ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

2013年度第一空挺団降下初め(準備編)

2013-01-15 | 自衛隊

というわけで、2013年度、陸上自衛隊第一空挺団降下初めに、
このブログ的にも年頭行事として参加してきたわけですが、

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

関東地方にお住いの皆さん。外(笑い)。
なんなんですか~この雪は。

 

うちのマンション敷地内。
先日工場見学で訪れた富山で、「豪雪地帯は大変だのー」などと、
他人事だと思って軽く同情していたら、それ以上の大雪が降ったでござる。

息子の学校は祝日登校だったのに、12時に解散になってしまいました。
「迎えに来て」といわれるもタイヤが滑って駐車場から車出せず。
後から考えると、学校までの細道で車が坂を登れなくなる可能性があり、
出さなくて正解、というやつでした。
で、息子の雪用パーカ(防衛大学ネーム入り)とスキー手袋を持って、
雪の中歩いて迎えに行ったんですよ。

まあそのこと自体は、雪の滅多に降らない土地の人間ゆえ、
「寒いー!すごいー!」
などときゃあきゃあ言いながらも結構楽しんでしまったりしたわけですが、
しばれる吹雪の中を歩きながら、昨日の暑いほどの晴天ぶりを思い返し、
つくづく昨日は「降下日和」であったなあ、と思うとともに、
文字通り天の配剤というか、日本国自衛隊への天佑神助を感じた次第です。

さて、それではその降下初めの一日を振り返ってみることにしましょう。
エリス中尉、5時に起きて6時家を出、完璧に一番乗りするつもりでした。
ところが、そこには落とし穴が。
習志野陸上駐屯地の周りには、コインパーキングがない。
駅前にはタクシーがない。
車をどこに留めるべきか、ぐるぐるそのあたりを徘徊すること30分。
コンビニの前で人に聞いて、「どこかの大型スーパーの駐車場に停める」
ことに決め、少し歩くのを覚悟であるモールの駐車場に留め、
歩き出そうとして、向かいにタクシー会社があるのを発見!
ほっとして帰りのためにタクシーカードをもらい、演習場まで行きました。

すると・・・。



あれ?車がたくさん入ってきてる。
これは、おそらくもっと早くから「駐車許可」を貰っていた人たちでしょう。
しかし、いくら無料でも、こんなに並んで停めるのはねえ・・・。
帰りも、外に出るだけで一苦労、ってくらい列ができていたし、
結果論だけど、車で来ても中に駐車しない方がよかったと思いますよ。

 



演習場の入口から駐車場までは結構な距離があります。
車の列を横目で見ながら歩いていくと、



まず手荷物の検査を受ける場所が。
昔はきっとこんなことしなかったんだろうなあ。
今は、まあディズニーでもやってるくらいですからね。



そして、会場までシャトルバスに乗るのですが・・・・・。
なんだか、これ、人がすごくないですか?
最後尾の隊員さんに聞くと「(乗るのに)40分くらいかかります」
「歩いたほうが早いですか」
「女の人なら20分くらいですかね」

そういう時に決して待たず歩く方を選ぶのがエリス中尉の習性。
あっさりシャトルバスをあきらめてくてく歩いていくと、
横を追い抜かしていく何台かのシャトルバス・・・・え?



ちょ・・・・・・・・

なにこの自衛隊員輸送専用の「シャトル」はっ?
こんなのも走らせているならそう言ってくれないと。
これに乗れるのなら、1時間でも待ったのに。

仕方がない、帰りにはシャトルに乗ってやるぞ、と拳を握りしめ、
さらに歩いていると、



チヌークさんが待機中。
なにやら物資を積み込んでいる模様。
胸が高鳴ります。



歩きながら上空の見張りも欠かさず。
AH-1コブラキタ━(゜∀゜)━!
今日活躍するヘリコプター群が空を飛びまくり。
もうこれはエリス中尉的にまるで盆と正月が一緒に来た状態。
ところで、このコブラはここ習志野には配備されていないそうですから、
どこかよそから飛んできて駐機しようとしている模様。

この時間は各配置の「準備」が見られたというわけです。



第一空挺団の皆さんキタ━━━━ヽ(゜∀゜ )ノ━━━━!!!!

うひゃー、遠目に見てもなんだか鬼塚曹長みたいな人たちだらけ。
わたしたちには頼もしいけど、おそらく敵にとっては恐ろしい集団に見えるでしょう。
精鋭無比な化け物、じゃなくて猛者たちの、戦いを前にした静寂のひととき。



コブラが木々の向こうに沈み込むように降りていきます。



こんな光景を見ながら歩いていくと、
「習志野射撃場」
なにかわからないけど、ものすごく古そうな標識です。



ペトリオット。
パトリオットの英語読みですね。
さりげなく青い字ですが、これはここが空自の陣地であるからです。
ここには陸自第一空挺団と、空自の第一高射隊が所属しているのです。
この「高射隊」配備基地ならではの「あれ」も見ることができました。
あれとは・・・・あれですよあれ。



なんですか?
もしかしたら、これはナイキ・ミサイル?
空自が地対空ミサイル、ナイキJと配備していたそうだからこれがそれ?
だとしたらなぜこんなところに?
ペイトリオットが導入されたので、こちらは退役して床の間の飾り状態?



という具合に、歩かなくては眼にも留めないであろう見所がいっぱい。
やっぱり歩いて正解でした。
でも、この時ふと、道路脇に貼られたロープに
「通行の妨げになるので立ち止まらないでください」
と書いてあるのに気づいてしまいました。
これ以降は歩きながらの写真撮影となりました。



とにかく、しょっちゅう空をヘリが旋回しています。



歩きながら風景を撮るふりして撮った隊員。
うーん、いい体してるねえ。
君、就職先決まってないならちょっと話聞いてみない?
(噂にきくところの『地連』のスカウトマンの声掛け文句)



こちらも準備に余念がありません。
偽装のために葉っぱをトラックに飾り付け真っ最中。
てか、訓練の時にもいちいち偽装するのかしら・・・。
偽装にもテクニックがいるからその練習が必要とか?



飾り付け終わって、なごんでますか?
別の写真を見ると、どうも一人は喫煙中の模様。
しかし、海自と違って陸自は短髪率が高いですね。
このあたりも旧軍の伝統が尾を引いているのかしら。
長髪の隊員もいるので強制ではないんでしょうけど。



トラックの前のネットのようなものはなんでしょうか。



トラックの飾りつけ部隊全景。
偽装のための葉っぱは周りにふんだんにあります。



もう少し歩いていくと、自衛隊専用車の展示がありました。
これは航空気象装置JMMQ-M7。
展開地において航空機の運行に必要な気象データを解析し、
航空操縦士に提供する装置を積んでいます。



子供サービス。
朝っぱらから被り物でご苦労様です(T_T)
それにしても、この被り物、息ができるのかしら。
パイロットと空挺隊員と陸戦隊、それから女性隊員?
それにしてもこのお子さまは、全身自衛隊グッズで固めています。
パパが隊員?それとも単なる自衛隊好き?



軽装甲機動車。
製作はコマツでございます。
コマツが作っているのはショベルカーや重機だけじゃなかったのね。
それにしても、この二人は、こんなに至近距離でいったい何を・・・。



ちょっとハードユースのSUV車って感じです。
塗装を黄色にすれば、ハマーの新型といっても通りそうです。
市街地というジャングルをタフに疾走したいあなたにはこれがおすすめ。

 
 
120ミリ迫撃砲。
車がついていますが、重迫撃砲牽引車により移動させます。
この迫撃砲、銃口の部分にネジの溝がありますでしょう?
昨日予告編でお見せしましたが、



正しい使用例。
銃口を車体とねじで取り付け、銃身は牽引のための棒になります。
誰が考えたか、実に機能的。
この機能性にグッドデザイン賞を差し上げたい。



さすが自衛隊、給水車を仮設トイレの前に設置して、
出てきた人がこちらで手を洗えるように配慮をしています。
左は男性用で右は女性用。
どうして手洗いに男女の別を設けるのか、ちょっと謎ですが。
とにかく、こんなにみんなの並んでいるところにあるので、
いつも手を洗わない不潔な無精者も、つい洗ってしまうという効果抜群。

水は地面に流しっぱなしなので、スノコを敷いて靴が汚れないような配慮も。
いや、さすがは災害地にこういう設備を提供するだけのことはあるわ。



というような情景を興味深く眺めながら、会場に到着。

もし8時に間に合っていれば一番前の場所が取れたのですが。
エリス中尉、今回初参戦の身の悲しさ、いったいどういう状況で待つのか、
どんなところなのかという知識が全くなかったため、前列の「一番乗り組」が
みんな地べたに座るために当然のように持ってきているシートやら椅子やら、
まったくそのような待機グッズを持ってきていませんでした。

まあ、土の上に座ったって別にいいんですが、それだどあまりに冷たいし、
結局この、前から三列目くらいのところに最初から最後まで立っていました。

ご存知のように、次の日大雪となる前触れとして、この日は汗ばむくらいの暖かさ。
顔を照らす陽射しが熱いと感じる瞬間もあったくらいです。
だからこそ、こんな軽装でも何とかなったようなものですが、
来年からはもう少し考えないといけない、と反省いたしました。



しかも時間がたつにつれ、自分の後ろにも幾重もの人垣ができてきます。
後方には売店があり、焼きそばなどの食べ物の屋台がありましたが、
一人で来ていると、その場を離れればもう帰ってきても場所は無し。
椅子などをちょこっと置いていたくらいでは人ごみで見つけられない可能性もあります。

というわけで、こんな状況の中、朝の9時から終了の1時まで身じろぎもせず、
一所に立ち続けたエリス中尉に、どうか暖かい励ましの声を・・。



とはいえ、立っていれば次々と目の前にこんなものが降りてきたり、
訓練準備のいろいろが見られたりするわけですから、
本人は特に大変だとも思っていないし、周りの立っている人たちもそうだったでしょう。

さて、UH-1Jが、にこやかにほほ笑みながらキタ - .∵・(゜∀゜)・∵. - !!
(この意味が分かったあなたとは仲良くなれそうです)



着地。
それにしてもヘリってAHとかOHとかUHとか、やたらネームが間投詞だわ。

さっそくドアが開いて隊員が出てきました。
ちなみに、これは実際にはこんなはっきり見てません。
なんかやってるなあと思って連続写真をとりあえず撮って、
あとで拡大してみたらこんなだった、というくらい遠くです。



隊員が4人出てきました。
おそらく、二番目にいるのがよその基地から来た偉い人で、
その後ろがかばん持ちの副官。(適当)



そうこうしている間に、三々五々、陸戦隊の皆さんが配置に付きます。
陸戦隊とはたぶん言わないと思いますが、正式にはなんていうのか知りません。



アップしてみる。
なんと!
背中に背負ったバックパックにも枯れ枝で偽装しています。
この調子では、きっと顔にも迷彩を塗っているに違いありません。



ところで、視力2.0のエリス中尉、配備に着いた二人が
このあたりでふと消えてしまったのに気が付きました。
どこだと思います?



ここに寝転んでいます。
この潜んでいる二人が気になってずっと注意していたのですが、
いつの間にか戦闘訓練に入ってしまって、行方が分からなくなりました。
しかし、このあと降下展示やら何やら、やたら時間があったので、
もしかしたらそのあいだ、かれらは地面に突っ伏して寝ていたのではないか?
今日はこんなにお天気もいいし、と失礼な想像をしてしまいました。
(ってくらいわたしも眠かったんですよ。何しろ5時に起きたもので)



というところで次に続きます。
次回は訓練準備と試験降下、
できれば降下訓練をすべてお伝えしたいと思います。(願望)

 

 


2013年陸上自衛隊第一空挺団降下初め(予告編)

2013-01-14 | 自衛隊

三日前、初めてコメントくださったM24さんの情報により、
昨日降下初めがあることを知ってしまいました

知ってしまったからには行かねばならぬ。

なぜ「ねばならぬ」かわかりませんが、
なぜ自衛隊のイベントに行かねばならないのかというと、
そこに自衛隊があるからなのです。

というわけで朝5時に起きて6時に家を出、参加してきましたよ!M24さん。
教えてくださってありがとうございました。
とにかく大興奮の一日でした。
M24さんも今日は参戦されていたのですか?

・・・・もしかしたら、演習する方だったりして・・・・・・

たまたま、新年のあいさつにチヌークの画像を使って、
「今年は『ネイビーブルーに恋をして』あらため

『カーキーグリーンに故意をして』 〜ツァイス片手に富士演習場〜

にでも鞍替えするのか?』と実は曹長からメールをいただいていたんですが、
「ツァイス片手に習志野演習場」とあいなったわけです。

これは何かの予感だったのでしょうか。



しかしながら、さすがのエリス中尉も今日は何しろ5時起きで死ぬほど眠い。
今も瞼が重くて仕方がないのですが、最後の気力を振り絞り、PCに向かっています。
とりあえず写真だけ、予告編ということでコメント無しでお送りします。

え?別にコメントはいらん、って?
聞こえましたよ。そこのあなた。

それでは、2013年度、第一空挺団降下始め並びに訓練展示予告篇をどうぞ。





































開設1000日記念シネマギャラリー(戦争映画編)前半

2013-01-13 | 映画

年忘れにするはずだったシネマギャラリー、
年末にいろいろあったので年初めシリーズにしようと思ったのですが、
台湾旅行でこのブログ的に語りたいことが多すぎて、
この旅行のクライマックスともいえる部分についてはまだ製作中、という状態。

それにもかかわらず、ふと気づけばブログ開設して今日で1000日。
いろいろありましたが(遠い目)、1000日。

1000日で思い出すのは映画「1000日のアン」。
アン・ブーリンが結婚してからヘンリー8世に飽きられて斬首されるまでの
1000日間(正確には何日か知りませんが)を描いた映画です。
しかし新年早々縁起でもない雑学をひけらかしている場合ではありません。

ここはひとつ、1000日間のご愛顧とこのブログのいやさかを念じて、
思いっきり皆様に御礼並びにご支援を賜るべく平身低頭してまいる所存です。
(一応念を押しますが、最後の一行の言葉をまともに取らないように)


というわけで、せっかくきりのいい数字なので、回顧ギャラリーをすることにします。
このブログのもっとも得意とする「戦争映画」編から。

「不如帰」丹波哲郎


若かりし日の丹波哲郎
映画「不如帰」からの一シーン。
これは戦争映画ではありませんが、登場人物が海軍軍人なので。
主人公の海軍中尉武男の妻浪子に懸想する陸軍軍人。
男前にはこういうヒールもよく似合います。

「聯合艦隊」丹波哲郎


同じ丹波哲郎の数十年後。
映画「聯合艦隊」で沈みゆく瑞鶴に敬礼する小沢冶三郎

「フルメタル・ジャケット」マシュー・モディーン


いまだに毎日のようにヒットがある「フルメタル・ジャケット」のページ。
主人公のジョーカー役、マシュー・モディーン。
銃撃事件で話題になったバットマンの最新シリーズにも出ていました。



伝説の軍曹、ハートマン。
リー・アーメイの「鬼軍曹っぷり」のおかげで
今ではすっかりハートマンは鬼軍曹の代名詞に。

「日輪の遺産」


浅田次郎原作「日輪の遺産」
わたしは浅田次郎の作品がわりと好きですが、これは読んでいません。

おそらく映画化に際しては、原作者が全く望んでいない、というか、
思ってもいない展開になったのではなかったかと勝手に思い込んでいます。

だって、あの浅田次郎がこんな妙なストーリーの話を書くはずないもん。
もし映画がストーリーの通りなのだったら、浅田次郎はもう信用ゼロ、というレベル。

音楽だけが個人的に評価できる映画でした。
でも、この映画、好きか嫌いかだけで言ったら、なぜか好きです(笑い)

太平洋の奇跡「キスカ」


キスカ守備隊の海軍軍医を演じる平田昭彦(様)。
この平田様は、エリス中尉、主人公でもないのに似顔絵を描いてしまう程度にファンです。
ただし若いときに限る。

「さらばラバウル」


そう、このころですね。
キスカとは全く関係ない映画「さらばラバウル」から引っ張ってきた
平田昭彦画像。
この映画のDVDが欲しいのですが、いまだに見つかっていません。

「ろ号潜水艦浮上せず」
 



出てくる俳優全てが超絶演技下手にもかかわらず面白かった
「ろ号潜水艦浮上せず」
と、一部読者に大うけだったヒロインの俊足芸者幸子さん。

で、改めていま気づいたのですが、先任将校の「艦長・・・・」というセリフ、
艦長の艦が金へんになっていますね。
賀新年事件といい、これといい・・・・・。
謹賀新年と違ってこれは手書きであるため、変換ミスという言い訳もできません。
昔のログを改めて読んで、変換ミスを発見するのはエリス中尉の日常茶飯事でもありますが、
これは自分で書いている文字だけになかなかショックなものがあります。


「最後の特攻隊」


最後の特攻隊、と言いながら出撃するのは宗方大尉ただ一人だったりします。
鶴田浩二、高倉健を主役に据え、豪華男優を惜しみなく使った東映の意欲作ですが、
いかんせん俳優の年齢が高すぎて、終戦間際に思えない絵面になってしまったのが残念。

「零戦黒雲一家」


裕次郎の青春活劇戦争映画「零戦黒雲一家」
荒唐無稽なアクション映画風で、裕次郎の魅力だけを前面に出した映画と思いきや、
読者の方のコメントにより、撮影に自衛隊の実機を使っていることが判明し、
あらためて驚かされました。

これも裕次郎のご威光?あなどれないわー。

「特攻 零」



主人公の撃墜王(笑)は仮面ライダー上がりとか。
その珍走団的特攻隊員の描写を大笑いしながら楽しむための大爆笑ネタ映画。
中途半端によくできた映画を観るなら、いっそこっちの方をお勧めします。
エンターテインメント作品として、ある意味秀逸です。皮肉でもなく・・・皮肉かな。

日本海海戦「海ゆかば」



日露戦争のころまだ作曲されていない「海ゆかば」が、なぜかタイトルになっています。
日本海海戦の旗艦であった戦艦「三笠」乗り組みで、砲兵として
激しい戦いに身を投じた軍楽兵を、亡き沖田浩之が熱演。

全体的に非常によくできていて、音楽映画としても見ごたえがあります。
明治時代の海軍軍楽隊について知りたい方必見。

ガッツ石松の熱演も見ものです。
最近あるところでガッツさんのインタビューを読んだのですが、
「ガッツ石松としてどこかに出たらあとはわからないふり、馬鹿なふり。
わりきって、ばかにばかと言われるのは実に楽しい」
みたいなことを言っていて、へええ、と思いました。
「ガッツ石松伝説」はすべてガッツさんの創作だったのか。

「カッコーの巣の上で」のジャック・ニコルソンを思い出してしまいました。

「大日本帝国」


今見ると立派な左翼映画、「大日本帝国」
この大仰なタイトルそのものが「製作者の日本に対する皮肉」だと断定してみました。
それにしても、篠田三郎って、このころ人気絶頂だったようなのですが、どこに行ったんでしょう?
戦争映画ってある意味「その時の流行の俳優」が起用されるので、
(例:『聯合艦隊』における金田堅一、『雷撃隊出動』における灰田勝彦)
「あの人は今」に出てくるような顔がときどきありますね。

90年代初頭くらいまで毎年夏になると公開されていた戦争映画には、
予備学生出身、松林宗恵監督などの、「戦ったものへの敬意と慰霊をこめた映画作り」
をする監督が携わっていたようですが、
反戦反体制反皇室を謳い、監督自ら「左派思想による映画」と表明したこのような映画が
台頭してきたあたりから、日本における「戦争映画」の流れが変わってきたように思います。

以降の映画にこのようなはっきりとした反天皇思想はないとはいえ、よりいっそう
映画人に多いといわれる左派思想をベースにした「自虐的」表現が増えてきたというか。

しかし、現状としてたとえどんな自虐的なものであっても戦争映画であるというだけで
「戦争賛美だ!」と公開前から騒ぐマジ基地な人たちに糾弾されてしまうらしいのが、
何とも「日本的」と言えば日本的です。
戦争映画を作る人たちにとっては右だろうと左だろうと真ん中だろうと、
どちらにしても弁明を避けられないご様子で、実にやりにくいことであろうとお察しします。


というわけで、これでやっと半分紹介しました。
残りは明日です。



台湾新幹線の旅「台南~台北」

2013-01-12 | お出かけ

台南には四泊滞在して、結構精力的に歩きました。
といっても、我々の旅のテーマはあくまでも「一期一会」ですから、
最初から予定を決めずに成り行きでその都度足の向くまま気の向くまま。
それでも今まで「失敗」と思えることはなかったのは、インターネットのおかげ?

今回も、下調べはろくすっぽせずに、飛虎将軍廟も前日までネットの
「陸軍の航空兵」だと思っていて、さらにたまたま話をした方が
「これは確か中国人じゃなかったっけ」などとおっしゃると、「そうでしたっけねー」
とあっさり納得してしまうくらいのいい加減さ。
方向性だけ決めて後は全て直前に予定をネットで調べ
「明日ここ行こうか」(エリス中尉)「さんせーい」(TO)
うちはこういう時は夫唱婦随から婦唱夫随へと役割分担を変えます。

しかし、だからこその面もあって、最終日台北は週末で、行こうと思っていた
総統府見学ができないということになったとき、ある読者(某・鬼塚曹長)がちょうど
「『忠烈祠』に行ったことがあるのだが、台湾の靖国神社のようなものであるから、
きっとエリス中尉が行けばいろいろと感想を持つであろう」というメールを下さり、
さっそく行先をそのメール通りの忠烈祠に変えることを指揮官として決断し、
こういうときは何一つ定見を持たない家族に感謝されたりしました。

さらに、お土産などもmizukiさんおすすめのパイナップル糖にしようとするも見つからず、
しかし同じ果物つながりでパイナップルケーキにして、非常に喜ばれましたし。
こんなところでも、読者の方々にお世話になっております。
あらためましてお礼を申し上げる次第です。


さて、いよいよ台南を去ることになり、ホテルから新幹線の駅までタクシーで向かいます。
実は新幹線の台南駅と本当の台南駅の間にはかなり距離があります。
電車で約20分。
千葉にあるディズニーランドや成田空港が東京を名乗っているようなものです。
が、こちらの方がはるかにマシな距離だと言えましょう。



台南駅のホームからの眺め。
なーんにもありません。
なんにもないところだから新幹線の駅を作ったのでしょうが。



台南と言う新幹線駅に併設しているのは沙崙(シャルン)と言う駅。
ここからローカルで台南まで数駅です。
行きはこの電車に乗りました。
一台乗り過ごしたら、次は30分後です。



最初に台南に着いたとき、ホテルまでタクシーに乗ろうとしたら、TOが
「台南駅まで6000円もかかるんだって」と言うので電車に乗りました。
しかしこれは間違いで、帰るときにホテルの人に聴いたら、
実は新幹線台南から台南駅までは1800円くらいだということがわかりました。
まあ、ローカル線の20分の旅は楽しかったので良しとしましょう。

帰りはためらいなくタクシーに乗りました。
ローカルは上りも30分に一本くらいなので、時間の節約です。



台湾の駅弁は美味しいらしい、とうわさを目にしていたので、
一回くらいは食べてみたかったのですが、残念ながらこのとき、
出がけにホテルの美味しいランチを食べたばかり。
涙を呑んであきらめました。



しかしあきらめきれないエリス中尉、パンフレットを見つけせめて写真を撮ることに。
上のお弁当屋さんのは、いずれも鶏、牛、豚などがご飯の上に乗った「わっぱ飯」。
すごくすごく美味しそうでした。
この写真のどれよりも、食べてみたかった・・・・・(T_T)



新幹線のダイヤはだいたい20分に一本くらい。
日本のように芸術的なまでに緻密なダイヤ運行ではなさそうです。
人が絶えない日本の新幹線ホームと違って、一本行ってしまうとホームは無人状態。



することがないので30分前にホームに着いてしまった我々、
無人のホームでぼんやり本を読んで過ごしました。
一本早いのに空席があれば変えようとしたら、なんと手数料がいることが判明。
ひとり1500円くらいだったので、もったいないからやめました。
しかし、妙なところで法外な料金を取るものです。

1500円といえば、台湾人の貨幣感覚では5000円弱、ってところですからね。



こういう光景が見えてきたら、もうそろそろ到着。



車内販売のお姉さんは、新幹線カラーのオレンジのベスト着用。
斜め掛けした皮のカバンにお金が入っているようです。
これも残念ながら、車内で何か欲しいという気分ではなかったため、
写真だけ撮って終わりました。
ちなみに使用しているカートも全く日本のものと同じに見えました。
こういうものも、ついでに買ってくれたのかもしれません。
「コアラのマーチ」やポカリスエットなど、売っているものもほとんど一緒です。

日本の新幹線の売り子は、昔「お弁当にお茶~」と連呼しながら歩いて、
「寝ている人もいるのにうるさい」とクレームが出たため、ちりんちりんとなる鈴をつけ、
車内を行きかうようになりましたが、ここの車内販売は黙ってカートを押すのみです。
連呼すればうるさい、黙って歩けば気が付かないうちに行ってしまった、などと
あれこれと文句の多い客にもなんとか対応しようとするのが日本式ですが、
ここでは「そこまでやってられません」って感じでしょうか。

気になって見ていたのですが、さすがに戸が閉まる前に、
日本のようにくるりと振り返ってお辞儀をしたりはしませんでした。
これも、「そこまでやってられません」ってことでOK?

ところで、社内の広告は気のせいか日本企業ばかり。
やはり日本に気を遣っているのか、それとも日本企業の独占なのか。



台北駅に到着。
今写真を見て知ったのですが、どうやらこの駅舎も、
近々建て替えに入るようですね。
時計の下の巨大な工事計画表を見よ!

ちなみに大きな電光掲示板の時計は止まっているようです。
この時はお昼のせいぜい2時くらいでした。




台北では、エスカレーターでは右に立ちます。
片側を開けるのは、日本と同じ。
というか、日本だけじゃなかったんですね。
アメリカではこういうのを見たことがありませんが、
ヨーロッパではどうなんでしょうか。



やっと見つけた!台湾の「軍関係ネタ」。
駅舎の中の空軍パイロット募集の広告。
赤い字は
「空軍を選んで君の人生に鮮やかな色の絵を描こう!」
ってところでしょうか。
「就学班隊」と「就業班隊」はどう違うんだろう。

そしてそもそもこの御風、って何かしら。
「風になる」とかかな。

 

実は泊まったホテルの向かいにこんなビルがありまして。
814空軍記念、なんて書いてあるのでわざわざ見に行きました。
全く英語のできないお姉さん二人を相手に苦心して聴きだしたところ、
どうやら「空軍関係者のための共済組合ホテルのようなもの」
とわかりました。

 

各大隊のワッペンがロビーに掲げられています。
それから、台南ではどうやら昔の「台南航空隊」「第201航空隊」の
後の飛行場を軍が使用してでもいるのか、時々軍用機が飛翔するのを見ました。
F2かF16かはわかりませんが、戦闘機が二機飛び去ったのもみましたし、
一度はヘリコプターの大編隊も。



でも写真に撮れたのはこれ一枚だけ。orz
しかもこれは台南ではなく、烏山島ダム上空です。
これは・・・シーホークかな。
外国軍なのでどうでもいいや。(←)




さて、寄り道しましたが、台湾新幹線。
しつこいですが、新幹線とは正式に言わないにもかかわらず、
台湾の人すらみんなが新幹線と呼ぶ新幹線。

日本のJRに当たるのが台鉄です。
エリス中尉の乏しい中国語の知識でも、ここに書かれているのが

「台鉄が売るのは切符だけではありません」

つまり、鉄道業務だけではなく、車両や設備に始まり倉庫や土地などの
不動産なども広く扱っている、ということだとわかります。

日本の鉄道会社が阪急東急などの「急系」を始め、
このような鉄道を起点とした都市開発、流通業を一体的に進める、
「私鉄企業系事業」を行っているのは今や日本での常識ですが、
この、もともと阪急の小林一三が起こした事業モデルを、
台湾の国鉄も同じようにやっているということのようです。

台湾は国営、公社、軽便の三種の鉄道経営母体を持っていて、
どうやら日本の私鉄に当たる会社は無いようです。

ところで台湾の新幹線、車体は日本からのものですが、
実は100パーセント日本式ではなく、
電気、制御系統はフランスのTGV方式を採用しています。
この混合が、開業の遅れにつながった、という面もあるのですが。

地形の違いとか、いろんなところとの付き合いとか、まあ
契約に関してのしがらみがいろいろあってのこの決定だったと思いますが、
決してわたしが日本人だからいうのではなく、
台湾の人たちはこれを「日本製」だと思っていると思うんですよ。

だからみんな普通にこれを「新幹線」って呼ぶんでしょ?



台湾新幹線の旅「台北~台南」

2013-01-11 | お出かけ

去年もお正月休みは台湾に来ました。
台北と台中に半々ずつ、台中は日月潭の「ラ・ルー」というホテルで、
信じられないほど快適なサービスと洗練されたお料理を楽しんだものです。

台北から台中までは国情をわからなかったこともあり車をチャーターしましたが、
その後いろんな資料を見ると、台湾は電車の移動が非常に快適であり、
日本式の鉄道システムが行き渡っているのでほとんど日本と同じように
国内を移動できるということもわかってきました。

と言うこともあって今回は台南まで新幹線に乗る、というのを目的の一つにしました。

去年の夏ごろ、中国で新幹線が脱線し、たくさんの乗客が亡くなる事故がありました。
その技術を一部JR東日本に売ってもらいながら、一旦出来上がると
「これは中国の独自技術であるからよその国に売る。なんなら日本にも売ってやる」
と豪語し、拙速で無茶苦茶な運用をして人災ともいえる事故を起こしたこと。
世界が見守る中、車両内に遺体があるのに車体をクレーンで潰し、埋め始めたこと。
事故当初、まわりの住民が現場にハイエナのように押しかけ金属片を盗んだこと。

全てがあの国の民度の低さを表す、実に胸の悪くなるような事故であったわけですが、
世界中が眉を顰める中、台湾は早々に世界に向けてこう表明しました。

「我が国の新幹線は日本製で運用も日本に協力を仰いでいるので安全である」

中国がもし「日本には何の協力もしてもらっていない」と開業前に強弁していなければ、
事故もまた日本のせい、と言い出しかねない国だけに、この時期の台湾の表明は
日本にとって実に「ありが台湾」な援護射撃となったような感がありました。

この暮れにも、台湾が日本からまた新幹線を購入するというニュースが流れましたね。
今この時期に日本にとっては大変ありがたいことです。

エリス中尉、海軍の特攻飛行機「桜花」を開発した技術者が新幹線を作った、
という記事を書いたこともあるように、新幹線に非常な思い入れがあります。
台湾で運用されている新幹線にも、ぜひ一度乗ってみたいと思っていました。
というわけで、台湾新幹線に乗ってまいりましたので、ご報告します。

 

旅は台北駅から始まります。
駅舎はご覧のように古めかしいものですが、
「駅舎内の飲食物販店を充実させ、利用客以外の人を呼ぼう」
というコンセプトのもと、中がすごいことになっていました。

日本ではこの傾向は久しく昔からあり、今やそれは高速道路のインターチェンジや、
道の駅の「モール化」に及んでいるほどです。
台湾も一歩遅れているとはいえこういう「日本化」にかけては熱心ですから、
ほどなくどこもこのようになっていくものと思われます。
台北の空港も去年から今年にかけて「大改装」が完成しつつありました。



駅舎内に到着。
ここは店舗以外は少し建物そのものが建ったころの古さが残っています。
しかし、アーケードのたたずまいはどう見ても日本。
札幌駅の地下がこんな感じだったような・・・いや、岡山だったかな。
とにかく外国の駅にいるという気が全くしません。

 

モールの中で異常に長い行列ができていたのは、なんと
「てつおじさんのチーズケーキ」の店。
なんでやねん。
「ビアードパパの店」やら「ステラおばさんのクッキー」もあるというのに、
なぜてつおじさんの店にだけこんな列ができるのか。
もしかしたら、最近テレビで紹介されたとかで一時的にブームなんでしょうか。

並んでいるのを見る→美味しいのかと思って並んでみる→さらに人が並ぶ

この構図は日本も台湾も全く同じ。
皆てつおじさんと日本語でロゴの入った紙袋を受け取り、
嬉しそうに「買えた買えた!」という感じで去っていきます。
本当にそれほどおいしいのかな。
ちょっと並んでみようかしら・・・って、その気になってどうする。



バーガーキングの宣伝。
実に高級感あふれるチキンのメニュー。

 

さらにレストラン街に行くとそこは全くの日本。
日本のお店が多数進出していて、表示も日本語。
ここではもんじゃ焼きも食べられます。



しかしながら、やはり異国の言葉ゆえ、このようなミスも散見されます。
や、とヤ、って間違いやすいですよね(たぶん)。
あと、「ー」じゃなくて、これハイフンを使ってないか?



無印良品は実にあちこちにありますが、ここは駅なので、
日本だと空港などにあるMUJI to GO(旅行グッズを扱う)が。



勿論ハンズもあります。
HANDS TOKYU ではなくHANDS TAILUNG。
台隆手創館。
日本のハンズと違うのは、出入り口に盗難防止用のゲートがあること。



ここに出店している各レストランシェフのかっこいい写真がいたるところに。
もしかしたら「料理の鉄人」のノリ?
こういう「職人ヒーロー化」という傾向も、日本の影響か。
それはいいんだけど、日本なら「腕組み」が定番のシェフのポーズ、
ここではなぜか「敬礼」です。
真ん中のシェフはカンフーポーズかな?

シェフたちの背後からまるで軍艦旗のような後光が差しているのに注目。



お店の写真そのものは撮影禁止らしく、「大戸屋」の前で
モールの係員に止められたので撮りませんでした。
「大戸屋」はメニューが日本とほぼ一緒。
入ってみたかったのですが、時間がないのと「日本と一緒なら意味なくね?」
という息子の冷静な一言で却下され、結局回転ずしで食べることになりました。
お店の人は「いらっしゃいませ~!」と日本語でご挨拶。
注文も板さんにはほぼ日本語で通じます。

 

あまりお腹がすいていなかったのでこの二皿とお汁だけいただきました。
サーモンとイカのいずれもあぶり焼きですが、
なぜかどちらにもアクセントのつもりか明太子が乗っていました。
まあ、これはこれでいいんですがね。

 

食事がすんで、いよいよ乗車です。

高鐵列車と言うのが台湾の新幹線。
左営とは新幹線の終着駅で、高雄の少し手前。
そのうち高雄にも伸ばす予定がありそうですが、現在の全距離は345キロメートル。
台北から左営迄のノンストップ便は1時間30分で行くそうです。
2007年に開業しましたが、当初2005年の開業予定が二年も遅れたわけは、
なんと韓国ゼネコン(もちろん現代)の手抜き工事が露見したためだとか。
だからあの国とかかわるなとあれほど(略)

正式名は「台湾高速鉄道」、だから略して台鉄。
新幹線という名称がすでに日本の新幹線を指す固有名詞なのか、ここでは使われません。
しかし、ホテルから台南の新幹線駅に行ったとき、ホテルの人も運転手さんも
「新幹線」と言っていたし、通じたということは、やはりみなそう呼んでいるようです。

このエスカレーターを降りていくと新幹線のプラットホーム。
地下鉄から出発するというのがなんだか日本人には不思議なものです。

 

月台というのはプラットホームのことで「ユエタイ」と読みます。
南に下る新幹線乗り場。
台北は新幹線始発駅なので、すべての車両は南下です。

しかしこうしてみると新幹線なのにまるで地下鉄みたいな狭いプラットホームですね。

 

全く日本の新幹線と同じ。
というか、日本が作った新幹線なので同じなのは当たりまえですね。
シートの色は独自の明るい色でなかなかおしゃれです。
外装もオレンジのラインで独自性を出していますが、
この明るさが南国の台湾に非常にふさわしいような気がしました。



三菱と多くの提携を結んでいるのでしょうか。
荷物棚にはこのように三菱の電化製品の宣伝がプリントされています。



途中の駅はすべて新幹線のために作られた新設駅ですから、広くてきれいです。
台南までは二時間。
社内の案内アナウンスの調子が日本のとそっくりでした。
電光掲示板の
「We will soon make a brief stop at~」というのも全く同じ。
息子が
「言ってる意味は分からないけど、日本と全く同じってわかる」とウケていました。

 

台南に到着。 



初めて台湾新幹線の「顔」を見ました。
日本の塗装より「アヒルの口」っぽさが強調されているような気が。

 

駅のコンコースと自動改札。
改札口の自動ドアは日本と違って、ドアのようにではなく、
扇のように開きます。



台南駅一階コンコース。
赤い看板は「エミネント」というスーツケースのお店。



左の画像の和服の男女がいる広告は、
大金=ダイキンエアコンの宣伝。
「用大金、省大金」、つまり
「ダイキンを使う ダイキンで省エネ」ってとこでしょうか。
どう見てもお正月のような恰好をしているので、
季節広告だと思いますが、それにしても大々的ですね。

ところで、この「台湾新幹線」に乗って、皆さまに
このことだけはお伝えしたい!という光景に遭遇しました。



台北駅で車両に乗ってからふと振り返ると、
そこに階段を全力で降りてくる一個小隊を認む。
これは、今や世界でもyoutubeで話題の「新幹線お掃除隊」台湾版!

日本のあのお掃除隊の手際よさと、仕事に対する姿勢の気持ちよさに、
いまや世界の人たちが称賛を捧げているのですが、こういういいところは
積極的に取り入れるのが台湾の人々の素晴らしさ。

帰りにもこのお掃除隊を見ましたが、台北駅は地下でプラットホームが狭いので、
彼らはきっちりと二列縦隊で道具を手に手に待機していて、それがまた
思わず微笑んでしまうくらい、見ていて心洗われる光景でした。
「日本がやっているんだから当然我々もやってるぞ!」という意気の表れ。
誰が何と言おうと、これは「日本発祥」だと胸を張りたい気分でした。

車体を買ってくれただけでなく、運用システムや、こういったメンテナンス、
さらにはお掃除隊の姿勢に見られるような「心」まで取り入れてくれている台湾。
馬英九勝利後、さらに大陸への傾倒が懸念される台湾と言う国ですが、
こういう部分を見る限り、たとえ今後どうなっていっても、
この国と日本とはいい関係でいられるのではないかと思えます。

台湾新幹線の旅、もう少しお付き合いください。



台湾の「洗練」

2013-01-10 | お出かけ

大晦日、TAIPEI101の周りを歩いたとき、このあたりに
三越、阪急はじめデパートやモールが立ち並んでいるのに驚きましたが、
中でもできたばかりらしいこのショッピングモールは
その洗練度と言い充実度と言い、目を見張るばかり。



日本では見たことのないようなシャネルの大型店が一階にあり、
それこそ『この世におけるブランドものと呼ばれるもので無いものは無い』
というくらいの店揃えであった101からそう離れているわけでもないのに、
ここにもまたこれでもかとブランドショップが立ち並んでいます。

台湾の消費者だけではきっとこれだけの店は立ちいかないであろうと思うと、
やはり台湾人が眉をしかめながらも、大陸からの観光客を
受け入れているらしいことが窺い知れて同病相哀れむといった気持になります。

そんなモールですから、入っている飲食店も選りすぐりのものらしく、
ここでは「最高級」とされる日本料理店、「日式しゃぶしゃぶ」が最上階を占めています。

そして驚いたことに、ここに「ジョエル・ロビュション」が入っているのを発見。
六本木ヒルズにあるロビュションは、カウンター席が中心で、
座って食事をいただいていると、目の端にどこかで見た芸能人が座っているような
わりと派手な客層ですが、ランチなどは比較的気軽に食べられるので
久しぶりに会う友人などとの会合に利用したりしたものです。



最近はヒルズに用事で行くと、全粒粉のバケットとか、
ハムとエメンタールチーズを挟んだカスクートを買うくらいですが、
赤と黒のトレードマークのおなじみのロゴにここ台湾で再会した時は、
ついなじみに会えたような気がして、気が付いたら入っていました(笑)

 

予約なしの飛び込みですが、ひとつだけラッキーにも席が空いていました。
この日は大晦日で、年越しのディナー予約がたくさん入っていたようです。

我々のテーブルに付いた若いお洒落なボーイさんはとても英語が上手で、
オーダーもソツなくこなし、身振りも洗練されたナイスガイでした。
ただ事務的に注文を取るのではなく、ディナーというハレの時間を
楽しませてくれるような暖かい心づかいがいたるところに見られ、
そのおかげで楽しい夕食となりました。



六本木のロビュションで食べたことのある方にはおなじみ、
超ミニサイズの「先のとがったバケット」。
先っちょが固くて、刺さってしまうくらい固いが味わい深いパンです。
六本木はこれと丸いパンだけが食事の際に供されたと記憶しますが、
ここではそれだけでなく、ベーコンの入ったエピ(右)も、
ロールパンも、ブールも、クロワッサンもヨモギパンも食べ放題。
ついお食事までにパンを食べすぎてしまう危険すらあります。

ご覧のとおり、全てが超ミニサイズ。
見ているだけでもかわいいのですが、お味の方もなかなか。
バターもオリーブオイルも付いてこないのですが、
それもそのはず、美味しいので何もつけなくても食べられてしまう。

TOがこのクロワッサン(一番左のパン)を気に入って一人で全部食べ、
家族のブーイングを受けているところにボーイさんが来て、
「これ美味しいですよね。わたしもこれが一番好きです」

お代わりをするともう一回フルセットで持ってきてくれます。
おかげでバスケットにはたくさんのパンが残りましたが、
なんと「持って帰りますか?」と聞いてくれ、(これは日本ではありえない)
次の朝食べようと思って見たらちゃんとクロワッサンも入っていました。
ボーイさん、ありがとうございます。



上が泡。
なんとフォアグラ味の軽ーいムースです。
これは全員にコースの最初として出るいわば「つきだし」。
頼みもしないのに美味しくも無いもの出して、と、
居酒屋関係では評判の悪いこのシステムですが、
こんなつきだしならOKだわ。



わたしが頼んだサラダ・ニソワーズ。
このケーキのようなものがサラダです。
レタスは原形のまま丸く切り出して、形が崩れないようにしてありますが、
不思議なことに中まで味はしっかりと絡んでいます。
ニソワーズ(ニース風)ですから、ゆで卵、アリコベール(いんげん)サーモン、
みんなちゃんと入っていて、しかもキャビアの上に乗っている!

見た目はこぢんまりしていますが、この「ケーキ」をほぐすと結構な量でした。



TOの頼んだサーモンのタルタル。
なんと、ドライアイスの煙の立ち昇るお皿とともに。
最初は煙で本体が見えませんでした。
見た目でも楽しいお料理です。

しかも、どれを食べてもなんだか六本木よりおいしい気がするの。



わたしのメインディッシュ、炙ったスキャロップ。
mizukiさんのコメント以来「タウリン」という言葉を意識している今日この頃、
貝類を積極的に摂取しようとした結果、このメインディッシュ選択となりました。



息子が頼んだイベリコ・ハム。
ハーフサイズにしてもらいましたがそれでも結構な量でした。
トマトの刻んだものを乗せたトーストに乗せていただきます。
このハムはスペインに行ったときお土産に買いましたが、
その時に地元の友人に勧められた「最も美味しいイベリコ」くらい美味しいハムでした。

「美味しいよね」
「しかもこの味の洗練されていること」
「見た目も完璧だし」
「ロビュション自身が今来てるんじゃない?」

などと舌鼓を打ちながらお料理をいただいていましたが、
そのうちボーイさんが

「私たちのシェフは、グランシェフもパティシエ(パン作り含む)も、
二人とも日本人です」

と言ったので全く驚きました。
そうだったのか!道理で。
というのもなんだか身びいきな感想ですが、本当にそう思いました。

ミシュランガイドに載っているお店が世界一多い都市。
世界で最も美味しいものがどこでも食べられるのが東京です。
この台湾のロビュションが東京から「東洋人の舌がわかる」
シェフを連れてきた、と言うあたりが、実に賢明な選択であると思いました。

 

そして、お待ちかね!デザートです。
わたしの頼んだスフレ。
スフレは暖かくて軽くてまるで雪のように舌に乗せるととろけます。



息子の頼んだのはティラミス。
これはまあ、「普通」だったかもしれません。



TOの頼んだデザートが来ました。
持ってきた人は「先に写真をお撮り下さい」
「?」と思いつつ言われるままに写真を撮ると、

 

熱~いソースをチョコレートのドームにかけ始めました。
これがかかるとドームに切れ目が入り・・・

 

チョコレートがあっという間に割れて溶け出しました。

 

割れたドームから顔を出したアイスクリーム。
もう、これは芸術です。
勿論、お味もそのサプライズに負けず素晴らしいものでした。



これも六本木と同じようなお味のマカロン。

フランス料理で、「ロビュション」というブランドであるのに、シェフは日本人。
この状況は、その昔日本がここでいろんな文化技術を教えたことを思わせます。

台湾では女性の褒める言葉に「日本人みたいですね」というのがあるそうです。
これは、お洒落で洗練されている、という意味なのだそうですが、
町に溢れる日本そのものの文化を見ても、この褒め方を見ても、どうやら台湾の人々は
日本に対し、今も文明先進国に対する憧れを素直に持ってくれているらしいとわかります。

しかし、ここロビュションでも思いましたが、この台湾と言う生徒、もしかしたら
教えたことを飲み込み昇華しさらに発展させるセンスを持っているのではないでしょうか。

こと味に関してですが、どこで何を食べても、同じレベルのものは明らかにこちらの方が美味しい。
もしかしたら素材そのものが流通システムの複雑な日本とは違い産地と近いので、
その美味しさに繋がっているのかとも思って見ましたが、今いる台南のホテルでは、
ケーキやパンなど、技術がものをいう部門の食べ物も、どれも美味しくて洗練されています。

少なくとも、同レベルの日本の飲食店に比べると、コストパフォーマンスは上と感じるのです。

その昔、料理と言えば「フランス」であったころ、日本人が熱心にフランス料理を学びに行き、
そのうち有名な日本シェフやパティシエが登場し、本場のフランス料理が日本食の
軽さを取り入れて「ヌーベルキュイジーヌ」を作ったように、
文化は融合して次第にその形を・・・その原型すら変えていきます。

台湾でもっとも先端のこの地域で日本人をシェフとするこのフランス料理を味わい、
ここ台湾が日本を先生として学び取った味は、台湾式の洗練を加え、
日本のそれとは違う進化を遂げつつあるのではないか、とふと思いました。

というくらい、この夜のディナーは美味しかったってことです。






台湾の先生が描いた飛虎将軍漫画

2013-01-09 | 日本のこと



















飛虎将軍廟でいただいた、漫画のパンフレットを全部掲載しました。
勿論安慶国小学校の劉先生の許可は取っていませんが、
おそらくこのような媒体で多くの人の目に触れることは先生にとっても
望むところであろうと判断したからです。

ここ台南は、水田や養殖池が広がる農耕地域でもありますが、
この地水を八田與一という日本人技師が行ったこともあり、
特に日本と言う国に対しては親しみを持ってくれている地域でもあります。

とはいえ、もう日本統治を実際に知る人々が少なくなってきており、日本のしたこと、
台湾の人々にとって功もあれば罪もあったと思われるのですが、それそのものは
人々の中からだんだんと薄れていきつつあります。

しかしこの海尾寮村は、今でもこの日本人を「郷土の恩人」として顕彰し続けます。
こうして子供たちにその逸話を語り継ぐことは、恩人に感謝を捧げることとともに、
飛虎将軍こと杉浦茂峰飛曹長が示したような「自己犠牲によって他を生かす心」
を理解し、またそのようにあるべしと教えることにほかなりません。



先日エリス中尉が家庭教師をクビにした話をしました。
あの件でその先生が「あれ」だったのは勿論ですが、そもそも稿末で

「心に平和の砦を築くとはどういう意味だと思うか」

などという質問をする国語の教科書(光村図書)というのがかなりオカシイ。
国語というのは日本語の言語的学習並びに、小説、詩、評論などの作品を
観賞するための力をつけるための学習科目であって、決してこのような
議論の場ではないはずです。

ましてや生徒の考えに対し、先生が思想誘導を行うなどもってのほか。
この教科書は、ここにあえてこのような設問をすることで、
日教組教師の独断場である「平和憲法礼賛」などの偏った考えを
披歴し押し付けるための機会をわざわざ設けているとしか考えられません。


この飛虎将軍の話を、それを顕彰している台湾の人たちの話を、
この地方にダムをもたらした八田與一の話を、そして世界で活躍する偉人の話を、
どうしてこのような日本人の話を、教科書に載せないのか。
(まあ、作る会であんなに大騒ぎしているのだから、その理由はわかってますが)

台湾の先生たちは日本に昔統治されたとか、そういうこととは全く関係なく、
「素晴らしい人の行為を称え、その精神を子供たちに学ばせたい」
という純粋な思いでこのような漫画を作ったりお芝居を企画したりするわけです。

子供たちには、人を思いやる気持ちや、その気持ちに感謝する心をまず育てる、つまり
土台になる土を耕すことがまず行われるべきで、平和の在り方や他の国の情報などは、
その耕された心を以て自分の頭で考え、知るべきことです。

子供たちのまっさらな心に先生が「軍隊なんか持つから戦争が起こるんです」
などと一見もっともなことを吹き込んだり、「お隣の韓国と言う国について調べましょう」
「日本は悪いことをしたけど、これからは仲良くしていかねばなりません」
などと言われれば、当の向こうが反日教育をしていることも知らずに子供たちは
「韓国には頭を下げ続けても仲良くしてもらわなければいけない」などと思うでしょう。

安倍新内閣は教育の根本的な改革を掲げていますが、それはとりもなおさず
「日教組の解体」となるべきで、ならねば教育の再生はありえません。

わたしは今回、この先生たちのことを知り、
正しいことを正しいと教えることができる教育ができるこの教育者たちを、
そんな教育を受けることのできるこの子供たちを心底うらやましく思いました。

そして、このような「まっとうな」教育が
日本に帰ってくることをこれからの日本のために強く願うものです。



飛虎将軍廟と台湾の子供たち

2013-01-08 | 日本のこと

1971年に建立され、地元や日本からの観光客の崇敬を集めた
台湾、台南市にある「鎮安堂・飛虎将軍祠」訪問記の続きです。

村の人々の命を守るために壮烈な戦死を遂げた海軍搭乗員杉浦茂峰飛曹長
この私を捨て公の義に死んだ侍は、戦後「神」となって人々に愛されてきただけではなく、
その存在そのものが日本と台湾の友情の架け橋となってきました。

1993年に朝皇宮管理委員会(この地方、海尾の守り神「保生大帝」のこと。
飛虎将軍はこの神様の同属として管理されてきた)は、
このわずか4坪の小さな祠を、広い廟に建て直すことを全会一致で決議し、その後
信者からの奉納により、50坪の土地に台湾風のきらびやかな廟が落成の運びとなりました。



この横断幕には

「台湾人 元日本兵軍人・軍属英霊 顕彰の族
日台の生命の絆
日華(台)親善友好慰霊団」

と書いてあります。
このような団体がここを訪れ、友好の象徴ともなった杉浦少尉に祈りを捧げるのです。
冒頭の写真の何人かは海軍の略帽を被っていますから、
おそらく杉浦少尉と同じ予科練出身の元軍人ではないかと思われます。



建て替えをしたときには台湾の新聞でも報じられました。

わたしが見た記事は、飛虎将軍、杉浦少尉のことが
「歌になり、近くの小学校でそれが訓話にもなって教えられている」というものでした。

この廟所蔵のアルバムには、その近くの小学校、安慶国小学校
学校劇としてこのストーリーを取り上げた様子が残されています。
アルバムの写真を撮影させていただきましたので、ご覧ください。



子供たちが皆戦闘機の羽をつけて飛行機になっています。
こちらは零戦のパイロット、杉浦飛曹長です。



こちらはアメリカ軍、グラマンF6Fのパイロット。
なんだか一人ずつ状況説明をしているようですね。



スタンバイ中の戦闘機群。
女の子も零戦に乗ってます。
がんばれ。



パイロットと言えど女の子、
出待ちの時には身支度を整えます。
この道具はすべて子供たちの手造りによるもの。
皆がそれらしいヘルメットを被っているので「?」と思われます?

ここ台湾では誰もが自転車よりスクーターに乗って移動します。
二人乗りは当たり前、子供を前に乗せるのも違法ではない模様。
スクーターの足元に荷物や犬を乗せているのを見たこともあります。
というわけで、子供でも必ずこのようなヘルメットを持っているのです。



こんな店が町にはたくさんあります。
日本よりずっと安い値段で買えるようですね。



壮烈な空中戦の情景・・・・・・・・ということなんですが、
・・・・・・かわいい・・・・・・(^.^)

こんな感じで、子供たちのに劇はこのあと「杉浦飛曹長の戦死」
「幽霊目撃話」と続き、



「飛虎将軍廟の建設」にいたるまで、
丁寧にこのいきさつが盛り込まれています。



この劇は安慶国小の先生が企画し、脚本を書きました。
このお話を語り継ぎ、この搭乗員の勇気ある戦死に感謝し、
そして皆さんも人を思いやる飛虎将軍のような心を持ちましょう、
と子供たちに教えてくれているのです。
日本人でもこの話を知らない人間がたくさんいるというのに。


後ろ姿で「農民役」「飛行機役」がわかりますね。

戦前の日本なら、この話はきっと教科書に載るでしょう。
というか、日本の教育は、どうしてこういう人物の話を子供たちに教えようとしないのか。
君たちの国は戦争を始めた悪い国だった、それというのも軍隊なんか持つからだ、
などとしか教えようとしない教育から、「人を思いやる気持ち」を知る心が育つでしょうか。
全く、日教組の××教師どもにはこの先生方の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
この際無理やり口をこじ開けてでも・・・おっと、この話はまた。



「飛虎将軍の心に感謝し、人を思いやる心を皆さんも持ってほしい」
とスピーチする校長先生。
このお芝居はクリスマス会の出し物として行われたようです。
サンタさんの格好のままでこういうお話をする校長先生に萌え~。



課外授業でここの見学ももちろん行われました。
皆、手に手に資料らしきものを持っていますね。
若い女の先生のしぐさにも萌え~。



こうやってお祈りするんですよ、と先生。
神仏に対する礼拝の礼儀を小さいときからきっちりと教える。
素晴らしい教育ではないですか。

全く、生徒のための卒業式で国歌を歌うの歌わないので大騒ぎ、
自己発現のデモンストレーションで政治活動をする日教組教師には
この先生の爪の垢でも(略)



そして説明員のお話を聞いています。
リュウTさんが本読みのボランティアをなさっているという話がありましたが、
この人もそのような立場の方でしょうか。
子供たちの心に、この飛虎将軍のお話はどのように響いたのでしょうか。




台湾には、昔統治時代に台湾の人々に慕われ、尊敬された結果、
この飛虎将軍のように「神様」になった日本人が何人もいます。
その人生をかけて荒れ地だった土地に治水工事をした人物。
村人のために献身的に働き、税金を免除してくれと上告したが「住民煽動」
の疑いをかけられ、抗議の自殺を遂げた警察官。

民族的ナルシシズムや国威発揚とは全く関係なく、
日本人にはこんな人物もいたと言うことを知るとともに、
なぜかれらが「神様」として愛され続けているのかを知ることは
今の日本の子供たちにもっと必要な教育なのではないでしょうか。

それは、その時代に生きていたわけでもない子供たちに「過去の反省」を強いるより、
結果的にはずっと確かな平和教育となりうると思うのですが。








飛虎将軍廟~将軍になった飛曹長

2013-01-07 | 海軍人物伝

 

今回の旅行先はわたしが「何が何でも」と台南を盛り込んだわけではなく、
台北と、去年行かなかった南西部に行っておけば「台湾をとりあえず網羅した」
と言えるのではないかということでTOが決定しました。

台南航空隊のあった場所に行けるのは感無量でしたが、かといって
台南航空隊が台湾のここ台南でどんな活動をしていたか調べても全くわからず、
あまり海軍関係は期待していなかったと言うのが本当のところです。

しかし、改めてこの海軍搭乗員、村人のために自らの命を失った杉浦飛曹長を知り、
(といってもそれが海軍軍人であったことは台湾に行く前日に知ったのですが)
やはり海軍の縁がわたしをここに来させたのかもしれない、と思いました。

台南到着の次の日、最初にここを訪れるためにホテルを出発しました。
ホテルの人に資料を見せて「ここに行きたいのだが、運転手に何といえばいいのか」
と尋ねると「ここは有名だから誰でも知っている」と言われました。

特に台南に来た日本人は必ずここを訪れるようです。

 

1993年に建て替えられた本堂はそれでも小さなものです。
赤い垂れ幕には

「歓迎 日本国の皆々様 
ようこそ参詣にいらっしゃいました」

と書いてあります。
ご本尊の飛虎将軍は、この廟が建立された1970年当時には正確な資料がなかったのか、
明治時代の海軍軍装か、警官の制服のような姿をして見えます。



この廟を管理しているおじさん。
我々が入っていくと、お昼時間で祭壇の横の机に座ってお弁当を食べていました。
日本語は全くしゃべれないようでしたが、
お線香の上げ方を身振りで教えてくれ、日本語で

「日本語の説明が必要です」
「いいえ、時間がないので説明は結構です」

と書いた紙を出してどちらかと聞いてきたので、説明をお願いすると、
近くに住んででもいるのか、数分で一人の男性がやって来ました。

蔡さんと言う方で、日本からの客に日本語で説明してくれる係です。

 

それによると、杉浦少尉の生い立ちはこのようなものでした。

杉浦茂峰は大正12(1923)年11月9日、茨城県水戸市に、
杉浦満之助、たねの三男として生まれました。
小さいときから利発で、家族にもかわいがられて育った子供でした。

志願して海軍飛行予科練に入隊。
乙種予科練であったと言うことは13~4歳で予科練に入ったことになります。
乙種は尋常小学校高等科卒(中学2年生)が受験できたといいますから、
杉浦飛曹長は最後の乙種予科練生であることは間違いないでしょう。

戦死した時、一か月後に21歳になるはずだったこの若者はすでに飛曹長でした。
乙種入隊で海軍に入って、すでに8年経っていたからです。

霞ケ浦駐屯地に一時いたこともあるそうです。
最後の乙飛ということは、杉浦飛曹長は、当ブログ「甲飛予科練の憂鬱」で述べた、
「甲種予科練と折り合いの悪かった期」ということでもあるのですが、その話はさておき。

1944年10月12日、杉浦飛曹長は台湾、台南の海尾上空に来襲したグラマンF6Fと、
二号零戦と言われた零戦三二型に乗って交戦、墜落死します。

昭和20年、高尾の海軍航空隊にて、海軍合同葬が営まれ、さらに同年6月、
茨城県水戸市にて、他の戦死者192柱とともに合同葬にてその魂が弔われます。
水戸市は杉浦飛曹長の出身地です。

その功績に対し「功6級金鵄勲章」並びに「勲7等青色桐場章」が叙勲され、
杉浦飛曹長は海軍少尉に特進しました。

 

ここに奉納されているこれは勿論本物ではありません。
杉浦少尉が叙勲された勲章のレプリカが保存されているのです。

戒名は「忠勝員義阿繁峰居士」

戦後、自分たちのを戦火から救うために自分の命を犠牲にした
この海軍搭乗員に対し、海尾の人々は感謝の念を表そうと、
1971年にその恩を顕彰する祠を立てました。

四坪の小さな祠はそれ以来近隣の人々は勿論遠方からの参詣者が絶えず、
特に日本からは毎日のように人が訪れて杉浦少尉の霊に手を合わせます。

お弁当を食べていたおじさんは廟守といい、参拝客の相手は勿論、
朝夕二回、煙草を三本ずつ点火して祭壇に捧げ、朝は「君が代」、
夕方五時ごろに「海ゆかば」を流して廟を守ってくださっているのです。



どうやらこのような専門の煙草立てを誰かがつい最近奉納したようです。

日本語で説明してくれた蔡さんが、「時間外ですがお供えしましょう」と、
わたしを祭壇の前に呼んでくれました。



こうやってガスバーナーで火をつけるのですが、それを
蔡さんはありがたくもエリス中尉にやらせてくださいました。
なぜ三本かと言うと、祭壇には真ん中のご本尊、「飛虎将軍」と、
両脇に軍服を着た二体の神様がいらっしゃるからです。

「これは信者に頼まれれば、飛虎将軍の代理として、
短期間その家にお出ましになる、護衛のような役目の神様です」

というのが蔡さんの説明でした。



三本の煙草から紫煙が立ち昇りました。
生前煙草が大好きだった杉浦飛曹長のために、こうやって今日も
煙草に火は点けられるのです。

普通に点火して置いておくよりもなぜか早く燃えるのだそうで、
「何しろ、ヘビースモーカーでいらっしゃいますから」
と蔡さんは真顔で言いました。

「飛虎」とは戦闘機を意味するとのことですが、「将軍」とは?
実際には昇進して少尉だけど、この廟ではちと昇進させ過ぎではないか?
そもそも杉浦飛曹長は海軍さんなんだから将軍と言うよりは提督なんじゃ?
と思われたあなた、あなたは正しい。

しかし、この台湾の人々にとって、「将軍」の意味は軍隊のそれではなく、
「神様として祀られる勇士の総称」なのだそうです。

毎日自分のために国歌や「海ゆかば」が流され、好きな煙草に火が灯されるばかりか
日本人が毎日のようにやってきて、そして総称とはいえ将軍にまで祭り上げられて・・・。

当の杉浦飛曹長は、もしかしたら少し照れておられたりしませんでしょうか。


明日は台湾の人々とこの飛虎将軍廟の関係についてお話しします。




台湾・飛虎将軍廟~神様になった海軍搭乗員

2013-01-06 | 海軍人物伝

今回の台湾旅行を計画していたとき、
「神様になった日本人」というあるインターネット記事を読みました。
敵機に攻撃されて墜落しそうになる機を、村の住居を避けて操縦し、
そのため戦死した搭乗員が神様になっている、という話です。

その祠が今回の訪問先、台湾の台南にあることがわかりました。
台南に到着した次の日、真っ先にここを訪ねてきましたのでご報告します。



毎日日本からの参拝者の絶えないこの「鎮安堂、飛虎将軍廟」。
ここで神様として祀られているのが、冒頭写真の海軍搭乗員。

杉浦茂峰帝国海軍少尉。(戦死時兵曹長)

1944年12月12日朝、グラマン邀撃のため台南市同安区海尾上空に、
この杉浦兵曹長ら海軍201飛行部隊の零戦数機が上がりました。
零戦は勇敢にもグラマンに向かっていきますが、数で勝る敵にはかなわず、
一機、また一機と撃墜されていきます。

この空戦を目撃した者によると、そのなかでも一機の零戦は非常に善戦し、
また敵をよく制したとのことですが、圧倒的な多勢にはその健闘もむなしく、
そのうち被弾し尾翼から発火しました。
零戦はおそらく空戦から離脱し脱出するため、一旦態勢を急降下させました。
しかし次の瞬間、搭乗員は、そのまま機が墜落すればそこは「海尾寮」という村で、
当時の竹と木と土でできた家屋が並ぶ集落であることに気付いたのでしょう。

敢然と機首を上げ、機体を上昇に転じたのです。

機をそのまま村の東側にある畑と養殖池に向けた搭乗員は落下傘で脱出しますが、
グラマンに落下傘を機銃掃射で破られ、畑に墜落しました。

それが今現在、飛虎将軍廟のあるあたりです。
搭乗員は畑の上に仰向けに横たわり死んでいました。
村人が駆け寄ったところ、死んだ搭乗員の軍靴には「杉浦」と書かれていました。

その後、第二〇一海軍航空隊分隊長である森山俊夫大尉の協力で、
この搭乗員が杉浦繁峰飛曹長であることが明らかになります。

杉浦飛曹長はこの戦死後海軍少尉に昇進し、金鵄勲章を授与されました。

これだけなら、戦争中の「一つの戦死」として忘れ去られるところですが、
村人はそうではありませんでした。
自分の村を命を呈して守ってくれたこの海軍搭乗員を彼らは忘れなかったのです。



いや、正確には「忘れていたが、搭乗員が忘れさせなかった」と言うべきでしょうか。

終戦後何年かして、この悲劇のあった養殖池付近で不思議なうわさが立ちはじめます。

「白い帽子をかぶり白い服を着た人物が闇夜に現れ、
泥棒かと思って追いかけるとすうっと消えてしまう」

同じ白い帽子、白い服の人物の目撃談が相次ぎ、
さらには夢枕にその人物が立ったと言うものも現れるに及んで、
村人は恐怖にかられ、この地元の神様にお告げを聴いたところ、

「それは戦時中の戦死者の亡霊である」

という言葉が下されたのでした。
人々は、村を救うために零戦を最後まで操縦して無人の畑に墜落させ、
自分は逃げ遅れて撃墜されたあの日本軍の搭乗員のことを思い出しました。

あの搭乗員が白い帽子に白い服で現れたのだと。



廟の中には海軍の軍帽、昇進した杉浦少尉のために、
ちゃんと抱き茗荷の士官用軍帽が飾られています。

人々が見たのが杉浦飛曹長の霊であるというのが本当であれば、
かれは海軍の白い第二種軍装で村人の前に姿を現したのでしょう。

 

ここには杉浦少尉にまつわるいくつかのものがこのように飾られています。
この零戦の模型は、日本から部品が送られてきたものだそうで、
案内してくれた日本語の堪能な蔡さんという方が苦心して組み立てたということです。

おそらく、杉浦少尉のために飾ってあげてほしいという思いを込めて、
日本の誰かが、この廟に宛てて模型の部品を送ってきたものと思われます。



この廟では、朝と夕方のお勤めとして、朝は「君が代」夕方には「海ゆかば」
を流し、一日に二度、七本ずつの煙草を、煙草が好きだった杉浦少尉のために
火を灯し、その霊を弔うとともに、村人の感謝の意を受け継いでいます。

「飛虎」とは、「戦闘機」のこと。
戦闘機零戦を駈って勇敢に戦い、最後の最後まで他人の、
台湾人たちのことを思いやる心を持ち、侍のように往ったこの一搭乗員を、
台湾の人々は「神様」と呼び、今日も祈りを捧げ続けてくれているのです。


明日も、この飛虎将軍廟と杉浦少尉のことをお話しします。



台湾を行く~北京ダックと映画

2013-01-05 | お出かけ

台北では今年も去年と同じウェスティンに泊まりました。
ここにこだわったのは、改装したてできれいなのと、
このホテルが台北で唯一のラウンジ式映画館を持っているからです。

ホテルの地下に映画館があるというのも珍しいのですが、
これがまた実に豪華な仕様で、ちゃんとした映画館でありながら
二人掛けのロマンスシートが20ほどあるだけの、超こぢんまりとした部屋。
フットレストに足を投げ出して二人で備え付けのひとつの毛布にくるまり、
好きな格好で寝転がって映画鑑賞できるのです。
カップルで行けば愛が深まるのは確実ですね。

去年はここで「ミッションインポッシブル3」を観ながら年越しをしました。
その快適さに味を占め、今年も行ってまいりました。


映画館のあるフロアーにエレベーターで降りると、
まず馬の首のようなものが見えてきます。



それもそのはず、実物大の馬をかたどったランプ。



やっぱりこのあたりのセンスが決定的に日本とは違うなあ、と思ってしまいます。
なぜ馬?なぜ実物大?なぜ頭に傘?そもそもなぜ馬をランプに?



それはともかく、ここから先が映画館。



今やっているのは、神隠任務
日本でどんなタイトルなのかは知りません。
調べる気にもなれなかったのは、つまらなかったからです。
ちなみにトム・クルーズ主演。

つまらなかったその最大の理由は字幕が中国語なのと話すのが早かったからで、
エリス中尉、理解しようという努力をすぐに放棄し、半分観たところで脱落。

ぬくぬくと毛布にくるまって、足をフットレストに投げ出して、
おまけにランチを映画が始まると同時に食べお腹が膨れればあとは寝るしかない。
ということで目を覚ましたらエンドロールが流れておりました。



でも、「ここでゴロゴロ寝そべりながら映画を観られて、しかも
注文すればちょっとした料理も映画中に係りの人が運んできてくれるのです。
お昼ご飯にはシーザーサラダとクラブハウスサンドを注文し、
デザートにアイスクリームまで食べて、すっかり満足。
チケット代も1000円くらいです。
日本の映画チケットって、どう考えても高すぎますよね。



映画が終わって明かりがついたら、
前の席の人が派手にポップコーンをぶちまけていました。
しかし、日本人のように慌てて係りの人を呼びに行くこともなく、
どうどうと何もしないで去って行きました。


さて本題。
台湾に着くなり、隣の席の人たちが食べていたのを見て
すっかり北京ダックが食べたくなった私たち。
紹介してもらって町で人気の北京ダック専門店に行きました。



一階はダイソー。
39元、というのは日本の100円くらいの価値なのですね。
「日本円は台湾ドルを三倍した金額」と言うことなので120円ショップ。



北京ダック屋さん。
広いフロアーはほとんど満席です。
ちなみに、われわれは窓際だったのですが、付近はなぜか、
全て日本人観光客が座っていました。

 

前菜と野菜もいるかな?と頼んだ小龍包と豆苗。
しかし、これは失敗でした。
三人で北京ダック一羽頼み「三種料理」にすると、
「北京ダック本来の食べ方」「野菜炒め」「春雨スープ」
と出てくるので、これで十分なのです。

台湾で北京ダックを頼んだらくれぐれもほかのものを注文する必要はありませんよ。

注文するなり「時間かかりますけどいいですか」
いいも悪いもここまで来たんだから待つしかない。
息子はさっそくわたしのipadで

海戦ゲーム。

NYANキャット。

つみネコ。

と次々ゲームをして時間つぶし。
ちなみに、このとき海戦ゲームで「すぐに負けてつまらないんだけど」
と息子に「戦艦大和」をねだられ、itunesで1000円もする大和を買わされました。
息子も母親の弱点を知っていますから「大和ならダメと言うまい」という思惑です。
この海戦ゲーム、やっている間ずっと「太平洋行進曲」「君が代行進曲」が
やたらいい音源で流れるのですが、見てみると「演奏 海上自衛隊音楽隊」でした。

北京ダックは注文を受けてから焼きはじめ、出来上がるまでの間
皆いろいろ頼んで、それを食べたりお酒を飲みながらただ待つのです。

そしてちょうど一時間きっかり経過したとき、



調理人が焼きあがった北京ダックを運んできて見せます。
ホテルのより少し色が悪く見えますが、これはここの照明が蛍光灯だからです。
食べ物屋さんの照明なのに気を遣わず蛍光灯を使うのも台湾の庶民食堂の傾向。

 

皮で一つおばちゃんが見本を作ってくれました。
菜箸(先が太い)で器用にこの形にするのですが、
わたしたちがやってもなかなかこのようにはいきません。
適当に丸めて食べるのが精いっぱい。

皮でない身の部分は、本当においしくないので、わたしは
たとえソースをつけたとしても食べる気にならなかったのですが、
意外や息子がこの脂身の全然ない身を気に入って、
一人で半分くらい平らげてしまいました。

 

ダックの中肉を使ったもやし炒め。
TOも息子ももやしにアレルギーがあって耳がかゆくなるので、
これを頑張って食べたのはわたしだけ。



三品目はガラで作ったスープ。
滋味あふれるスープに浮いた春雨が非常においしかったです。
つい最近、ターキーの話題で盛り上がったことを思い出しました。



頼んでいないけど自動的についてくる杏仁豆腐。
ちなみにこの「あんにん」は「しんれん」と言わないと通じません。
「しんれんとうふー」ですね。

というわけで、「北京ダックは少なくとも一年はもう食べなくてもいい」
というくらいの量を満喫したのですが、気になるお値段は?
三品料理してもらうと1200元、つまり3600円。
他に二品頼んだので、合計で1800元、つまり5600円くらいです。

三人でこれなら安いですよね?

2000ドル出して、お釣りを持ってきたおばちゃんにチップとして渡すと、
自分のエプロンの大きなポケットにマッハの速さで流し込みました。

「同僚には全く分けてあげないわけね」
「このおばちゃんよりお給仕してくれた人の方が働いていたけどな」
「いや、何のためらいもなく取り込みましたなあ」
「生存競争ってやつですか」


さて、食事が終わってから近くの三越に行ってみました。



ホテルで使う入浴剤を買いにハンズに行ってみました。
商品全てが日本のハンズにあるものそのままで、パッケージも説明も日本語。
「これ、みんな日本語理解して買ってるってこと?」
台湾の日本語浸透率に少しまた驚きました。

反対側の法雅客というのはどう読むのか知りませんが、
電化製品やDVDソフトなどを売るチェーン店です。

ここのDVDコーナーに行ってみました。



飛行機の中で見た「最強の二人」。
原題のintouchablesは「触れ合わない同士」と言う意味と、
「無敵」と言う意味があるらしいので、日本語題では「無敵の」を
採用したものと思われます。
中国語では「触れ合わない」と言う方を採用して「逆転人生」。



鋼鐵人2。アイアンマン、で直訳です。



中国語で靴のことを皮鞋(ピーシエ)といいます。
長靴を履いた猫。



原題「Warhorse」ですから戦馬。
「戦火の馬」というのが日本での公開タイトルでした。



「コクリコ坂から」
どこでどう切れるのか全く分かりませんが、
紅花坂がコクリコ坂であると解釈してみる。



「リアルスティール」



テルマエ・ロマエ「羅馬浴場」でそのままです。
何のひねりもございません。



四人の美声の男性による歌。
日本でも人気のイル・ディーヴォは、このお店の一押し。



われわれに最もウケた「スパイダーマン」
「蜘蛛人」。くもびと。
ひらがなで書くと馬鹿馬鹿しさ満点です。



「悲惨世界」=「レ・ミゼラブル」=「ああ無情」

左から右に行くにしたがってウェット度が増している感じ。

家に帰って家族で他のアニメ映画タイトルを予想してみたのですが、

「ビームービー」=「蜂電影」
「バグズ・ライフ」=「虫的生活」
「レミーの美味しいレストラン」=「鼠厨師」
「カーズ」=「汽車」(中国語では車のことをこういう)
「モンスターズ・インク」=「怪物的公司」
「トイ・ストーリー」=「玩具的話」

このうち必ず一つくらいは当たっていると思います。



コメントなし。



どうも美容整形の宣伝のようですが、冷凍溶脂。
冷凍していったいどこの脂を溶かすのだろうか。
「どこだと思う?」とTOに聴くと
「どこっていう以前に、脂って熱で溶けるんじゃないの」

・・・・・確かに。



日本語でわざわざ食べ放題の電飾。
はいいのだけど、「べ」の角度がわずかに怪しい。

以前台湾の会社から購入したDVD「乙女のゐる基地」で
「撃ちてし止まむ」を「射撃停止」という字幕が出て大うけしたのですが、
台湾の楽しみの一つとして、漢字の使われ方の日本とのギャップにウケる、
というものがあります。

「きっと中国人が日本に来ても逆に大笑いすることってあるんだろうね」
そんなことを言いつつ今日も街角でつい爆笑している我々日本人です。


 


台湾~TAIPEI101に行く

2013-01-04 | お出かけ

どこに行っても決して勤勉に予定を詰め込まないのが我が家流旅行。
相変わらず気分が乗らなければホテルにいるなど、言いようによっては
「もったいない」観光なしの毎日を送っております。

とはいえ一度は台北で今一番先端を行く高層ビル
TAIPEI101に行ってみようということで、出かけてまいりました。
年越しには花火で包まれ、人がそれを観ようと集まっていたあのビルです。

 

まずホテルをハワードプラザから本来のウェスティンホテルに移動。
本当は去年も宿泊したウェスティンに連泊したかったのですが、
旅行を思いつくのが遅すぎて移動を余儀なくされたのでした。
去年工事中だったロビーが完成し、その記念に、
飾りと言うにはあまりにも巨大な飾りがロビー中を占拠しています。



部屋はモダンシンプル。

さんざんお茶を飲んで時間をつぶし、タクシーで101へ。
窓から見える台北の町を写真に撮ってみました。



牛肉麺の店。チャンピオンの牛肉麺、と日本語で宣伝。
何かとタイトルや権威に弱い日本人向けの看板です。



「房屋」というのが不動産屋のことらしい。



バスの行先に「板橋」発見。



隣に泊まったピザハットの宅配バイク。
袖までが燃えておる。
手機直撥請加、というのは注文のための電話をここにしてね!かな。



阪急百貨店。
石川県の物産展をやっているようです。
この地域には三越もそごうもあります。



どうも台北市議会のような。
政府、と言う言葉の意味が若干違うようですね。



車窓からカメラで景色を撮りまくっているうちに101到着。
上が若干広がるように見える形に設計されているので、
下から見たときの迫力は満点です。



オブジェの前で写真を撮る人たち多数。
この日は土曜日で観光客の数多し。

 

2004年にできたときには台湾最高の高さだったようです。
101というのはたぶん101メートルあるから。(←たぶん)
ロビーにはまだクリスマスツリーがありますが、25日の深夜には
ツリーを片付けてしまって正月飾りに変えてしまう日本と言うのが、
世界基準で言うとかなり不思議な国だというのはご存知ですか?

アメリカなどでも、たいてい正月明けまではクリスマスソングを流し、
さらにはツリーも一月いっぱいまで飾っていたりします。
ツリーが「角松」みたいな扱いなんですね。

ちなみにアメリカでは一月終わるころ、ツリーを家の前に出しておくと、
専門の業者が回収してくれます。
我が家は帰国後も生木のツリーにこだわってかざっていたのですが、
用済みの木を回収してもらうのにお金がいることがわかり、
しかも要請してそれを集積場にだすまでに一か月くらいかかり、
業を煮やして業者に頼んだら5000円よこせと言い出す始末。
何年かで懲りて生木はあきらめることにしました。

さて、このビルに入ってみて、まず最初に目についたのは本屋さん。
お洒落で文具なども扱っている日本風の大型書店です。



ステーショナリーのウィンドウ。



日本の本が実にたくさん翻訳されています。
311の後、福島に残された動物たちと、その死体など、
目を覆うような写真を撮った写真家がいますが、その写真集が、
二巻とも翻訳されて売られていました。



ルース・ベネディクトの「菊と刀」。
アメリカ文化人類学史上最初の日本文化論と言われています。
アメリカ政府は二次大戦の際、「敵を知る」研究や助言のために学者を集めましたが、
彼女もその一人でした。
日本文化論と言うのがここ台湾でも非常に関心を集めているということでしょうか。
いかにも最近された装丁と言う感じです。



女の子たちの間でもひそかに人気の「日本風」。
日本人形がキャラクター化されたシリーズ。



虫眼鏡コーナーにツァイス発見。
台北の空港の認識カメラにもツァイスレンズが搭載されていたらしく
息子が後で「気が付いた?」と教えてくれました。

ご存知ない方のために説明しておくと、昨年夏わたくしは
カールツァイスレンズ搭載のカメラを購入、
それに関する話題でブログは一部一時異常な盛り上がりを見せ、
何かと言うとカールツァイスを連呼するエリス中尉には
「もうええっちゅうの」
という読者の呆れた声が聞こえてきた気もしました。
2012年のエポックメイキング的出来事です。



このブログの読者であればたとえ中国語でも何が書いてあるのか
わかってしまいそうな「軍事コーナー」の書籍。
大徳意志師戦史とはドイツ軍関係、地面武器は地雷かな。
槍戦、ってなにかしら。



そういえば台湾とも尖閣所有を争っていたんでした・・。
李登輝元総統が「尖閣は日本のもの」と言ってくれたのだけど、
馬英久はそうではない模様。

ところで今回、李登輝氏に関係の深い方にお会いする機会がありました。
それが誰かはまた後日のお楽しみ。



たぶんアメリカの乙武さん。

息子が旅先で読む本が欲しいと言い出したので、何冊か買ってやりました。
その後初めてビルのメインフロアに行ってみたのですが、

 

ミウミウにプラダ。
右手にはエルメネジルド・ゼニアのショップ。
ローロ・ピアーナ、バーバリー、ディオールがこの周辺に。
右はロイヤルサルートのデモンストレーション。
日本にもめったにないくらいのゴージャスなモールです。



この世で思いつく限りの高級ブランドが一堂に。
これらのお店を求めて、押し寄せる中国人の群れ。
地元台湾の人よりも大陸からの成金中国人が多いように思われました。

明らかに台湾人よりダサく、態度と声がでかいのが大陸人。
日本人の我々にも見分けがつくほどはっきりと違います。
見ためだけでなく、こんなこともありました。

我々が地下のフードコートにいたとき、近くで喧嘩が始まったのです。
席に着いたままの男性がその前に立った女性と大声で争っています。
男性は30くらい、女性は40くらいでしょうか。
中国語なのでなんで争っているのかさっぱりわかりませんが、
とにかく日本ではありえない光景です。
どちらも大陸からの観光客らしく、いっぱい紙袋を抱えています。

言い争いはたっぷり5分は続き、その間全く勢いの衰えない女性に対し、
男性もいちいち言い返していましたが、女性の連れが興奮している女性を
抱きかかえるように男性から引き離し、連れて行きました。

中国に赴任した人から聞いたのですが、中国では始終街中でこんな喧嘩が起こり、
そうなるとあっというまに野次馬が人垣を作るのだそうです。
知人の知っているケースでは男女が言い争い中男性が女性の服を脱がせて侮辱したため、
男性が死刑になったという全く笑えない事件でした。

やはり一口で言うと「民度が低い」と言うことになるのでしょうか。

台湾では今、大陸からの中国人の観光客の起こすトラブルが、
日本のように問題になっているということです。



その問題の起きた地下のフードコートは、スーパーマーケットもある
大変広いスペースにあります。
ここでわれわれはお昼ご飯にしました。
一通り回ってみましたが、ものすごい数のお店です。

 

日本風の回るスシはもう当たり前。

 

中華料理にいたっては何を基準に選んでいいかわからないくらい。
日本のモールには決して見られない鳥の頭つき肉。
これを見て中国人は「美味しそう」って思うってことなんでしょうね。

自分自身を思いっきり看板にし、さらには似顔絵をキャラクターにする
「ナルシスト型経営者」はここ台湾にもいるようです。

 

日本式ラーメン専門店。
北海道のお店が出店しているようで、スタッフは日本人でした。



わたしたちが食べた「日式カレー」。
骨付き鶏肉とオムライスの上にさらにカレー。
なんとオムライスの中のご飯は五穀米。
お味もフードコートのものにしては上出来の美味しさ。
やっぱり台湾の食は侮れません。

 

デート中の若いカップル。
女の子のスタイルは茶髪、足見せファッション、ブーツと、
メイクも皆日本とほとんど変わらないのですが、
男性はほとんどが全くもっさりした感じで、つくづく日本の若い男は
身なりに気を使っているなあ、と妙に感心しました。

しかし、たいていの外国人はどこの国に行ってもカップルを見ると
「女の子はこんなにかわいいのに、どうしてこんな男と」
みたいに感じると言いますから、もしかして日本男もそう思われているのかも。

さて、そんな最先端のショッピングプレイスである101ですが、
日本人にとってはとても受け入れられないことがあります。
それは、トイレに紙が流せないこと。
空港のトイレで「絶対に紙を流さないでください」という表示があって、
結構愕然としたのですが、流すと管が詰まってしまうんですね。
流していいのはホテルくらいで、後はたいてい横に大きな桶があって、
それに捨てるようになっています。
これが潔癖症の日本人には耐えられません。
なんと最新設備をいたるところに搭載し、エレベーターは日本製の
超高層ビルでさえ、トイレに紙が流せないのです。

もしかして日本って、これだけでもいい国ですか。
アジアで紙をトイレに流せる国って、もしかしたら日本だけですか。

さて、101を出てホテルに戻る道でもまた写真を撮りました。



安ホテルなんですが「宿泊」「休憩」があります。
こんなところで休憩する人がいるのか・・・・・。

 

全般的に、建物の外装が放置されていてあまりきれいでないのが
台湾と日本の街並みの大きな違いかもしれません。
日本では建物の建て替えをすぐに行うことがその理由ではないかしら。

右側の「奇異広告」の「奇異」はおそらく日本とは違う意味だとおもいます。



日本にはあまり見られない極限に汚いアパート。
007なんかで犯人のギャングが潜んでいそうです。
麻薬の売人とかね。



台湾大車隊。
単なるタクシー会社の名前ですが、なんとなく軍隊調で勇ましい。



マッサージセンター「君の元気」。



歯医者とホテルが同居するビル。
しかも一階はどうやらどちらでもないようです。



狛犬の横に野良犬発見。
野良犬、っていうのも日本から姿を消したものですね。
昔は都市部にも結構いたんだそうです。(よね?)


最新の設備を備えたブランドショップの一堂に集まるインテリジェントビル。
同じ町にはそれとは対照的な「古くて汚い未開発の部分」が混在します。
こういう「異国の光景」をただ見るのも旅の醍醐味です。





台湾を行く~2012年最後の日

2013-01-03 | お出かけ

みなさまは2012年最後の日をどのように過ごされましたか?
台湾に27日から来ていた我が家がどのような大晦日を過ごしたか、
淡々と写真を貼りながらご紹介します。
冒頭写真はご存知、台湾総督府。
日本統治時代に建てられた壮麗な建物です。
いまだにこのように台湾総督府が現役で使用しています。
1919年に建築されたといいますから、もうすぐ百年になるのですね。
日本には明治村にしかないような建物が、台湾にはたくさんあります。

31日は総督府の中は見ることができなかったため、この周りを
歩いて付近の建物を見て回りました。

ところで、この日、二日泊まったウェスティンからもう一度、
最初のホテルハワードプラザに帰ってきたのですが、
アサインされた部屋にチェックインしてみると・・・・・・



部屋の前に盆栽。
むむっ、もしかして、これは・・・・・・。

 

どーん。
なんと、ホテルに一つしかないプレジデンシャル・スイートに
部屋を割り当てられてしまったのです。

 

広い、無駄に広すぎる。
「ちょっと、なにこれ~」。
旅行が多く、いろんな経験をしてきたわたしたちですが、
いきなりこんな馬鹿でかい部屋にアップグレードされたのは初めてです。
従来の部屋の軽く5倍の面積で、応接室、会議場、独立キッチン付き。

「ちょっと・・・これ広すぎるって」
「どこにいたらいいのかかえって困るね」

げらげら笑いながら部屋をチェックして回りました。

 

あまり稼働していない部屋なので、かえって改装していません。
他のスイートはウォッシュレット(日本製)付きなのに、
二つあるトイレはどちらも壁が大理石で工事ができないようです。
オープン当時のままの内装がそのまま残され、
豪華ではあるけど古臭くてあまり居心地はよくありません。

 

とはいえ、テレビはブラービアの超大型。
テレビの向かいにある中国式の木のベンチですが、
座部がつるつる滑る木なので20分と座っていることができず、しかも
「ここからはテレビの画面に何が書いてあるのか見えない」という・・・orz
ちなみに息子が座っているのはマッサージチェアです。

 

会議室。
ここにはパソコン用の机があって、わたしはここで作業しました。
作業しながら家族声をかけても全く何を言っているか聞こえなかったそうです。

  

クローゼットの中のドレッサー、独立キッチン、そしてティーコーナー。
冷蔵庫の中のものは自由に飲んでいい、と言われましたが、
コーラにスプライトにビール、というもので、水はボトルが飲み放題なので、
全く手を付けずに終わりました。

というわけでこの広大な部屋で年越しをすることになった我が家です。

総督府のまわりだけでも歩いてみようとタクシーで出かけました。
着いた日はあまりにも蒸し暑くて驚いたのですが、
この日はすっかり冬。
セーターの上にジャケット、つまり日本と全く同じ格好をしていても、
手が冷たくて手袋が欲しいと思うくらいに外気は冷たく感じました。



スズメは日本のと全く同じ種類のようです。
スズメたちのふくれ具合で、寒さをお察しください。



運転手さんの(たぶん)都合で手前で降ろされました(-_-)。
 

近づいてみるとカウントダウンのためのリハーサルらしきことをしています。
立ち止まって写真を撮っていたら、



この銃を持った衛兵にではなく、左の人に「立ち止まるな」と怒られました。
しかし、この銃、もちろん実弾入ってるのよねえ・・・。



立ち止まると言えば、台湾の街中で見かける歩行者表示。
青の時は普通に歩いているのですが、あと10秒とかになると、
一生懸命走りだすのです。
そして、


赤になって静止。

 

このあたりは政府関係の建物が集まっています。
どの建物も、垂れ幕と国旗で新年用の飾りつけがされています。
台湾は日本のように国旗に対して妙な弾圧が無い普通の国なので、
このようにこれでもかと国旗を多用します。
ちょっと多すぎる気も少ししますが。

これは司法省と高等法院。



法務省。
もう意地になっているかのように国旗を並べています。
アメリカも7月4日はこうですが、まあ、これが普通ですよね。

 

ここには「白色恐怖政治犠牲者慰霊」の碑があります。

日本の敗戦後、国民党政府が台湾にやってきて日本軍の武装解除を行いました。
大陸から来た同民族政府を当初歓迎した台湾人民でしたが、
すぐにその凄まじい腐敗ぶりと質の悪い役人や軍人が犯罪を起こすのに驚きます。
不正の少なかった日本統治を受けてきた台湾人にとってそれは受け入れがたく、
ある市殺害事件をきっかけに民衆は立ち上がります。

2月28日にデモ隊が押し掛けると、国民政府は市庁舎の屋上から、
非武装の市民に向けて発砲、死傷者が多く出ました。

これに対し本省人(台湾人)は道行く人に日本語や台湾語で話しかけ、
答えられないと暴行を加えるなどの大陸人(外省人)狩りをするなどして対抗し、
さらには、すべての本省人が歌うことのできる

君が代を歌いながら行進し、ラジオ局を占拠。
「軍艦マーチ」を流しながら日本語で
「台湾人よ、立ち上がれ!」と呼びかけました。

対する国民党政府は、日本統治時代に高等教育を受けた医師、法律家、役人などの
インテリ層を拷問し、その多くを殺害します。
彼らの手に針金を差し込んで束ね「チマキ」と称して生きたまま海に放り込んだりしました。

台湾人たちは旧日本軍の装備や軍服を身に着けて対抗したりしますが、
ついに国民党に制圧されます。
戒厳令はその後40年続き、1980年代に李登輝総統が法改正をして初めて
この「白色テロ」と言われる暗黒時代は終わりを告げたのです。

この2月28日を記念する広場がここにあります。
銅像は林森先生、というおそらくこの228に関係のある人物。



野良犬らしいですが、首輪をしています。



迎賓館の門。

 

さらに歩いていくと、このような「いかにも中華」な建物が。
天安門広場みたいなものか、お寺かな?

と思ったらなんとびっくり、左はコンサートホール、右は劇場。
いずれも外はこんなですが中は最新設備を備えているそうです。
ですから、中には何の用事もない人も観光に訪れる場所になっています。



自由広場、と言う一角は、全体が広大な広場になっています。



工事中でしたが、ワシントンのリンカーン像のように、
中に巨大な蒋介石の石像が頭だけ見せていました。
そこでふと、先ほどの、白色テロの話と、このいたるところで見る
「蒋介石万歳」的なモニュメントとの相関関係について、
実に不思議な気分にとらわれてしまうのを感じるのです。

国民党政治によって弾圧されていた台湾のナショナリズムは、
独立を勝ち取った後、徐々に本土からの人間の流入により薄らぎ、
今後、大陸との融和を目指す馬英九政権によってさらにいっそう希薄になっていくのでしょうか。
台湾のナショナリズムが「日本」とは無関係ではないだけに、気になるところです。



広場にはテントのような仮設物品村ができていました。
寒いので皆吸い込まれるように入っていきます。

 

一歩入るなり漂う漢方と食べ物の混じった匂い。


珍しいお菓子や果物、本やおもちゃなどのお店もあります。

 

揚条(ヤウチャオ)という揚げパンを、杏仁ミルクに浸して食べる屋台。
試してみました。
ヤウチャオは、全く甘みがなく、油揚げの味がします。
うっすら甘い杏仁ミルクに浸して柔らかくしていただきます。

息子が意外な喰いつきを見せ、一人でほとんど食べました。

 

広場内に見つけた「友好の桜」
戦争中、中央大学に学んでいた何人かの台湾出身の学生は、
学徒動員され、卒業することなく、終戦を迎えました。
戦後、彼らに新たに中央大学から卒業証書が授与され、
日台の友好のあかしにしようと桜が記念に植えられました。

それがこの桜で、題字を揮毫したのが中央大学出身の海部俊樹元首相。
実は鷲さんのコメントで軍艦マーチに関するこの方の「あれ」な話を聞いてしまったので、
以来この方に対してはなんだかなあ、な印象を持っていたりするわけですが。

しかしなかなか達筆でいらっしゃいますね。

 

野良猫も発見。

 

さて、この後、ちょっとした用事で「阪急百貨店」へ。
この間訪れた101は今夜花火イベントがあります。
タワー全体が花火を「放出」し、あたかも燃えているようになる、
この年越しのイベントを見るために多くの人々が集まってきます。

 

まだ数時間前だというのに三脚をセットし待ち構えるカメラの列。
見たところプロ仕様のカメラはありません。
右は、野次馬の中からインタビュイーを選び仕込みをするテレビ局のスタッフ。
いずこもマスコミの偉そうなのは同じです。

 

三越も阪急も中は大混雑。
決して皆「買い物」が目的で来ているわけでもなく、
つまりこのイベントまでの時間つぶしの人が圧倒的に多いのですが、
それでも何しろ人数がすごいので物品販売も「かきいれどき」です。

無印良品もユニクロも、レジには長い列ができていました。
無印で靴下など買い足しましたが、日本とは品物も値段も全く同じ。



テレビの中継車も多数。
そんな街の混乱を見ながら、われわれは部屋に戻り、
部屋の大画面テレビで花火が打ちあがるのを見ながら年を越しました。



さらに、この後なぜかやっていたトンデモ映画、
「野生の証明」を見てしまいました。

元自衛官の高倉健が、いろいろあって自分一人を殺しに来る自衛隊員を
バンバン殺しまくり、娘の薬師丸ひろこを自衛隊ヘリの特殊部隊目黒祐樹に殺され、
怒りのランボーになって、こちらに向かってくる10台の陸自の戦車と、
おそらく一個大隊の陸上自衛隊隊員にピストル一丁で立ち向かうところで終わり。

「自衛隊特殊部隊は人を殺すもの」「自衛隊幹部は悪の巣窟」
みたいな映画に、自衛隊関係者はさぞはらわたが煮えくり返ったと思われます。
というか、「専守防衛」とか「自衛権」とか、いったいどうなってるのこの世界では。
なぜ自衛隊がたった一人の民間人の制圧に戦車を差し向けるの?
とにかく、一般人に与える悪影響もシャレにならないくらい酷いものがあり、
心底驚きながら、最後まで見てしまいました。

「これ、今なら右からも左からも真ん中からも総バッシングだよね」
「ていうか、上映許可が出ないんじゃない?」
「基地外!基地外!って連呼しちゃってるしねえ」

女囚「さそり」(中国から帰ってきた元日本兵のおっさんたちが、
護送中バスが谷間に落ちて山中をさまよう女囚たちを、
女囚なら何をしてもいいという理屈でけだもののように襲ってくる)
という映画のリバイバルを見てこれも非常に驚いたことがありますが、
このころって映画の倫理基準がもうむちゃくちゃだったんですね。
やったもん勝ち、というか、表現の自由の悪しき権利の行使というか。

これって今や日本国内で放映できないから、ここ台湾でやってるんでしょうか。

劇中、わたしが年賀のあいさつに写真を使用したCH-47チヌークが出てきて
「おお」と思いましたが、実はこの撮影、自衛隊の協力が一切得られなかったため
(そりゃそうだ)米陸軍からすべて協力を仰いだということです。

ですから、このとき自衛隊にはまだ配備されていないチヌークが、
なぜか自衛隊の機として登場するというある意味「お宝映画」だったわけです。

というわけで新年早々とんでもない映画初め。
エリス中尉の大晦日と年明けはこのようなものでした。





旅しながら淡々と写真を貼る~台湾再び

2013-01-02 | お出かけ

あらためましてあけましておめでとうございます。
昨年の暮れからエリス中尉は台湾に来ております。

昨年末ターキーの話題で一部非常に盛り上がったこのブログですが、
年が明けるなりカモの写真でブログ開始です。
一年の計は元旦にありと申しますが、昨日の富士山はともかく、
富士練習場のチヌーク画像とこの北京ダック画像に、
この先一年の傾向が象徴されている気がするのはわたしだけでしょうか。

さて、

うちは「世界は広いから、どんなに気に入っても旅行は同じ場所は一度」
という家訓のもとに、旅行先を決めてまいりましたが、去年のお正月、
台湾の「安近短」にすっかり味を占めたのと、今年はここで重要な用事ができたので、
例外的に二年連続で台湾旅行と相成ったのです。
「東奔西走」とポチ三水さんがおっしゃっていましたが、
今年もまさにそれを地でいくエリス中尉であります。

それでは、「旅しながら淡々と写真を貼るシリーズ」、始まり始まり~。



出発は羽田で、三時間もあれば着いてしまうというのも台湾にした理由の一つ。

羽田の国際線は今も拡張予定があるようです。
きれいで飲食店や設備が驚くほど充実していました。
感心したのがトイレのブース。
皆がキャリーカートを持って入れるくらい一つ一つの個室が大きいんですよ。
そうそう、これが今まで困ることだったのよね!と改めて思いました。



時間つぶしについ遊んでしまった税関紹介コーナー。
妙に「真顔」の麻薬犬、ビーグルのカスタム君。

カスタム君の足のモニターで「税関クイズ」ができます。
右が初級で左が上級編ですが、バカにしながらやったエリス中尉、
どちらも半分くらいしか正解しませんでした。

意外と知らない税関の常識。

 

羽田空港を多く利用する国のパスポートと、思わず見入ってしまった「持ち込み禁止品」。
ヘビとマングースの因縁の対決をリアルに再現。
これきっと誰かが持ち込もうとして没収されたものだと思うのですが、
いったい誰が、こんなものを作ったのか、そして誰が何のために買うのか。



機内では映画「最強の二人」「ザ・キャンペーン」を観ました。

「最強の二人」はお勧めです。
首から下が動かない富豪の世話人になったスラム出身の黒人青年。
空気は読めないけど、その人間性全開の青年に、富豪は惹きつけられ・・・。
何と実話だそうで、最後はわたくし感動して泣いてしまいました。

「キャンペーン」は・・・・
ウィル・フェレルとザック・ガリフィアナキスのドタバタ政治コメディ。
政治家や財界やが「中国」で儲けようとして悪巧みの図。
いずこも同じよのう、ってことでこちらもおすすめ(苦笑)



台北松山空港到着。
といってもこの写真じゃどこかわかりませんよね。



空港からタクシーでホテルへ。

飛行機から降りるなりあまりにも蒸し暑いので驚きました。
去年はもっと寒かったと思ったけどなあ。
タクシーはほとんどがトヨタ製です。

町中の落書きは、どういうわけか字体も雰囲気も世界共通。
この世界の決まり、と言うのがあるかのようにどこにいっても一緒です。
勿論アメリカにもありますよ。
なんでこうも画一的なデザインなのか、実に不思議。
だれかこの理由とかご存知ですか?



「モーパラ」という日本語のお店発見。
「モーモーパラダイス」で、つまり日本風焼き肉レストランらしい。
省略の仕方が実に日本風。



何を見ても意味が分かってしまうのが中国表記。
一番下の
「市民熱線」=「シチズン・ホットライン」は超直訳です。



道行く女性の格好もほとんど日本と変わりません。
でも、やっぱり「何かが違う」んですよね。全体的には。
日本風の風俗が好きで、それ風に装う人たちを哈日族(はーりーぞく)
と言うそうです。

 

ホテルは台北のハワードプラザ、
古めかしくて、一昔前のヒルトン調の作りです。
まずはここに二泊します、

部屋から見た眺め。

 

部屋はスイートルームにアップグレードしていただきました。



着いたらさっそく写真を撮るエリス中尉。
この後ホテル内を探検に出かけました。



去年来た時も思ったのですが、中華圏にある「置物」「飾り」のセンスは、
さっきの「ハブとマングース」ではありませんが、どうも理解に苦しむというか、
「わたしだったらこんなもの部屋に置きたくないなあ」と思うものが多い。

これもホテルのロビーにあってものすごくでかいものなのですが、
鉄製(ブロンズかな)の水牛の群れ。
うーん・・・・・。



親指。

OK!って意味かしら。
これもフロント前にどーん!と。



画力は認める。
テーマはおそらく森羅万象と共生する生命。
しかしながらこの、「細部に凝りすぎて詰め込み過ぎ」の、
いわばラッセン調構成はいかがなものか。
そして、わざわざこのような「中二病的絵画」をフロントに飾る
このセンスも、いかがなものか。



さらに謎なオブジェ。
壁が二枚、そこに先を争って入ろうとする群集の図。
端っこには絶望した風の家族三人。

キモい。ただひたすらキモい。



おせっかいにも人物部分をアップしてみました。
おまけになんなのこの雑な作りは。
こんなものわざわざホテルのロビーで売るんじゃねえよ!
と思わずガラ悪くなってしまうエリス中尉。

そう、これ売り物なんですよ。
ハブとマングースも大概だけど、こんなもん買う人いるのか?

まあ、前述の飾りを見る限り、これを「売れないであろう」と思うのは
おそらく日本人の感覚であって、台湾的にはこういう神経に触るような
いらっとするモノが「前衛的」とされているのかもしれません。



中国や(口蹄疫の)韓国からの肉は入れていませんよ、というポスター。



到着翌日は、TOが「まだ日本は仕事だから」というわけで、
ずっとホテルで日本とのやり取りを続けており、外に出ませんでした。
というわけで、ホテル内のレストランで夕食。
「一度北京ダック食べたいね」
そういってここに来てみたのですが
「北京ダックは出来上がるのに70分かかるので、前もって注文が必要」
ということであきらめました。

前菜三種。

オーダーの時、頼み終わったらウェイターが
「小龍包は注文なさらないのですか」と聞いてきました。
「ここにきて小龍包頼まないなんて」
と言う意味だと理解しました。

「ああ、忘れてた。小龍包もお願いします」

 

日本で食べる中華より、台湾の中華は全体的に薄味。
少し物足りないかな、くらいの塩味なのですがそれがまたよし。
食べていて疲れない、と言うか、いくらでも食べられる感じ。



息子が好きなので酢豚を頼んだらなぜか「今日はできません」
と言いに来ました。
「酢豚ができないってどういう状況?」
「きっとシェフが豚の下準備を忘れたんだよ。あれ手間かかるから」
というわけで代わりに頼んだ鶏肉のピリ辛炒め。
これも妙にあっさりしていて「酢豚よりこっちの方がよかったね」



さらに薄味でしかもアブラっ気の全くないチャーハン。



一番おいしかった白菜と銀杏の煮物。
銀杏が日本のものより栗に近く、味が濃い感じがしました。
食わず嫌いの息子が銀杏を猛然と食べたのでびっくり。

 

そしてデザート。
テーブルに置いてあったゴマ団子スープが美味しそうだったので頼んでみました。
白い方には黒ゴマ、緑には白ごまが入っていて、スープはなんと酒粕。
しかも、このスープ、全く甘みがついていません。
ゴマ団子が甘いので、あえてここに甘みをつけない潔さ。
ケーキのセンスは悪いけど、さすが中国人、中華料理のセンスは抜群です。
三人でこの美味しさに呻っていると、
隣の円卓に冒頭の北京ダックが運ばれてきました。

「スゲー」
「でかい」
「あんなの三人で食べられないよ」

ひそひそやっていると、真横でコシェフが切り分け始めました。

 

やおらカメラの撮影モードを「スポーツモード」に変えるエリス中尉。
だって、あまりにも手際がいいので手許が撮れないんだもの。
ものすごくきれそうな長刀で、あっという間に皮を削り、
さらに内側の肉もかなり削っています。

「内側ってふつうあまりおいしくないもんだけどな」



でもおいしそう。

TO「お皿出したら一枚くらい入れてくれないかな・・・・ってこら、本当に出すな!

これは、カメラを右手に、左手でお皿をシェフの横に出したエリス中尉に向かって。

「ね、ママってこういう人なんだよ」
息子「知ってる」

とにかくこの実演を横にわれわれ大騒ぎ。

「大きいね」
「でもおいしそう」
「こんなの三人で食べるの無理だよ」
「でも、13ドルだよ?三倍だから3900円」
「なにそれ安い」
「でしょ?日本だったら皮一枚800円とかだよ」
「残してももったいなくないよ。これとスープだけにすれば食べられるよ」
「オレこれ食べたい」(息子)

こんな話をしていたら、シェフは切り終わった後、
くるりと振り向いて深々と我々にお辞儀をしました。
台湾では日本語がわかる人が多いので雑談には気を付けて、とどこかで聴きましたが、
町を歩けば普通に日本語が飛び交い、ホテルでも必ず誰かしゃべれる人がいます。

もしかしたらこのシェフは日本語がわかっていたのかも。

 

パンみたいなの→皮→野菜→ホイジンソースたっぷりつけた身
と言う順番でかさねてテーブルに供していました。

この日、他にも北京ダックを注文したグループがいてこの後もシェフは大活躍。
出来上がったダックをカートで運んでくると、

シェフ、ダックをむんずとつかみを皆の前に見せる
皆「おお~」と歓声
カットしているところを大注目、途中の写真撮影あり
済んだら一緒に記念撮影

と、台湾人にとっても北京ダックを食べるのは「特別のイベント」のようです。

「台湾人でもこんなに盛り上がるんだから、日本人が騒いでも仕方ないよね」
「ママは盛り上がりすぎ」
(-_-)

 

さて、われわれがさらに呻ったのがこのデザート。
ゴマ団子汁粉にすっかり味を占め、ゴマ系でもう一つ、
と頼んでみたゴマ饅頭。

甘さ控えめなんてもんじゃありません。
和菓子の感覚からいうと「砂糖三分の一」って感じの甘さ。
ゴマの強い香りと、中のあんこが妙に空気を含んだような感じで、
非常に軽い食べごたえ。



あっという間に無くなりました!
やっぱり台湾はどこで何を食べても美味しいなあ。



この日のこのレストランの予約。
「陳おかあさんを囲む会」
「大漢技術学院幹部の会」
「湯おばあちゃんを囲む会」
なんて感じですか。

台北には4日。そのあと台南に行きます。
台北ではこの旅行の目的であるある人に会います。
それが誰かは、アップしてからのお楽しみ。

それでは怒涛の台湾旅行編、しばらくお付き合いください。
滞在中に一度は北京ダックに挑戦するぞ!