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寄港する掃海艇(とゴミチェック)~日向灘・掃海隊訓練

2015-11-28 | 自衛隊


日向灘で行われている海上自衛隊掃海部隊の参加艦艇では、
約2週間行われる訓練の間、当然ですがずっとその中で隊員の食住が行われます。
どこに行こうとも、どこに寄港しようとも、彼らの寝床は自分の艦艇。

こんな当たり前のことですが、わたしたち外の人間には驚くことばかりです。
艦で起床し、任務の合間に食事も入浴も睡眠もその中で行う生活が2週間。

「当然、隊員の皆さんは2週間うちに帰れないんですね」 

特に海上自衛官の船乗りと結婚すると、奥さんは文字通り「船乗りの妻」状態で、
いっぺん出て行くとなかなか帰ってこないものらしいですが、そのことを
あらためて最終日に案内をしてくださった第41掃海隊の司令に伺ってみますと、

「2週間どころかわたしなど2年間単身赴任ですよ」

とのことでした。
司令が特別なのではなく、こういう勤務の自衛官は普通に散見することができます。

海自艦艇というのは究極の職住一体なので、そこでの人間関係を含めて
さぞかし過酷な任務なのだろうなと想像せずにはいられません。

旧海軍の頃から「上陸」というのは大変貴重で彼らの精神的支えとなっていました。
一番キツイ罰直が「上陸禁止」であったり、ネズミを捕まえたら上陸を増やしてもらう
という褒賞としての「ねずみ上陸」という制度があったり、という史実からも明らかです。

海軍が自衛隊となり、軍艦が自衛官となっても、上陸が彼らの熱望であるのは同じ。 



後から調べると、わたしたちが掃海母艦「ぶんご」の給油を見守ったのは、
日向灘を臨む「桃源郷岬」というところからでした。
ちょうどこの岬の先に「檳榔島」という可愛らしい島があるのですが、
給油の写真にはその島影がちゃんと写っています。

普通なら決して見ることのできない掃海母艦の海上給油の光景を、
少し遠いとはいえ何時間も見守ることのできたこの半島は、
わたしたちのような人間にとって、「桃源郷」とまではいきませんが、
わりといい線いっているネーミングであると後で意見を確認し合いました。

写真は「ぶんご」お母さんからご飯をもらって出航したあとの「つしま」ですが、
このあと、わたしたちは「つしま」と岸壁で遭遇しました。



宮崎ってやっぱり食べ物最高、と認識したトンカツ屋での食事後、
わたしはミカさんの案内で、彼らの繋留してある細島岸壁に車を向けました。

すると先ほど見たばかりの「つしま」と再会。

山の上から見たときは小さく見えたけど、こうしてみるとやはり掃海具を積んで
60人以上の乗員で任務にあたり、住居となっているフネだけのことはあって大きいです。



入港作業はかなり前に終わってしまったようで、甲板には
警衛のための隊員がいるだけでした。

ミカさんは掃海隊員を見ると必ず挨拶の声をかけ、何人かは
顔見知りらしく会話を交わしていましたが、「つしま」のような横須賀の掃海艇は、
やはり都会のフネのせいなのか、皆さん対応が比較的「クール」ということでした。



この「うくしま」の補給作業も山の上から見ていましたっけ。
「うくしま」の前には、近所の保育園の先生たちが子供を連れて
入港した掃海艇を見に来ていました。

ミカさんの作品で、昼間に入港してきた掃海隊を、子供たちが自衛艦旗を振って
お迎えしているという大変感動的な写真をみたことがあるのですが、
毎年秋に掃海部隊の訓練が行われるこの地域では、町をあげて彼らの入港を
歓迎するのが恒例となっているそうです。

自衛艦というのは究極の自己完結団体ですから(笑)、寄港しても
旅館に泊まったりするわけではありませんが、その代わり彼らは必ず
寄港地で上陸してそこで飲み食いするわけです。

7つの部隊、20数隻の自衛艦(大きな掃海母艦2隻含む)に乗っている
隊員の数だけでざっと1000人の人間が2週間の間買い物や飲食をおこなうので、
受け入れる町の方も経済効果的にも結構ありがたいイベントであるわけです。

何より、11月後半の2週間というのが暦の上で決まっているため、

「ああ、また今年も掃海隊がやってきたか」

と風物詩のように地元の人々にはとらえられているのかもしれません。




子供たちと自衛官とで「うくしま」前の記念撮影です。
制服の自衛官のうち腕章をつけているのは次の日報道陣の
アテンドをしてくれた広報の隊員であったと記憶します。

翌日の訓練終了後、この方がカートを引いて駅前を歩いているのを目撃したのですが、
どうやらメディアツァーのためにわざわざどこかからか(多分横須賀)来たようでした。



写真を撮り終わって、「ばいばーい」しながら帰っていく保育園軍団。



右側の可愛らしい軽自動車は、わたしが駅前で借りたものです。
Jーネットレンタカーといって、楽天の画面で決算できる業者で、
まるまる1日半借りて8000円くらいでした。安い。

しかし、片側一車線の高速を走行していて、追い越しゾーンが来たので
いつもの癖で追い越しをしようとしたら、全く加速しないのには驚きました。
軽で追い越しなんかするもんじゃないですね。(´・ω・`)

タクシーが何台か泊まっていますが、上陸の隊員待ちだったり、
隊員が町に出るために電話で予約したりした車です。
タクシーにとっても、交通に不便な港と繁華街の往復に隊員が利用するこの時期は稼ぎどき。

おばあちゃんに抱っこされて船を見に来た女の子は、なんとバイキンマンの被り物。
あえてアンチヒーローのファンになるあたり、将来有望(何が)かもしれん。



「クール」(もう少し違う言い方だったけど)と評された「つしま」の艦上には
二人しか人が見えません。

皆もうすでに上陸してしまって、当直以外はいないのかもしれません。



防眩物も、掃海艇のそれはとってもミニサイズ。
観艦式の時に目撃した護衛艦の防眩物の5分の1くらいでしょうか。

「つしま」は掃海「艇」ではなく、掃海「艦」です。
何が違うかというともちろん、大きさ。
「えのしま」型掃海艇が排水量570トンに対して「やえやま」型掃海艦は満載排水量1200トンですから、
ざっと二倍違うことになります。

乗員定数も「やえやま」型が60人、「えのしま」型は48人。
掃海艇はまさに学校の「1クラス」より少し多いといった規模ですね。




艦腹の木目が綺麗に見えていますが、「つしま」の艦体素材は
ベイマツ・ケヤキ・タモなどです。
いうまでもなく機雷に感応しないように木材が使われているわけですが、
「えのしま」型掃海艦からはFRP素材が使われています。



こちら「ひらしま」。
「えのしま」型の少し前の型で、木製の掃海艇ですが、途中で
「えのしま」のFRP素材に移行することが決められたため、3隻で調達は終わりました。

「ひらしま」の名前の由来は沖縄本島と屋久島の間にある「平島」ですが、
旧海軍の敷設艇(機雷や水中用具を敷設する)「平島」から見て二代目ということになります。



戦後自衛隊の敷設艇にあたる掃海艇の命名基準が「島」であることと、
海軍の敷設艇が「平島」であったということは関係があるのかどうかわかりません。

岸壁では地元の人が隊員をつかまえて話に興じています。
今回、訓練を見学することだけは決まっていたのですが、日程が決まったのは
わりとぎりぎりのことでした。
いくつかある漁港と商業港、どこに自衛艦が寄港するのかを含めて、
すべて自衛隊が現地の漁協に地元の船の都合などと照らし合わせて
決めることになっているので、こうなのだそうです。

訓練をするのも、地元の協力なくしては何も進まないということのようです。



掃海隊を撮った写真集をミカさんが下から渡し、皆で拝見。
このあと、紺色の作業服の偉い人の「鶴の一声」で写真集納入決定!



「すがしま」型の11番艦、「ししじま」の横に、同じ佐世保の12番艦「くろしま」
が入港して付けてきました。
末っ子二人同士なのでこういうところでも並べて繋留するんですね。



護衛艦は入港の時に曳船の協力を必要としますが、
掃海部隊は基本的に母船以外は曳船いらずです。
それというのも彼らにはバウスラスターという動力装置が付いていて、
横に動くことができるからです。

掃海艇のスラスターは、この写真を見てもわかるように、波が横一線に出ている
この部分にトンネルのようなスクリューが縦についています。

ちなみにクルーズ客船などはスラスターを大量に付けていて、着岸の際
できるだけ時間をかけないようにしているそうです。
そりゃ客船で護衛艦の時のような着岸をやっていたらお客さんはイライラするし。


今回の訓練では、参加鑑定の間で戦技を競って優秀艦を決めるのですが、
その点数の付け方というのは各部にわたり、例えば服装の乱れがないかとか、
出される食事がどうとか、衛生面はとか、そういうことまで採点されるのだそうです。



驚いたのがこれ。
ゴミの出し方、みたいなアナウンスが聞こえたと思ったら、瞬く間に
ゴミ袋が大量に岸壁に降ろされてきました。

これには写っていませんが、このゴミ出しの一団の中に、黒い服を着て
チェックリストみたいなのを持った人たちが混じっています。

後から聞いたのですが、このリストを持っている人は横須賀の
そういった専門部署の採点官のような人たちで、出されたゴミが適切に
まとめられているか、地方(ここでいうと宮崎市)自治体の規定通りに
ちゃんと分別仕分けできているかをチェックするためにいたのだそうです。

「え・・・もしかしたら、ちゃんと分別されているか、中も見るんですか」

わたしが大いに驚いてこれを話してくれた司令に聞くと

「もちろんです。中を開けてチェックします」

とのことでした。
まるで町内会の口うるさいおじさんのようなことを任務の一環で行っている、
というのも驚きですが、ゴミの出し方に点数をつけられる世界だったとは・・。

自衛隊、まだまだ外の人間には計り知れないことがありすぎのワンダーランドです。


続く。