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パイロット適性検査における人相学

2010-06-18 | 海軍

搭乗員の話を読んでいると、そこここで
「搭乗員の適性検査に、骨相を見るそうだ」
「人相を見ると言うが、どんな人相が向いているのかみんなで話し合ったが分からなかった」
という記述を目にします。

今日は、適性検査に人相学が導入されていた(らしい)というお話。

1941年、海軍省の支援で制作された映画「空の少年兵」には、
パイロットの適性検査の様子が最初に出てきます。
それにしても少し驚くのが、父兄が心配そうに廊下や外から窓越しに見ていること。
見学可だったんですね。

「さまざまな科学的方法で適性が検査される」。
回転いすに座ってぐるぐる回された後、立ってまっすぐ歩かされるのも科学的方法だったようです。
映画に写っている受験生、一瞬ふらふらっとよろめいています。
p(・∩・)qガンバレ!
この映画は、霞ヶ浦航空飛行隊の飛行予科練習生を描いたドキュメンタリーですが、
ちなみに予科練の適性検査について少し書くと・・

年齢は15歳から17歳。
高等小学校終了を乙種、中学三年修了を甲種といいました。
検査は、学力に加え、視力、聴力、肺活量、
背筋力(この映像もあります。操縦桿のようなバーを引っ張らされていました)
などの身体検査のほかに、回転いすぐるぐるのような平衡感覚のテストもありました。

さて、冒頭の「人相」についてです。
なぜこのような風評があったかについて、これが元ではないかと思われる記事を発見しました。

海兵51期の豊田隈雄大佐の回想です。

豊田大佐がパイロット養成の仕事で海軍省の人事局にいたときのことです。
山本五十六長官が、パイロットの適性を見るという人相見を連れてきたことがあったそうです。
豊田大佐たちは「近代科学の先端を行くパイロットを選ぶのに人相見とは・・・」
とあきれました。

しかし、この水野義人という人相見の観相、無茶苦茶当たるのです。
豊田大佐が人事秘密で持っている書類の判断とほとんど変わらないようなことを、
ズバズバ言い当てるのだそうです。

水野氏は、当時あまりに航空事故が多いので、適性の無い人間を採用しすぎているのではないか、
と思った大西瀧治郎中将が連れてきた人物でした。
 しかし、あまりの胡散臭さに、みんな半信半疑。
山本五十六長官、証明するため海軍省に士官を集めて実験をします。

「この中にパイロットがいるが、誰がそうかわかるかね」
水野氏、端からびしばしと当てていきます。
ほぼ正解。
すげええ(@_@;)

皆が心の中で唸ったとき、
「私も飛行機乗りなんだがね(-_-メ)」
とたった一人指名されなかった士官が言いました。

しみじみとその顔を見た水野氏

「あなた、お上手ではないですね」
        「あなた、お上手ではないですね」                     
                      「あなた、お上手ではないですね」
                                                「あなた、お上手ではないですね」        (エコー)

と言いました。
一同爆笑。アヒャヒャ(´∀`(´∀`(´∀`(´∀`)アヒャヒャ

その一人は操縦が下手で、よく飛行機を壊す人だったのです。
これで、水野氏の海軍省嘱託がめでたく決定しました。

嘱託が決まった、と言う割に、それがどのように実務に反映されたかということについては
さっぱり記録がありません。
あくまでも部外秘の情報で「これこれこういう人相の者はパイロットに向かず」みたいな資料
(人相手配書付き)をもとに面接官の判断で決めてたんでしょうか。

・・と思ったら、こんな方の回想を見つけました。

第十四期予備学生出身の荒井敏夫元海軍上飛曹はこの骨相学で適性を見られたという方。
土浦で基礎教程を終了し、適性検査のとき、実際に骨相見が登場したそうです。
これが水野氏その人だったのかどうかは書かれていません。
やはりこの方もその「旧態依然に呆れた」と言いながらも、◎印を貰ったことについて
「なんと数少ない最適の栄誉を受けたものである」
と、誇らしげに語っておられます。
当時の荒井上飛曹の写真、どこかで見られませんか?



(参考:聞き書き 日本海軍史 戸高一成著 PHP研究所、零戦よもやま物語 光人社NF文庫)


追記:今気づいたのですが、今週末の零戦の会は、なんとこの
荒井上飛曹のお話を聴く会ではないですか!
アメリカ出発の直後なので、今回は行けないのを残念に思っていましたが、
荒井上飛曹のご尊顔を拝見するためだけにも、行きたかった・・・・。