三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

日本的神聖空間

2010年10月31日 05時25分02秒 | Weblog





仏壇・神棚・床の間
どうも最近、北海道で建てられる住宅には
ほとんどみられない室内空間の典型であります。
2日連続で書いている北海道西海岸・小平町にある
「花田家番屋」の様子であります。
この建物は、職住一体の建物であり、
親方の住居部分と、働いているひとたちの住居部分が
ひとつの棟に一体になっています。
真ん中に「にわ」と呼ばれる土間があって、
そこを仕切部分として、左右に分かれているのですね。
こういった居住形式って、
たとえば、ヨーロッパには存在するのでしょうか?
というか、日本の中でも、
とくに北海道でのこうした漁業経営者にだけ見られる形式なのかも知れません。

で、親方の居住部分も、
ハレの空間と日常の空間の2つに
大きく機能が別れておりました。
中庭を介して、奥には私的な空間、
表側には、より特別な空間として、
このような空間がしつらえられているのです。
建物の中に、神聖な場所があるというのは
どちらかといえば、人間にとって根源的であって、
そういう空間がさして見えなくなってきている、というほうが
きわめて特殊な事態である、というように言えると思います。
床の間というのは、
日本的な家格表現装置のように機能しているもので、
これは、和室の付帯施設というような意味合いと考えれば、
合理性判断では、必ずしも存在は問われないでしょうが、
神棚や、仏間については、
やはり民族的アイデンティティに属することのようにも思われる。
たぶん、この部分を持たないのは、アジア世界では珍しい。
考えてみると、ヨーロッパやアメリカの住宅でも
こういった装置空間は、あまりないとも言える。
信仰の対象の違いと言うことなのだろうか。
で、このように神と仏が共存しているというのも、
日本的価値観を表現していますね。
ディスプレーとして、神棚に対して
捧げものがにぎにぎしく飾り立てられており、
なかには、みごとな魚体の飾り物までありました。
漁業者としての現世利益を願う切なる思いがこめられています。
まぁ、そういった精神性を端的に表現しているので、
直接、日本人的感受性として、伝わってくるものがある。
逆に言うと、今現在建てられ続けている住宅建築で、
こういった空間を持たない建物は、
後世、どのようにその変化を建築的に語るべきなのか、
あるいはそういう内容が、伝わっていくものかどうか、
ちょっと不思議な気持ちで、見ておりました。
でもやっぱり、こういう空間、わかりやすくていい。
家を存続させていかなければ、というプレッシャーというようにも
家長的立場の人には思われるでしょうね。
気楽な末っ子であるわたしのような人間には、
一種の、クールさを持って眺めることが出来るのでしょうか。
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