さてことしも仕事納め。
ということで、年来の興味分野である歴史探訪旅であります。
今回もまた、播州から中四国路を考えております。
ただ、特段これと決めているところは数カ所で、
あちこちと「放浪」するのが楽しみの核心であるようです(笑)。
しかしきのうはさっそくにして、不意打ちを食らってしまった。
今回は関空に降りて家系の先人の足跡を探してみたかったのですが
堺の街を探訪していて、いきなり面白い発見。写真は「南宗寺」という古刹。
見ての通り龍安寺とも似た、枯山水庭園が有名ということです。
そもそもは1557年当時の畿内支配者、三好氏が開いた禅宗寺院。
堺町衆としての千利休さんのお墓や、茶室などが残っている。
その上、大阪冬の陣で徳川家康は「戦死」したという説があり、
この寺にはその「墓」もあるとされているのだそうです。
で、「徳川家康墓」という写真の通りのお墓が建てられていた。
まぁいかにも、という眉唾感があるのですが(笑)
そのウラに刻印されていた建立者の名前を見ていたら「三木」の名が。
どうも「三木啓次郎」というように読める。
あとは、よく見えなかったのですがそのなかに「松下幸之助」という名もあった!
この古刹に墓を建立するには相当のお布施も必要でしょうから、
資金段取りは大変だったと思われるのですが、
松下幸之助さんが資金協力もしてくれたことがわかる。
さて、この「三木啓次郎」さんに強く興味を抱かされた。
で、その旨受付の方に質問させていただいた。
そうすると、実にいろいろな情報・伝聞をいただいたのです。
それによると、石碑の裏面にはこの石碑を立てた人の名が記されて
驚くなかれ、建てたのは播州三木城主別所長治の近縁者であった
水戸徳川家初代家老三木仁兵衛之次の子孫、三木啓次郎とあるということ。
そして顧問として、住職白石宋川代、堺市長河盛安之介、国務大臣塚原俊郎、
松下電器会長松下幸之助、松下電工社長丹羽正治、
茨城県知事岩上二郎と刻まれているのだそうであります。
この三木啓次郎さんは、松下幸之助さんが開発したけれど当初は売れなかった
二股ソケットに対して困窮のときに資金提供して、その後松下さんが成功された。
そのご縁で家系伝承のこのお寺への家康墓建立について松下さんから応援された。
そういった経緯なのだそうです。
いきなりたくさんの先人情報がどっと押し寄せてくる(笑)。
わたしの家系は播州に深い縁があり、別所長治さんも類縁にあたる。
秀吉の播州三木城攻略戦では城主・別所長治だけが
切腹してほかの縁者は助かったのだそうで、その後
この「三木仁兵衛之次」さんは、奥さんの縁から家康の子の水戸藩創始者に
召し抱えられたのだそうです。これはこれで家系のひとつのエピソード。
人間の家系というのはさまざまに枝分かれしていくものでしょうから、
まさにそのように生き延びていった消息が知れて、まことに不思議というか
一期一会を感じさせられます。ディープな歴史旅、やめられません(笑)。
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