三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

耽美に生きる。吉田五十八・近代数寄屋

2015年12月12日 06時30分50秒 | Weblog


きのう紹介した吉田五十八・成城五丁目の家、続きであります。
このような「数寄屋」、管理は大変だと思います。
この家も個人が建てて,その後相続されたそうですが、
やはり管理が難しく、世田谷区に寄贈されて存続してきたとのこと。
たくさんの見学客が来ていたので、
なかなかシャッターを切るチャンスがないけれど、
施工の数寄屋建築で著名な水沢工務店が
きちんと常時メンテナンスを行っているし、
管理自体は世田谷区の責任でしっかりされているので、
500坪と言われる敷地全域で、見どころは満載の住宅であります。
で、やはり日本的な生活感受性というものを
ずっと考えさせられ、そういうものが沈殿してくる。
建築はいちばんわかりやすく、こうした感受性を伝えてくれる。




こういった空間美から
わたしたちは日本的なるものの実質を受け止めている。
なぜこうした空間に表徴されるようなものに
わたしたち日本人は強く惹かれてきたのかはわからなくても、
圧倒的に迫ってくる、ある「いごこち」感がある。
やっぱりそれは「静寂感」とでもいえるようなものでしょうか。
基本的な部分に沈黙が潜んでいるように思う。
北海道の住宅建築がモダンそのもののアメリカ文化を受容し、
合理主義的な日本人のあらたな暮らしようを生きるしかなかった一方、
京都に凝縮した暮らしの感受性は、東京に移植され
日本人の精神の基盤を維持してきたのだと思います。
北海道は日本人のフロンティアではあって、
脱亜入欧精神がもっとも発揮された新開地だったのだ。
そこで140年を超える時間は経過してきたけれど、
こういう空間美には、「戻ってきた」と思える部分を強く感じる。



これからも、なんどか訪れてみたい、
そんな思いを強くもった住宅でした。
たいへんありがとうございましたと、誰に言うでもなく
つぶやいておりました。






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