ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

潜水艦「レクィン」〜乗組員のわすれもの

2024-04-20 | 軍艦

ピッツバーグはオハイオ川のほとりに立つ、
カーネギーサイエンスセンターで展示されている潜水艦「レクィン」。

戦後、レーダーピケット艦に改造された際、後部魚雷室を取払い、
レーダーなどを搭載したCICになっていたスターンルームは、
レーダー等が嵌め込まれていたウィンドウが展示ケースになっています。

これは説明してきたように、「レクィン」がミグレーンプログラムによって
レーダーピケット艦に改装された時の名残ですが、改めて書くと、
彼女はこの改装によって4基の艦尾魚雷発射管を失い、
スターンルーム前方のスペースは、本格的な航空管制センター
(レーダーピケット時代に乗艦していた『レクィン』の退役軍人は、
これを戦闘情報センター:CICと呼ぶ)に改造されました。

艦尾の後方のスペースは、かつてチューブそのものがあった場所で、
乗組員のための寝室スペースに改造されました。

トップサイドでは、後部シガレットデッキの40ミリ砲が撤去され、
そのスペースは代わりにSR-2航空捜索レーダーが設置されていました。

そのとき「レクィン」は、甲板の後機関室の上に
YE-3戦闘機制御ビーコンSV-2低角度水面捜索レーダーを搭載されます。

(このレーダーは、スクリュー近くの喫水線の近くにあったため、
しばしばショートし、Nodding Idiot "うなだれる馬鹿 "と呼ばれていた)

そして「レクィン」は、当時最新技術だったシュノーケルも装備し、
潜望鏡深度に潜ったままの状態で、4基のエンジン
(フェアバンクス・モース)を作動することができるようになりました。


そして、これらの改造情報によると、スターンルームの展示ケースは
改造された収納ロッカーであった可能性が高いです。

その二つ目のケースを見ていきましょう。

それは「レクィン」とは直接的にはあまり関係ありませんが・・。

■ アメリカの民間防衛



USS「レクィン」が、冷戦時代にその任務の大部分を
東海岸の防衛に費やしていた頃、アメリカ国民の最大の懸念は
いつなんどき国土を襲うかもしれない核攻撃の可能性でした。

軍が東側諸国との境を国境防衛するあいだ、
民間人もまた無関心ではいられず、民間防衛パトロールを結成して、
核攻撃の際に国民を支援する責任を負っていました。

ここに展示されているアイテムは、ペンシルバニア州ワシントン郡の
パトロールによって使用された実物です。



アメリカ民間防衛とは、軍事攻撃やそれに類する悲惨な出来事に備えて、
アメリカ民間人が組織的に行う非軍事的な取り組みのことです。

しかし、「民間防衛」という言葉は、緊急事態管理と国土安全保障が
それに取って代わると使われなくなり、存在そのものも消滅しました。

アメリカの民間防衛が本格的に始まったのは第一次世界大戦の時です。

それまでは、国土が大規模な攻撃の脅威にさらされることがなかったため、
これがアメリカ民間人の参加と支援を必要とする最初の総力戦となりました。

このとき民間防衛において行われたのは、

「対サボタージュ警戒の維持」
「軍への入隊を奨励、徴兵制の実施を促進」
「自由公債運動の推進」
「兵士の士気維持のための大衆芸能などによる貢献」

などです。

ここに展示されているのは第二次世界大戦中の
民間防衛ボランティアのためのハンドブック、ガイド、会報です。

真珠湾攻撃後、民間防衛の動きは著しくなりました。

1941年5月には民間防衛局(OCD)が創設され、
より多くの責任が連邦レベルに与えられるようになります。

これらの組織は、脅威に対応して民間人を動員するために協力するものです。
真珠湾攻撃のわずか数日前に創設された民間航空パトロール隊(CAP)は、
民間パイロットに海岸や国境をパトロールさせ、
必要に応じて捜索救助任務に従事させるという取り組みでした。


OCDが運営する民間防衛隊は、約1,000万人のボランティアを組織し、
消火活動、化学兵器攻撃後の除染、応急手当などの訓練を行いました。

日本で隣組などが組織され、民間に訓練が行われたのと同じような感じです。

■冷戦期の民間防衛

第二次世界大戦終了後、冷戦中の民間防衛の焦点は
「核」でした。
核戦争の新たな局面は、世界とアメリカ国民を恐怖に陥れました。

「落とした側」だったアメリカが、今度は攻撃される側になる可能性から、
民間防衛には求められていた以上の対応が促されました。



配布されたパンフレットは、左から

「核攻撃から生き残る」

「あなたと大惨事の間:
生き残るために・・・
家庭でできる民間防衛
食糧備蓄」

「聞け・・・攻撃警告」

という、非常時に対する準備と心構えを啓蒙する内容です。






OCDが装備していた放射線量計。


OCD車両の専用プレート。
PENNNAはペンシルバニアのことだと思われます。

ちなみに、2023年現在、OCDで検索すると、民間防衛ではなく、
強迫性障害(obsessive–compulsive disorder)という意味になります。

そのほかこのケースには、共産主義についての知識、
OCDが装備していた高出力(たぶん)のラジオが展示されています。

■ 「レクィン」艦内に残されていたもの



ミシシッピ川とオハイオ川を遡上して、ピッツバーグに辿り着き、
その後「レクィン」はカーネギー博物館の展示に向けて
大々的にレストアが施されました。

1990年10月にツアー用にオープンした潜水艦USS「レクィン」は、
今日でもピッツバーグで最も人気のあるアトラクションのひとつです。

カーネギー科学センターからの資金援助もあり、
維持費用はそれなりに苦労せず調達できるようで、
約半年ごとにダイバーがオハイオ川に入り、艦体を点検する他、
内部空間はメンテナンスと修復が常に行われている状態です。


ここには、そんなメンテナンスの経緯を通じて、
艦内に残されていた「わすれもの」が展示されています。



左:研磨粉(粉洗剤)の缶

研磨剤の粉末を乾燥石鹸や洗剤、ソーダのことで、
この缶は乾燥漂白剤が混ぜられています。

右:
壊れやすい
精密機器 慎重に取り扱ってください
アメリカ海軍兵器局
シンクロトランスミッター(送信機)Mk7Mod4
ベンディックス航空コーポレーション
モントローズ部門
使用まで開けないでください


シンクロトランスミッターというものがどういうものかというと、

ebay Synchro transmitter

なるほど、これならこういう缶に入っていても納得です。

そしてその缶の上に見える物体ですが・・・
スチールたわしかな?


アメリカのメキシコ料理、「タケリヤ」というようなところにいくと、
手前の赤いプラスチックのバスケットにタコスが入って出てきたりします。

手前のはパンかホットドッグの包み紙、後ろの
Fleetwood Coffee
は、テネシー州のかなり有名なコーヒーロースターで、
1925年創業、今日も営業しています。

その後ろのカードは、「レクィン」ツァー許可証。
よくみると、艦番号が
AGSS−481となっています。
これは、彼女が退役後補助潜水艦として再分類されたときのもので、
その後ノーフォーク海軍基地で不活性化を行っています。

この見学は、補助艦となってから行われたイベントだと思われます。


トランプ、小銭、名誉潜水艦員証明書

名誉潜水艦証明書というのは、シャレで一般人に与えられるものだと思います。

7つの海を股にかける優れたセイラーは知っておくこと:

名前    は、この日付     に
USS             SS                 で確かに潜水を行った。

このような潜水による深海への神秘に入門した彼は、
ここに名誉潜水士に任命されるものとする。

よって、彼はドルフィンマークを身につけるべき
真の忠実な息子であることを宣言する。

          
司令官

いまならなぜ「彼」なのか「息子」なのか、なぜ男限定なのか、
ということで、いろんなところから文句が出そうですが、
もしかしたら、「レクィン」に限らず、この頃は潜水艦に一般人(男性限定)

を乗せて潜航を体験させるということが行われていたのでしょうか。

この「名誉潜水士証明書」は、その記念のためのカードが
たまたま使用されていないまま残されていたということのようです。



パイプ
鉛筆(海軍製造のロゴあり)
クレストの歯磨きチューブ
恋人の写真


これらは本当に乗組員がうっかり忘れた持ち物という感じです。

ベッドの脇から落ちてしまったのを気づかずにいたり、
退艦の時に手荷物に入れるのを忘れたり、いずれにせよ
うっかりと艦内に残したまま、彼は上陸し、2度と戻らなかったのでしょう。

それにしても、気になるのはガールフレンドのものらしい写真です。
いつも身につけるために小さくプリントした白黒写真には、
ワンピース姿の女性の微笑んで立つ姿があるわけですが、
この写真を持って乗り組んだ乗員は、どこかに失くしてしまったと思い、
そのまま潜水艦を立ち去ったのでしょうか。

肌身離さず大事に持っているようなものなら、うっかり
艦内で失くすことなどないような気がするのですが、
もしかしたら何かの事情で彼女とはうまくいかなくなり、
処分したつもりが艦内のどこかで見つかってしまったのでしょうか。

この写真が展示されるようになって、「レクィン」の乗員は
他の軍艦と同じようにベテランのリユニオンを行っています。

USS Requin reunion 1998

その2

これだけ人が集まっているんだから、この写真の持ち主、

あるいはその持ち主と仲が良かった人がひとりくらいいなかったのかな。

あるいは、写真の持ち主はとうに気づいている(いた)けど、
現在全く違う人と結婚して幸せになっているという場合。

それならそれは「なかったこと」にするしかないかな・・。


続く。






最新の画像もっと見る

4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
平和ボケ (Unknown)
2024-04-21 07:35:57
アメリカはあれだけ強大な軍隊を持っているにも関わらず、弾道ミサイル以外の脅威に対する警戒監視機能は持っていません。1980年代までは、航空自衛隊のJADGE相当のSemi-Automatic Ground Environment (SAGE)がありましたが、廃止。今は弾道ミサイルに対する警戒監視しか行っていません。2001年の同時多発テロであっさり「空爆」を許してしまったので、復活させるのかなと思いましたが、国家安全保障省を作っただけでした。
よく我が国の態勢を自虐的に「平和ボケ」と言う人がいますが、少なくとも、我が国に出入りする航空機等の飛行物体はすべて監視されており、敵味方不明機が領空に接近する前には、対領空侵犯措置(スクランブル)で武装した戦闘機が対応します。
SAGE廃止以降のアメリカには、このような能力は全くありません。弾道ミサイル攻撃はたちまち看破されますが、例えば、メキシコ国境から、イランやイスラエルが空爆に使ったようなドローンを飛ばしても、これを探知する能力はありません。世界一の強国と言う自信がなせる業なのでしょうが、我が国よりよっぽど「平和ボケ」と言えるんじゃないかと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E8%87%AA%E5%8B%95%E5%BC%8F%E9%98%B2%E7%A9%BA%E7%AE%A1%E5%88%B6%E7%B5%84%E7%B9%94
返信する
名誉乗組員証 (ウェップス)
2024-04-22 10:14:10
名誉乗組員証は、乗員の転出時や体験乗艦者に送られるのですが、米軍由来のようですね。海自潜水艦は米海軍貸与艦から始まってますので米軍由来の慣行がそこここに残っている(水上部隊よりアメリカ臭が強い?)のですが、これもその一つのようです。艦長の転出ともなりますと額に入った立派な物が送られますが、家宝の一つです( `ー´)ノ
返信する
一般体験者じゃなかった (エリス中尉)
2024-04-22 11:03:17
退役&移転者のためのものでしたか!
それなら「彼」「息子」でも間違いはなかったってことですね。

ところで、海自ヘリの事故の詳細が気になります。訓練中に2機が衝突とは・・・。
自衛隊に限らずヘリ運用では滅多にない事故ではないでしょうか。
返信する
レーダー警戒潜水艦 (お節介船屋)
2024-04-29 10:45:07
SSRはわが特攻機による甚大な損害に対応するため空襲早期警戒用レーダー・ピケット駆逐艦を配置しましたがこれも被害が大きく潜水艦にも同様な目的として誕生したものでした。
1948年1月バラオ型1隻、テンチ級2隻、3月テンチ級1隻がSSRとして改装され太平洋、大西洋艦隊の潜水艦部隊に配置されました。
「バーフイッシュ」SSR-312は40㎜単装機銃1基を残し、撤去、後部発射管も全て撤去し、AN/SPS-6対空レーダーを艦橋後部のレーダー支塔上に装備、その後ろ後部上構に高角測定用レーダーも装備、通信施設、味方飛行機誘導装置を装備しました。後部発射管室が電測室とされました。
シュノーケル給排気筒を新設し、潜航中でも潜望鏡深度で対空レーダー使用可能としました。
「レクィン」SSR-481は高角測定レーダーは装備しませんでした。
4隻は1949年2月にまでに完成しました。
4隻に続きガトー級6隻にSSR改装を実施、1951年3月までにSSRとして編入されました。ガトー級は艦中央部を切断、31フィートの増設区画を入れ、電子機器室、CICとしました。また前後部発射管室は居住区として、純然たる水中レーダー・サイトとなりました。
1952年SSRとして在来型推進の「セイルフィシュ」SSR-572、「サーモン」SSR-573を新造、1956年竣工しました。
また1956年原子力推進の「トライトン」SSRN-586を高速機動艦隊の前路哨戒用として新造、1959年竣工しました。
この時点で地上の固定式レーダーや水上艦艇用電測兵器の急速な発達進歩でSSRの戦術的価値が著しく低下し、1961年SSRは廃止となりました。
10隻の改造艦は2隻除籍、1隻カナダへ売却、7隻が補助潜水艦となりました。
3隻の新造艦は攻撃潜水艦となりましたが「セイルフィシュ」SS-572,「サーモン」SS-573はレーダー撤去しても水中速力14ktであり、適当な用法がなく、1977、1978年除籍されました。「トライトン」SSN-586も水上排水量6,000tに近く、水中速力20ktであり、巨体の使い道がなく、「白い巨象」高価で持て余し物と揶揄され、1986年の除籍まで有効な役務が見出せませんでした。
参照海人社「世界の艦船」No143、567

SH-60Kの事故ですが海洋観測艦「しょうなん」を27日から投入し、深度5,500mとの海底捜索を実施していますが行方不明者7名、機体の大部分は現時点ではまだ分かっていません。
報道発表では4護群に対する護衛艦隊司令官の査閲中の事故で、2機がデイッピングソナーで実潜水艦捜索中、次の同じ海面に移動中、ほぼ正面衝突したのではと推定されています。
海面上約20mでホバリング、デイッピングソナーを海中に入れ捜索、移動、またソナー捜索の繰り返しで、2021年の2機接触事故から同高度とならないよう高度差を取ることとされましたが、デイッピングソナー使用は同高度となり、移動時は高度を上昇させますがこの移動時何らかの要因で同高度、同海域となってしまい衝突墜落となってしまったようです。
フライトレコーダは2機とも回収されており、現時点では機体の異常も無く、これ以上は発表されていません。
大変困難ですが行方不明者のご遺体があがることと原因究明が可能となることをお祈りしております。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。