三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

雑誌文化の行く末

2009年05月26日 06時40分30秒 | Weblog



最近、メディア関係、広告関係業界がたいへん元気がない。
電通さんの今年度の予算は、昨年度対比16%ダウンを予測している。
右肩上がりが基本である企業予算で売上ダウンというのは
きわめて異例だけれど、4月からの新年度で
どのように考えても大手企業を筆頭に
広告予算が大きくカットされている現実が大きいのだと思う。

写真は、わたしたちの年代が少年期に接していた
「雑誌文化」の残影を感じるコレクションたち。
月間少年雑誌の発売が待ち遠しく、
書店にきょうかあすか、と
発売日近くになると日参していたのを思い出す。
雑誌などのメディアに対する渇望感が世間に満ちていたと思う。
そういう渇望感がすっかり影を潜め、
いまはケータイに情報というものが置き換わってきているのだと思う。
ただし、ケータイでは伝達する情報もまったく変わってしまって、
これまでのような情報へのニーズが下がってきている。
また、コンテンツの作り込みでも
手間暇を掛けた、写真のような肉感豊かな表現が消えてしまっている。
いま、こういう現状を打開できるような動きはなかなか見えてこない。
雑誌の世界では、主婦の友社を大日本印刷が買収したり、
書店を買収したりと言った再編成が大きく動き出している。
生産・流通の多くの局面で既存の雑誌ビジネスが
出口を見いだせないまま、という状況。

しかし、雑誌の文化って、
口コミのいちばんの媒介ツールではないかと思います。
私どもで発行したQ1.0住宅特集など、
専門的とはいえ、多くのみなさんが集積したイメージの伝達のために
手にとって、ひとに渡したりする伝達ツールとして活用されています。
雑誌には、そのようなきわめて特殊なパワーがあると思う。
一定の集合されたイメージを一気にわかりやすく伝達する。
しかも、それを手渡すときにひとからひとへと、
思いをコミュニケーションしていく力があると思う。
こんな写真から、少年期の自分の思いが
一気に甦ってくる瞬間を感じることが出来る。
雑誌文化が再生していくとすれば、
結局はこういうホットな関係性を再度、甦らせていくしかない。
その「ホットな関係性」についての
作り手側の想像力が、試されている時代なのかも知れませんね。





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