今週後半は北東北におります。
で、きのうは八戸周辺をあちこちと巡っておりました。
そうなると、お昼時にはどうしても「八食センター」に足が向いてしまいます(笑)。
八戸は本州有数の水産関係の集積漁港。
北海道とそう大差の無い魚介類が満艦飾で威勢良く展示販売されている。
その様子を見ているだけでほぼ満腹感が襲ってくる(笑)。
サイコーであります。
つぎつぎと目を襲ってくる新鮮魚介類は、妄想の世界で
豊穣な味の饗宴をこれでもかという圧倒的迫力で迫ってきます。
とくにわたしは最近「社長食堂」企画で毎週手作り料理、
それもここんところは、握り寿司の世界に没頭していますので
「おお、この魚はどうさばいたらいいのかなぁ」
「こいつは、こう切って握ったらいけそうだなぁ」
などと、すっかり「手作り・手握り」の感触世界に気分が完全に浸りきる。
こういう「没入感」っていうのは、まさに「三昧」感にも似ていて
自分で食べたい、という欲求がベースにはあるのでしょうが、
また全然違う感覚世界だということが知れます。
手握りって、そうなんです。いちばん感覚的な「触感」が刺激される営為なので
ドーパミン的な世界観が一気に脳みそを完全占領してしまうのです。
「あ、おれ、こんなとこにいつまでもいてもいいんだったっけ?」
と、ふといまの自分のミッションを再確認しないと、こころは遠くへ行ってしまう(笑)。
まぁそれにしても、秋深く、海の世界でも成熟した魚たちが
豊穣な季節感をさわやかな風のように運んできてくれている。
縄文でこの列島での定住生活がはじまって以来、
1万数千年以上、こういった四季感覚、食感世界にわたしたちこの列島人は
完全にノックアウトされ続けてきているのでしょうね。
そう考えると、基層としての新鮮魚介とコメが織りなす、
手握り寿司の世界って、縄文世界と弥生世界がハーモニーを奏でる世界。
ようやく興奮の世界から離脱して、
ふと見掛けたのが、「せんべい汁専用せんべい」の山積み。
「あのさ、せんべい汁って、せんべいならなんでもいいっしょや〜」
「あはは、それは浅はかな感覚。全然違います(キッパリ)」と売り子女性。
「ええ〜ホントかい? どこがそんなに違うのさ?」
「ふやける具合、ある固さが残ったまま、柔らかさがある、これさ!」
というたぶんコトバ表現をはるかに超えたコミュニケーションであります。
なんにせよ、よくわからないけど説得力だけはフルモードで、ある。
今週つくった社長食堂では見まねの「せんべい汁」が一部で大好評だったので、
今度は、こちらでも味の研究を深めたいと、1袋購入しました。
住と並んで、食の感覚世界の探究も徹底して没頭したいと思います。
ふむふむふむ・・・。
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