三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

浜離宮

2008年09月14日 07時18分15秒 | Weblog



浜離宮って、面白い作られかたをしている大名庭園です。
なぜか、江戸初期に各地の大名たちが贅を尽くした庭園造営を行っています。
そういう設計者には小堀遠州という造園家が名を残しています。
この浜離宮は、やや江戸中期に属する時期なので、
かれでないようですね。
しかし、その構想は雄大というか、すごいものです。
たぶん、海を埋め立てたか、一部を築地した土地に
池地を造成して、そこに海水を導入させて、その水量をコントロールして
結構を尽くした庭園として造り上げている。
こういう「海浜庭園」というか、海の上にあらたな造園を行うという
奇想を思いつき、実際に実現してしまう土木技術というのがあったのですね。
戦国期から江戸初期にかけての時代は、
こういう稀有壮大な土木技術が大きく盛り上がっていた時代。
きっと、安土城から始まる築城技術の土木部分が
独自に進化発展していったものだろうと思います。
城を造る技術という技術発展の動機が大きくなって
それに対応して、どんな場所にでも築城できまっせ、ということだったのでしょう。
戦争がいちばんの技術発展の契機になるということですね。
歴史の新しい段階での、飛行機や原爆の開発など
実例には事欠きません。

見立て上、海に浮かんだような休憩施設(写真真ん中の木造建築)からは
海上を渡ってくる海風(?)が心地よく肌を冷やしていってくれる。
新政府の江戸接収後は、皇室の庭園となり、
国賓の接待などに使われた様子が絵に描かれていました。
明治天皇が海外賓客をもてなしている様子。
冷房のない時代、こうした体感を求めて、ここまでの土木技術を動員した
という事実に、富の蓄積を見るのか、民衆からの搾取を見るのかは
考え方次第だとは思います。

現代では、浜離宮の代表的な景観スポットの後背に
ごらんのような高層ビル群が林立しています。
どちらもその時代の建築土木技術を動員したものですが、
このあいだに400年くらいの時間経過があります。
なんとも東京らしい景観だと思えてならないのですが、どう感じられるでしょう?


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