三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

縁側下空間

2010年07月15日 13時36分48秒 | Weblog



縁側と本体建物って、
木造の大型建築では、たいへん重要な部分。
古人はいったいどのように作ってきたのか、わかる部分でもある。
写真は足利市の「足利学校」主屋の縁側下であります。
いつの年代に現在の建物が建てられているものか、
こういう大型木造建築って、
火災に会い続けてきているので、
まぁわかりづらいのですが、足利学校そのものは
室町期ころまではさかのぼるのは確実で
関東管領・上杉氏が保護したという記録があるので、
少なくともそれくらいの時代から、
建築としての歴史がある。
たぶん、火災などの建て替えに際しても
それまでの構造技術は念頭に置かれて再生がされたのだろうと思います。
法隆寺とかの寺院建築の建て替えのときには
国家的な検討が加えられて
建築工法も計画され実施されてきたのだと思います。

そういう目で見るわけで、
やはり面白みがありますね。
そもそも大口径の材木を使わなければ
このような大型木造建築はできません。
そういう大口径木材というのは、人力が主の時代には
切り出すのも、運ぶのも、組み上げるのも
大変な労力を要したものだと思います。
長期的に持たせていくために
こういう材料を使って、どのように施工するか、
いろいろ知見が動員されて、このような建築に至ったのでしょう。
昔にしてみると、このような整然とした木組み自体が
驚きのような「先端的技術」の結果だったものと思われます。
吉野ヶ里などを見ると、
一般の住宅は、貴人も含めて竪穴が一般的で
このような木造建築は、今日の鉄筋コンクリートのような
長期耐久建築と考えていたと想像されます。
よく見ると、基壇的な土盛りがまずあって、
その上に石が、直線的に敷き並べられ、
そこに「土台」がわたされています。
礎石は、適度に隙間が開いていて、そこは「通気」が計られていたのでしょう。
基壇は、木造本体を水の害から守るように考え、突き固められたのでしょう。
本体に対して、縁側はより簡易な建て方です。
高床で水の害からの保守を考え、さらに屋根は縁側も保護しているのが
一般的ではありますが、
雨の吹込とか考慮して、本体とは違う考え方での建築です。
こういう建築的考慮で、千年を超えて生き続けてきているのですね。
美しく、また合理的思考がうかがえて、
たいへん楽しい思いがしてきます。
<本日は多忙で、ようやく書き上げられました、ふ~~~>

きのうのページビュー1,871PV ということで、
ずいぶんたくさんのご来場がありました。
最近、ずいぶん、たくさんのページビューになっておりまして、
え、なぜに、っていう次第であります。
これからもご愛読のほど、どうぞよろしく。







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