長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

な、なじょして『霧笛』がこげな作品に……おもしろいけど。  ~映画『原子怪獣現わる』~

2017年02月23日 22時00分06秒 | 特撮あたり
 どうもこんばんは! そうだいでございまする。
 さぁさぁ、年度末も迫ってまいりました。忙しい。忙しいっすね~。仕事に関しましてはいろいろ新しい内容・分野に挑戦しっぱなしの今年度でありましたが、来年度はまた、どんなことになるのやら……いやいや、まだ今年度も一ヶ月も残ってますから! 他のことに気を取られる余裕などありません。気を緩めずに引き締めてまいりましょ~っと。

 さて、そんなことで更新頻度も絶滅寸前の状態にまで少なくなっておる我が『長岡京エイリアン』なのでありますが、せめてもの生存確認といたしまして! 今回はず~っと昔から好きだった、この映画についてのあれこれをつづってみたいと思います。

 もうね、この作品は。怪獣好きな人にとってはもはや必修の一作と言っても間違いないのではないでしょうか。非常に古い時代の、しかも外国の作品なので、何かと実際に視聴する機会の少なくなりがちなタイトルかも知れないのですが、観て絶対に損はしない記念碑的名作ですよ!


映画『原子怪獣現わる』(1953年6月公開 80分 アメリカ)
 『原子怪獣現わる』(原題:The Beast from 20,000 Fathoms)は、1953年に制作されたモノクロ特撮怪獣映画。
 核実験で現代に蘇った恐竜リドサウルスと人間との攻防を描く、映画史上初めて核実験の影響を受けた怪獣が登場した作品。「核実験で蘇った巨大な怪獣が都市を襲撃する」という本作の設定や特撮技術は、日本で翌年に公開された『ゴジラ』(1954年)などの後続する作品に大きな影響を与えた。製作費約21万ドル、世界興行収入約500万ドル。

 原作は1951年にレイ=ブラッドベリが執筆した短編小説『霧笛』(The Fog Horn)。特撮部分をレイ=ハリーハウゼンが担当している。制作陣は著名だったブラッドベリ作品の映画化を企画し、早期に映画化の権利を取得した。
 プロデューサーのジャック=ディーツとハル=チェスターは、『キングコング』(1933年)の大ヒットに影響を受け、そこから「核兵器の影響で突然変異を起こした巨大生物」という構想を膨らませていった。本作のヒットにより『ゴジラ』(1954年日本)、『放射能X』(1954年アメリカ)、『海獣ビヒモス』(1959年イギリス)、『怪獣ゴルゴ』(1961年イギリス)など「放射能の影響を受けた巨大生物」が登場する怪獣映画が数多く制作された。

本作に登場する恐竜リドサウルス(Rhedosaurus)について
 北極圏バフィン湾で眠っていた1億年前の四足型巨大恐竜(本作オリジナルの恐竜)。体長30メートル、体重500トン。肉食であり、劇中では発砲した警官を捕食している。氷河の中で冬眠していたが、アメリカ軍が行った水爆実験で氷が溶け、目を覚ました。ニューヨーク沖の海底峡谷でも同種の恐竜の化石が見つかっており、かつての生息地であるニューヨークに上陸したと見られる。警官隊のショットガン斉射やバリケードの高圧電流にひるむ姿も見られるが、厚さ20cm ある頭蓋骨に覆われた頭部は機関銃の銃撃にもびくともしない。血液に未発見の細菌が含まれているため、うかつな攻撃はできない。水中を自在に泳ぐこともできる。
 レイ=ブラッドベリによる原作『霧笛』では「灯台のサイレンに反応して現れた」とされているが、映画では「水爆実験によって復活した」という設定になっている。「夜の灯台を怪獣が破壊する」というシーンに原作の名残が見られ、それが本作の名場面にもなっている。
 映画題名では「野獣(The Beast)」、劇中ではエルソン教授以外は「恐竜」や「怪獣」と呼んでいた。後年の『恐竜の惑星』(1978年)にはリドサウルス型の恐竜が登場する。原作『霧笛』ではアパトサウルスをイメージしていたが、本作ではティラノサウルスをイメージしたデザインとなっている。


あらすじ
 北極圏で核実験が行われる。実験に参加した物理学者のトム=ネズビット教授は、「繰り返される核爆発がどのような結果をもたらすのか、今は誰にも分からないだろう。」とつぶやく。その翌日、現地調査に向かったネスビットは、核実験でひび割れた氷原で、全長30メートルの肉食恐竜リドサウルスを目撃する。しかし、恐竜を見たと訴えても周囲の人には信じてもらえない。
 リドサウルスは北アメリカ大陸東海岸を南下し、ニューファンドランド島沖の大漁場グランドバンクスと湾で漁船を、メイン州で灯台を襲撃する。生き残った漁師の一人がネスビットと同じ恐竜を目撃したと証言し、以後、ネスビットは古生物学者のサーグッド=エルソン教授と助手のリー=ハンターと行動を共にするようになる。エルソンは、リドサウルスは同種の恐竜の化石が最初に発見されたハドソン川流域に戻ろうとしているのではないかと予想し、ハドソン川の河口の海底谷を潜水鐘で捜索する。予想通りリドサウルスが現れたものの、リドサウルスは潜水鐘を沈めてマンハッタンに上陸する。リドサウルスは市街地で暴れまわり、数百名を死傷させる。駆けつけた軍隊はリドサウルスを電気柵で足止めし、バズーカを命中させて海に追い返すが、リドサウルスがまき散らした血液は太古の病原体を含んでおり、さらに多くの人が感染症の犠牲になってしまう。

主なスタッフ
監督・美術 …… ユージン=ルーリー(50歳)
原作    …… レイ=ブラッドベリ(32歳)
脚本    …… ユージン=ルーリー 他
音楽    …… デイヴィッド=バトルフ(50歳)
編集    …… バーナード=バートン(54歳)
特撮    …… レイ=ハリーハウゼン(33歳)
制作・配給 …… ワーナー・ブラザース映画

主なキャスティング
トム=ネズビット教授   …… ポール=クリスチャン(35歳)
リー=ハンター      …… ポーラ=レイモンド(28歳)
サーグッド=エルソン教授 …… セシル=ケラウェイ(62歳)
ジャック=エヴァンズ大佐 …… ケネス=トビー(36歳)
フィル=ジャクソン大尉  …… ドナルド=ウッズ(46歳)
ストーン伍長       …… リー=ヴァン・クリーフ(28歳)
ルーミス軍曹       …… スティーヴ=ブロディ(33歳)
ジェイコブ=ボウマン   …… ジャック=ペニック(57歳)
ネスビットの同僚リッチー …… ロス=エリオット(35歳)


 いや~。この作品はもう、日本の特撮、特に世界を股にかける東宝の「ゴジラシリーズ」が好きだという方にとっては、絶対に避けて通ることのできない一作ではないでしょうか。

 本作は、その翌年にあたる1954年に日本で公開された『ゴジラ』に甚大な影響を与えた先行作品であると言われており、当然ながらこの両者には相違点も山ほどあるのですが、「現代の核実験によって眠りから覚めた巨大な古代生物が海から上陸して大暴れする」という物語の根幹をなす設定が共通しているというポイントが常に語られる、双子のような因縁を持った関係にあります。

 ま、公開時期の順番からしても、『ゴジラ』が本作のパクリという意見が出てもおかしくはない状況にはなっているのですが、私から言わせていただきますと、特にネット界隈でしたり顔してそんなことをほざいてる奴は、ぜっっっったいに『原子怪獣現わる』も初代『ゴジラ』も、どっちも観たことのないド素人だと思います。
 見比べてみたらすぐわかりますよ……この2作品、どちらも同じ設定から出発しているはずなのに、視点や調理法が何から何までまるで別次元の作品なのです! 無論のこと、どちらがいいとか悪いとか比較できる関係ではない、全く別の SF映画となっているんですね。

 そもそも、今回この作品を記事にしようと思い立ったのは、最近になってやっと私が本作の DVDを購入したからなのでした。私が今回買った DVD、なんと『原子怪獣現わる』とあの『放射能X 』(1954年)を同時収録してるという、特撮好きな人にとっての歴史の教科書みたいな夢のパックだったのよ! これをお得と言わずして何と言いましょうか。画質もいいしねぇ。『放射能X 』についてもいつか必ず記事にしたい~!

 きっかけはそんな感じなのですが、私自身が『原子怪獣現わる』を初めて視聴したのはもうちょっと前で、確か大学生時代、2000年代初めにテレ東かどこかの深夜ロードショーでやってたのを「すわっ!」という感じで跳びついて観た記憶があります。
 あの時はうれしかったですね~。小学校低学年の時から、ケイブンシャとか小学館あたりが出していた「世界の怪獣大百科」みたいなポケット図鑑で、本がぱっくり裂けるほど見ていた原子怪獣リドサウルスの、ちゃんと動いている勇姿をやっと拝めたんですからね! つくづく、放送枠が貧相な地方テレビ局とは段違いに古い名画との出逢いのチャンスが豊富な関東キー局のすばらしさに涙を浮かべたものでした。『顔のない眼』(1959年)とか『血とバラ』(1960年)とか、まさかテレビで観られるとは山形にいた頃は露ほども思ってなかったもんねぇ。最高でした♡
 ま、同じくその頃に深夜のテレ東で観た『冷凍凶獣の惨殺』(1961年)には、それらとは180°真逆の意味で驚愕しましたけどね……いや、あの時代に怪獣映画を撮ろうとしたら、ふつうこうなるよね! ハリーハウゼンさんとか円谷英二さんが異常天才すぎるんですよ。

 昔話はここまでにしときまして、ここからは本作『原子怪獣現わる』の内容についてつづっていきたいのですが、映画作品としての本作に、ある意味で『ゴジラ』以上に切り離して語ることのできない存在としてリンクしているフィクション作品に、アメリカ SF小説界のレジェンドとも言うべきレイ=ブラッドベリ(1920~2012年)の1952年発表の短編小説『霧笛』(原題:The Fog Horn)があります。
 うわ~、『霧笛』、なつかし~!! ブラッドベリと言えば、やっぱり『火星年代記』とか『華氏451度』が有名かと思うのですが、実際に日本人に読まれた流布の度合いで言うのならば、この『霧笛』もあなどれないのではないでしょうか。だってこれ、国語の教科書に載ってたんだもん!
 調べてみますと、『霧笛』が教科書に採用されたのは1987~96年の「中学二年生・国語」ということで、まさにその時期にノボーッと読んでいた中二の私は、海から出現したアパトサウルス(当時はブロントサウルスという呼称が一般的だった)が哀しみの咆哮をあげるという古代ロマンだだもれの作品に出くわしてゾッコン魂を奪われてしまいました。遠藤周作の『白い風船』と山川方夫の『夏の葬列』、そしてこの『霧笛』が、今現在の私の趣味嗜好に多大な影響を与えてくれた三大教科書作品ですね。爪あと残すねェ~!!

 でも、上のWikipedia 記事にもあるように、小説『霧笛』は映画『原子怪獣現わる』の原作なんだから、縁があるのは当たり前じゃねぇかと思われる方もおられるかと思うのですが、実はこの両作品、まず最初に小説ありきで映画が作られたとか、逆に映画が作られる際にノベライズとして小説が世に出たとかいうよくあるパターンの関係ではないのです。
 それは、実際に両作品を見比べてみれば明確にわかることなのですが、どちらも「古代の恐竜が海から現れて岬の灯台を破壊する」という展開こそ同じなのですが、恐竜の種類も破壊のニュアンスもまるで違うという差異があります。だいたい、映画『原子怪獣現わる』は80分の作品なのですが、『霧笛』の内容を映像化したと言える場面は物語中盤42分50秒~44分30秒のたった約1分40秒間ほどの描写にとどまっているという扱いなのです。確かに映像としての灯台破壊のインパクトは素晴らしいのですが、あくまでもリドサウルスの猛威のごく一挿話でしかないのであって、『霧笛』でブラッドベリが読者に魔法のようにかける身を切るような哀感など、どこにもないんですよね。
 これ、『霧笛』が原作という関係でいいんだろうか……? あまりにも、映画版の暴走が過ぎやしませんかね!?

 実は、『原子怪獣現わる』を観て『霧笛』を読んだ人なら全員が抱いてしまうようなこの疑問の答えは、私が購入した DVDの特典映像である、2003年に行われたブラッドベリと、その親友でもあった本作の特撮監督レイ=ハリーハウゼンとの対談の中で明らかになっておりました。どっちもレイか! 日本人の多くにとって、「レイ」といえば無口な美少女というイメージが昨今流布してしまっているのですが、こっちのレイはお2人とも伝説級のスーパーおじいちゃんだぜ!!

 この対談でのブラッドベリご本人による述懐によりますと、実は映画『原子怪獣現わる』の物語はそもそもオリジナルで脚本家が練り上げていたものだったのですが、ちょうどその直前に新聞小説でブラッドベリが同じような設定の『霧笛』を発表していたことを知ったワーナー・ブラザース側が、ブラッドベリに脚本を読ませた上で『霧笛』の映像化権を購入して「原作」としたという、ちょっと複雑な経緯があったとのことでした。つまり、『霧笛』をもとに『原子怪獣現わる』が生まれたという親子の関係とは言い難い、似た者同士の養子縁組のような関係が正しいらしいんですね。のちのちのトラブルを避けた映画会社側の妙手とも言えるわけなのですが、「親友のハリーハウゼンの映画なら」というブラッドベリの寛大な判断もあったのではないでしょうか。
 実際、『原子怪獣現わる』のリドサウルスと『霧笛』のアパトサウルスは、アクションは同じでも全く別物の作品と言っていい印象の違いがあるのですが、迫力のリドサウルスと哀愁のアパトサウルス、どっちも素晴らしいことに違いは無いし、お互いジャンルがまるで違うということで喰い合うような関係ではないんですよね。ブラッドベリの菩薩様のような寛容さは、日本の横溝正史先生にも通じるような、自身の作品世界への絶対の自信に基づくものでもあるような気がしますね。石坂浩二だろうが古谷一行だろうが、そう簡単に揺らぐもんじゃねぇぞ、と! ブラッドベリとハリーハウゼンの関係は最高だなぁ。

 そんな経緯があって生まれた映画『原子怪獣現わる』なわけですが、やはりこの作品を語る上で欠かせないのは、本作オリジナルの恐竜となる、世にも珍しい「四足歩行型の肉食恐竜」リドサウルスの猛威でしょう。う~ん、もはや恐竜というよりは、「怪獣」?

 特撮ファンにとって、何が「恐竜」で何が「怪獣」か。この両者の違いは何ぞやという問題は非常に深く、永久に答えの出ないロマンあふるる問いである気がします。

 これ、ちょっと前までは「日本人(円谷英二?)が創出した生物の概念を超えた強靭さを持つ巨大生命体が怪獣」で、「海外の SF映画に登場する人類でも駆逐できる巨大生命体がモンスターや恐竜」という考え方が一般的だったかと思うのですが、ご存じの通り、あのハリウッドでもついに日本の怪獣の概念を継承した『クローバーフィールド』(2008年)やギャレス=エドワーズ監督版『ゴジラ』(2014年)のような映画が出てくる時勢になってきましたので、「怪獣=日本独自の文化」という認識も確実に古くなってきているような気がします。ローランド=エメリッヒ監督版『ゴジラ』(1998年)に出てきたのは、確実に「でかい恐竜」だったんですけどね……

 まず、1954年に誕生した水爆大怪獣ゴジラが「怪獣」であることは間違いないと思うのですが、その前年にニューヨークで大暴れしたリドサウルスは恐竜なのか?怪獣なのか? これはとっても魅力的な問題だと思います。

 まず、リドサウルスはそもそも実在しない巨大生物で、「体長30m の陸上肉食恐竜」という規格外のスペックは、あの恐竜王ティラノサウルスの2倍以上の体躯ということからもわかる通り、十二分に「現実にはありえない存在」と言えると思います。水陸両棲だし! 余談ですが、海中でのリドサウルスって、絶妙にフレームアウトしてるのではっきりは見えないのですが、海底をのしのし歩く以外は、どうやらあの短い両腕を「ひらおよぎ」みたいにパタパタ動かして泳いでるみたいです……かわいすぎ! 水の抵抗ガン無視か!!

 ただ、その活躍をよくよく観てみますと、リドサウルスはアメリカ軍のバズーカ砲どころか、一般警察隊のショットガン攻撃にも確実にダメージを受けているようで、足止めの土嚢や有刺鉄線、高圧電流に全く手も足も出ないという「リアルな生物としての反応」が目立ちます。日本の特撮ファンからしてみると、そこらへんの軍隊の足止めが「ほんとに効くんだ……」とビックリすらしてしまいますね。やってみるもんだな~。
 そうなんです。このリドサウルス、外見こそは空想上の怪獣然としてはいるのですが、砲撃で出血はするし軍隊の対応で着実に進路は断たれるしで、実に現実的な恐竜というか、なんなら「逃げ出した猛獣・害獣」レベルの脅威度なんじゃなかろうかとさえ感じてしまうはかなさなのです。がっかり……と言ってはいけない! そういうリアリティ。
 むしろ、リドサウルスの最大の恐怖は、そのものの性質や破壊力というよりも、「体内に保有している未知の病原菌」なんですよね! だから、リドサウルス自体を駆除するのは造作もないことなのですが、その駆除法をどうするべきかが本作最後の難題であるというお話になってくるのです。リドサウルス……なりは怪獣なんだけど、せいぜい『ウルトラマン』の油獣ぺスターくらいのランクということになるのでしょうか。スペシウム光線は……いらないね。

 そうそう! 今回ちゃんと観ていちばんビックリしたのが、リドサウルスがそもそも「原子怪獣」じゃないってことなんですよね。

 どういうことかと言うと、このリドサウルス、核実験で目覚めて大暴れして、その血液から空気中に放出された謎の病原菌のせいでニューヨーク市内が汚染されるという展開を見ると、あの後輩ゴジラのように「被爆して放射能をまき散らす」属性があると勘違いされがちなのですが、体内の病原菌はあくまでも1億年前からリドサウルスが保有していたものなのであって、核実験で体質が変わったとかいう設定はまるでないのです。本当に、北極圏で行われた核実験で冬眠から目覚めたってだけなんですね。まぁ、1億年前の北極圏が、リドサウルスが埋もれるほどの氷におおわれていたのかという問題は、今回は無視しておきますが……
 だいたい、リドサウルスの息の根を止める秘密兵器「ラジオアイソトープ弾」も、その理論は私もド文系人間なものでよくはわからないのですが、要するにリドサウルスの体内で急激な放射能被爆を引き起こして殺すという、ちょっと日本人には想像しかねるような非情手段なわけですが、その手が効くということは、リドサウルスは放射能に対する耐性がない、つまりはゴジラのような「原子怪獣」ではないという結論となるのです。あくまで「目が覚めた恐竜」でしかないんですね。
 にしても、のちに『夕陽のガンマン』(1965年)などの多くの西部劇でその百発百中ぶりを発揮した名優リー=ヴァン・クリーフ演じるアメリカ軍スナイパーが、ラジオアイソトープ弾をリドサウルスの傷口を狙って撃ち込むエグさとか、撃ち込まれても3分くらいは大暴れしてるもどかしさとか、とにかく最期まで害獣駆除っぽいリアリティが横溢する描写なのでありました。
 要するに、「被爆して変異した怪獣」のはしりはあくまで翌年のゴジラなのであって、リドサウルスは限りなくそこに肉薄しつつも、ついに「人類に駆逐される生物」という域にとどまった存在だと思います。そういう意味でも、ゴジラの独自性は充分すぎるほどにあるんですよね。

 まぁ、こんな感じでこの『原子怪獣現わる』は、怪獣映画とは言えない範囲の「モンスターパニック映画」の祖のような位置づけの作品であると思います。そして、核実験を物語の起点に置いた記念碑的作品ではあるのですが、放射能の恐怖そのものを描くことは巧みに避けられ、リドサウルスの保有する病原菌のために次々と倒れる軍人の行列の、まるでゾンビのような不気味さにかろうじてその暗喩が込められているような気がしました。
 やはり、『ゴジラ』に観られる「被爆した怪獣、都市、人々」という描写は、戦勝国アメリカでは生まれえない発想だったということなのでしょうか。それはまぁ、限界というよりは娯楽映画としてのタブーですよね。

 また、この作品はそういった怪獣 or 恐竜うんぬんを抜きにしても、特撮映像界の大天才ハリーハウゼンのものすごさを堪能するべき作品でもあります。
 ただし、この『原子怪獣現わる』はハリーハウゼンのキャリア初期の作品になるので、確かにリドサウルスがストップモーション撮影によって生を得て大暴れする迫力こそあれど、後年の『シンドバッド』シリーズや『タイタンの戦い』の神業と比較すれば、コマ数も少なめで動きのぎこちなさ、カクカク感が否めない部分もあります。

 ならば、この作品におけるハリーハウゼンの仕事のどこがすごいのかと言いますと、それはやはり「ミニチュアと実景映像との動きの同期のピッタリ感」! これに尽きるのではないでしょうか。これはすごい。

 具体的に言うと、初代『ゴジラ』のゴジラは、というかそれ以降の日本生まれの怪獣のほとんどは身長50m くらいのスケールが基本となっているので、合成撮影技術を駆使して「暴れる怪獣と逃げ惑う人々」を同じ画面に同時に存在させても、大きさの差が非常に大きいので自然とかなりの距離が開き、その結果、画面奥の怪獣と手前の人間との間に動きのタイミングや視線のズレがあってもごまかすことができます。怪獣がビルをなぎ倒そうが光線を吐こうが、全力ダッシュで逃げる人々の動きに特に差はないですよね。

 ところが、リドサウルスと言いますか、ハリーハウゼン世界に出てくるモンスターのほとんどは体高15m 前後という「リアルに怖いサイズ」になるので、リドサウルスの壊したビルのがれきがもろに人の頭上に落ちてきたり、リドサウルスに上半身をくわえられた警官が軽々と空中に持ち上げられるという、クリーチャーと生身の演者との動きの合致が非常に重要になってくるのです。そこに関する几帳面すぎる程のこだわりがハリーハウゼンはすごいんだ!!

 特に私がすごいと感動したのは、撃ち込まれたラジオアイソトープ弾が効いてきて苦しむリドサウルスが振り回した巨大な尻尾が、手前にあった実景の燃え盛るローラーコースターの木組みに当たってガラガラと火の粉を舞い散らせて倒壊させるという、そのタイミングのピッタリ感!! オキシジェン・デストロイヤーを受けて海中に没するゴジラの断末魔に勝るとも劣らないリドサウルスの名演・名シーンだと思います。
 あと、そのちょっと前のシーンになりますが、ローラーコースターの巨大な構造の一端に暴れまわるリドサウルスがいて、その反対側にラジオアイソトープ弾の狙撃を準備するレール上のネズビット教授とストーン伍長がいるという合成撮影による一枚絵も、見事な美しさを得ていたと思います。正直、モノクロ映画の夜景なのでごまかしも結構効いたのでしょうが、世紀の猛獣と勇気ある人類との対決が絵になった、非常にカッコいい構図だと思いますよ。アメリカっぽいなぁ!

 その他にもいろいろと本作の面白さを語りたい部分はたくさんあるのですが、字数もかさんできたので一つだけ言いますと、やはり翌年の『ゴジラ』と比較して興味深い違いが見えてくるのが、「恐怖の存在の見せ方」といいますか、1時間以上ある娯楽映画の中での「ひっぱり方」だと思います。
 具体的に見ていきますと、本作でのリドサウルスの姿は、本編開始9分15秒で鳴き声と頭部以外の全身が一瞬映って、割とすぐ後の10分23秒で全体像が明らかとなるあっさりとした登場となっております。意外と早めに全貌が明らかになるんですよね。気前が良いっちゃあ良いんですが、いちばんの目玉の登場にあまり計算がない、とも言えますね。
 それに対して我らが『ゴジラ』(本編97分)はといいますと、本編開始13分50分で脚のほんとにごく一部だけが一瞬見え、頭部と上半身、鳴き声が明らかとなるのはだいぶ後の21分50秒となるのです。そして、有名な着ぐるみによる全身が映るのはさらに45分33秒後というじらしっぷりなんですね。
 う~ん、『ゴジラ』は後発の利を十二分に活かして、かなり勉強してますよね! ものすごいデザインを秘めている怪獣は、いくらお客さんを待たせてもいいのだ! この究極の形は、やっぱ『エイリアン』(1979年)ですよね~。秘すれば花ならぬ、「秘すれば恐怖」!! これには山村貞子姐さんもご納得の表情。


 世界特撮史上に残る名作『原子怪獣現わる』は、今現在の特撮・怪獣作品に見慣れた私達から観てみますと、確かに「怪獣以前」の作品ということで、たとえば物語の中盤で実物のタコとネムリブカっぽい小ザメ(たぶん1m ないと思います)との闘いがえんえん1分間以上続く謎の時間があったりと、古色蒼然とした部分も否めません。当時は、実際の生物をズームアップや合成技術で巨大生物に見せるテクニックも立派な特撮のひとつでしたからね。にしても、あの2匹を体長2~3m の大ダコと大ザメに仕立て上げるのは、ちょっと……
 しかし、全ての始まりのきっかけとなった作品として絶対に忘れてはならない作品ですし、地味にヒロインが知的な研究者としてしっかり自立しているという珍しい一面もあります。ともあれ、古いと思ってあなどるなかれな傑作ですよ。

 CG 製恐竜全盛の昨今ですが、リドサウルスをリスペクトした四つ足肉食恐竜が、ひょっこりジュラシックシリーズに出たりキングコングと闘ったりしませんかね!? 観てみたいなぁ、CG で生まれ変わったぬるぬる動くリドサウルス!

 スピノサウルスのかたきを取る! ティラノの人気独占をはばむのは、このわしじゃあ!!
 え? ほっといてもティラノさんは最新の学説で勝手に弱体化してる一方だって……? 恐竜王カムバ~ック!!
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