ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

五百籏頭真と防大生の士気

2012-12-07 | 自衛隊




先日に引き続き、防大開校記念祭で聴いた五百籏頭真前防大校長の
講演会のことをお話ししています。

この人物が高い自己評価とは裏腹に、その思想言動に対して
「防大校長としてふさわしくない」と罷免を求める動きがあったことも、
遅まきながらわかりました。



それでは、実際にわたしの聞いたこの日の講演ではどうであったか、
ということについてお話しします。

耳をそばだてるほどの批難という形ではなかったもののその端々に

まず旧軍批判、戦争をしたことそのものへの批判
そして、文民統制できない市民も悪かったという批判

そしてその反省を踏まえて防大の組織は生まれた、
ということをなんどか強調していました。

今回インターネット上で拾った情報ですが、五百籏頭氏と学生の間に持たれた
ある日の対話はこのようなものだったそうです。
ひとりの学生が、海外からの留学生との交流から知ったこととして、
「タイ軍からの留学生が『王様のために戦う』というはっきりした
信念を持っていたということに感銘を受けた」
というと、これに対して校長である五百籏頭氏は、

「戦前の士官学校生もそうなんですね。
頼もしいといえば頼もしいが、
問題は視野狭小になって暴走しないかということなんです」


あれ?
「他国のナショナリズムを思いやる」のが五百籏頭さんの理想なんじゃなかったの?
それともあれかしら。
五百籏頭さんの尊重しなければならないナショナリズムというのは、
特定アジア三国だけのことなのかしら。

だいいち「王のために戦う」という概念がいきなり「視野狭小になる」「暴走する」
という結論に至るメカニズムがわたしにはさっぱり理解できないのですが。



渡部昇一氏が中心となって起こした対談集「日本を蝕む人々」では、
五百籏頭氏が文字通り日本を蝕む人物として俎上に上げられ訴追されています。
その中で八木秀次氏は

「つねに中国側一方がその定義を握っている『日中友好』が、
五百籏頭氏の中では日本の国益追求より優先されている」

「国家の根幹にかかわることを毀損されて、いったいその相手と
どのような『共同利益』を追求できるのか」

そして渡部昇一氏は

「五百籏頭氏は、反中はもはや世界的な共感を得ない、として、
中国の変化に付いていけない日本を批判する。
それではぜひ氏の言う『健全な中国の対日意識』とは何か。
それがあるものならぜひ見せてほしい」


と述べています。

わたしももしこの人物について問われれば、「文民統制」とは少なくとも

「自分の国を愛せず、しかも周辺国のナショナリズムには迎合する人物によって
軍的機能が監視されること」

ではないことだけは確かだと言わせていただきたいと思います。

さらに問題は、このような人物を校長として仰がされた防大生たちの「士気」です。
たとえば、五百籏頭氏は「イラク戦争は誤った戦争である」と言い切りました。
そもそも大義があってもなくても、戦争は道義的には間違っています。
氏の考えによると「正しい戦争」も存在するということになりますが。

在野の学者なら何をどう評論してもいいでしょう。
しかし、氏は、自分自身がそれによってイラクにも派遣されていた自衛隊と
同じ組織の一員であることを全く忘れているようです。
前にも言いましたが、防大校長は「自衛官」なのです。
一自衛官が「あの戦争は正しい」「この戦争は間違っている」と公言するのは、
わたしに言わせれば、その立場を追われた田母神氏の発言以などよりずっと問題です。

自衛隊員は政治に関与することなく、ただ国家の命令に従うのが使命です。
その防大生の教育を統括する人物が、個人的な思想に基づいて
「あの戦争は間違っていた」
と公言することが、どんなに危険なことであるのかわかっていたのでしょうか。
「間違った戦争に派遣されるのはごめんだ」
というような思想が自衛官たちに蔓延する可能性に思いは至らなかったのでしょうか。
それとも、たとえ「間違った戦争」と氏が公言するところの戦争に駆り出されても

「服従の誇り」

を持てるほど、自衛官たちには鈍感でいろとでも言うのでしょうか。


講話が終わり、「何か質問はありませんか」と氏は学生に問いかけました。
しばらく待ちましたが、誰も手を挙げません。
氏が話を終えようとしたとき、観客の一人が

「『戦争は軍人だけに任せるにはあまりにも重大である』と、
クレマンソーは言いましたが、文民統制についてのお考えを」

と質問しました。
非常に意地の悪い言い方をしますが、わたしにはこの質問者は
「クレマンソーの言葉と文民統制を言いたかっただけ」としか見えませんでした。
だって、少しでも五百籏頭氏について知識があれば、氏の掲げた旗印が
まさにクレマンソーの言葉そのままであることは百も承知のはず。
こんなわかりきったことを今さら質問するのは猫にカツブシみたいなものじゃないですか。
はたして、このときの五百籏頭氏の我が意を得たりの表情をお見せしたかった。

「いい質問です」
と氏は質問者をほめたたえましたが、要は本人もクレマンソーのセリフを
自分の思想になぞらえてかつ自賛しているようにしか聞こえませんでした。

「文民統制はわかったから、それがあなたの携わった防大教育にどう敷衍されたのよ?」

と聞いてみてもよかったかなあ。
小心者なのでそういうときに決して名乗りを上げないのがエリス中尉ですが。

じつはわたくし、最初から最後までメモを取りながら聞いていたのですが、
この部分は、両者とも論旨があいまいで文章にできませんでした。
はっきり言って質問者の意図も、さらに五百籏頭氏の答えも、どちらも空回りして
着地点がなく、お題目のように「クレマンソー」を唱えただけに思われたのです。


氏は防大校長就任の最初の会見にして
「文民統制によって自衛隊の暴走を防ぎたい」と述べました。
本来ならば、将来自衛隊指揮官となる防衛大学生に対し、
どのような教育理念を持って、そしてどのような人格形成を育んでいきたいか、
まず表明するのが校長としての責務でしょう。
防衛大学を「暴力装置養成所」と位置付けるこの新校長の所信表明に対し、
防大関係者は勿論、学生や父兄、自衛官たちはどのように思ったでしょうか。


わたしはさらに五百籏頭氏が、靖国神社というものを「愚にもつかない」、
単に政争の道具としての面しか認めていないらしいこと、
したがって、首相の靖国参拝について「周辺国の反発を招き国際的孤立を高める」と、
まるで朝日新聞のようなことを言っていたことに暗澹とします。

国の平和を願って命を捧げた先達に対する一片の畏敬の念もない人物に、
将来、戦地に赴くかもしれない防大生を教育する資格があったのでしょうか。

さて、講演会には動員されたと思しき二個大隊くらいの学生たちが、
座席のほとんどを占めていました。


この学生長らしき学生は「しっかり聞いて自分のものにするように」
と檄を飛ばしていましたが、エリス中尉には、彼らの反応はどこか
「しらーっとした」冷やかさがあるように見受けられました。
五百籏頭氏に質問をする生徒が一人もいなかったこともですが、
講演が終わって出口に向かう学生が、妙に無表情だったことも気になりました。
もちろん防大生ですから、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら歩いたりはしないのでしょうが、
それにしても・・・。

実は講演の始まる前、「只今から前校長五百籏頭真氏の講演が大講堂で・・」
と校内にアナウンスがされました。
そのとき、近くにいた防大生が

「五百籏頭か・・・・もういいよあれは」

と誰にともなくつぶやいたのを、エリス中尉は聞き逃しませんでした。

彼らのそういった雰囲気から総合的に判断して、この前校長が現防大生にも、
ごく控えめに言っても「とても尊敬されているとは言い難い」ことだけはよくわかりました。