三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

中村家住宅ー1

2006年03月15日 05時44分12秒 | Weblog

昨日紹介した世界遺産・中城城趾から車で5分ほどのところに
沖縄で一番ポピュラーな古民家、中村家があります。
わたし、今回で2回目の訪問になるのですが
前回は中城との関係とか全然知らず、一般的な民家住宅と思っていました。
ところが、すこしゆっくり訪問できた今回はいろいろな知識を得ることができました。
この家をはじめて建てた中村家初代の方は、
琉球王朝に連なる護佐丸という武将の建築的な師匠として
活躍された方のようなのです。
護佐丸というひとは琉球の戦国期にその築城術で知られたそうで
建築土木が得意であった、ということなのですよ。
日本でも、秀吉や加藤清正などを見れば、建築土木は深く戦争技術と
結びつきながら発展してきたことがわかります。
秀吉の「高松城水攻め」などの故事を見ればわかりますよね。

そういう知識を持って見れば、この中村家住宅は
琉球近世に活躍した建築家の住宅といえるわけですね。
もちろん、建築家とはいっても、現代のように個人主義とか自我の表現
というようなテーマを持って家を造ったりはしないでしょう。が、
はるかに伝わってくるそういう感性のようなものが
やはり多くの人たちを魅了し続けた部分はあるのでしょう。
だから、沖縄随一の古民家として永く愛されてきたのだろうと思います。

外観写真は、いわゆる建築のプロポーション全景としては
撮影できません。というか、塀で区切られた空間全域が住宅空間なので
塀と福木と一部屋根瓦が望める左側の写真が
この建物の外観と言うことになるのだと思います。
右側が間取り図・平面図。
塀を抜けて、沖縄住宅をあらわす「ヒンプン」という外部の衝立みたいなものを
回り込みます。右側がハレの動線で、右手の離れのような客間棟と
正面に主屋を望む広場のような中庭に出ます。
一方、左手に回り込むと家畜小屋・井戸や台所など
主に家事を行うために展開するであろう、ケの日常的動線の空間が広がっています。

って、なんだかリプランの取材記事を書いているようですね(笑)
でも、住んでいた人の人格的な素描が得られると
俄然、生活や息づかいのようなものまで
匂い立って感じられてくる部分もあるんですよね。
何回かに分けて、この住宅をご紹介していきたいと思いますので
すいません、きょうはここまで。
ブログにしては、突っ込みすぎている内容かも知れませんが
やっぱ、住宅って面白くなって来ちゃいまして、
どうぞ、おつきあい願えればと思います(笑)。では、またあした。
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