屋根って、現在でもいろいろな材料が使われていますが、
防水性がいちばんのポイントであり、
積雪寒冷地の場合には、さらに雪への対策が加わってきます。
北海道での住宅建築が始まって、伝統的な瓦屋根が
積雪加重の問題や、雪が落とせないなどのいろいろな問題を発生させ
ほぼ断念せざるを得なくなり、今日の鉄板屋根に変わっていった
など、屋根の素材の問題は、常に基本的な建築の課題。
写真は会津若松城での見学時に見た屋根の材料。
左側写真は、城郭から隣接した「南走り」という武士の詰め所建物のもの。
城との連続性を意識してか、同じような瓦屋根になっています。
で、ここではその下地に防水用に木羽~こば~板が葺かれています。
これは板を手で薄く割った板のようですね。
この下地を「土居葺き」というそうです。
そのうえに、瓦を載せていっています。
また、瓦本体の重ね合わせが密集させていて、表面に出ているのは
瓦本体の5分の1程度。それだけしっかりした作りにしているのですね。
さすがに城郭の一部であり、堅牢性を重視して
お金を掛けた作りなのだろうと推察されます。
一般的には、ここまでの重ね方は、予算的にもあり得なかったのではないかと思いますね。
公共事業であり、城郭としての防御性からこうした作りだったのでしょうね。
一方、右側写真は城郭敷地内に建てられている茶室の塀の屋根。
この茶室は秀吉に死を賜った利休の息子を
この地の当時の支配者、蒲生氏郷が保護し、建てさせた茶室だそうです。
茶室って、そういう意味で芸術性を持った建築であり、
当時の美的感覚を優先させた作りになるもの。
ここでは屋根材料として、木の皮が使用されています。
どうなのか、性能としては確かに木の内部を雨から保護するものですから、
防水性としては高いのでしょうね。
まぁ、木の皮を屋根材料として使うのは伝統的ではあったのだろうとは思いますが、
やはり芸術性、感性から選択された部分なのではと思います。
わび、さび、という表現世界を考えれば、
こういう素材が確かに似合ってくる。
そのうえ、その屋根材料を抑えるのに、竹で押縁しています。
しかも、それをつなぎあわせるのにはひもで結んでいる。
こういう感覚が、私たちの文化のひとつの世界なんですね。
防水性とか、性能を考えれば、当時でも
重厚な瓦が、実用性は高かったけれど、
こういう「軽快さ、質朴さ」に美を見いだす感性が
日本には、強く存在しているのかも知れません。
しかし、こういう屋根ではメンテナンスが常に要求されて、
これを維持するのは、けっこう職人を抱えていたのかも知れませんね。
簡素であるけれど、お金はかかるものではないかと思います。
あるいはこのまま、古びていって、
その滅び方、古びかたを楽しんだのが、茶の精神であったのかも知れません。
こんなふうにディテールがしっかり保存されているのは
確かに素晴らしいですね。
先人たちの思いとか、こころのありようを
伝えてくれる気がします。
しかし、それにしても厳しい会津の冬の気候条件のなかで
こうした建築を遺してきたという部分で、
実用性や地域的発展性よりも、日本的精神性に優位をおくのだなぁ、と
深く思い至るものがあります。
まぁ、これは建築芸術である、ということはありますが。
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