にならないのは、
こういった幼年期からの体験記憶が大きいのかも知れない。
父母の夫婦喧嘩に感謝しなければならないのかも(笑)。

建築は、ひとびとの人生に寄り添って
その情景、背景を構成してくれる。
上の写真の駅舎はわたし自身は経験していない建物ではあるけれど、
空気感としては、なにか同質性を感じさせてくれる。
また、市電の停留所にはたっぷりとその空気感が垣間見える。
いま生きている時代もやがて歴史になっていくことを
まざまざと感じさせてくれる光景だと思った次第。
さて本日から3日間、千歳空港から関西へのことし最終出張です。
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【北海道での凍結深度常識と土間文化消失】

2017年12月17日 07時00分39秒 | Weblog
北海道の住宅がほぼ一様に放棄したものに瓦屋根とともに土間がある。
寒冷地建築の研究がそれほど進んでいない時期には、
たとえばわたしが60年前に子供時代を過ごした札幌市中央区の家の目前の
幹線道路「石山道路」〜開拓期から建築材料としての石材を切りだして
札幌市内に運んできたその用途のまま、道路名になっていた〜では、
舗装工事が市内でも最初期に施工されたのだけれど、
その後、ほぼ毎年のように再掘削、再工事が掘り返されていた。
子ども心に「なんとムダな公共事業が繰り返されるのか?
これはきっと、国費に巣食う利権集団による浪費に決まっている。
そいつらはぬくぬくとススキノで飲み食いに公費を使っているに違いない」
と、少年らしい公共正義感を燃やす燃料になっていた。
少年期の後半で学生運動に傾斜した起動力ですらあったかも知れない(笑)。
それは、寒冷地の地盤がどのような特性を持っているか、
北海道開発庁、公共自身がよくわかっていなくて、
毎冬に氷点下10数度、30度にまで下がったときに、地盤の水分が凍結して
地盤面に凸凹が出来上がる現象を認知できなかったからでした。
その結果、地盤面凸凹応急補修工事を繰り返していたのですね。
それがようやく「凍結深度」の概念が施工上の欠かせない要点と認識されて
地盤面を大きく深く掘削して道路舗装するようになっていった。
そういった様子を地域の子どもたちですら、噂で聞き目で確認していた。
理解はしたけれど、正義感自体は変わらずに権力悪を糺す方向に向かった。
ムダにエネルギーを燃やした青春を返して欲しい、であります(笑)。

コトバンクに記載されている「凍結深度」の意味は以下の通り。
〜冬場に気温が0度以下に下がるような寒冷地では、地表から下の
一定の深さまで凍結する。この凍結するラインのことを「凍結深度」
または「凍結線」といい、地域によって深さが違う。
地面が凍結すると膨張して地盤が押し上げられるため、建物の基礎の
底板(フーチン)や水道本管からの横引き給水管は、凍結深度より
深いところに設置する必要がある。凍結深度より浅いと、基礎がゆがんだり、
水道管が破裂したりするおそれがある。〜
写真のような日本民家の基本である「土間」が北海道で消えたワケですね。
凍結した地盤面をそのまま家に取り込めば、
巨大な冷凍庫が床下に冬中、あり続ける結果になる。
環境的にそのような選択はどうしてもあり得ないとなるのですね。
その後、温暖地域の建築の方と話したりするときに
この「凍結深度」のことを質問したりすることがあるのですが、
専門家ですら、あまり知識を持っていないケースが多いと気付かされる。
ポエム的な空間性としてはこういう土間は大好きなのですが、
同時に寒冷地としての常識、体験知識が拒否反応させてしまいます。
作るとしたら、この土間下で断熱層を作る必要がありコスト高になる。
こういったことに類縁した認識の「相違」はやはり多いと思います。

近年、日本各地を取材や仕事で走り回るようになって、
東北北部地域などで、どうも凍結深度に配慮していないような道路に遭遇する。
それで逆に北海道の道路の優秀さを知るようになっています。
昔、誤解に基づいて燃やした正義感が、いまはどうも様変わりしてきている。
わたしは大きく「転向」したということなのでしょうか?
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【俵屋宗達「澪標」図と日本の文化ビジネス】

2017年12月16日 07時16分34秒 | Weblog
わたしは愛機Macの壁紙には俵屋宗達「風神雷神図」を使っています。
なんかエラそうですが、私的使用であればこういう国宝を使える時代に感謝。
琳派というのは、日本で発生した美術運動として、
深く日本人の心情に根ざしている部分があると思っています。
琳派を集団として創始し率いた意味では尾形光琳が開祖でしょうが、
その光琳が時代を超えて私淑したのが俵屋宗達であり、
宗達が遺した「風神雷神図」を神のように扱って忠実に模写したとされる。
江戸期を通じて尾形光琳は名高かったけれど、
明治以降になってはじめて俵屋宗達がその起点とされるに至ったそうです。
その宗達さんの国宝作品が、こちらの「源氏物語関屋澪標図」。
澪標というのは、船のための交通案内標識ということで、
大阪・難波の津のそれが深く象徴的なランドマークとされていた。
しかし一方「みおつくし」という発音がなんとも文学的で,早い歴史時期から、
「身を尽くし」というように表現的な膨らみが常態化していたようです。
わたしなどはその語感から,最初から「身を尽くし」という意味と誤解していた。

この絵は光源氏がある宗教施設を参拝するために訪れた様子を描いている。
金地に華やかな色彩、王朝風ファッションが描かれている。
以下、所有する静嘉堂文庫美術館HPの紹介文転載。
〜宗達は京都の富裕な上層町衆や公家に支持され、
当時の古典復興の気運の中で、優雅な王朝時代の美意識を
見事によみがえらせていった。『源氏物語』第十四帖「澪標」と
第十六帖「関屋」を題材とした本作は、宗達の作品中、
国宝に指定される3点のうちの1つ。直線と曲線を見事に使いわけた
大胆な画面構成、緑と白を主調とした巧みな色づかい、
古絵巻の図様からの引用など、宗達画の魅力を存分に伝える傑作。〜

という説明なんですが、かれが生きた江戸初期というのは、平和が訪れて、
京都の町衆にはこういう古典趣味がもてはやされていたのでしょう。
一説ではかれは「俵屋」という扇子を扱う商いをしていたとされます。
扇子は和服の美を最後に仕上げるようなファッション素材だったようで、
その美を引き締める最大の要素だったのでしょうね。
端麗な服装に身を包んだ女性たちが、ふとしたときに開く扇子の絵柄に
そのひとの美感や文化性が一点に集中・注目する瞬間があったに違いない。
それが相対するひとに強烈な印象を植え付ける情景が目に浮かぶ。
そういうことで時代の人気を得たことで、美術作品制作の依頼が
各所から俵屋宗達に寄せられていくに至った。
小物の製作で名が上がっていって評判を呼び、
それに目をつけた寺社仏閣などが、争って制作依頼をしたに相違ない。
この作品も京都の名刹・醍醐寺からの依頼で描いた作品。
後年、三菱財閥の創始者たちが醍醐寺に巨額の寄進をおこなって、
その謝礼として三菱・岩崎家にこの作品は贈呈されたとされます。
一種の売買なんでしょうが、美術工芸などはこうした形態の取引で
なされていたのが、日本文化なのでしょうね。
日本における「文化ビジネス」の状況が垣間見えてくるようです。
おっと、つい下世話な部分に想像が及んでしまった(笑)。
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【1月11日 急成長米国パッシブハウス講演会in東京】

2017年12月15日 06時39分27秒 | Weblog
発足総会の様子から札幌での講演会など、
経過をお伝えしてきた「パッシブハウス研究会(PHIJP)」ですが、
連携している米国パッシブハウス研究会(PHIUS)の最新事例を紹介する
講演会が決定した旨、連絡をいただきました。
テーマは「最前線! 米国の高性能住宅改修」という講演会です。
米国で活動されている日本人建築家と施工の立場の工務店2名の講演。
・岡田早代氏
<建築家(SA2 Studio)で当法人理事。PHIUSの公式パッシブハウス
コンサルタント(CPHC®)。米国のボストンやケンブリッジを主な拠点に、
省エネ住宅の設計に携わる。国内でアジア初となるPHIUS認定パッシブハウス
「横浜R邸」の基本設計を担当>
・BRIAN BUTLER さん   
<米国でLEED物件やゼロエネルギー住宅、高断熱高気密住宅を数多く施工。
PHIUSからのパッシブハウス認定を目標に43戸集合住宅をボストン市内に建設中>
の2名の方から、米国での状況報告が行われます。
続いて「これからの省エネ住宅を考える(仮)」と題したパネルディスカッション。
参加者は上記の2方に加えて
京都工芸繊維大学・芝池英樹准教授をコーディネーターとして行われます。

ドイツ基準に対して、蒸暑気候地域であるアメリカ地域の特性を配慮して
米国パッシブハウス研究会(PHIUS)独自の基準を適用してきていて、
その結果ここ2−3年で急速に普及し、
いまでは1,000軒を超えるパッシブハウスが認定されているアメリカ。
こうした急拡大を支えているのは、
① 気候条件に準拠したパッシブ建築の認証基準PHIUS+2015が
多様で経済性を兼ね備えた設計案を許容できる柔軟性の高い『性能基準』であり、
② 高性能住宅の3D形状を含めた数値性能評価を可能にする使い易い
アプリケーションWUFIPassive/Plus/2Dの活用が認証過程を支援していること、
③ このWUFI Passive/Plus/2Dを使いこなしてPHIUS+2015をクリアする
設計案を創出できるPHIUS公認パッシブハウス・コンサルタント(CPHC®)が
全米で500名以上も育っていること、
④ 最近は新築集合住宅や戸建ての改修工事が下支えしていること
などのポイントが上げられています。
西ヨーロッパの気候に最適化したドイツパッシブハウス基準との違いなど、
むしろアメリカの気候に近い日本には、たいへん気になる動きだと言えるでしょう。

わたしとしても、強い興味を持っていますので取材するのはもちろんですが、
東大工学部・前真之准教授にも情報をお伝えしたところ、即決で参加とのこと。
とくに日本の寒冷地域・北海道、東北では
ドイツパッシブハウス基準を達成することは一般住宅レベルでは事実上、
難しいとされる中で、ビルダーや建築家も醒めている状況が見えます。
本当にその通りなのか、状況に風穴を開けることができるか、大きく注目されます。

日時:2018年1月11日(木) 13:30-17:00
会場:連合会館2F 「201会議室」
東京都千代田区神田駿河台3-2-11
定員90名/事前申込必要
一般5,000円、会員3,000円(資料代含む)、参加申込みは以下へ。
特定非営利活動法人PHIJP 事務局 〒104-0032 東京都中央区八丁堀3-8-1
TEL:03-6280-3373 E-mail: info@phi-jp.org
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【Replan北海道 2018冬春号 予約先行発売】

2017年12月14日 06時03分44秒 | Weblog
家って、やっぱり一番の機能は「やさしさ」のような気がする。
端的なのは、家の目的が子育ての場になっているということ。
人間が自分だけの「巣」を持ちたいと考えるのは、
たぶん、こどもが生まれその健やかな成長の場として考えるからでしょう。

今号の「表紙会議」はほぼ異論が出ずに決まった。
この女の子の後ろ姿がものすごくパワーを持っていた(笑)。
一心にか、やや考えながらか、黒板に向かってなにかを描き込んでいる。
一体何を書くんだろうという自然で微笑ましい疑問が見る側に沸き上がる。
こどもがこの家でどんなことを感じているんだろうかと、
親としての目線も自然に持って、この後ろ姿には強く惹かれる。
それと「黒板壁面とチョーク」って、最近のなにかのトレンドのようです。
きっと多くの人の心情の中に、こういった温もりへの希求がある。
黒板の質感、その肌に返ってくるざらつき感と
チョークが持っている固さとやわらかさ、そのはかなげな手ざわり、
繰り返し書いても消せるメディアとしての機能性、
さらに家族の手ざわりが、その描線や文字から常に感じられる、など。
そこでの描写や伝達、コミュニケーションが今の時代の家族と印象が重なる。
住宅雑誌だからこそ、こういう取材を通して
人々のこころのありか、今という時代を生きる人間の底意を感じるのですね。

【特集】 リノベーションのホント
リノベーションでは、
断熱や耐震性能、減築・増築、キッチン・洗面など
性能・構造・部位・デザインによる優先順位のつけ方で、
プランと総コストは大きく変わります。
選択肢が多い分、暮らしの理想をかなえる自由度はありますが、
家づくりの希望が多くなりすぎて迷ってしまうことも。
そんなときは、何を優先したらよいのかを明確にすることで、
より一層、家づくりとその後の暮らしの満足度は高くなります。
リノベーションのコストバランスをはじめとしたプランニングによって、
満足度を高めた好例から見えてくる「リノベーションのホント」を、
みなさんの家づくりの参考にしてみませんか?
Contents
●巻頭特集/リノベーションのホント
●特集連動企画/リノベーションの基礎知識
●エリア特集 旭川で建てるなら、ココ! 2018
●連載 Q1.0住宅デザイン論 〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉
●連載 いごこちの科学 NEXTハウス12 〈東京大学准教授・前 真之〉
●新築ルポー住まいのカタチー
●北の建築家   「ときわの家」 鈴木 理

予約先行販売のお申し込みはこちら
12月14日~21日までにご購入された方には郵送で28日までに配送。
Replan北海道・2018年冬春号・A4版
本体価格463円(税込:500円)
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【伝統的知的活動の場「書斎・書院」のありよう】

2017年12月13日 07時23分18秒 | Weblog
わたしは研究者ではなく「興味・好奇心」の強さで住宅に関わってきた人間なので、
視点はつねに一般人の目線ということになります。
で、自分自身の仕事としては出版とかの表現が主要な領域。
そういった人間として、住宅のなかでのそういう活動の場所に
ある特別な関心を持っています。
人間の進化の過程で表現物、絵画とか彫刻とかといったものと、
おもにテキストを扱う人間類型というのは、自ずと違いがあると思っています。
自分自身のことを考えれば、やはりテキストが中心。
そう考えてくると、「書院」といった建築の場所のことは気になる。

写真は國學院大學博物館のなかにある折口信夫さんの書斎の復元展示。
折口さんというのは柳田国男さんと並ぶ「民俗学」の研究者として
すでにこの書斎建築創建時、活発に活動されていた時期のものです。
昭和14年(1937年)に建てた「叢隠居」と名付けられた箱根仙石原山荘内の空間。
富士山や芦ノ湖、仙石原草原などが一望できる場所とされている。
この様子を一見して、伝統的な「書院」の形式だと知れる。
大きな開口が座卓レベルから開けられてやや細長の座卓面一杯に広がる。
まずは文字を読むための採光が最重視されたことがよくわかる。
また、窓のそとに広がる周辺の光景とは、いまのパソコン画面の背景、
いわゆる「壁紙」とでもアナロジー可能なのかも知れない。っていうか、
こういう人類共通的な思考空間体験記憶がパソコン画面に投影した結果か。
その右手側は「床の間」的なしつらいと見て取れる。
背面側、部屋中央にも座卓が据えられていて、
そのときの気分に応じて窓辺とスイッチしながら、使ったに違いない。
左手には書棚が設けられ、座ったレベルの下部には引き戸の収納がある。
床は畳が敷き詰められ、窓に面した座卓の下は板敷になっている。
天井は板が張られて、押し縁がやや太めに渡されている。
書くテーマについて考えを巡らせるとき、あるいは行き詰まったとき、
この天井を見上げて、寝転んでいただろうなどと想像が膨らむ。
こういう空間の中から、知的活動産物、テキストは生産されていった。
これらの両空間を合計して目分量でみれば、おおむね4畳半。
人類は、この折口さんの段階から80年くらい進化してきているけれど、
テキスト系の創造活動の空間という意味から、
さまざまなことが読み取れるのだろうと思って、ときどき訪問すると立ち止まる。
やはり「書院」という形式がどうして日本人に広がったのか、
その歴史的な事情といったモノを「取材」したいなと思わされる。
たぶん、いろいろな事情が「形式」というカタチに高まったことは疑いがない。
書院が広がったのは室町期とされるので、まだ空間体験としては1000年に満たない。
人類知の一断面と考えると面白そうだと思っています。
逆に「温故知新」で未来のニッポン的「思考生産活動空間」がイメージできるかも。
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【シンプル合理主義と雪景色のなかの灯り・温もり】

2017年12月12日 07時52分51秒 | Weblog


札幌という街は、日本人が「長く続く厳しい寒さ」のなかで、
その民族の北の都として、どうあったらふさわしいか、
考え続けてきた都市だろうと思い続けている。
他の日本の地域では、その地の自然との人間の対話が
ながい歴史を刻んできていて、それが長調的であれ単調的であれ、
ある基本旋律が、アプリオリに、先天的に存在する。
ところが札幌では、そうした日本の伝統も「見よう見まね」でやってみて、
そもそも「見よう見まね」としての問題点か、
そうではなく、本質的なマザーの問題点なのか、
やってみなければわからない、そういった必然的フロンティアスピリットがある。
建築の世界で言えば、たとえば国費を使った函館奉行所再建工事で、
その「文化的価値」を重視して、創建当時の技法にこだわって
断熱的手法をとらなかったとされているけれど、
そのメンテナンスには難しい問題を抱え、結果として選択した「床暖房」が
多くの構造的問題も起こしているように感じられる。
たしかに伝統工法の技術については本州地域の伝承が重んじられるだろうけれど、
さりとて、それがその地にふさわしくない場合、
地域としてマイナスの資産化せざるをえない。

写真は、先日のアース21の住宅見学から。
北海道では構法技術が進化して、断熱気密のレベルが向上した。
それにふさわしい「考え方」は、まさに合理主義に基づく考え。
そうしてくると、造形感覚もモダニズム的考え方になってくる。
カタチの作り方もあまり「伝統」というようなものは感じられない。
ただ冬の光景の中で、こんな暖色系の照明による雪洞〜ぼんぼり〜は、
なにかのイメージを訴えてくるように感じた。
外観的に北海道らしい、ということを考えたら、
凍てつく寒さの中で、帰り着くものへのあるいは道行く人への思いやり、
あるいは人間的な温もりの表現として
このようなありようは時間記憶の中で、メッセージ性があるのではないかと
そんな風に思わされていた。
雪の背景の中では灯りには、地域独特の表現可能なものがあると思う。
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