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台湾を行く~台南でアレルギー騒ぎ

2013-01-26 | お出かけ

我々は元旦に台南に移動しました。
ここでお世話になったのがシャングリラ・プラザ。

台南に旅行を計画している方、このホテルお勧めですよ。
どう素晴らしかったかを淡々と写真を貼りつつご報告します。

実は、台南の駅の南口を出て道を渡ればそこはホテル。
しかし、何も知らない外国人の我々は、北口から出てタクシーに乗りました。
知っていたとしても、北口の階段にはエレベーターもないので乗ったかもしれませんが。
まあ、運転手さんにしたらぐるっと一回りするだけで、一方通行の道のため
結構な料金が稼げるのですからありがたい客だったでしょう。



駅前、成功大学という一流大の前の道。
熊本式ラーメンの店があります。



ここがロビーフロント。
筒状の高層建築なので、ロビーの天井がやたら高い。
座っていたらかわいいチャイナ服(スリット非常に深し)のお姉さんが、
甘いお茶を(竜眼茶)持ってきてくれました。
さらに何も頼んでいないのに地図をくれ、
「どこか観光に行きたいところがあればご相談ください」
このときには八田ダムに行くつもりだったので、
「烏山島ダムに行ってみたいのですが」というついでに、
「八田という日本人が作ったので八田ダムとも言います」というと、
「日本人が作ったのですか。知りませんでした」とおっしゃる。
このあたりの子供は郷土史で八田與一のことを習うと聞いていたので、
もしかしたらこのお嬢さんはよその土地の出身かもしれません。



元旦ですが、日本ではないのでまだクリスマス飾りがあります。

 

ロビーに飾ってあった瀬戸物の置物。息子が
「これ、トライポフォビア(ブツブツ恐怖症)には辛くない?」
うーん、確かに・・・・というか、いちいち思い出させるのはやめろ。

そのように人をからかっていた息子本人が、トライポフォビアも真っ青の
大惨事に巻き込まれるとは、このとき想像できたであろうか。(伏線)

 

部屋は三つベッドを最初から入れているトリプルルーム。
広くて居心地がよく、今までで一番気に入りました。



バスタブの両脇にトイレとシャワーブース。
変わった作りの洗面スペースです。

嬉しいのは、台湾の一流ホテルは、アメニティのシャンプー類に、
ロクシタンのものを使っていること。
ここのも容器はオリジナルでしたが、中身はロクシタン。
ついつい未開封のボトルまでせっせとトランクに入れてしまいました。



窓からの眺め。
左が台鉄の線路で、台南駅です。
このフィールドトラックは、成功大学のキャンパス。


なぜか、いかにもお年寄りを含む一般市民のような恰好の人たちが、
ウォーキング(というよりただ歩いているだけみたいな)していました。
市民にウォーキングコースとして開放しているんでしょうか。

遅い朝ごはんを食べたっきりで夕方になってしまったので、
小腹が減ったわたしたち、アフタヌーンティをいただくことにしました。



ここで事件が。
ガレット(クレープ)を置いていたのですが、その色が黒っぽく、
そば粉が入っているようだったので、わたしはそこにいた二人の女性
(一人はウェイトレスで一人はチーフではないがパティシエ風)に
「これは何からできていますか?」と聞きました。

息子はかなり重度のそば粉アレルギーで、二歳の時、
パリの屋台で買ったガレットを口にして大騒ぎ、ということがあったため
この手のものはいつも材料を聞くようにしているのです。
日本だと使用材料を明記しているところもありますが、もちろん台湾では
そんなことまで気を遣うホテルはありません。

通じなかったので「Buckwheat?」と単語を繰り返し聞いたのですが、
彼女たちのどちらもがこのそば粉という単語がわからなかった模様。
二人で相談して
「材料の粉が何かって聞いてるんと違う?」
「そうや、粉を聞いているんや」と理解したらしく、
調理服のほうが「ホールウィート」と言ったのですよ。確かにね。
わたしはそれを二度確かめお皿をもらってきました。

それを真に受けたわれわれが、食べてみたいという息子に
半分だけとはいえクレープを食べさせてしまい、悲劇は起こったのです。

10分も経たないうちに「喉がかゆい」と言い出し、次いで
「喉が腫れたみたいに痛い」と・・・・

やっぱりそば粉だったじゃないか!

とりあえずその程度ではあったので、部屋に戻り、様子を見ていました。
「しんどいから少し寝る」
横になった息子が夜になって起きてきたのを見て息をのみました。

 

ひいいい~!
トライボフィビアなんて言っている場合じゃない。
熱を持ったブツブツが喉、お腹、鼠蹊部に!
「かゆい?」
「熱くてかゆい」
去年台湾で買い旅行に持ち歩いている紫雲膏の出番です。
ごま油のような紫の軟膏をべったりと塗りまくり、とりあえずマネージャーに連絡しました。

飛んできたマネージャーは、われわれの説明を聞き、
「何もないと思いますが、一番心配なのは呼吸が困難になることなので」
というと、緊急の場合も考えて待機するから、何か異常があったらすぐに連絡を、
といって、一応現場の事情を確かめに戻りました。

そして、戻ってきて言うには
「現場のものはそば粉だと説明した、というんですが・・・・」

どうやら女の子たちはよっぽど怒られたか、クビになる可能性があると思ったのか、
自分が「ホールウィート」だと答えたことは言わなかったようです。

「それは違うと思います。
当初、彼女たちはバックウィートという言葉を知らなかったように思いました。
何度も『これはバックウィートか?』と聞いたのですがそれに対しては
返事がなかったのですから」

というと、「そうですか・・・」とマネージャー。
ただ、われわれは別に興奮も激高もせず、ただ淡々と事実を述べただけで、
マネージャーの申し出に対し逐一「Thank you」を繰り返していたので、
場は冷静に運んだ、と思います。

息子には水をたくさん飲んで体の中のものを早く外に出すように指示し、
様子を見るためにわたしは夜起きていたのですが、本人も楽になったのか
本など読みだしたので、皆で「もう大丈夫だね」と安心していたらチャイムが鳴りました。

ホテルの女の子が二人、「ハッピーニューイヤー」とお菓子を持ってきたのです。
クッキーに2013、と砂糖で書かれたものでしたが、それと一緒に、
ホテルで売っているらしい、チョコレートトリュフの小箱が一つ。



「これ、食べていい?」
息子、お腹がすいたらしくクッキーを食べ始めました。
チョコレートの小箱は、どうやらマネージャーの計らいで
「いわゆるお詫びのしるし」であった模様です。
「このチョコレートは君が体を張って手に入れたようなものだ」
ということで、最初の一つは彼に食べさせてやりました。

そんなこんなで夕食どころではなく、お腹が空いていましたが、
「もう遅いから寝て、明日の朝ごはんを美味しくいただこう!」
「あー、朝ごはんが楽しみだね!」
「ほんとほんと」
そういって三人、ベッドに入りました。

明けて次の日。

 

夕食抜きでお腹も足取りも軽く、われわれは朝食会場に向かいました。
正確に言うと二人が愚図愚図していたので、待ちきれないわたし一人でレストランに向かい、
受付で「1201号ですー」と部屋番号を言うと、なんだか全員が「はっ」とした顔で見るのです。

な、なんですか?

アレルギー騒ぎなど一晩経ってとっくに頭から無くなっていたわたし、
なぜ皆がこうこちらを見るのかわからないまま、席に着き、
とりあえずサラダを取ってくると、席にはここのマネージャーらしい女性がいて

「息子さんのアレルギーがあったというお客様ですか?」(英語)

おそらく、このホテル飲料部では朝礼の時に、
「材料について聞かれたら決していい加減な返事をしないこと。
昨晩1201の日本人客がアレルギーを起こしたのだが、そのとき・・・」
というような経過説明並びに厳重注意があり、さらには
「1201の客が朝食に現れたら、必ず様子を聞くこと」
と全員が言われていたのに違いありません。

「ああ、そのことなら、彼は今朝は大丈夫です」
「もう大丈夫なのですね。それはよかった」
彼女はにっこりとして、わたしの肩に手を置きました。

その日、日中にもマネージャーから二度、大丈夫だったか、という電話がありました。

「しっかりとした対応をしてるよね」
「いいホテルじゃない」
わたしたちのこのホテルに対する評価はこれでうなぎ上り。

 

朝ごはんのバッフェの種類の豊富なこと!
和洋中、食べきれないほど充実したメニューです。
アメリカだと朝食バッフェはどんな一流ホテルでも、
サラダなどはでない(彼らは果物が野菜の代わりだと信じているため)のですが、
名実ともにここの朝ごはんは世界一の品ぞろえです。
右は中華風おかゆのトッピング。
右はその場で作ってくれる「肉入りスープ」。
生の肉に熱いスープをじゃっとかけて供します。
ただ、わたしは朝に食べるものはわりと決まっているので。



ホワイトオムレツ!
さすがに泡だて器でふわふわにしてはくれませんが、
ホワイトオムレツを頼んだとたん、黄身と白身をさっと分離器で分けました。
野菜を全部入れてもらって、まあまあのオムレツです。

 

食べてみなかったけど、なんだかおいしそうだったもの。

このホテルの素晴らしいところは、巨大ホテルでありながら、
料理がやたら美味しかったこと。
特に、お得意の中華料理は、終始呻りっぱなし。

ここでTOはあるメニューを見つけました。
それは日本ではほとんど食べることのできない、
ここ台湾ならではの特別な食材だったのです。(続く)