ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画「大東亜戦争と国際裁判」〜終戦から東京裁判開廷まで

2021-01-19 | 映画

新東宝映画、「大東亜戦争と国際裁判」二日目です。
大東亜戦争をかいつまんで説明していくスタイルは、まるで
おさらいをしてもらっているような感があります。

高校の日本史の授業で見せたらいいのではないかとふと思いました(提案)

さて、アメリカ大使館がクレームをつけた部分は他にもあって、
それはハルノートに続き、日本大使館が最後通牒を手交するのに手間取り、
その結果攻撃が先になってしまった(攻撃より1分でも早ければよかったわけです)
というシーン。

「日本の行動を正当化する以外の何ものでもない」

という理由で削除を求めてきたそうです。

正当化も何も、大使館の事務ミスが結果的に最後通牒なしの攻撃になったのは
歴史的な事実であるというのに、削れとはいかなる言い分でしょうか。

しかし、制作側はこれを飲んだらしく、大使館がタイプに苦労するシーンは
かなり詳細に描写されていたにもかかわらず、全てバッサリカットされました。
(大使館員役の人が気の毒・・)

 

さて、前回の部分で描かれた如く、開戦以来日本は押せ押せのイケイケでした。
その頃、近衛元首相邸に吉田茂元駐英大使が訪問しています。

「今こそ平和交渉のチャンスと考えます」

この吉田茂役、そっくりでしょ?
似ている俳優がいなかったのか、一般公募で選ばれた素人さんです。
確かにそっくりですが、映像を見ると音声と口が全く合っていません。

素人の悲しさ、セリフどころか発声ですら全く話にならず、
こっそり吹き替えしたのではないかと思われます。

吉田は勝っている今こそ和平工作を行い終戦させるように勧告しますが、
イケイケの軍部(そして何より国民)の前には、近衛ならずとも
何も動かすことができなかったのは歴史の示す通りです。

■ 反撃

しかし、ここまで劣勢だったアメリカが情勢を転換させる
乾坤一擲の打開策として、帝都東京を爆撃するという
「ドゥーリトル爆撃」を慣行したのでした。

こちら帝国海軍旗艦「大和」では、聯合艦隊司令長官山本五十六(竜崎一郎)
東京空襲をすなわち米軍の反撃が始まった、と呟きます。
そして威儀を正し、

「陛下の御ためにもなんとしても早期決戦として敵の空母を叩く」

そう、日米戦の勝敗の転換といわれるミッドウェイ海戦に突入するのです。

聯合艦隊は出撃直後、米潜水艦によって発見され、

日本機動部隊がミッドウェイに向かっていることが知られてしまいました。

アメリカ空母機動部隊はすでにミッドウェイ周辺になく、
日本機動部隊は待ち受けた罠の中に突っ込み、
開戦以来の死闘を余儀なくされた。(とナレーター)

結果、聯合艦隊は大型空母4隻を始め、機動部隊の主力を失い、
ここで大東亜戦争は文字通りの転換期を迎えてしまうのです。

そして、戦いの前線はソロモン群島に移りました。
ガダルカナル島をめぐっって死闘が繰り返される中、

山本長官はラバウルにあってアメリカの反攻を食い止めんと
陣頭指揮にあたりましたが、

無線を解読したアメリカ軍は、ワシントンのノックス海軍長官直々の
「山本を葬れ」という指令の下にP-38で長官機を待ち伏せ、
これを撃墜して我が方は聯合艦隊司令長官を失います。

その後相次ぐ敗戦に、鈴木貫太郎首相は終戦を工作しますが、
本土決戦を望む軍部はそれを退け、戦局はより絶望的な道を辿ることに。

 

このあと戦況は日を追うにつれ悪化し、サイパン島陥落後、
東條内閣は解散に追い込まれました。

アメリカの映画や漫画などで、ヒトラー、ムッソリーニと並んで
東條がまるで彼らと同じ独裁者であるかのように登場することがありますが、
任命された総理であり、政治結果を問われれば
更迭される身分であることを
ほとんどのアメリカ人は知りもしなかったということになります。

そして追い込まれた日本は取ってはならない戦法、特攻を選んだのでした。

特攻隊の隊長がなぜか丹波哲郎。

人間魚雷といわれた「回天」も、若い命を乗せて散っていきました。

天一号作戦で生還を期さぬ戦いに赴く戦艦「大和」の
艦長有賀幸作中佐(菊池双三郎、似てない)。

軍令部次長、第二艦隊司令伊藤誠一中将(船橋元
どちらかというとこちらの方が有賀っぽい?)。

なぜか大和副長能村次郎大佐に天知茂が!

と、惜しみなくちょい役に有名どころを使っている当作品です。
ちなみに、本作登場人物は述べ5千人に上ります。

大和の三人はセリフがなく、双眼鏡をのぞいているだけの出演です。

そして世界最大の不沈戦艦大和は九州南西海上に至るや、三時間の猛襲ののち沈みました。

それは同時に日本海軍の最後でもありました。

 

聯合艦隊を失い、サイパン、グアムを落とした日本本土には
連日のB-29により都市爆撃が襲いました。

「都市と一般人を攻撃することで国民の戦意を失わしめる」

というドゥーエの理論そのままに・・。

米英ソ三国が突きつけてきた、日本に対する無条件降伏の勧告、
三国共同宣言について首脳会議が行われました。

「日本から軍国主義を排除」

「日本領土を北海道、本州、四国、九州に限定」

「軍隊の武装解除」

東郷外相はこれを受け入れるべきという考えでしたが、
徹底抗戦を訴えたのが阿南惟幾陸相(岡譲司)でした。



米内光政海相(坂東好太郎)は受け入れ派です。

しかしそんなことをやっている間に、
アメリカは世界初の原子爆弾を広島に落とし、
一瞬にして三十万人の非戦闘員を殺傷しました。

三日後には長崎にも。

ソ連が日ソ不可侵条約を破って満洲に侵攻してきたのも同じ8月9日でした。

そしてついに天皇陛下のご聖断がくだりました。
日本はポツダム宣言を受諾する旨鈴木首相が閣議で告げたその夜、

つまり8月14日、阿南陸相は自宅で切腹による自決を遂げます。

8月30日、連合軍最高司令官マッカーサーがバターン号で厚木に到着しました。
彼曰く「私の国」を勝者として統べるためです。

9月2日、東京湾上の「ミズーリ」艦上で日本の降伏調印式が行われました。

降伏文書にサインする重光葵。

占領軍の総司令部はお堀横の朝日生命ビルに置かれ、
直ちに占領政策を進める一方、勝者が敗者を裁く、
軍事裁判を行うための準備を進めました。

戦犯第一号として逮捕が指示されたのは東條英機でした。

東條は妻と娘に、実家に帰っているようにといいます。

「アメリカが自由に発言する機会を与えれば、
わしは堂々と所信を述べて戦争の責任を取る。
しかし、晒し者になるようなら覚悟はできている」

そのとき、表にジープや車がやってきました。
連合国が身柄を確保に来たのです。

東條は夫人と令嬢を裏木戸から出るように促し、
兼ねてから覚悟のとおり引き出しの銃を取り出しました。

監督は登場夫人に話を聞き、その時の会話もほとんど
そのとおりに再現していますが、夫人からは

「米軍は(脚本に書かれているより)もっと荒っぽかった」

と指摘されたので、東條が自決を図るための銃声が聞こえた後は
ドアを足で蹴破るなどの演出をした、とノートにはあります。
(しかし実際にはそのようなシーンはない)

元々の脚本では、東條はこのとき、

「儂は間違っておらん・・・戦争は正しかったのだ」

となっており、撮影もされたそうですが、完成時にカットされました。
もちろんその筋の「検閲」に対し自主規制した結果です。

「儂に生恥を欠かすなと伝えてくれ」

映画ではこう切れ切れに苦しい息の下から護衛に告げています。
それにしてもこの角度、東條英機に似てますよね。

妻は生垣に屈んで、銃声が聞こえた時に
早く楽に逝かれますように、と唱えていたそうです。

その後、戦犯の逮捕が始まりました。
東條は命を取り留めましたが、米軍はこれを失態と感じ、
とにかく生きて捕らえることを至上命令としました。

近衛公(高田稔、似てる)

弟は指揮者の近衛秀麿ですが、ヨーロッパで指揮者として活動していた頃、
ナチス嫌の彼は、たびたび彼らの意向を無視し嫌がらせを受けていました。

ある日、総理となった文麿が電話で

「ドイツ大使館からお前のことで文句いわれている。
総理の面子を保つため、お前ナチスの言うことを聞いてくれないか」

と言ってきたのに憤慨し

「弟が自分の信念を貫くために苦しんでいるのに、
そんな言い方はないだろう!」

以後、終戦になるまで文麿と秀麿は音信不通だったそうです。

次男(和田孝)が裁判の公正性から、父が罰せられることなどない、
と希望的観測を述べるのに対し、近衛は
自分の責任を痛感している、と眉を曇らせます。

おそらく彼はこの裁判に「正統性」などないことを知っていたはずです。

ここにいるのは次男ですが、近衛の長男はこの頃
シベリアに抑留されており、抑留中病死しています。

だからこそ裁判の前に自死する道を選んだのでしょう。
ドイツから帰国した弟の英麿は、兄が自殺するのではないかと
薬物を捜索したものの見つけることができず、
安心して隣の部屋で寝ていたら死んでいたということです。

青酸カリは風呂の中にまで持ち込んで見つからないようにしていたものでした。

小森監督は近衛文麿夫人にも直接話を聞いています。

戦犯指名された人々が収監されていた巣鴨拘置所はこの映画公開1年前、
最後の戦犯が釈放され、閉鎖されたばかりでした。

その後取り壊され池袋サンシャインシティになったのはご存知の通り。

ですから拘置所内部もかなりリアルに再現されています。

日本人被告たちの弁護団の会議が行われています。
その弁護方針について林逸郎弁護士が説明します。

1、日本が侵略者ではなかったことを証明すること
2、何を置いても天皇陛下への訴追がなされないようにすること

ここでアメリカの検閲に備え、当初の脚本になかったシーンが挿入されました。
弁護人島津久大(江川宇礼雄)が、国家弁護には限りがあるから、
個人の刑を軽くすることに注力すべきだと異論を唱えるのです。

それに対し林逸郎弁護士(沼田曜一)は、

「あなたは国家弁護をしないで個人の弁護ができると思いますか」

すると顔を硬ばらせて、島津弁護士は

「あなたは幾千万の血を流した今度の大東亜戦争が
正しかったと思ってるんですか」

実際に島津弁護人がこのようなことを言ったという記録はありません。
児島譲の「東京裁判」でも読んだ記憶がありません。

これに対し、戦争そのものを正しかったと思う人間はいない、しかし、
国家にも自衛権があるはずだという林に対し、島津は嫌悪感をあらわにします。

これもまた、「戦争の美化、正当化を否定する登場人物」を加える、
という配慮のもとに付け加えられたシーケンスです。

日本人弁護団団長清瀬一郎弁護士(佐々木孝丸・全然似てない)が一言。

「どちらかを優先させるということでなく、あくまで法律の立場から
今度の戦争の真の原因とその責任の所在の限度を明らかにすることが必要です」

本当に起こった論争ではないので、このセリフは創作となります。
でも、一言言わせてもらうならば、限度は向こう(勝った方)が決める、
つまりこちらにそれを明らかにする権利はないのでは?

限度をできるだけこちらの立場に有利に勝ち取るのが弁護人の仕事ですよね?

さらに、児島㐮の「東京裁判」によると、個人弁護に反発したのは
「軍人嫌い」だった滝川政次郎法学博士だったとされています。

実際の弁護団の弁護方針が一致しなかったというのは事実通りです。

いよいよ市ヶ谷において極東国際軍事裁判が開廷されました。
陸軍士官学校の大講堂が法廷に使われ、そこは一部のみ現在の場所に移設され、
市ヶ谷記念館として一般公開されています。

開廷したのは昭和21年5月3日。

国家指導者というカテゴリを意味するA級戦犯として
軍事法廷で裁かれるのは全部で28名となりました。

清瀬一郎、林逸郎を始めとする日本人弁護団。

入廷する被告たちの家族も来ています。
撮影は実際に市ヶ谷大講堂で行われたのではないかと思われます。

連合国判事が入廷する中、一人落ち着きのないのが
ご存知大川周明(北沢彪)

「パジャマをシャツがわりに着込み、鼻水をたらしたまま
只管合掌しているかと思ったらボタンを外して胸をはだけ腹を出した」
(児島㐮:東京裁判)

開廷の宣言を行ったのは法廷執行官である
D・バンミーターアメリカ陸軍大尉です。

裁判長であるオーストラリアのサー・ウィリアム・ウェッブ
(W・A・ヒューズ、割と似てるけどイケメンすぎ)が、
開廷の辞を述べました。

「しかしながら彼らがどんな重要な地位にあったにせよ、それがために
最も貧しき一日本人兵卒、あるいは朝鮮人番兵が受ける待遇よりも
より良い待遇を受けしめる理由とはならない」

このときの有名な一節は、法に仕えるものが憎悪と復讐の感情で
裁判に臨んでいる、と取られ、米人記者ですら不快と取れる論評を残しています。

裁判が始まるなり事件が起きました。
挙動不審だった大川周明が、東條の頭を音が出るほど叩いたのです。

映像に残されているのは1回目で、軽く叩く程度であり、
東條は振り返って苦笑いしているのですが、2回目は
大川を笑わずににらんだ、と記録にはあります。

「インディアン、コメン・ジー!(ドイツ語で”こっちこい”)

このあと精神鑑定を受け松沢病院に入院した大川は、
インタビューに来たアメリカ人記者に滑らかな英語で

「アメリカは民主国家ではない。”デモクレイジー”だ」

といい、記者もケンワージー憲兵中佐も笑い転げました。

入院中彼はコーランの聖典の翻訳を見事に完了し、
月・英語、火・ドイツ語、水・フランス語、木・中国語、
金・ヒンズー語、土・マレー語、日・イタリア語でしか話さず、
精神疾患は詐病ではないかと疑いを持たれていましたが、
正式な検査により、梅毒が「脳に回った」精神障害であると認定されています。

裁判は続いて罪状認否に移りました。

 

続く。

 

 


映画「大東亜戦争と国際裁判」〜開戦前夜から日本の進撃

2021-01-17 | 映画


年明け早々に取り上げる映画としては少々重たすぎるという噂も一部でありますが、
今アメリカが激動しているので、歴史を静かに振り返るという意味で、
ディアゴスティーニ配信の「戦争映画コレクション」の中から
あえて「大東亜戦争と東京裁判」を選んで観てみました。

 

実在の人物がそのままの名前で登場する「歴史もの」ですが、見たところ
前半の大東亜戦争部分にも(この名称をあえて掲げていることをとっても)
70年代以降の戦争映画に見られる
自虐史観に染まった
「日本軍悪・戦死した人犬死・国民被害者」の傾向は全くありません。

考えるまでもなく戦後の左派映画人の思想を形成したのは、他でもない、
この
東京裁判から生まれた自虐史観であるわけですが、この頃は
まだ「戦中派」が社会の大勢を占めていたこともあるでしょう。

いわゆる東京裁判史観とかGHQのWGIPなどが効力を持ってくるのは、
これによる教育を受けた戦後世代以降です。

 

全体を通して観ると、批判や同調を極力排したうえで淡々と歴史を語り、
裁判の経緯と出来事を紡いでいくという映画の姿勢には共感が持てました。

そして多少でも大東亜戦争とその後における東京裁判のことを知っている人なら、
逆に退屈してしまうというくらい淡々と語られているわけですが、
制作段階からなぜか批判が噴出しました。

火付け役は安定の朝日新聞です。

「第二次世界大戦の日本の立場を正当化し、
侵略戦争犯罪人たちを偶像化する試み」

という記事をまず掲載し、それが告げ口となって、アメリカ映画輸出協会からは
映連に制作意図に対する質問が送られてきました。
これ、どこかで見た構図ですね。

質問書の要旨は次のとおり。

「同作品の制作意図を明確にされたい」

「登場人物は実在の人物が多いがその取り扱いはどう処理しているか」

「噂では国際裁判は不当と一方的にアメリカを非難する意図があるがその点はどうか」

そして、映連は以上の事項に対してどのような脚本上の処理を行っているか、
とまあ、詰め寄ってきたわけです。

これを受けて映連は粛々と映倫による審査にのっとり、

「国際的に好ましくない点」

「日本人が交戦的に見える点」

がないように訂正を行い、その訂正後の脚本をアメリカ映画輸出協会と
アメリカ大使館に送付し「許可を得た」のち撮影を開始しています。

言論統制がまだ生きていたってことですね。

このような度重なる「検閲」騒ぎが、日本の映画を自主的にマスコミやアメリカに
「迎合する」ような
自虐的傾向に導いていったことは歴史にも明らかです。

自主規制の結果どこがどう変更になったかについては、DVDに付属されていた
鈴木宣孝氏の解説をもとにストーリーに沿って解説していきたいと思います。

 

 

それでは見ていきましょう。
極東国際軍事裁判を「国際裁判」としています。

結構有名な俳優が一瞬しか出て来なかったりする
ある意味豪華キャストです。

当時の「中国」は中華民国ですので念のため。

東京裁判で日本を裁いた連合国の旗が順番に映し出されます。

これどこの旗でしたっけ。
バミューダのとしか思えないんですが・・。

東京裁判で実際に重光葵の弁護をした、このブログではおなじみ?
ジョージ・ファーネスは、最初自分から本人役としての出演を希望していましたが、
脚本の英訳がずさんだったせいで(噂ですが)、実際の脚本も
いい加減な映画だと思ったのか、辞退してきたと言われています。

「地球防衛軍」でファーネスと共演したハロルド・コンウェイ
オーストラリアのウェンライト中将にキャスティングされていたのですが、
こちらも辞退してきたため、仕方がないので「ポロック」とか「オスマン」とか、
・・つまりトルコ人やロシア人を起用する羽目になりました。

結果英語が通じない現場となり、スタッフは頭を抱えることになったようです。

■ 開戦前夜〜東條内閣誕生

日本が国内不況に困窮し満洲に新天地を求めるうえで
大陸に武力進出、これらの地域に権益を持つ欧米が
それを阻止するために蒋介石政権を助け、いわゆるABCDラインを引き、
在外資産の凍結などを行って日本を「坐して死を待つか戦うか」
の状態に追い込んだ、といきなり説明が入ります。

中国大陸に進出する帝国陸軍の・・・・シャーマン戦車? ヾ(・_・`)ォィォィ

小森白監督は、当時のインタビューで

「ABCDラインをはっきり打ち出し経済封鎖を強調するのも
日本の自衛戦争という点をはっきりしたいからだ。
裁判の結果でも分かる通り、アメリカも自衛をある程度認めている」

「映画は日本人が作っているものだからアメリカ人にとっては
イヤな面も出てくるだろう。
しかし、それと反米的とは話は別じゃないか。
外部の圧力で演出を変更するつもりはない。
アメリカで騒ぐとすれば古傷に触られるからじゃないかな」

となかなか骨太なことを言ってのけていますが、
実際にはアメリカ大使館からは、いくつかの「改変申し入れ」があり、
制作はある程度の接点を見つつ変更がなされたというのが事実です。

1929年から現在のものに機能移設するまで使われていた首相官邸。

ルーズベルト政権が突きつけてきたいわゆる「ハル四原則」、

 1.全ての国家の領土保全と主権尊重
 2.他国に対する内政不干渉
 3.通商を含めた機会均等
 4.平和的手段によらぬ限り太平洋の現状維持

を開戦を避けるために飲むかどうかについて近衛内閣では意見が紛糾しました。

1と2は要するに中国から手を引けということですが、
映画では海軍大臣(及川古志郎ー若宮隆二、割と似てる)に、

「経済的なことを考えると飲むべき」

と言わせ、それに対して陸軍大臣の東條英機が

「アメリカの意図は中国より日本の東南アジア進出の阻止にある。
平和的解決は無理である」

と反対意見を述べています。

東條英機を演ずるのは嵐寛寿郎
彼は脚本を読んで、東條が英雄として描かれておらず、
むしろ人柄を忠実に表現していると感じ、演技においては
美化した人物と見える危険性にたいし慎重に取り組んだと延べています。

近衛首相が

「開戦は避けられないというのか」

というのに対し東條は

「わたしは戦争を欲するものではないが、陸軍としては
同胞の血を流した中国から撤退することは承服しかねる」

と答えます。
しかし大陸撤退をめぐって結局近衛内閣は瓦解しました。

その後、首班指名のために宮中において行われた重臣会議では、
やはり名前のあがっていた宇垣陸軍大将では陸軍に対する押さえが効かないので
東條英機を陸軍大臣にするという決議がなされました。

真ん中が木戸幸一侯爵(大原譲二)
白髪に染めたつもりがなぜか茶髪になっています。

東條では戦争に舵を切ってしまわないか、と危惧するのは
廣田弘毅(清水将夫)

実際の廣田は東條の「開戦やむなし」発言に対しては
「諒となした」とする説があるかと思えば、一方では

「危機に直面して戦争に突入というのはいかがかと思う」

と言ったという説もあります。

いずれにしても、彼が首班に立てば、自らが軍を押さえ、
事態を収集しようと務めるであろう、と重臣は東條の指名を決議しました。

「私が東條大将を後継内閣首班に推薦いたしたいと思います」

このとき、周りが東久邇宮稔彦王を首相にしようとしていたのを、
木戸侯爵はほとんど独断で東條を推し、天皇の承認を取り付けたという話もあります。

早速号外が配られる銀座の町。

■ 日米交渉決裂

アメリカが四原則を突きつけている中、難しい舵取りを
東條は引き受けたのでした。

東郷茂徳外相(林寛)が、日米交渉における我が方の意を説明します。
甲乙二案がこの段階で出されていました。

歴史家の間では、この甲案乙案が日本の運命を決したと言われます。

甲案:

1、通商無差別問題;これがまた全世界に適応されるなら我が国も承認する

2、三国同盟問題;自衛権のみだりな拡大をせず日本独自の立場より決定し行動する

3、中国大陸撤兵問題;和平成立後2年以内に撤兵を完了

2は、独伊がたとえばアメリカと戦争になった場合も干渉しないこと、
というアメリカ側の要求に対する答えです。

この甲案で交渉が妥結しなかった場合、戦争の危機を回避するため用意されたのは乙案。

乙案:

1、日本・アメリカ両国は仏印以外に武力的進出を行なわない

2、両国は蘭印において物資獲得が保障されるように相互協力する

3、両国は通商関係を在アメリカ日本資産凍結以前の状態に復帰させる

4、アメリカは日本・中国の和平の努力に支障を与える行動をしない

4点が成立すれば南部仏印に駐屯する日本軍は北部仏印に引き揚げる

しかし来栖大使の日米交渉は遅々として進まず・・。

アメリカはこれをはねつけてきました。

「いよいよデッドロック(手詰まり、膠着状態)ですか・・・」

そこに非情にも日本を抜き差しならぬ状態に追い込む
ハルノートが突きつけられてきたのはご存知の通り。

内容は、例の四原則に加え、支那、満洲、仏印より
軍隊を無条件で即時撤兵すること、満洲政府、南京国民政府の否認、
三国同盟条約の死文化などなど。

日本にとっては国を差し出せというようなものです。

「中国からの即時撤兵ができないことはアメリカは百も承知のはず」

つまりアメリカはABCD連合で日本を葬ろうとしているのだ、
これはアメリカの日本に対する最後通牒と杉山陸軍参謀総長(松下猛夫)

この杉山参謀長もDQN風味の見事な茶髪です。

このハル・ノートがどれほど挑発的なものであったかは、対米協調主張してきた
東郷でさえ、

「これは日本への自殺の要求にひとしい」

「目がくらむばかりの衝撃にうたれた」

と述懐していることからもお分かりいただけるでしょう。

東條は中国大陸に固執していた陸軍大臣の時と違い、首相任命の際、
天皇から対米戦争回避に力を尽くすように直接指示されたこともあって、
それまでの開戦派的姿勢を変えていました。

しかし、日米交渉はルーズベルト政権の強硬な姿勢によって決裂し、
御前会議を経て日本はついに戦争の道を選ぶのです。

ちなみに、映画製作の際、当時のアメリカ大使館は、このハルノートが
日本を追い詰めたという表現さえ、

「日本の行動を正当化している」

と非難してきたということです。

当時はまだ日本はアメリカの占領下で言論の自由はないと彼らは考えていた節があります。

■ 開戦

そして日本はついに立ち上がってしまいました。
翻る海軍旗、そして高らかに鳴り響く行進曲「軍艦」。


日本海軍の軍艦がこれでもかと画面に現れます。
昭和34年当時なら、まだ軍艦に乗っていた人もたくさんいて、
おそらく彼らもこの映像を目にしたことと思われます。

本作品はカラーですが、戦中の実写映像が白黒であることから
戦中を表す部分はすべて白黒で撮影されています。

真珠湾攻撃に向かう我が機動部隊(と言われている映像)

これは空母から離艦した飛行機から後部を撮影したもので、
尾翼越しに赤城かもしれない空母が写っています。

空母の艦首には菊の紋章がはっきりと認められます。

そして東京裁判で永野修身が

「軍事的には大成功だった」

というところの真珠湾攻撃が行われたのでした。

首相官邸で開戦の詔勅を発表する東條英機。
東條在任中のときのみ、首相官邸にはラジオ演説を行うための部屋があったそうです。

海軍はその後イギリス海軍の「プリンス・オブ・ウェールズ」
「レパルス」を沈没せしめ、ここに
東洋艦隊は壊滅しました。

このことはチャーチルに茫然自失というくらいのショックを与えました。

こちらは日本陸軍が陥落させたシンガポールです。

マレーの虎と言われた山下奉文大将(小林重四郎)
パーシバル中将(J・P・A・ロビンス)の会談中。

降伏を受け入れるかどうかという質問に対し逡巡するパーシバルに、

「イエスかノーか!」

有名になったこの話ですが、本人は

「敗戦の将を恫喝するようなことができるか」

と否定し、むしろ話が一人歩きしていることを気にしていたといわれます。

実際は「降伏する意思があるかどうかをまず伝えて欲しい」という趣旨を、
通訳が分からないことに苛立って放った言葉が脚色され、
武勇談のようにメディアが書き立てたのだとか。

戦争中のメディアがよくやった手ですが、これが戦後山下大将の無残な公開処刑に
回り回ってつながったのだとしたら、
「百人斬り」並の罪な報道だと思いませんか。

こちらフィリピンコレヒドールに絶賛避難中のマッカーサー大将。(A・H・ヒューズ)
これからPTボートで命がけの脱出を行い、メルボルンに渡ろうとしています。

そのときタイミングよく?司令官室のラジオが
「東京ローズ」の放送を始めました。

「ハロー、バターン戦線の米軍の皆さん。お元気かしら。
あなた方を見捨てたマッカーサーは日本海軍に追われて袋の鼠よ。
すぐに日本海軍はコレヒドールに行ってマッカーサーを捕まえるかもね」

東京ローズを演じているのは、新東宝の社長の愛人だったといわれる
(女優を愛人にしたのではなく愛人を女優にしたという社長の豪語あり)
高倉みゆきです。

「そして皇居前広場で銃殺刑にされるでしょう」

司令部の者が怒ってラジオを切ってしまいますが、こんな放送を
どうして一般のアメリカ兵が好んで聞いていたかというと、

「音楽が良かったから」「声がセクシーだったから」。

娯楽が少ない戦場の兵士の心の隙間を狙った宣撫工作だったんですね。

憮然としたマッカーサーは出発のため立ち上がり、ここであの

I shall return.

をいうのですが、なんか英語の発音がすごく変。

それもそのはず、ヒューズという名前は日本向けの芸名で、トルコ人じゃないですか。

貿易の仕事で日本に来ていて声がかかったのか俳優活動をしていた人で、
このブログで扱った映画の中でも

「潜水艦イ−57降伏せず」外交官

「日本海大作戦」ロジェストビンスキー提督役

あとはクレイジーシリーズに外人役で多数出演しています。
英語と日本語ができたので、エキストラの通訳もしていたということですが、
当時は本当に日本には外国の人材がいなかったんですねえ。

今は飲食店の店員にも普通に欧米系がいたりしますが。

というわけで、イケイケの頃の日本では、
連日連夜の「勝った勝った、また勝った」の提灯行列です。

この映像に満面の笑みで写っている人々のうち、
終戦の日を生きて迎えることができた人はどれくらいいたのでしょうか。

 

 

続く。

 


令和2年度 年忘れイラストギャラリー その3

2020-12-31 | 映画

恒例となった年忘れイラストギャラリーも最終日です。
これが終わると自動的に令和3年へと年が変わります。

それでは映画「Uボート」の続きからまいりましょう。

”J'attendrai "(待ちましょう)

銀行マン出身の軽薄で皮肉屋の「次席士官」を描きました。
士官始め一人一人の乗員に語るべきキャラクターが与えられ、
その言動に感情移入せずにはいられないのもこの映画のいいところです。

そして、艦長が一人の艦長室で調音係にリクエストし、シャンソンの
”J'attendarai(待ちましょう)”を聴くシーンは、わたしの選ぶ

音楽を伴った戦争映画の最も感動的なシーンのひとつ

であることをここに熱く断言したいと思います。

”La Paroma"〜押し寄せる波のように

四日目はUボートの攻撃によって燃え盛るイギリス商船をバックに
機関長を描きました。

シャバに戻ると嘘のように端正な好青年である機関長には、
美しい金髪の妻がいますが、この航海中に彼女が流産したことが
機関長の心を打ちのめしていました。

後半、敵に撃沈されたUボートの命運を握ったのは
彼の知識と問題対処能力、冷静さと諦めない心であったと言っていいでしょう。

艦を生還させる大きな力になった乗員は、機関長の他に
前半敵攻撃でパニクって艦長に銃を持ち出された機関室の「幽霊ヨハン」もいます。

”It's a long way to Tipperari"〜ティペラーリソング再び

原作では「乗員の嫌われ者」であるとされるヒトラーユーゲント上がりの先任。
この若さで先任にまでなっていることは、かれの出世の速さであり、
そのことについては同じ士官同士からも疎まれているというふうに描かれていました。

しかし、原作では映画と同じく語り手である同乗者のヴェルナー少尉が
そんな先任の人に見せない部分を垣間見て彼に共感を持つ、となっているように、
わたしもまた映画の鑑賞者として先任に大変好感を持ったことを告白します。

育ちの良さがある意味仇となって一種の頑迷固陋に陥り、その結果、
自分をその中に閉じ込めてしまい人々に誤解される不器用な人物。
どんな創作物でも主人公より脇役に入れ込んでしまう傾向のわたしには
こんなキャラクターに感情移入するという傾向がどうやらあるようです。

 

今年紹介した「眼下の敵」は、乗員が皆で駆逐艦に聞こえるように
「デッサウアー」を歌うという、

「ドイツ軍が歌って元気になるシリーズ」

の先駆けであったわけですが、この映画におけるそれが
出航してすぐに艦長がこの堅物の先任士官にレコードをかけさせて
皆で歌う「ティペラーリソング」なのです。

2度目の「ティペラーリソング」は、撃沈されて海底で動かなくなった艦を、
乗員たちの必死の努力と、おそらく偶然の力で浮上させ、故郷に帰る航行中、
喜びに沸く乗員たちによって歌われることになります。

そして、艦長もまた艦長室で一人、愛聴歌であるあの「待ちましょう」を聴くのでした。

帰港 ”大公アルブレヒト行進曲”

この映画の「衝撃のラスト3分間」ですが、映画の煽り文句だけではなく
計ってみたらほんとうに3分間なのです。
3分で全てが変わってしまうのです。

航空攻撃というものが瞬間に終わる以上、これは当然のことですが、
Uボートの乗員たちにとってこれはあまりにも非情な運命の3分でした。

タイトルに入れた「大公アルブレヒト行進曲」は、Uボートが入港し
いわゆる凱旋行事のために埠頭にいた軍楽隊によって演奏された曲です。

この曲が終わらぬうちに、上空に敵機が現れ攻撃が始まるわけですが、
演奏していた軍楽隊のメンバーは楽器を持ったまま避難していました。

内容にももちろん力を入れましたが、本作の場合
各登場人物を描くのはとても楽しい作業でした。

♡ おすすめ どなたも一生に一度は是非見るべき映画

 

「怒りの海」〜華府軍縮会議

アップ前からこれはコメント欄がお節介船屋さんの解説で埋め尽くされるであろうと
うすうす(というよりはっきりと)予想していた海軍造船を主題にした映画です。

予想通り、アップされたと同時期に「蕨」が発見されたというニュースなど
多岐にわたって投稿いただき大いに勉強させていただきました。

他の皆様にもこの時代に「海軍いかづち部隊ーアメリカようそろ」なんて映画が撮影されていた、
などというトンデモ情報もお寄せいただいたり(笑)

あらためましてお節介船屋さん、他の投稿者の皆様がたにもお礼を申し上げる次第です。

 

さて、戦争映画数あれど、海軍の造船技術士官、しかも実在の人物を主人公にした作品は
これをおいて他にわたしは知りません。

もっと世間に膾炙してもいいと思うのですが、海軍省後援による
いわゆる「国策映画」にあたるため、戦後の日本ではほぼ無視されていた、
という事情が本作を無名にしているのだと思われました。

初日冒頭挿絵は、わたしには珍しく人物の象徴的なセリフも名前も書きませんでした。
このわけは今自分で考えても思い出せません。

まず真ん中が本編主人公である平賀譲海軍造船士官。
演じているのは大河内伝次郎で、このころ三十代という設定です。

右上と左下は同じく造船官で、右上は造船士官である谷(月田一郎)、
左下はこれもお節介船屋さんに教えていただいた「文官技師」の山岸。

山岸は「平賀と口角泡飛ばして大衝突をすることがあった」という
文官技師、土本宇之助をモデルにしていたのかもしれません。

なお、月田一郎は「燃ゆる大空」で戦死する行本生徒を演じていた人で、
山岸役の(おそらく)真木順という俳優は、「ハワイ・マレー沖海戦」で
乗員たちに敵艦のシルエットクイズをする田代兵曹長役です。

左上はご存知若き日の志村喬、そして右下は平賀家令嬢のみつ子さんです。

そういえば、「戦場に流れる歌」の主人公の恋人も美津子さんだったなあ。
上官に嫌がらせの罰則として、

「みつこさん、みつこさん、タタタタン、タタタタン」

と歌いながらドラムを叩かされていたシーンが印象的だったので覚えているのですが。

「土佐」沈没

映画を通じて象徴的に現れるのが、このタイトル画で平賀が持っている
「土佐」廃艦記念に艦政本部に配られた土佐の文鎮です。

軍縮会議を受けて進水後廃止された「土佐」が
廃止の式典の直後に爆雷で沈められるという設定はあまりに映画的ですが、
この「土佐」の文鎮が造船官にとっての無念と臥薪嘗胆の象徴となって
折にふれ現れるのです。

映画では、設計に没頭すると周りのことが全く見えなくなり、
一人で明後日の方向に歩いて行ったり、タバコの灰をカップに落としたり、
という平賀伝説が随所に盛り込まれます。

艦政本部会議での葛藤

コメント欄でお節介船屋さんが紹介してくださる平賀嬢の伝記、
「軍艦総長・平賀譲」によると、平賀先生はこの「夕張」設計に関して
ずいぶん逆風があり、それが実現したのは平賀の兄平賀徳太郎と、
安保清種の後押しによるものだったということらしいですね。

そして平賀がいかに周りと衝突したかも書かれている模様。

本作三日目に紹介したのは、艦政本部会議において、平賀が
志村喬演じる機関制作部門の責任者、高木少将と激しくぶつかるシーンです。

平賀は5000トン級の巡洋艦と同等の能力を如何にして3000トン級以下の船に持たせるか、
ということを考えているのですが、高木は機関を軽くするのは無理だ、
と主張し、二人の意見は平行線のまま終わりました。

 

「夕張」誕生

仕事になると周りが見えなくなる平賀を家族も心配し、
娘のみつ子は父を強引に新響のコンサートに連れ出します。

そして設計に悩む平賀はそこにヒントを見出すという展開ですが、
わたしにとっては、この映画に若き日の指揮者山田一雄の指揮する姿が
克明に残されていたことは大変な驚きでありました。

映画が制作されたのは戦争中ですが、これを契機に調べてみたところ、
戦中少なくとも新交響楽団は演奏活動を普通に行っていました。

終戦後、演奏を再開したのはなんと九月からだったということもわかりました。

平賀はこの演奏会を抜け出して天啓のように閃いた新造艦のアイデアを
形にするため訪れた図書館で、高木少将と顔を合わせ和解します。

このあと艦政本部の部下に嬉々としてそのアイデアを披露するシーンで、
わたしがどうしても聞き取れなかった「か〇〇〇〇」という言葉が、
「軽目孔」だということもお節介船屋さんに教えていただきました。

斃れてのち止む

時系列に沿って大河内伝次郎演じる平賀譲の絵を描いてきましたが、
32歳から死の直前である64歳まで、本当にそれなりに見えてくるから
役者というのはすごいものだと思わずにいられません。


最終部分では、ロンドン軍縮条約で敗北したことから自決した
草刈英雄少佐をモデルにした士官(右)は、平賀の知り合いだったという設定です。

左の少将は、死地に赴く前に平賀に挨拶に来るのですが、
かれは「死に逝くすべての海の武人」の象徴として描かれているように思います。

ところで、この映画は海軍省後援によって昭和19年5月に制作されました。
この頃この映画を制作することによって海軍は国民に何を訴えたかったのか、
何を宣伝したかったのかということについてあらためて考えさせられます。

♡ おすすめ 大河内伝次郎の平賀譲はたとえ艦これファンでなくとも一見の価値あり

 

デア・ハウプトマン「小さな独裁者」

ドイツ関係の調べ物をしていてたまたま引っかかってきた映画情報です。
拾った制服に身を包み、空軍大尉に成り済ました煙突掃除出身の兵隊が
すっかりその気になって身の毛も弥立つような戦争犯罪を繰り返す。

事実は小説よりも奇なりを時で行ったヴィリー・ヘロルトの実話を
映画に絡めるかたちで紹介してみました。

モデルにした実話がぶっ飛びすぎていて、映画そのものの評価しようがないというか、
本当にあったことを淡々と描写するだけで事足りてしまうという特殊例です。

それにしても19歳の小僧のなりすましをどうして誰も見抜けなかったのか、
ということは誰しも考えるところだと思うのですが、それもこれも
つまりはこれも「制服マジック」の一種というやつだったってことなんでしょうか。

♡ おすすめ 事実は映画より奇なりの再現を楽しみたい方に

 

「航空戦術の父」第一次世界大戦のエース オスヴァルト・ベルケ

映画以外で描いた唯一の絵は、第一次世界大戦時のエースであり、
航空機戦闘術の祖といわれるオスヴァルト・ベルケの肖像です。

ベルケという名前は航空戦術という分野に造詣のある人しか知らないのでは、
というくらい少なくとも我が国では有名ではないのですが、
初期の軍事航空シーンにおいて、パイロットという立場から戦術を体系化し、
さらに「ベルケ・ディクタ」という形で可視化した功績は偉大です。

彼は空戦時に味方との衝突によって亡くなったのですが、その葬儀には
かつての敵国のライバルや、捕虜となっていた英国人パイロットからも
その死を悼む弔辞が寄せられ、王立飛行隊の飛行機が葬儀会場に
花輪を投下して行ったというほど、敵味方を超えて尊敬されていた人物でした。

リヒトホーフェンのときもそうだったように、敵のパイロットが好敵手の死を悼み、
それを正式な弔いの言葉にするというこのころの美しい慣習は、
時代が進み戦闘が相手の顔の見えないものになっていった第二次世界大戦には
ごく一部の出来事を除いて、公式にはほぼ完全に消滅していきました。

 

ところで自分でもなぜ映画以外の挿絵をこのとき描こうと思ったのかわからないのですが、
おそらくこの頃絵画ソフトをCorelからiPadのプロクリエイトに変えたので
色々とツールを試してみたいお年頃だったからではないかと思われます。

Corelの方がツールが充実していたり画像加工のバリエーションも多く、
なんといっても長年使って慣れていたため、乗り換えには躊躇いがありましたが、
使い始めてしまうと、「画面に直接描ける」(Corelはパッドに描いたものが画面に現れる)
ことと、手軽にiPadだけあればコードをつながずにどこでも作業できるため、
すっかりこちらに馴染んでしまいました。

今年は驚天動地の流行病発生のため、外に出る機会がなくなってしまい、
結果的にステイホームで映画を紹介することが多くなったわけですが、
それもまたこのブログの使命(というものがあると仮定して)のひとつと考え、
有名無名を問わず、読者の皆様の興味を引きそうな隠れた作品を掘り起こし、
これからもここでご紹介していければいいなと考えています。

それではみなさま、良いお年をお迎えくださいますよう。

 

 


令和2年度 年忘れイラストギャラリー その1

2020-12-29 | 映画

令和2年度、2020年もあとわずかとなりました。

去年の終わりにこの恒例ギャラリーをアップしたとき、まさか一年で
世界がこんな風になってしまうなどとは夢にも思っていませんでした。

昨日の続きで平穏な世界が続くなど、全くの幻想であったということ、
そして「映画のような世界」は映画の中だけにあるのではないことを思い知ったのです。

もしかしたら、日本人の中でも実際に先の戦争を体験した人々は
この世の平和や平穏というものがしょせんうたかたであり、
この状態がいつまでも続くものではないということを身を以て知っていたかもしれません。
しかしそれらの人々が世を去っていくのとほぼ時を同じくするかのように、
平和と繁栄を安逸に貪ってきたこの国にもいまや不穏が忍び寄っています。

今の世界の状況を、単なる歴史の偶然ではなく、巨大な陰謀の結果だと考える人々は、
「日本はすでに戦いに飲み込まれているのだ」ということでしょう。

しかし、そう思わない人ですら、誰一人、今の状況が「平和」であるとは
口が裂けても言えないような状況が現実に、そして着実に広がってきています。

わたしがこれまで毎年取り上げてきた戦争映画に描かれていることだけが
もしかしたら「戦争」ではないのかもしれないということを考えながら、
今年も「年忘れギャラリー」をお送りします。

戦場にながれる歌 「國ノ鎮メ」

わたしの知る限り陸軍軍楽隊について描いた唯一の映画です。
日本の軍楽隊の成り立ちについても知ることができました。

当時のトップ俳優を投入しお金をかけた芸術祭参加作品です。

各日のタイトルには劇中演奏された陸軍軍楽隊の曲を挙げましたが、
その多くが現在の自衛隊音楽隊にも受け継がれています。

「北支の愛国行進曲」

本作は団伊玖磨の手記による氏本人の体験について
エピソードに挿入されています。
ともに、陸軍外山学校の同級生に、芥川也寸志がいたことを知りました。

本作の監督はともすれば軍楽隊を描きながら当時映画界で主流だった
日本贖罪論に固まった考えの人だったらしく、この「中国大陸編」は
日本悪玉&自虐風味加えて贖罪と反省に満ち満ちています。

「命ヲ捨テテ」

中国大陸で戦死した仲間のために礼式曲「命ヲ捨テテ」が演奏されます。
この曲も現在の自衛隊で礼式曲として主に追悼式で演奏されます。

音楽隊は極寒の中国大陸からいきなりフィリピンに移動になるという
アクロバットな場面転換が行われます(笑)

「ロングサインと星条旗よ永遠なれ」

本作のクライマックスは、捕虜になった軍楽隊メンバーが、アメリカ軍楽隊の演奏する
「星条旗を永遠なれ」に惹かれるようにして楽器を手に取り演奏を始めると、
米軍楽隊(座間キャンプ所属部隊特別出演)がそれに和し、日米合同による
「オールドロングサイン」の大合奏が始まるという感動的なものです。

♡ おすすめ 自衛隊音楽隊関係者にぜひ

 

眼下の敵 「Manned and ready!」

駆逐艦対潜水艦映画の名作である「眼下の敵」に挑戦しました。

KILLER-SUB versus SUB KILLER」

姿を見ずに戦ううち、いつの間にか互いのタフさに驚嘆し、
好敵手として認め合うに至る二人の海軍の男、というのが
この戦争映画のテーマとなっている硬派な映画です。

銃後の女性が一切出てこないあたりもわたし的には高評価でした。

”I Think You Will. "

クルト・ユルゲンスと言う名前を、わたしはずっと歌手だと認識していました。
「別れの朝」という曲を歌っていた人だとなんとなく思っていたのです。
でも、今回それは「ウド・ユルゲンス」の間違いだったことを知りました。

本作は「ドイツ軍が歌って元気になるシリーズ」のひとつで、ここで歌われるのは
「デッサウアー」(それが我らの生き方)という曲でした。

映画の結末はモニターによる投票で、沈没したUボートの乗員を駆逐艦が救出する、
というハッピーエンドになりましたが、もう一つの案は

マレル艦長は海に転落した(か飛び込んだ)フォン・シュトルベルクを
救出するために自分も海に飛び込み、二人の指揮官はどちらも死ぬ(-人-)

だったと知って、当時のモニターの良識に感謝した次第です。

♡ おすすめ スポーツ観戦後のような爽快さを味わいたい方に

 

映画「1941」はスピルバーグの”黒歴史”か

スピルバーグの快作、「1941」を頑張って取り上げました。
最初に観たときにはとてもここで取り上げる気にならず、
すっかりあきらめていたのですが、まあなんとなくなりゆきです。

展開は無茶苦茶で荒唐無稽ですが、取り上げられている出来事は
全て史実をベースにしているという、ある意味恐ろしい映画。

ところどころに自分の作品のパロディや、この作品をもとに
「インディージョーンズ」のシーンを作ってしまっているので、
わたしは「スピルバーグのネタ帳」と位置づけしてみました。

映画に詳しければ詳しいほど楽しめるという凝った映画です。

その2

本作で描かれている実在のイベントは「ズートスーツ騒乱」「ロスアンジェルスの戦い」など。
これも歴史に詳しければ詳しいほど面白くかんじるかもしれません。

ただ、劇中描かれた恋の鞘当てのドタバタはどうにもいただけないと思いました。

その3

出演したジョン・べルーシには徹底的に嫌われていたらしい作品ですが、
わたしの感想は畏れ多くもスタンリー・キューブリックのいうところの

「Great, but not funny」(素晴らしいが、つまらない)

と同じであるといっておきます。 

♡ おすすめ ロスアンゼルス在住の郷土史愛好家の方、
あるいはつまらんギャグにたいし寛容または耐性のある方に

 

スパイと貞操 前半

新東宝のいわゆるエログロの延長上にある「憲兵三部作」のひとつです。
ちなみに当ブログではこの三部作を全て紹介済みです(笑)

「憲兵とバラバラ死美人」で優しい憲兵を演じ、「憲兵と幽霊」で憲兵に貶められ
幽霊になって出てくる役を演じた沼田曜一が、こんどは拷問潜入捜査なんでもありの
「オーソドックスな」憲兵を演じています。

わたしがこういう映画を好きなのは、当時の街の様相がニュース映像などより
はるかに高画質で残されていて見ることができるからです。

この映画では富士屋ホテルなども登場します。

スパイと貞操 後半

海軍の最高機密である大和砲塔部の設計図を盗みだす組織の元締めが、
日本語ペラペラの謎の中国人であった、というシーケンスは、
おそらく今ならポリコレ的にタブーすぎてとても採用できないでしょう。

しかし、「王機関」なる怪しい組織、という設定が映画として「ありがち」というか、
自然に思えるのは、そういう”イメージ”が当時世間一般に流布していたからというのも現実です。


♡ おすすめ 戦後昭和の空気を感じたい人、東宝の怪しげな空気が好きな人に

 

「撃墜王 アフリカの星」〜ハンス・マルセイユ物語

第二次世界大戦博物館シリーズで、バトル・オブ・ブリテン関連の
展示をご紹介しているとき、ドイツの国民的英雄となったエースパイロット、

ハンス=ヨアヒム・ヴァルター・ルドルフ・ジークフリート・マルセイ
Hans-Joachim "Jochen" Walter Rudolf Siegfried Marseille(1919−1942)

の名前を知り、さらにこの人のことを調べてみると、
その伝記映画までが戦後になって制作されていたことを知り、取り上げました。

実在の人物で、しかも当時のドイツでは国民的英雄だったので
残された映像や資料は多く、映画と実際を比較しながら進めることができました。

映画の作り方としては、ロマンスを軸に据え、さらに当時のドイツにも蔓延していた
戦争嫌悪の雰囲気を色濃く反映させているというかんじです。

映画そのものとしては、一般受けを狙い、撃墜王の影の部分を描くことを放棄して
品行方正な青年のように作り上げてしまったことから、評価が低くなったと思われました。

中編

後編

 

実在のルフトバッフェのエースで映画にまでなっているのはいろいろ調べたのですが彼だけです。
素行が悪く反抗的で権威に臆しない技量抜群の美青年パイロット、という素材が
のちの創作者の意欲をかき立てたにちがいありません。

そして彼が若くして戦死したという悲劇もまた。

当ブログでは、後世の伝記作家がナチス空軍という組織に属した彼の
「アリバイ」を探して後付けの解釈で彼をナチス嫌いに仕立てようとしているのに対し、
彼は政治的に無定見でただそこで己の理想を追求する自由な魂の持ち主だった、
と独断と偏見において仮定してみました。


♡ おすすめ マルセイユのファンでない人に

 

というわけで明日に続きます。

 


映画「危険な道」〜アメリカ海軍対大和艦隊の海戦

2020-12-04 | 映画

映画「危険な道」、おそらく最終回です。

ジョン・ウェイン演じるリクウェル・トリー司令が旗艦である巡洋艦に乗り込みます。
真珠湾の時にトリーが艦長として乗っていたのも同じ艦で、
USS「セントポール」が独艦二役を務めました。

この理由は、撮影当時第二次世界大戦時のビンテージ巡洋艦は
これくらいしか使えるのがなかったからです。

撮影の終わり頃、「セントポール」の副長が艦長に昇任し、ウェインは
映画で使用した大佐のバッジを進呈するというエピソードがあったそうです。



USS「ボストン」も参加しましたが、後部にミサイルを積んでいたため、
後ろが映らないように前方だけの出演となりました。

このとき、

「戦艦の方が巡洋艦よりいいだろうに、ニミッツは君の懐かしの艦を寄越したのか」

と情報参謀のパウエルは言い、それに対してポールが

「船乗りでないあなたには、艦とセイラーの’関係’はわからないでしょう」

と制作側になり代わり撮影に巡洋艦しか使えなかった言い訳をしています。

この時彼は「ラブアフェア」という言葉を使っているのですが、
映画を観ている者は、この男がロックの息子の婚約者、アナリー・ドーンに
腹立ち紛れにしたことを想起して「げっ」となるわけです(笑)

ちょうどそのとき、パウエルはポールの顔に傷を見つけて指摘します。

「それはパープルハート(名誉勲章)でも狙ったのか?」

それはまさにアナリーの抵抗でできた傷だったわけですが、彼は平然と

「ちょっと自分でやっちまってね(friendly wound)]

それにしてもダグラスほどの大物が、どうしてこんな役を引き受けたかですが、
一説にはこの頃「スパルタカス」と「ロンリー・アー・ザ・グレイブ」、
「カッコーの巣の上で」(舞台)など、いずれも評判が悪かったため、
意に染まない役でも大作ということで引き受けざるを得なかったと言われています。

「Bosn's mate, man the side」(甲板員整列)

そして、サイドパイプ吹鳴の中、准将らが乗艦します。

バーク(アーレイ?)航海長が大佐に昇任して艦長としてお出迎え。

民間人のキャンフィルが日本軍基地の斥候から帰ってきました。

日本軍はレブバナなる島でがっちり防備を固めており、飛行機200機、
人員5000人が集結している、といいます。

この映画は実際にはなかった戦艦大和との対決を海戦のメインにしているので
その関係上架空の島名を使用していますが、レブバナ=ガダルカナルと考えられます。

前半で海軍基地があると指摘されたタイタン岬はラバウルに相当します。

そこでキャンフィルは

「酒盛りに接近して会話を盗み聞きした」

と嘘くさいことをいうのですが、その内容は、そのタイタン岬基地沖に
軍艦が集結しているというものでした。

至急偵察機を送りたいところですが、長距離偵察機は

「皆マッカーサーに送られて我々には何も残っていない」
(さすが海軍、どさくさ紛れに陸軍批判)

普通の飛行機ではレブバナまで飛ばしても帰ってくることができません。

さて、こちら1ヶ月の休暇中のはずのサンフランシスコのマコーネル少佐宅。

どちらも同じ部屋からの眺めのはずでですが、隣の窓に行くと、
なぜか角度が変わり、ブリッジにいきなり霧がかかって、
見えるはずのないアルカトラズが見えています。

実際なら二人の家とされるロンバードとハイドの角の家からは、
こんな間近に
フォートメイソンを見下ろすことはできません。

マコーネルはトレジャーアイランドの本部にいって、
出動命令を受けたと妻のベブに告げます。

「まだ休暇の半分も終わっていないのに」

泣きながら妻は夫にいうのでした。

「それじゃ赤ちゃんを置いて行って」

こちらガバブドゥの看護師宿舎では大事件が起こっていました。
雨の中夜遅くに帰ってきたマギーは、アナリー・ドーン少尉の遺書を見つけたのです。

彼女は薬を飲んで自殺を図り、見つかったときには手遅れでした。

マギーからの電話を受けたロックから

「マギーの同僚の看護師が自殺を図った」

と聞き、心当たりに呆然とするその原因の張本人。

「彼女は息子と婚約してたんだ」

ええ、だからこそ余計ムカついてついやっちまったんですよね。

大変まずいことに、遺書にはちゃんと男の名前も書かれていた模様。
おまけに、事後彼女は妊娠したかもしれない、と男に言ったのに信じなかった、
だから死ぬと・・。

うーん、かつて登場人物がこんなクズだった戦争映画があっただろうか。


「ジェアには俺が話す💢」

ロックはすぐに作戦発動なので二度と会えないかもしれない、とマギーに告げ、
この二人の唯一の(そして一瞬の)ごくあっさりしたラブシーンが行われます。

次の朝、思い詰めた風のエディントンが一人で飛行基地に現れました。

「PBJ(B25ミッチェル、哨戒爆撃機)を用意しろ」

先日お話しした航空の父ミッチェル准将の名前を称え、アメリカ機で
「唯一人名のつけられた」B25の通称は「PBJ」です。

「大佐、飛行目的は?」

ペーパーホルダーを持った地乗員が聞いてくると、

「ジョイライド(気晴らしの飛行)だ」

まさか自分のせいで女が自殺してしまったので、自暴自棄にになり、
セルフペナルティを兼ねて
片道特攻偵察してくるなんて言えないよね。


ところでカーク・ダグラスはPBJの右席に座っていますね。
普通一人で飛行機に乗るとき、必ず操縦は左席で行います。

このあとPBJは本当にタキシングでエプロンを移動していくのですが、
おそらく左(正パイロット席)には本物の操縦士が乗っていて、
カメラに映らないように姿勢を低くしながら機を操っていたのだと思われます。

さて、こちらは辛い知らせをを持って息子のPTボート基地にやってきた父

父准将の顔を見るなりにっこりと微笑むジェレマイアでした(涙)

このジェアを演じた若い俳優、ブランドン・デ・ワイルドは子役出身で、
あの「シェーン」で子役を演じたというキャリアを持ちます。

「シェーン・カムバック!」

というセリフは日本人のわたしたちでも知っているというくらいで、
この時彼はすでにその名声の上にキャリアを築きつつありました。

しかしこの映画の7年後、手術した妻を見舞うため病院に向かう途中で、
運転していたキャンピングカーをガードレールにぶつけ、その後
車が駐車してあったトラックに激突し、(シートベルトをしていなかった)
わずか30歳で(ウェインより早く)死亡しています。

父の口から婚約者の死を告げられ、呆然とするジェア。

ロックは肝心なその理由を聞かれてもはぐらかして答えず、
彼女が遺した婚約指輪を息子に渡して、

「こんな時になんだが・・・なんと言っていいかわからないが・・」

すると息子、

「私もなんて言っていいかはわかりませんが、おっしゃりたいことはわかります」


そして二人は握手をし、永遠に別れたのでした。

 

ロック・トリー准将は怒っていました。

息子の婚約者を無理やり力づくで意のままにし、自殺に追い込んだ男。
信頼してきた部下ですが、上官として、父として、一人の人間として
ポール・エディントンに強い怒りを感じるのは当然です。

「エディントンを探せ!💢」

しかし、ポールはすでにそのとき片道飛行の空の上でした。

ロックの信頼を何もかも失うことになった今では、
彼に残された道はこれしかなかったのです。

まあ自業自得なんですけどね。

旗艦「ジョン・ポール」から勝手に飛んだポール機に無線が入りますが、
自暴自棄に飛行機を飛ばしていることもあり、無線になかなか答えようとしません。

しつこく無線で応答を求められたので渋々通信状況の悪い中やりとりを始めてすぐ、
なんと、ポールは偶然
タイタン岬沖に日本艦隊を認めました。

「全部で17隻、駆逐艦12隻、巡洋艦4隻。
重巡か軽巡かは不明・・・零戦がきた!」

トリー准将が通信を代わり、

「雲の中に隠れろ。PBJでは零戦に勝てない」

すると声の主に気づいたポールは、一瞬にして顔を硬らせ(ダグラス流石の演技力)

「そうしたいが今まで見たことのない『大きなやつ』が気になる。
まるで浮かぶ島だ・・・全長は4ブロック、12門、18インチ砲だ」

「少し前にジャップが作ったという巨艦はなんて言った?
・・・・ヤマト?

「大和だ」

真珠湾の映画だと思ったら大和ですってよ奥さん。

志村ー後ろ後ろー!

・・・・ポール・エディントン大佐戦死。

そしてPBJ空中爆発。

本人覚悟してはいたんでしょうけど、なんというか虚しい最後です。

大和艦隊の目的は、レブバナに一大拠点を作ること。
それが成功すればアメリカ軍の劣勢は明らかです。

ロックは自分の艦隊が上陸班を援護した後、
沖に出て大和艦隊を阻止することを決断しました。

「ところでエディントン大佐の任務はどう記録します」

「正式任務としておけ」

「叙勲の推薦はどうします?」

「ポールはメダルなど欲しがらない。推薦はしない」

彼がやらかしちまって出撃したという「動機」が手に取るようにわかるだけにね。

そして艦隊はついに出撃しました。

進行目標はレブバナです。

夜間、大和を含む艦隊が海図にもない浅瀬を通るなんて、
という士官たちに
トリー准将はこんなことを言います。

「日本海軍には不可能を可能にするという悪い癖があるんだ」
(The  Japanese Navy has a bad habit of doing the impossible.)

そして、機雷敷設と同時に魚雷艇(PTボート)を送る指令を降しました。

「ロック・・・海戦ってどんなのだ」

不気味な「一触即発」を控え、予備将校のパウエルはつい
内心の不安を吐露し始めました。

「多分他と一緒さ。多少うるさいだけだ」

「怖くて骨がカタカタ鳴ってる・・リノのカジノのサイコロみたいに。
俺などハリウッドに戻って戦争映画の脚本を書いているべきだ」

「怖くない戦争なんてないし誰だってこんなところにいたくないさ」

「准将でもか」

「そうだよ」

こちら機雷原に差し掛かった日本艦隊を攻撃するために待機中の
ジェアのPTボート部隊です。

そして駆逐艦が次々と触雷するのを確かめ、出動。

IJNはPTボート部隊に反撃を始めました。
あの、気のせいか大和が機雷艇を主砲で砲撃しているような・・・・・。

んなわけあるかーい!

艇長をやられたPTボートの指揮を受け継ぎ、果敢に魚雷を撃って
攻撃を試みるジェアですが、艦体に「四六」と漢数字で書かれた(笑)
不思議な帝国海軍の駆逐艦に体当たりされ、戦死を遂げました。

魚雷艇部隊は駆逐艦2隻を機雷で、1隻を(ジェアが)魚雷で

「最上」級巡洋艦を撃沈

翌日届けられた死傷者リストを見て、ロックは打ちひしがれます。

日本海軍の艦船は全てが模型で撮影されました。

すこしでもリアリティを出すため中で操縦できるほどの大きさのものが
制作されたということですが、カーク・ダグラスはこの模型のおかげで
映画がすっかりダメになったと酷評したということです。

いや、あなたの演じたエディントン大佐のせいという話もあるよ?

しかしこの映画、なぜよりによって大和なんか出してきたかね。
ダグラスの酷評も最もだと思います。

大和、火災を起こしてるし・・・。
しかし、旗艦には悲痛な声が響きます。

「大和阻止できず!」

「全艦全速退避!」

トリー司令はプロットルームに呼ばれ、そこから指揮をとります。
爆風でガラスがガシャンガシャン破れまくり。

「ブリッジ、指揮官戦死!」

あらー、バーク艦長死んじゃったのか。
ということはこの人はアーレイじゃなかったのね。

もはや崩壊寸前のブリッジにいるロックとマック。



炎の中倒れこんだロック准将をマックが助け起こし、

「総員退艦せよ!」

この場合彼が最先任となったってことなんだろうな。

そして戦いは終わりました。

模型同士の海戦の行方もよくわからないまま場面は代わり、
(大和はいつの間にかアメリカ軍艦を7隻撃沈したらしい)
海の上の病院船(これも模型)が映し出されます。

個室で目覚めたロック、第一声が

「ナース」「ナース」

部屋にいた若い看護師は外に飛び出し、マギーを呼びました。

「聞こえる?ロック」

「マギー・・・」

マギーは目覚めたロックに、3週間眠り続けていたこと、
そして病院船は明日真珠湾に着くことを話しました。

「もう大丈夫・・でもあなたは左足をなくしたの」

そして、士官はマコーネル少佐以外全員戦死したことを告げました。
ハリウッドで脚本を書いていたいと言ったパウエルも死んでしまったのです。

翌日、船は真珠湾に着岸し、マックが見舞いに来ました。

「駆逐艦(tin-can)が我々を拾い上げるまで乗員が付き添ってくれました」

「グレゴリーの落下傘部隊は全滅か?」

そういえばそんなこともあったわね。

「いえ、島の北端で敵を包囲しました。
大和は向きを変えて退却して行きましたよ」

「なぜ?我々は負けたんじゃなかったのか」

そのとき役名CINCPACKII、実はニミッツ(ヘンリー・フォンダ)が
ノックも何もなしで入ってきました。

マギー中尉の敬礼は掌を面に向けていますが、
これは陸軍かオーストラリア軍の敬礼じゃなかったかな。

「君を殺すのは大変だな、准将」(直訳)

「どうも無事にコマンドショットを地獄に落としたようです」(直訳)

「生き残ったことで彼らを裏切ったと感じているのかね」

「まあそんなところです。7隻も艦を失ったんだ。
見事に軍法会議ものでしょうな」

まだ薬が効いてるのか」

「少し」

「訂正してやろう、准将。
パラ水路での戦いは圧倒的な勝利だった。
スカイフック作戦は続行中、敵は敗退している」

そしてダメ押しに、

「軍法会議ではなく国に帰って義足をつけてこい。
そして東京に一緒に戦いにいくから、そのときには
機動部隊のデッキで指揮を執るんだ」

いや、義足で艦隊勤務はちょっと無理なのでは提督。
っていうかこれだけやったんだからもう引退させて休ませてやれよ。
相談役になってUbereatsの配達させられてる島耕作じゃないんだからさ。

 

「よく休め。それが今の仕事だ」

そう提督に言われて眠りに着く前に

「マギー」

ロックが名前を呼ぶと、

「ここにいるわ」

その顔を見て安心したように微笑み、眠りに落ちていく恋人を、
彼女は一人の女性となって見守るのでした。

 

終わり

 

 


映画「危険な道」〜空挺作戦

2020-12-02 | 映画

映画「危険な道」三日めです。

営倉入りになってからこのトゥルボン島の設営隊に飛ばされた
ポール・エディントン中佐ですが、真昼間から入り浸っている娼館に
ブローデリック提督が迎えを寄越しました。

ロック・トリー大佐がこの付近に派遣されて作戦を行うことに
この議員上がりの提督は危機感を抱き、動向を探るために
エディントンをスパイとして送り込もうというのです。

つい最近までロックの副長だったことを知ってか知らずか、
大佐に昇格させてまでガバブトゥ行きを命じました。

「へ?誰かの人間違いでは?」

「トリー准将の参謀長待遇だ」

腐っていたエディントンには願ってもない命令です。

ガバブトゥにトリー准将を乗せてきた水上機、これは
わたしがサンフランシスコのヒラー航空博物館で見てここで中身までご紹介した

HU-15 アルバトロス 

に間違いありません。

これな

アルバトロス が初飛行を行ったのは1947年ですから
この頃ならおなじグラマンの「グース」G-21かPBY「カタリナ」ですね。

飛行艇からエディントン大佐が迎えるボートに乗り込むジョン・ウェイン、
60近い年齢を感じさせずにはいられないほどもたもたしています。

ポールはロックに陸上で迎えたグレゴリー大佐のことを

「パラ・マリーンズ」

と紹介しています。
パラ・マリーンズとは海兵隊空挺部隊のこと。
そう、この映画、真珠湾の映画かとおもたらなんと空挺作戦が登場するのです。

准将たちを乗せたジープが海兵隊のと列の間を走っていきます。
彼らは本物の海兵隊員ですが、ただしカネオヘ基地の軍楽隊メンバーだそうです。
ちょうど仕事がなくて全隊出動可能だったのかもしれません。

この撮影で彼らは追加の出演料を受け取らなかったということです。

水上艇や飛行機、こういう装備は本物ですが、後半の海戦シーンでは
ほとんど艦船の模型を使ったためか、ウェインとダグラスの大物スターが
出演した作品のなかでは最も制作費が安いのではといわれているようです。

トリー准将、ガバブトゥに着任し、司令部の皆さんにご挨拶しますが、

露骨にオーウェン中佐とトリー少尉(つまりブローデリック一味)を無視。
なかなか大人気ない准将です。

無視されても執拗にコンタクトを取ろうとするオーウェン中佐が、
無理やり握手にこぎつけ、

「提督は前線と密に連絡を取るべきだとお考えですが」

というと、冷たく

「提督との連絡は私を通せ。繰り返す、私を通せ。何か質問は?」

((((;゚Д゚)))))))

続いて作戦会議に入りましょう、というところで空襲が始まりました。

防空壕に避難してロックがが地図を示し説明中ですが、
地図を見なければならないほとんどの人が地図の後ろ側に立っています。

「名付けてアップルパイ作戦。
簡単だからではなく、島を三つにスライスするからだ」

まず島に空挺隊を降下させ、日本軍をおびき寄せて防御を薄くし、
三つのパートから敵の飛行場を襲い、供給を断つということだと思います。

そしてその後議題が「空挺の航空機使用に提督の許可が必要だ」という話になると、
ポールはオーウェンとトリーを会議から締め出してしまいました。

もちろん彼らに聞かれては困るからです。
敵を欺くにはまず味方からってね。

そして、提督に嘘の申請をして許可を取ることを示し合わせました。

というわけで五分くらいで仕事を済ませたロック准将、
ポールを連れて
島内の病院に真っ先に駆けつけました。

目的はもちろん看護師中尉マギーに会うことです。

ハワイで最後の夜を共に過ごして以来の再会に胸をときめかせる准将に対し、
マギーの第一声は、

「影になるからどいて!」(`・ω・´)

叱りつけた相手がトリーだと知ると彼女はどぎマギーして、

「朝ならもう少しマシな顔をしてるんだけど///

「大丈夫だよマギー、十分だ」(ただし綺麗だとは言っていない)

「どう?提督になって看護師を見たご感想は?(直訳)」

「大佐の時と同じさ」

さて、いよいよ空挺作戦が開始されました。

輸送機に乗り込んでいく空挺隊員たち。
もちろん本物の海兵隊空挺隊ですよ。

「大佐、飛行機に同乗してもいいか?」

空挺降下の飛行機に乗りたがる海軍提督というのも珍しいのでは。
まさか自分も飛び降りたいとか言い出さないよね?

こちらはオーウェン中佐とロックの息子トリー少尉。

報道陣を引き連れてやってきたブローデリック提督のお迎えです。

海兵隊に空挺部隊があることはあまり知られていません。
実際、太平洋戦線で空挺隊が空挺降下する場面は一度もありませんでした。

「スタンドアップ(起立)!」

号令により空挺隊員が一斉に立ち上がります。
アニメ「桃太郎 海の神兵」を思い出すなあ・・・。(←独り言です)

「環をかけ」というところ、英語では「フックアップ!」と言っています。
開傘させるために索を飛行機のバーに掛けるやり方は世界共通です。

「グッドラック、大佐」

「レッツゴー、メン!」

という言葉とともに飛び出していく空挺隊員。
それを入り口に座って見ているウェインの図はちょっと間が抜けています。

「🎵あいよ〜り〜あ〜お〜く〜」

この部分は実写ですが、第二次世界大戦時の訓練の映像だと言われています。

海兵隊空挺が登場するアメリカ映画は本作を含めたった二本でだそうです。
もう一つが1944年、戦争中に制作された

「Marine Raiders」

という作品です。
本作「危険な道」は全て架空の地名となっていますが、
こちらはガダルカナルで展開したという設定の空挺部隊の話となっています。

隊員がジャンプ真っ最中、准将のこのこ前方まで歩いてきて、

「戦闘機を2機援護に残してあとは帰還させろ」

なんかすごい勝手にフライトプランを変えさせてるんですけど。

「なんのためですか」

「観光旅行だ」

さてこちらはブローデリック提督、報道陣を集めて得意げに

「名付けてアップルパイ作戦。島を三等分するからだ
山、海岸、丘陵地帯から攻め込み落下傘部隊の降下地点で落ち合う」

ってそれどこから聞いたんだよ。

怒りのポールがジェア・トリーを隣の部屋に引っ張っていき、

「なんで提督があの作戦を知っているんだ!」

このときエディントンはジェレマイアを「ルテナント」と呼んでいますが
トリー息子、いつの間に昇進したんだろう。

昇進したせいか、腕を組んで反抗的なトリー中尉。

「残念ですが知りません、サー。」

「いいか、君らの親子関係がどうなっているかは知らん。
だがこれだけは言っておく。
オーウェンは馬鹿だが君の親父は稀に見る本物のセイラーだ」

「オーウェン中佐が馬鹿だという評価は受け入れられませんね」

「残念だがこちらも君がロック・トリーの息子だとは受け入れがたいな。
多分だれか別の奴がいつの間にか本物の息子と入れ替わったんだろうな」

この部分『親父を陥れるとは』となっていますが誤訳です。
エディントンが言っているのは「息子とは思えない」という嫌味です。
ジェレマイアはこれに激怒し、

「おい、ちょっと待てエディントン!」

「エディントンた、い、さ だ。わかったか?」

こちら降下後の空挺隊員は現地のオーストラリア人に案内されて進軍しております。

そのとき爆音が聞こえてきて瞬時に全員が地面に伏せ。

敵ではなくトリー准将の乗った輸送機と護衛戦闘機2機でした。

トリーは上空から作戦変更の指示を書いた紙をを地上の空挺隊に落としました。
これもブローデリックの裏をかくためですが、何を内部でごちゃごちゃやっているのか。

そんなことでは日本軍に勝てないぞー(棒)

帰還したロックにさっそくマウントを取りにやってきたブローデリック。

記者団を引き連れて、作戦がうまくいっていないことを指摘しようとしますが、
ロックの作戦変更によっていつの間にか日本軍は撤退し島は抑えられていました。

「チッ・・君の親父さんに出し抜かれた」

しかし息子ジェアはなぜか嬉しそうです。
要するに彼は二人の提督の資質の違いを目の当たりにしたのでした。

その後ポールは他のメンバーがいつの間にか(棒)消えてしまったバスルームで、

「腰巾着らしく親分と一緒に帰れ!」

とオーウェンを三発も平手打ち。

怒り心頭のオーウェンですが、悲しいかな武闘派とは程遠く、

ポールがいなくなってから

「軍法会議にかけてやるうう!」

と叫ぶのがやっとです。

しかも、それを冷たい目で見ていたジェアは、オーウェン中佐が
軍法会議の証人になれというのを拒み、
さっさと彼の下を去っていきました。

ここで是非覚えておいていただきたいのは、ジェアが
ブローデリックを見限ったのはポールが去ったあとであり、
ポールはそのことを知らないままでいるということです。

敵の情報を探るため、ロックは現地人を敵の視察のために
日本の基地に忍び込ませることにしました。

オージーのオージーさんは、まず潜水艦から深夜ボートで岸に上陸し、

木の上で酒席の会話をこっそり聞くという効率の悪そうな諜報作戦を展開。
ってこのおっさん、そもそも日本語聞き取れるんかい。

日本軍なぜか地面に畳?を敷いて宅飲み真っ最中で、
BGMはお正月のレストランのようなお琴のミュージックです。

しかもこの将校たちの日本語、「日本語でおk」なザパニーズ。
わたしが何回聞き返しても何を言っているのかさっぱり聞き取れないのに、
オージーのおっさんにこれが理解できるわけないと思うがどうか。

こちら、オーウェンに切られてPTボートの任務に戻され、
地道に郵便物を配る仕事をしているトリー少尉です。

病院に行けばガールフレンドのアナリーに会えるのは役得です。
二人はいつの間にか婚約していました。

さて、場面は思いっきり変わってここはサンフランシスコです。
夫のマコーネル中尉がMIAであった妻べバリーが家から出てきました。

ここはロンバードストリート(坂がきついのでここだけ蛇行の道になっている)
の始まるところですが、お節介にも現在のストリートビューを貼っておきます。

驚くことではありませんが、べバリーが出てきた角の家などは昔のままですね。
ここはいつ来ても観光客と「坂降り待ち」の車で賑わっているところです。

家を出てすぐケーブルカーに乗り込みます。(右は2018年)

彼女の向かったのはサンフランシスコ港でした。

MIAだった夫のマコーネルは実は生存しており帰ってきたのです。

おまけに死んでもいないのに2階級特進で少佐に昇進しています。

マコーネルは休暇の後はトリー准将の下で任務に就くことが決まっていました。

さて、こちらはトゥルボン島の看護師たち。

看護師と兵たちの合コンじゃなくてピクニックにでかけるアナリーに、
老婆心ながらマギーが苦言を呈しています。

「エディントンとは会わない方がいいと思うけど。
あなたジェアを選んだんでしょ」

「みんなで行くのよ」

「でもエディントンと一緒になるでしょ」

「たぶんね」

「どうしてジェアにもらった指輪をしてないの」

「ちょっと大きいから失くしちゃいけないと思って」

「そうなの?」

「エディントンにはジェアと婚約したことをいうわ」

「OK」

「マギー、ちょっと楽しみたいだけよ(Just little fun)」

「エディントンと遊ぶのはやめなさい」

「なぜ嫌うの?トリー准将の親友でしょ」

「カンよ。魅力的な男だけど裏に何かある」

「何?」

「”ニジェールの微笑む若い女”を忘れないで」

マギーのいう「ニジェールの若い女」とは、イギリスの詩人、
ウィリアム・モンクハウスの詩からきています。

There was a young lady of Niger
Who smiled as she rode on a tiger;
They returned from the ride
With the lady inside,
And the smile on the face of the tiger.

Thomas Nast Original Cartoon Young Lady and Tiger 1888

つまりこういうことになるわよ、ってことですね。
注意はしましたよ、注意は(マギー談)

なのにああ、アナリーさんったら、そのトラを誘って抜け出し二人っきりになり、
わざわざ自分から服を脱いで海に飛び込み、ご丁寧にも濡れた下着姿を見せつけて、

「こっちを見ないで〜」

なめとんのかおい(怒)

男としては当然こいつ誘っていると思いますよね。

ところがこの後に及んで

「やめて!わたしジェアと婚約してるのよ!」

言うのが遅いよお嬢さん。
ほーら、おじさん目がすわっちゃった。

というわけでニジェールの若い女はトラに食べられてしまいましたとさ。

どう思います?
フェミ的にはこれでも「女は被害者、男が悪い」ってことになるのかしら。

 

続く。

 


映画「危険な道」〜スカイフック作戦前夜

2020-11-30 | 映画

アメリカ映画「危険な道」、二日目です。
真珠湾攻撃で映画は始まったわけですが、この映画は攻撃について、
真珠湾から避難した重巡洋艦と駆逐艦の視点からしか語られません。

腕を負傷しながら帰還した重巡の艦長トリー大佐(ジョン・ウェイン)は、
「CINCPAC1」という役名の実質ハズバンド・キンメル中将に呼び出されます。

なぜ実名を使わなかったのかというと、この後少将に降格されたキンメルが
映画公開時はまだギリ生きていたということかもしれません。

トリーを呼びつけて何をいうかと思ったら、

「君はジグザグ航行を怠った上で査問委員会にかけられる」

いやお待ちくださいあの非常時に日本軍を追えと命令したのは閣下だったのでは?

「燃料不足だったものですから」

「それならなぜ帰港しなかった?」

いやあなたがそれ言っちゃいますか。酷いねどうも。
そして、

「わたしも艦隊を失った責任を取るつもりだ。
お互いに好結果を信じて処分を受けよう」

キンメルは真珠湾の責任を取らされる形で大統領命により降格となり、
CINCPACは2週間の仮任命(ウィリアム・パイ中将)を経て
チェスター・ニミッツに引き継がれることになります。

さて、ここはハワイの遺体保管事務所(というかんじのところ)。
自分の出航中、よりにもよって陸軍少佐と不倫していて事故死した
妻の遺体確認にやってきたポール・エディントン中佐です。

事務所で家族を探しに来ているのは見たところ日系人ばかりの模様。

遺体確認中

「連れの男は?」

つい不倫相手のことを聞いてしまうエディントン。

「AAF(Army Air Force)が二、三日前に引き取りました」

その足でふらふらとバーに行き、陸軍航空隊の軍人の

「女を紹介してやるぞ」

という軽口にキレていきなり殴りかかるという有様。
あれだな、嫁の相手が陸軍だったというのがよっぽど堪えたんだな。

そして陸に上がって帰宅する前に営倉行きに・・・。

こちらは艦長を解任されたロック大佐です。
見送ってくれるのはバーク(アーレイ)中佐のみ。
艦長が艦を去るというのに、誰も振り向きもしません。

帽振れとはいわんけど、サイドパイプすらないのはいかがなものかと。

営倉にぶち込まれていたエディントンの引き取り人になったのは
艦長の任を解かれたばかりのトリー大佐その人でした。

喧嘩程度なら上官がカスタディ(custody)、つまり引き取り人になればOK?

ところで、このカーク・ダグラス、今年2020年の2月に103歳で亡くなっています。
死因は不明ということですが、この年ならもう老衰でいいのでは。

営倉からの帰り、彼らはハルゼー艦隊に加わる新型巡洋艦を目にします。

「AA巡洋艦だ」

AA(対空)砲を積んでいるということでCLAAという類別が与えられたこのクラス、
「アトランタ」級の防空巡洋艦を指しているものと思われますが、
艦番号が82というのはこの種に属していないのでちょっとわかりません。

ロックはうっとりと、

”She 's a tiger."(獰猛なやつだ)

といいつつ、

”A fast ship going In harm's way."(危険な道に突き進む艦だ)

とここでさりげなくタイトルを口にしております。

営倉出立ての部下と左遷されたばかりの上司。
この二人と最新鋭巡洋艦の対比は、
ある評論に言わせると
皮肉なメタファー
としての表現なのだそうです。

真珠湾から3ヶ月後、ロックは骨折の予後を見るため海軍病院に出向きました。
レントゲン写真の撮影を手伝うのは医療部隊の看護師大尉です。
結果、腕のギプスは取れることになりました。

ギプスも取れたことだし、官舎のルームメイトである特別情報部員の
パウエル中佐
(バージェス・メレディス)とオアフの懇親パーティに繰り出します。

パウエル中佐は女優の妻と絶賛離婚協議中という設定で、
しかもこりもせず同じことを三度繰り返している女好きのようです。
自分のことを「USシビリアン」と言っているので予備士官でしょう。

それにしても、真珠湾攻撃から3ヶ月後なのに懇親パーティとはね。
説明によると、「どこかの金持ち」のひらいたパーティだというのですが、
どちらにしてもアメリカ軍って余裕があったのね。

早速女性と熱烈友好を始めた中佐に置いてけぼりにされ、
一人になったロックに話しかけてきた女性がいます。

どこかで見たと思ったら、レントゲン撮影の時の看護大尉じゃありませんか。

「ジェレマイア・トリー少尉のお父さんでしょ?」

顔を合わせるなり彼女は、PTボート部隊にいるトリー大佐の息子の話を始めます。

まるでそのへんのおばちゃんのようです。

「トリー少尉はわたしの部下でルームメイトとつきあってるの。
彼女は純朴なタイプ(a green kid  from Vermont)だけど
彼は優等生タイプだから(a smooth Harvard type)。
彼女は彼と本気になりそうでそれが心配なのよ(直訳)」

この組み合わせで恋に落ちたとしても何が悪いのか。
っていうか、二人が本気になろうとあなたには全く関係ないのでは?

ところが驚いたことに、トリー大佐ったらこれを聴いて驚いています。
今の今まで息子が海軍に入っていたことすら知らなかったようです。

「息子は妻が育てていたんだ。
海軍に入っていたのか・・・!」

おいおい。
同じ苗字を名乗っているのにいくらなんでもちょっと連絡くらい取っとけよって。

そういえばトリーが艦長室で一人見ていた写真、これは
別れた妻と息子だったというわけですね。

ちなみにこの写真の子供は、映画「シェーン」にでていた男の子役です。
ということは・・・・?

その夜、すっかり暇になってしまったロックはPTボート基地に足を運びました。
PTボートはJFKが艇長を務めていたことで有名な魚雷艇です。

MTB squadrons と看板にかかれています。
MTBとは「モーター・トルピード・ボート」のことです。

トリー大佐は息子のジェレマイア、愛称ジェアが見張りをしていると聞いて
やってきたのですが、息子の顔を知らない悲しさ、赤の他人に

「君はトリー少尉か?」

と尋ねてしまうというお間抜けぶり。

トリー少尉とワッチをこっそり代わっていた乗員はあわてて

「すぐ上に行け、ベタ金だぞ!代理がバレた」

アメリカ海軍ではベタ金(大佐以上)を”Brass”というようです。

「トリー少尉です。サー。お呼びでしょうか。サー」

「わたしは君の父親だ」”I'm your father."

おお、あの映画以外でこの同じセリフが聞けるとは。

「イエス。サー」

「君は・・・母親似だな」

「イエス。サー」

「彼女は元気か」

「元気です。サー」

トリー少尉、全盛期の卓球の愛ちゃんのように律儀にサーサー言ってます。

そして、上官(父)に聞かれるままに指揮官であるブロデリック提督の側近になるため
不本意な任務であるPTボートを志願した、と状況説明します。

PTボートは腰掛けで、大学の専攻であるジャーナリズムの道に進むため、
無益な戦争だがせいぜいこの機会に海軍で広報をやりたい、
と小賢しいことを言い放つ小僧に思わずムカつくロック。

「無益な戦争?」

「これはルーズベルトの戦争ですよ。違いますか」

うーん、ある意味それは歴史的真実をついているがね。
それを軍人が言うことはご法度なのでは・・。

さらに、この生意気な少尉は、ブロデリック提督の作戦「スカイフック」に参加する、
と得意げにいい、それを大佐が知らないことを小馬鹿にするじゃありませんか。
怒気を含んだ声で、

「帰るよ。君をひっつかんで魚の餌にする前にな」

というと、息子はいきなり父の目を睨み据え、

「あなたが母を捨てた時わたしは4歳で全くあなたを覚えていません。
18年間私のことなど思い出しもしなかったくせにどうして今夜来たんです」

いたたた、これはお父さん痛いわ。

「・・・ただ来ただけだから、帰る」

こうして二人の再会は後味の悪いものとなってしまいました。

次の日、テント下でのランチ会場では、近くに座っているのに
目も合わさない父と子二人のトリー。

ロックが情報将校のパウエルからスカイフック作戦について尋ねますと、

「極秘の最高機密だが、誰から聞いたんだ」

「あそこの若い少尉から・・・・実はあれは俺の息子だ」

「ええ〜?話してみたいな」

「やめとけ!」

 

さて、看護師マギー中尉はやる気満々、次のデートを自分から申し込み、
ロックは満更でもなくそれを喜んで承諾しました。

そして看護師の宿舎に迎えに来ると、そこで息子とばったり鉢合わせ。
息子はマギーと同室の看護師と付き合っているのですからあるあるな話ですが。

「気が合うな」

「蛙の子は蛙です(I'm just a chip off the old block, Sir.)」

ん?なんだかお二人さん、ナースたちのおかげで和気藹々っぽい?

さて、マギーさん初デートでいきなり手料理を振る舞うという荒技に出ました。

そして最初の会話が、別れた夫(陸軍大将だった父の補佐官)の悪口ですよ。
これは落としに来ている・・・・のか?

さて、こちらは息子ジェアとガールフレンドのアナリー・ドーン少尉。
行く先は提督の「腰巾着」、オーウェン中佐の宿舎です。

アナリーとダンスのどさくさに紛れてクンクン髪の毛の匂いを嗅いだりして
上司としての役得とばかり「充電」に余念のないオーウェン中佐ですが、
でもこれ女の方にもちょっと問題がありそうです。

明らかに恋人の上司に対する儀礼を超えた誘うような目つき。

そのくせ急用でオーウェン中佐が出て行き、二人っきりになるとジェアを押し除け、

「安っぽいのは嫌なの!」

無自覚なのかわざとなのか。
さっきまでのオーウェンに対する目つきはなんなんだ。
これは誠実にお付き合いしたい男なら怒るよね。

「そうやって焦らせる方が安っぽいよ」

「なんですって?」

こういう「小悪魔Bッチ」はそのうち痛い目に遭うよ?(伏線)

さてこちら熟年カップルのデートの行方はというと、
ロックも、流れでマギーに身の上話を始めました。

別れた妻の家がいわゆる名家であったこと。
息子ができたとき嫁の実家から海軍を止めて会社を継ぐように言われ、
それが別れにつながったこと。
そして海軍に残ることを決めてから妻にも子にも会っていないこと。
(でもなぜか離婚はしていない模様)

互いの不幸話で中年カップルはすっかり盛り上がるのでした。

翌日、トリー大佐はパウエル中佐から、護衛艦が3隻、
元フランス海軍基地のあるトゥルボン島に送られる、すなわち
「スカイフック作戦」についての情報を受け取りました。

B17が着陸することのできる島をおさえることに成功すれば
000マイル四方の近海を制覇できるのです。

トゥルボンは架空の地名です。

トリーが官舎に戻ると、なんとマギーが玄関先で座り込んで待っていました。
明日戦地に出動を命じられ、もう会えないかもしれないという思いが

彼女をこの行動に借りたてたのでした。

「ハロー、セイラー」

トリー大佐もまた同じ作戦に参加することになっていましたが、
そのことは触れないまま、同室のパウエルにいきなり電話をし、

「今夜他所に泊まってくれないか」(=帰ってくるな)

 

マギーはその間もずっとタバコを吸っています。
実は
パトリシア・ニールも超ヘビースモーカーで、それが原因かはわかりませんが、
頭蓋内動脈瘤を三度も患っています。


ただし、亡くなったのは2010年なので、タバコが寿命を縮めるという説は

彼女にもウェインにも当てはまっていません。

彼女はウェインと最初に共演した若い頃は彼を嫌っていたそうですが、
このハワイで行われた撮影では二人はとても「うまくいった」そうです。

二人ともいいように歳をとって角が取れていたのかもしれませんね。

話を戻しましょう。

つまりこの二人はこの夜結ばれたということになるわけですが、
二人のビジュアルに(ウェイン58歳、ニール39歳)配慮してか、
ラブシーンはなく、ロックが電話を切ってマギーの名前を呼ぶと、
マギーがナースシューズを脱ぐ足元だけが映り、あとは想像にお任せ、です。

しかし、この頃の39歳の女優って、今の同年齢より老けていてびっくりします。
ウェインの58歳で大佐役というのはサバ読みすぎで論外ですが。

さて、こちらトゥルボン基地のポール・エディントン中佐、
ハワイのカヌーに乗り、間抜けなレイをつけて登場です。

実はポール、基地の敷設隊で本人曰く
「ガソリンスタンドで車が入れ替わるのを見ているような」
つまらない仕事に甘んじています。

まあ、営倉入りしちゃったら、左遷もやむなしですわ。

何しにきたかというと、同基地に到着した看護師部隊のお迎え。

ロックからの言いつけで、マギー・ヘインズ大尉に花輪とバスケットのフルーツ、
そして底に忍ばせたお酒を届けに来たのでした。

そこでおっさん、若くてキュートなアナリー・ドーン少尉を見るなり目の色を変え、
一人の看護師に一旦掛けたレイをわざわざ外して進呈するという露骨ぶり。

こんなだからああいうの(不倫中事故死するような妻)を掴むのだとなぜ学ばないのか。

そして相変わらずアナリー、こちらも相変わらずというか、
自分に関心を持つ男に対し
明らかに思わせぶりビームを放出しております。

そんなことしているとあとでろくな目に合わないよ?くどいけど。

さて、ロックはハワイ島内で民間航空防衛の監視所に、
部下のマッコーネル中尉、マックの妻ビバリーを尋ね、
直々にマックが行方不明であることを告げます。

乗っていた駆逐艦は二本の魚雷によって沈没し、中尉は
遺体も見つからないMIA(戦闘中行方不明)になってしまったのでした。

「大佐、夫は犬死ですか?」

彼女は、夫からの手紙にブロデリック提督には作戦を遂行する能力がなく、
この責任は彼にある、と書いてあったことを伝えました。

一介の中尉が提督を無能と文書で批判するのはいくらなんでも不味くないですかね。

その晩、ロックに驚愕の人事が下ります。

司令官邸におけるパーティの席で、キンメルが降格されたあと
太平洋司令官になったCINCPAC2という役名のニミッツ(ヘンリー・フォンダ)が、
ロックを大佐から准将(Rear Admiral)に昇任させるという通達を発表したのです。

ジョン・ウェインが大佐にしては老けすぎてるから?

というのは冗談で、今回ロックが処罰どころか昇任したのは、
ジグザグ航行中止の判断はやむなく、むしろ魚雷を受けた後の対処が正しかった、
とパウエルが処分を覆して昇級を強く主張したからでした。

うーん、パウエル中佐、何者?

准将となったロックに、ニミッツはスカイフック作戦遂行に際し、
有り体に言えばブロデリック提督の能力には疑念があるので、
君を送り込むのだ、と匂わせます。

「リンカーンが、官僚的仕事はできるが統率力のない
ジョージ・B・マクレランに手を焼いたときと同じだ」

残念ながら日本語字幕にはこの名前は翻訳されません。

「そこでリンカーンはグラントという名の”ヤンキー”を呼んだ」

そしてニミッツはトリー准将に自分の襟章を託しました。

 

さて、ロックはトゥルボンで作戦指揮を執り、
「太平洋のグラント」となることができるのでしょうか。

 

続く。

 


映画「危険な道」〜真珠湾攻撃

2020-11-28 | 映画

当映画部が最近日独米作品というローテーションで映画を紹介していることに
お気づきの方も、もしかしたらおられるかもしれません。

夏以降、日本海軍の造船界隈を扱った「怒りの海」、制服を盗んで士官になりすまし、
暴虐の限りを尽くした実在の人物をモデルにした「デア・ハウプトマン」、
ときているので、今回は特にスター共演で話題となったハリウッド映画を取り上げます。

 

本作「危険な道」のオリジナルタイトルは「In Harm's Way」。
直訳すると「危険な道」で珍しくも合っています。

翻訳した邦題が正しくオリジナルの意図を伝えている例は、
いうてはなんですが、わたしがこれまで扱ってきた映画では初めてです。

”In Harm's Way ”、この言葉はアメリカ独立戦争の海軍の英雄である
当ブログ的にはおなじみジョン・ポール・ジョーンズの言葉、

I wish to have no connection with any ship that does not sail fast,
for I intend to go in harm's way.

「高速で進まない船とはわたしは関係を持ちたくない。
なぜならわたしは危険を承知で行くのだから」

から取られています。
同名の小説をベースにしたこの映画の監督は名匠オットー・プレミンジャー
一山いくら状態で有名な俳優がぞろぞろ登場するという豪華版です。

さて、先も長いしとっとと始めましょう。

タイトルとして登場するのはポスターと同じデザインの、
指差す海軍士官の腕を図案化したモチーフです。

ここはハワイのフォード島「コミッションド・オフィサー・メス」
つまり士官のみが使用できる食堂&慰安施設。
おりしも1941年12月6日の夜、ダンスパーティが行われています。

これは史実だったらしく、戦中の日本映画「ハワイ・マレー沖海戦」で、
このパーティの様子を通信で傍受した日本軍が、

「アメさんたち、女子と抱き合って踊っとるんじゃ」

と皆で嘲笑う?シーンがありましたっけ。

軍関係者のパーティらしく、テーブルに整然と並べられた軍帽から
プールサイドで行われているパーティ会場にカメラは移動します。

バンドが演奏しているのは「スリーピー・ラグーン」。
(題名が思い出せなかったので『歌っちゃお検索』で歌って突き止めました)

スローダンスがアップテンポに変わると、一人で酔っ払い、
フェロモンを無駄に撒き散らして周りの顰蹙を買っている美女が登場。
バーバラ・ブーシェ演じるリズ・エディントンです。

「見ておれん」

リズは海軍パイロットであるポール・エディントン中佐の妻ですが、
今宵彼女がハメを外している相手は夫ではなくなぜか紛れ込んだ陸軍パイロット。

それを見てマコーネル中尉夫妻が眉を潜めております。
(マコーネルが老けているので大尉と思っていたらどうも違うらしい)

「エディントンは訓練で海に出てるんだぞ」

それはともかく、女性のファッションや髪型がどう見ても
1950年代のそれで、1941年のものとは思えません。

陸軍少佐を演じているのはヒュー・オブライエン。
彼女をパーティから連れ出すときに、

「海軍は息が詰まる」(It's a stuffy Navy joint.)

とさりげなく海軍をディスっております。

それより陸軍にもこんな白っぽい制服があったんですね。
スーツ襟ですが、これは海軍に対抗するためのパーティ用?

いそいそとご自慢のリンカーンコンバーチブルに乗りこみ、
夜の海に到着するや、このBッチが海岸で全裸になり、
海に入って行くので男も制服を脱ぎ捨て以下略、というありがちな展開に。
(女性上半身後ろ姿ののサービス映像あり)

戦争映画だと思って見始めたらとんでもない出だしじゃないですかー。

明けて12月7日、運命の朝がやってきました。
こちらは本作の主人公である「ロック」、ロックウェル・トリー大佐が
艦長を務める「無名の重巡洋艦」です。

いつもの海軍的ルーチンを行う乗員たち。

「ドミドミドードー ドッドドドミドー
ミソミソミーミー ミッドドミソミー
ソドソドソーソソッソソソドソー(繰り返し)」

これがアメリカ海軍の起床ラッパのようです。

我らが艦長はガウンを着て髭剃り中。

本作はジョン・ウェインの最後の白黒映画となりました。
誰が見てもこの頃のウェインは海軍大佐にしては年寄りすぎで、
しかも年齢のせいばかりともいえない覇気のなさが感じられるのですが、
この頃肺癌と診断され、撮影中ずっと血を吐いていたからでしょう。

病気にもかかわらず彼は撮影中1日6箱のタバコを吸い続け、
撮影終了直後に左肺と肋骨を何本か切除するという事態になりました。

しかしそれでもこのあと彼は闘病しながら映画にも出て15年元気?でした。
本人も納得してただろうし、
病気も本望だったのではないでしょうか。

さて、ここでトリー艦長、嫁が絶賛浮気中のエディントン中佐を呼び出し。

エディントン(カーク・ダグラス)は浮気な嫁のせいで任務に身が入らず、
そのせいで航空隊
をクビになって船に回されてきたといういわく付きです。

写真立ての嫁の写真を物思わしげに眺めたりして、性悪なのに、
(いやだからこそか)執着せずにいられないようです。

さて、こちら性悪の方は悩める亭主のことなどそっちのけで、
浜辺の一夜を過ごしたものの、朝が来てみると横に転がっているのは
いぎたなく寝ているほとんど知らない男。

ちなみに陸軍少佐を演じたヒュー・オブライエンはちゃんとした?俳優ですが、
あまりにしょうもない役どころのせいか、クレジットなしです。

さて、今からマック(マコーネル中尉)が駆逐艦「キャシディ」に乗り込みます。

ちゃんと乗艦の際艦尾に向かって敬礼しているのが本物っぽい。

甲板で暇つぶしにゲームをしている駆逐艦野郎どもですが、
そのとき、一人が通達文を読んでいわく、

「駆逐艦ワードが哨戒中に潜水艦を撃沈したそうだ」

そう、真珠湾攻撃はこのときすでに始まっていたのです。
しかし、乗員は呑気にトランプを繰りながら

「あーあ、味方の潜水艦を沈めたらただじゃ済まないぞ〜?」

違う節子それ日本の潜水艦や。

さすがに巡洋艦の艦長であるロックはこれを見てすぐさま
ジグザグ航行を命じますが、エディントンは

「またかわいそうなクジラが脂肪を失ったか(直訳)」

とこちらも呑気です。

しかし、飛行機の大群は訓練にしては変だと思い始め、
艦長はジェネラルクォーター(総員配置)を命じました。

「ドドドソミミミドソソソミミドソ、
ドドドソミミミドソソソミドソドー(繰り返し)」

これが総員配置のラッパですが、総員起こしに続き、
アメリカ海軍のラッパは音楽的にイマイチだと思いました(感想)

「This is not a drill, this is not a drill,
General Quarters, All hands man your battle stations.」

使用された巡洋艦は「セントポール」、総員配置につく乗員は全て本物です。

砲の先のキャップを取り、戦闘ヘルメットを被り、皆が甲板を全力疾走。

こちらは駆逐艦「キャシディ」のマコーネル中尉。
先任として朝の儀式を行っているところに連絡あり。

「日本語の機内無線らしき音声が聞こえる」

非常時と判断したマックは出航準備を命じました。

この頃砂浜でようやく目が覚めた陸軍少佐。

エディントン嫁はこんなときにコンパクトを見るのに一生懸命ですが、
男はさすがに腐っても飛行将校、日本軍の攻撃だと気付きました。

飛行機からの銃撃を受けながら(これは歴史的に間違い。民間人は攻撃されていない)
転がるように車に乗り込んだ不倫カポー、カーブ道をすっ飛ばしますが、

カーブを曲がったところでなぜか左側を走っていたトラックを避けようとして
車はガードレールを乗り越えて崖を転落。

(-人-)ナムー

この瞬間なぜか車種が明らかに別の車に変わっています。
情報によるとそれまでリンカーンだったのが落ちたのはフォードだそうですが、
このタイプは1946年製で1941年には存在していません。

崖を落ちていくフォードの助手席には軍帽を被った人形が一体載せられていますが、
助手席にリズの姿はありません。
実際に転落に使える車がフォードしかなかったのでしょう。

 

「バーナー挿入」

「系糸装置解除。保護弁開け」

「電気ローラー起動」

そうこうするうちに周りの海面に空爆の水煙が立ち始めました。
艦番号298とありますが、「キャシディ」は架空の駆逐艦で、

USSフィリップ Philip DD/DDE -498

が撮影に使用されました。
当時は現役だったので、乗員も全て本物であったはずです。

そこで問題が。

すぐさま出航を命じたマックに向かって乗員が

「Wait the captain」(艦長を待たなくては)

しかし彼は

「Screw the captain」

とすぐさま言い返しています。
字幕では「置いていけ」となっていますが、さすが海軍という組織で
いくら映画でも一介の中尉がそんな命令をだすとは考えにくいですね。

Screwは文字通りねじ込むという意味なので、

「早く乗艦させろ」

が正しいのではないかと思われます。

結局最終的に艦長は置いていくことになるわけですが。

艦長がいないので独断で爆撃を避けるため出航した「キャシディ」ですが、
後ろから内火艇で艦長と副長が追いかけてきました(笑)

乗員「ハーディング艦長と副長です」

艦長&副長「スピードを落とせ〜!」

マコーネル「みんな、後方に何か見えるか?」

艦長&副長「乗せろー!止まれー!」

乗員「見えたとしたら目がおかしいですな」

同期「スピードを上げるんだマック」

いやー、いろんな映画で真珠湾攻撃のシーンを見てきましたが、
アメリカ側にこんな悲惨さのかけらもないのは初めてだわ。

日本軍の攻撃が続く中、上層部が司令部に集まってきました。
水兵たちが銃を空に向けて撃っています。

状況証拠的に?この真ん中がキンメル提督であることは間違いありません。

ちなみにハズバンド・キンメルを演じたフランチョット・トーンも、
本作撮影中肺癌で闘病しており、直後に死亡しています。

キンメルは到着するなり出航した艦の確認を始め、

「9隻の戦艦のうち1隻も外に出なかったのか?」

と質問しています。
しかし、実際に当時真珠湾にいた戦艦は8隻でした。
(USS『ユタ』はすでに標的艦だったため)

さて、こちらはロック艦長の巡洋艦。

「駆逐艦(tin-can)が出航したと報告がありました」

ロックは巡洋艦3隻と駆逐艦8隻を集め、12隻で艦隊を組みました。
それらの全てがレーダーを装備していないにもかかわらず、
司令部は日本軍を探し出して攻撃せよと命じてきます。

その通達を受けるとき、ロック艦長は長官のことを

「CinCPac」
Commander‐in‐Chief、Pacific Command

と呼んでいます。
太平洋軍最高司令長官の意です。

自衛隊の人が在日アメリカ軍司令官を7Fと呼んでいたのを思い出しました。
全く関係ありませんが、我が政界にも超親中派の2Fという政治家がいますよね。

それはともかく、日本軍追撃を命じられた巡洋艦隊ですが、
問題は燃料の補給ができていないことです。

ちょうどタンカーとすれ違いますが、艦長は一眼で
艦体が浮いていることから補給する燃料は積んでいないと判断します。

ここでロック艦長はジグザグ航行をやめて燃料を節約するという
苦渋の決断を下さざるを得なくなりました。

懸念は敵潜水艦の存在でしたが、そういう時に限っているんだなこれが。

まずマックの駆逐艦「キャシディ」がその存在を発見。

ロック艦長はジグザグ航行の再開を命じ、駆逐艦は爆雷を投下します。

艦長とエディントンの間にいる士官は「バーク」と呼ばれていますが、
わたしのカンによるとこの人のファーストネームは「アーレイ」だと思われます。

ところがそのとき、爆雷にもめげず日本軍の潜水艦が放ってきた魚雷が
見事巡洋艦の横っ腹に命中!

中央部からは応答なく、浸水した模様です。

「損害箇所を知らせろ」

という艦長に、エディントン中佐、(この人の役割って何?)

「(損害箇所は)その腕。多分折れてる」

この一連の会話で、当時のアメリカ海軍では艦長のことを
「オールドマン」(オヤジ)と呼んでいたことがわかりました。
もちろん面と向かっては言いません。

艦内ではエディントンが中心となってダメコンを行い、
巡洋艦はその甲斐あって沈没を免れました。

爆雷で潜水艦を駆逐したと報告を受けたので、ロック艦長は
メガホンで直接やりとりを始めました。

「ハーディング中佐、よくやった」

「ありがとうございます閣下、わたしはハーディング中佐ではありません」

「中佐はどこだ」

「陸(おか)であります」

「誰が指揮しているんだ」

「わたくしマコーネル中尉(Lieutenant)です」

「中尉(Lieutenant Junior grade)と言ったか?」

「兵学校38期のウィリアム・マコーネルです」

「ほー・・・・」

ロック艦長は「キャシディ」以外の艦に帰還を命じ、
マックに巡洋艦の曳航を任せたのでした。

"Oh, Rock of Ages.
We got ourselves another war.
A gut- bustin', mother-lovin' Navy war."

エディントンが顔を合わすなりロックに向かって言うこの言葉、

「ああ、このロック野郎、また戦争にありついたな。
腹が捻れそうな、あのお馴染みの海軍の戦争に」

と訳してみました。

しかし実際は中佐が大佐に向かってこんな言い方をするわけないですね、
適当に敬語に翻訳しておいてください(いいかげん)

 

 

続く。


デア・ハウプトマン(大尉)〜映画「小さな独裁者」

2020-10-31 | 映画

 

 

脱走兵がたまたま放置されていた車の中に軍服を見つけ、
それを着込んですっかり大尉になりすまし、
部下を引き連れていく先々で殺戮を行う。

もしそれが実話をベースにしていたと知らなければ、
突っ込みどころ満載の穴だらけの脚本といわれそうな映画です。

しかしそれは現実に起こったことでした。

 

映画でも本名で語られているヴィリー・ヘロルト(Willi Herold)は、
盗んだバイクで走り出し、じゃなくて盗んだ制服で大尉となって
「ヒトラー総統の全権を受けた」と豪語し、敗残兵の部下とともに収容所を支配し、
脱獄囚の処刑や拷問を行ったうえ、収容所が爆破されるとこんどは
放浪しながら戦争犯罪を重ねていったというのです。

いくら制服を着ていたといえ、どうして19歳のガキにことごとく皆が騙されたのか、
軍人は誰も疑いもしなかったのか、それくらいドイツ軍はアホの集まりだったのか、
とこれを読んだだけでつぎつぎと疑問が湧いてきます。

ともかくこんな嘘のような話が現実に起こっていた、ということをを後世に知らしめた点で
本作品はある意味人類史に小さな貢献をしたといえるのではないでしょうか。

 

さて、この映画「Der Haptmann」、英語では「The Captain」。
captainは米海軍では大佐ですが、陸軍と空軍では大尉となるので、
日本語も「大尉」でいいと思うのですが、相変わらず日本の配給会社は

「小さな独裁者」

などと気持ちはわかるがとにかくセンスのない邦題をつけてしまっています。

 

さて、映画のストーリーは冒頭3行の通りです。
なんなら冒頭に描いた絵で全てが網羅されています。

実話なので流石の当ブログもツッコミようがないということもあり、
今回は数少ない資料(ドイツ語のドキュメンタリーYouTubeなど)を参考に、
この映画というより驚くべきこの人物について書きたいと思います。

冒頭の逃走シーン。

1945年3月、ドイツとオランダ国境から近いグローナウをめぐる戦いの途中、
ヘロルトは脱走し、

Deutschlandkarte, Position der Stadt Bad Bentheim hervorgehoben

このだいたい左上くらいのところをうろうろしていました。
(大雑把すぎ?)

道中、ヘロルトは側溝に落ちた軍用車の残骸を発見するのですが、
車中には
勲章のついた真新しい空軍大尉の軍服の箱があったので、
それを着込んで将校になりすました、というのがことの発端でした。

しかしこれはあくまでも本人の供述によるもので、本当だったかどうかは
もう永遠に検証されることはありません。

それにしても、逃走中こんなだった人が、

制服を着たとたんこんな風にいきなりこざっぱりしてしまうとは・・

いくらなんでもかなり無理があると思うのですが、どうなんでしょう。

彼がさらに北に向かって歩いていると、敗残兵に呼び止められます。

「部隊から逸れました。指示をください」

その後も北進を続けるうちに合流する敗残兵は増えてきて、
いつの間にか「ヘロルト戦闘団」「ヘロルト衛兵隊」を自称する
30人あまりの軍団になっていったのです。

車を手に入れると、彼はそのうち一人を運転手に指名しました。

映画ではたまたま野戦憲兵が通りかかったように描かれていますが、
実際は検問所を通過する際、ヘロルトは当時

「憲兵による書類提示の要請を拒否したため取り調べを受けたが、
あまりにも堂々とした振る舞いのため、取り調べの担当将校は
ヘロルトを空軍大尉と信じ込み、シュナップスを注いで歓迎した」

堂々としているかどうか以前に、当時19歳のヘロルトが大尉(通常30代?)を名乗っていて
誰もおかしいと思わなかったんでしょうか。

これですよ?
妙に童顔の将校だなー、とでも思っていたのかしら。

パーペンブルグに着くと、付近の収容所が脱獄囚の捜索を行っている、
という報告を受け、ヘロルトは市長および地元のナチス地区指導者と会談。

映画ではかなーり怪しまれているように描かれています。

ここでヘロルトは、

「自分には任務があり法的な些事のために割く時間はない」

として、脱獄囚を即時射殺させています。(つまり自分ではしていない?)

 

4月12日、ヘロルト一行はエムスラント収容所アシェンドルフ湿原支所に到着しました。
ここで行った大虐殺のため、後に彼には

「エムスラントの処刑人」

という別名が与えられることになります。

同収容所にはドイツ国防軍の脱走兵や政治犯が収容されていました。
直前に周辺からの移送があったため、数は3000人を越していたといいます。

ヘロルトはこのとき収容所および地元党組織の幹部らに

「ヒトラー総統は自分に全権を与えた」

と言い切ってこれが信用されています。

嘘は大きいほどバレないということなのか、あまりにも
話が大きすぎてつい信じてしまったのか。

相手がヒトラー総統とくれば、疑わしくても確かめる術がありません。
下手に疑ってもし本当だったら、そのときは自分の命取りになりかねません。

おりしも収容所で秩序が崩壊しつつあり、脱走者を相次いで出すなど、
不祥事に悩まされていた幹部連中は、中央からの、という言葉を聞いただけで
やましさから萎縮してしまい、ヘロルトを疑うこともしなかったらしいのですが、
それを読み解いた(かどうか知りませんが)ヘロルトは機を見るに敏、
状況を読むに長け、ある意味天才的な策略家だったといえます。

ただしその才能らしきものはろくな使われ方をしなかったわけですが。

彼は野戦裁判所を設置して秩序の回復を図ると宣言し、
さっそく血の粛清を行いました。

逮捕された脱獄囚たちは長さ7m、幅2m、深さ1.80mの大きな穴を掘らされ、
4月12日18時00分、高射機関砲の一斉掃射が始まりました。

生き残りがいないか死体を蹴って確認し、念入りに殺人が行われました。

映画ではたった一人、殺人にドン引きしていた部下をわざわざ指名し、
穴に入らせて生き残りを射殺させるという筋金入りの冷酷さ。

この日、日没までに囚人のうち98人が射殺されました。

収容所の将校が一人、ヘロルトの処分を「違法だ」としたうえで
上に報告する、と言っていましたが、その後どうなったのでしょう。

地元国民突撃隊部隊も出動させ、脱獄囚の捜索逮捕および処刑に当たらせますが、
映画では「埋め戻し」を拒否したとして、彼らまで処刑してしまいます。

相変わらず自分の手をあまり汚さず、宴会で余興の漫才をしていた囚人に
わざわざ銃を持たせて撃たせてあげるヘロルト。

ちなみにこの囚人は自分の犯罪について誤魔化して語ろうとしませんでしたが、
相方?が同じように銃を持たされるや自分を撃って自殺してしまったのに対し、
冷静すぎるほど狙いをしっかり定め、一発で逃げる人を撃ち殺してしまいます。

「ただの物盗りですよ」

といっていたけど多分嘘だったんだろうな、と観ている人に思わせる演出です。

実在したのかどうかわかりませんが、これ、いかにも頭悪そうな収容所監督の嫁。
逃げる囚人をいきなり銃で撃ち出すって、なんていうか、お里が知れるわー。

この翌日、4月13日には74人の「処刑」が行われ、もちろんそれは
ヘロルトの指示によるものでした。

最初の処刑から1週間後の4月19日、イギリス空軍の爆撃により
収容所は破壊され、生き残っていた囚人は脱走しました。

収容されていた囚人にしてみれば、イギリス軍は神の使いのようにみえたことでしょう。

ヘロルトは敗残兵を集め、収容所の場所から逃走し、放浪しながら
各地で殺人(ヘロルト野戦即決裁判所 Standgericht Heroldという名のもとでの
即決裁判による処刑)と略奪(地元のホテルや商店に供出させ、
通行税と称して道ゆく人々からものを取り上げる)を行いました。

4月20日、ハロルトはパーペンブルクで連合国の到着に備えて白旗を揚げていた
農夫を「逮捕」して即決裁判で絞首刑に処しています。
(映画では英語で『WELCOME』とバナーを揚げている市民を射殺)

続いて2人の男性を逮捕して処刑。

海軍の脱走兵1人と精神障害者1人を処刑。

4月25日、レーア刑務所に収監されていたオランダ人5人の身柄を引き取り、
数分間の裁判でスパイ容疑者として形式的に裁き、墓穴を掘らせた後に射殺。

映画では好みの娼婦を横取りされたのに腹を立て、私的感情から
もっとも自分に反抗的だった部下を「裁き」、路上で処刑していました。

そしてアウリッヒに到着したとき、現地のドイツ軍司令官の命令で
全員が逮捕されることになります。

映画ではご乱行の大騒ぎの翌朝、野戦憲兵に踏み込まれたということになっています。

この野戦憲兵(フェルドゲン・ダルメリー)については当ブログでは
首に独特の鎖をかけている怖い憲兵集団ということを書いたことがありますが、
その鎖を首にかけた一団がどどどっとホテルになだれ込んでくるわけです。

あわててヘロルトは手帳を食べて証拠隠滅をはかるも阻止されます。

これは本物のヘロルトが処分し損なった軍隊手帳?
下の段は「目=青」ですよね。

逮捕の翌日、ヘロルトは海軍軍事裁判所で罪を自白しました。

ところが現実でもヘロルト裁判は不可解ななりゆきとなるのです。

本来死刑になっても
おかしくないほどの重罪を犯しているにもかかわらず、
ヘロルトは一種の執行猶予、つまり処刑しない代わりに前線に送られる、
という甘々の判決を受けることになるのでした。

つまりこれは映画でも判事?が言っていましたが、兵隊が足りないので
処刑はしないかわり前線で死んでね、という処置だったということになります。

この執行猶予大隊または懲罰大隊はドイツ陸軍に組織されていた部隊で、
兵役不適格者や軽犯罪者など、「潜在的な厄介者」を兵力として認めたものでした。

これに所属する隊員は最前線において「並外れた勇敢」(außergewöhnliche Tapferkeit)
を示すことが求められ、さもなくば猶予されている刑罰が執行されたり、
一般の犯罪者としてエムスラント収容所に収容されることになっていました。

つまり、ヘロルトは執行猶予大隊でもし「並外れた勇敢」を示さなければ、
自分たちが君臨したエムスラントに送られることになるはずでしたが、
もちろんそこは爆破されてその跡地はそのころすでに畑になっていました。

 

とにかく、案の定ヘロルトは懲罰大隊に大人しく参加するどころか
ちゃっかり姿をくらまして、
煙突清掃員(昔の仕事)として潜伏していたのですが、
1ヶ月も経たないうちにパンを盗んで現地のイギリス海軍に逮捕されました。

そして取り調べによってその恐るべき犯罪がもう一度明らかになったのでした。

イギリス海軍の現場検証に立ち会うヘロルト。

ヘロルトと彼の部下の敗残兵たちは集められ、皆で
アシェンドルフの犠牲者の遺骨を掘り返す作業を命じられました。

これは連合軍がよくやる?ドイツ軍に対する「懲罰的作業」で、
強制収容所の看守や軍医、ナチスの幹部が遺体の「片付け」をさせられるシーンが
動画として残されていますのでご覧になったことがあるかもしれません。

その際、彼らは手袋などを着用することを許されなかったそうですが、
ヘロルトらもきっと素手で掘り返しをさせられたでしょう。

裁判中のヴィリー・ヘロルト。

連合軍がドイツ人に対し、戦時中のドイツ人の殺害について裁く、というのは
ちょっと違和感を感じないでもないですが、つまりはそれだけヘロルトは
普遍的、人道的に許しがたい犯罪を犯したとされたのでしょう。

1946年8月、ヘロルトと敗残兵ら14人を裁くための軍事裁判が設置されました。

彼らは125人の殺害について有罪となり、同月29日(判決が早い)
へロルトと6人の敗残兵に対して死刑判決が下されました。
(うち一名は控訴のち無罪)

裁判所におけるヘロルトの写真を見る限り、総統の勅命を受けて
中央から派遣されたものすごい切れ者の空軍将校である、
と田舎のおっさんたちが信じてしまったとしても無理はない、
なんというか、一種「できそうな」雰囲気だけはあります。

ヴィリー・ヘロルトは1925年、屋根葺き職人の息子として生まれました。

演習を無断欠席してヒトラーユーゲントを追放され、
煙突清掃員をしていたそうですが、写真で見る彼は
顔立ちのせいなのか、ブルーカラーの育ちというには上品な感じに思えます。

18歳で空軍に徴兵されて兵役に就き、降下猟兵の連隊で訓練を終えました。
彼が脱走中に見つけた軍服が空軍大尉のものであったというのは、
この経歴から見て偶然の一致すぎる気がするのはわたしだけでしょうか。

さらに映画では、「見覚えがある」といわれた将校との会話で

「降下猟兵だった」

と誤魔化すシーンがありました。

しかし、たかだか1年の軍隊生活で大尉を演じ切るだけの知識を
かれはどうやって仕入れたのでしょうか。

 

ところで、わたしはこの映画を最初に観て歴史上の人物に対しては
ついぞ抱いたことのないほどの激しい嫌悪感を抱き、

「こんなやつは絶対に死刑になっていて欲しい!

と怒りに任せて検索をしたところ、1946年11月14日、ヴォルフェンビュッテル戦犯収容所で
へロルトは他の5人とともにギロチンによる斬首刑を執行されていたこと、
しかも、彼は尋問中、虐殺の動機について問われると、

「何故収容所の人々を撃ったのか、自分にもわからない」

と答えたということを知りました。

大尉の制服によって自分が濫用できる権力を手に入れたことに気づいた彼は
それを思いつく形で試してみたくてたまらなくなったのでしょう。

おそらく、抵抗できない人間の命が自分の意のままになることが
精神的に未熟な幼児のままの彼には楽しくて仕方がなかったのだと思われます。

 

映画のエンディングシーンで、ヘロルトら一味が現代のドイツに現れ、
チンピラさながら略奪を行う様子が延々と描かれますが、製作者もまた
彼らに対してのこの嫌悪感をどうしてくれよう、とばかりに、怒りに任せて
この一見不可解なシーンを付け足したらしいのがわたしにはよくわかりました。

とはいえ、映画的にこの付け足しシーンは正直全く評価できなかった、
ということもお断りしておきます。

Lilian Harvey - Das Gibt's Nur Einmal

それでは最後に、ヘロルトが大尉の軍服を着込んで調子はずれに歌っていた歌、
乱痴気騒ぎのときにも女性たちと一緒に恍惚として歌っていた、
映画「会議は踊る」の挿入歌「ただ一度の機会」をお聞きください。

その歌詞とは・・

ただ一度だけのもの
二度と帰ってこないもの
それは多分ただの夢

Das gibt's nur einmal,
Das kommt nicht wieder,
Das ist vielleicht nur Träumerei.

 

終わり


「斃れてのち止む」〜映画「怒りの海」 最終日

2020-09-27 | 映画

昭和19年海軍省後援による情報局制作の国策映画、
「怒りの海」最終回です。

 



場面は暗転し、いきなり英語の放送が流れ出します。

ロンドン条約終了後、アメリカ全権が発表した声明でした。

「我が合衆国代表の目的は、我がアメリカ海軍が
日本海軍を現勢力のまま釘付けにすることであった」

「しかも日本が国民の支持せる三原則案を敢然放棄し、
敵手の跳梁を拱手傍観する如き本条約を承認せる」

いわばアメリカの「勝利宣言」です。
場面はロンドンから帰国する船の船室で、放送を聞いているのは
随員として参加した朝香少佐でした。

「日本が三原則を放棄したことに対し敬意と賛辞をおくる」

とありますが、これは、対米七割を軸にした三大原則のことで、
具体的には

補助艦対米7割、大型巡洋艦7割確保、潜水艦現状維持

という「これだけは譲れないライン」でした。
実際は重巡洋艦保有量が対アメリカ6割に抑えられ、
潜水艦保有量も希望量に達せずに終わったのはご承知の通りです。

ちなみラジオ音声はネイティブの英語話者がいなかったらしく、
どう聞いても日本人の英語です。

立ち上がって船室内のラジオのスイッチを切る朝香少佐の後ろ姿。
そして、このあと何をしたかと言うと・・・・

実際に自刃した随員は草刈英雄少佐で、自刃した場所も汽車の中と
フェイクありで表現してありますが、これは事実です。

草刈少佐の自殺とその後起こった五一五事件について、当ブログで過去、
自分で言うのも何ですが、実に簡潔にかつ面白く整理してまとめておりますので、
よろしかったらもう一度ご覧ください。

草刈英治少佐の切腹と五一五事件

映画では新婚だったとありますが、草刈少佐の妻は自決当時妊娠しており、
生まれた男子は海軍兵学校67期に入学し、父が死んだのと同じ
少佐のときに終戦を迎えました。

草刈少佐の出身地は会津若松だったということですが、
映画で朝香少佐のお墓があるのも、猪苗代湖を見下ろす
丘の中腹という設定になっています。

この墓前に参り花を手向ける平賀の姿がありました。

偶然墓前で平賀は浅香の同期の吉野と出会います。
吉野は大陸に渡って任務に就いていたと説明します。

墓前で吉野が同級生に呼びかけるように

「浅香・・・日本は立ち上がったぞ」

と言います。
これはおそらく、ロンドン軍縮会議から5年後の第二次会議で
軍縮会議から日本が脱退し、それまでの条約も破棄したことを言っているのでしょう。

「帝国海軍は無敵だ」

吉野は平賀に、上海事変の際現地で「夕張」を見た、といいます。

「ほお、そうでしたか」

第一次上海事変を受けて、野村吉三郎中将率いる第三艦隊、
巡洋艦7隻、駆逐艦20隻、空母2隻(加賀・鳳翔)を派遣しましたが、
その巡洋艦の中には「夕張」が含まれていました。
(その他は平戸、天龍、対馬、那珂、阿武隈、由良)

「あの凄まじい威力に毛唐ども、すっかり度肝を抜かれておりました」

ちょっとお待ちください上海事変なら「毛唐」の「毛」はいらないのでは。
吉野は海外で我が軍艦を目の当たりにしたとき落涙した、と語ります。

「閣下、どうか新鋭艦をどしどし作ってください」

しかし平賀はそれに対し力なく笑いながらこういうのでした。

「海軍の技術力は充実しておりますので、僕なんかが引退してもびくともしませんよ」

「・・・・引退?」

この少し前から平賀は海軍技術者の藤本喜久雄と対立、
この内部対立により、艦船設計の担当部署である艦政本部から
海軍技術研究所の造船研究部長という閑職に左遷されていました。

しかし、海軍後援の本作品では、そういうドロドロはもちろん、
平賀が軍服を脱ぐに至った事情には一切触れずに、
後進の指導に当たることになった、と表面的なことだけ述べます。

平賀の伝記であれば、友鶴事件、第4艦隊事件が起こった後、
平賀が調査委員会を率いてその対策を講じたことも描くべきだと思いますが、
このあたりは海軍的に「触れられたくない」黒歴史なのでこちらもなしです。

東大総長となった平賀先生がさっそく第二工学部を設立せよ!と
鶴の一声を(咳き込みながら)下命しています。

総長就任後、平賀の肝煎で東大には第二工学部が設立されました。
ついでに興亜工業大学(現在の千葉工業大学)を興したのも平賀です。

ついでのついでに、平賀先生、総長に就任するなり
派閥抗争を起こしていた教授を13名追放するという
「平賀粛学」を行っています。

咳を気にして診察を受けるようにおずおずという事務長に
大丈夫だと言っていると、来客がありました。

この士官が誰なのか全く説明がないのですが、彼は開口一番、
浅香の墓前で会った吉野少佐が亡くなったといいます。

なんと、「マライ」でスパイの嫌疑を受け収監され、釈放後、
マラリアに罹ってしまったというのです。

っていうかマライってどこ?マレーのことかしら。

「そうですか・・・」

この人は、なぜだか吉野が生前各国の印象などを書き込んだ手帳を
持ってきて、机の上に置き、

「閣下に読んでもらえば吉野も本望でしょう。
閣下を崇拝しておりましたから」

って、二回しか会ったことがない人の遺品をもらっても
平賀先生も困っちゃいますよね。
というかこのおっさん、なんで人の遺品を勝手に他所に持って行ったりするの。
普通返すならまず家族だろーが。

しかし、この士官の目的は実はこれが目的ではなかったのです。

「わたくしは吉野を連れて行きます」

はて、亡くなった士官を連れて行く・・・?
これは連れて「往く」ということなのでしょうけれど。

「いや、浅香も・・飛行機で死んだ澤井も今度の航海に連れて行きます」

最初に訓練で亡くなった飛行士官ですね。
このシーン、わたしはなぜだか’ぞっ’としてしまったのですが、
士官は湧き上がってくるような不気味な微笑みを浮かべながら笑いを含んだ声で、

「ひょっとしたら、赤道を、超えるかもしれません」

言い終わるとその顔から生気が抜けるように急激に表情がなくなりました。

海軍後援であり情報省が制作に関わった国策映画といいながら、
この士官の表すものはどう見ても闘志や軍人精神ではなく、
まるで魂がすでに幽界を彷徨っているかのような虚脱と諦めなのです。

これは何なんだろう。

「往く」ではなく、「逝く」の意味であることを隠していないのです。

わたしはこのシーンを挿入した制作者の意図について深く考えてしまいました。

「そうですか・・・」

またしてもそうとしか言えず下を向く平賀。
気まずい沈黙が総長室を満たしていきます。

士官の出て行った後、平賀がまたもや「土佐」の文鎮に目を止めると、
その映像に行進曲「軍艦」が重なります。

病の床に伏せっている平賀のために妻がつけたラジオは

「・・敵航空母艦4隻、戦艦1隻、その他1隻を撃沈、
戦艦1隻、巡洋艦3隻、駆逐艦1隻を中破し、
敵機200機以上を撃墜せしめたり」

「我が方の損害、巡洋艦1隻、駆逐艦1隻小破せるも、
戦闘に支障なし、未帰還機15機」

はて、いったいどの海戦の結果なんでしょうか(すっとぼけ)

実は平賀の床の周りには見舞客が来ていました。
周りが寝ているように勧めても

「大丈夫だよ。それほどの病人じゃない」

と相変わらず強気な平賀先生です。

彼らは東大の評議会員でした。
病気の平賀を気遣って、入学式には休むように言いに来たのです。

しかし平賀は相変わらず

「大丈夫だよ。自分の体は自分が一番よく知ってる」

平賀は晩年結核に喉頭を冒されており、それが死因となりました。

平賀、入学式に出るどころか祝辞を読む気満々で
下書きを済ませておったのです。

「読んでくれたまえ」

「新入生諸君。
諸君は国家の期待といちもんきょうとうの輿望とを一身に担うて、
今日帝国の最高の学府に入学したのであります。

諸君がこの栄誉を勝ち得たのはもとより良き指導を受け、
多年蛍雪の功を積んだためとは申しながら、畢竟、
生来のお恵に他ならないのであります。

今や皇国は世界の二大強国を敵とし、総力を上げて乾坤一擲、
一大決戦を敢行しつつあるのであります」

声はかすれた平賀自身の声に代わり、場面は東大講堂になりました。
30歳から晩年までを演じ切った大河内伝次郎の巧さがひときわ光る場面です。

「諸君が安んじて日日の学業に専念できますのは、ひとえに
皇恩の広大無辺なるによるものであります。

さらに諸君は二十幾年、諸君の訓育に心血を注がれたる父母の恩の
三界にも渡ることを回想し、尽きせん感謝の念に絶えぬものがありましょう」

「皇国に学徒たるものの本分は、至誠を持って
’すめらみくに’に仕え奉るにあるのであります」

一言一言区切るように話をしながら身体を手で支えていた平賀総長、
前によろめくと、スタッフが思わずはっと身体を固くします。

「まことの創意とは、まことの独創とは、ただ国家の希求に身を呈し、
皇軍の扶翼に心肝を砕く、尽忠一途ぞ至誠より生るるものであります」

「諸君はよく学生たる本文を忘れることなく、いつにても、何時にても
召さるれば、勇躍戦場に赴き、一死君国に奉ずる決意を固めつつ、
而も、沈着冷静に勉学すべきであります」

この祝辞は、念願だった第二工学部の創設が成った昭和17年4月の
入学式のものであろうと思われます。

昭和18年2月。
死の床にある平賀を見舞いに来たのは、

艦政本部で苦労を共にした竹中と、

山岸でした。
ここに谷がいないのは、彼が早逝したということでしょう。

「どうだね。皆んな元気にやっとるかね」

「はい。皆一生懸命にやっております」

「いいふねが・・・・続々できて陰ながら喜んでいるよ」

「山岸くん。覚えとるかね。土佐を沈めたときのことを」

「は」

「皆・・・泣いたねえ・・・あの気持ちだ。
あの気持ちさえ失わなかったら、日本の海軍は益々無敵になっていくよ」

「君たちがうらやましいよ」

竹中が

「私たち折行ってお願いがあるんですが」

山岸が引き取って、体が回復するまで総長をやめてはどうか、
というのですが、うーん・・この容体はそういう段階かな。

しかしこんな状態でも平賀は、自分が役に立つ限りやめられない、
と弱々しい声ではありますがキッパリというのでした。

「これが最後の御奉公になる」

「先生!」「先生!」

「斃れてのち止む・・斃れてのち止む・・
戦えるよ・・・わしはまだ戦える」

彼の脳裏には大海原を駆ける軍艦の姿がありました。

その艨艟の姿に重なる軍艦行進曲で平賀譲の物語は終わります。

 

平賀は昭和18年2月17日 午後7時55分、東京帝国大学医学部附属病院で
嚥下性肺炎により64歳にて死去しました。

翌日遺体から取り出された脳は現在も東大医学部に保存されています。

 


艦政本部会議での葛藤〜映画「怒りの海」 3日目

2020-09-22 | 映画

1944年海軍省後援の国策映画「怒りの海」、三日めです。

 

ある日、平賀少将が議長となって艦政本部の会議が行われていました。
この会議の終着点はただ一つ。

5000トン級の巡洋艦と同等の能力を如何にして3000トン級以下の船に持たせるかです。

平賀はそれが可能だと信じている、と説明を始めます。

排水量に対する裸の船体の占める重さの割合は、
駆逐艦および戦艦がそれぞれ35%程度なのに、
巡洋艦は45%、つまり10%多いわけです。
この点を工夫すればこの程度の重さの節約は十分可能だというのです。

そして排水量に大きく作用する機関、これを駆逐艦並みの速力を出すのに
巡洋艦の重量の割合は駆逐艦より大きいので、この点を・・。

といいかけたとき、

「ちょっと!」

と口を挟んできた軍人(高木少将)がいます。
この人、志村喬ですよね。
すぐに

「いや、やっぱり後にします」

というのですが。

平賀が続けます。

「攻撃力を弱めることなしに排水量を節約するには機関が問題になってきます」

なるほど・・・といったっきり黙り込む面々。
これは理屈はともかくどうしたらいいかわからんと見た。

「で・・・船体の技術的処理はどの程度まで進んでいると?」

「残念ながらはっきりした見通しはついていませんが」

うーん・・それっていまのところ「不可能」ってことでわ?

先ほど口を挟みかけた志村喬がここで、

「機関そのものは軽くなりませんよ?」

 

高木少将、実は機関製作部門の主任だったのです。

痛いところをついちゃった感じ?
全員またもし〜〜〜〜んとしてしまいました。

能力があり馬力の出る機関を軽く作る
つまりこう言うことなのですが、
それが簡単にできれば誰も苦労しないよね。

防御の点からいっても巡洋艦を駆逐艦並みに軽く作ることはできないのですし。

改めて機関を設計する側からお願いしておきます。
巡洋艦の機関は攻撃兵器並みに従来必要とされていた割合だけは、
絶対に動かせ、ない!

志村、いきなりエキサイトして声を張り上げてきました。

「そりゃあ困る。私には肯けない」

「いや、私もこれだけは譲れない!」

「それは君、横車だよ・・私も譲れん!」

地味で派手な場面の全くないこの映画の唯一不穏なシーンがこれです。

「お互いに信念の相違ですから」

「信念?」

「そうです!」

「まあ高木さん」(笑)

しかし二人は構わず、

「不可能です!」

「その不可能を可能にしてくれたまえ!」

とヒートアップしていきます。
ここで言い合っている言葉は残念ながら最後まで聞き取れませんでしたが。

し〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。

取り繕うように平賀が、

「今は言い争っている時ではない。
1日でも早くいいものを作って海に浮かべることなんだ。
そう思わないか」

高木は返事せず、会議は沈黙のうちに終了します。

平賀は自分のチームを集めて宣言しました。
機関を軽くするのが不可能ならば、艦体構造を何とかせねばならない。

皆がどれだけ大変かはわかっているといいながらも、

「事ここに至っては理論じゃない、実行だ。
この上は君たちの経験と気迫とで作り上げる他、道はない。
熱意と誠意とがあれば必ず道は(以下略)」

技術者の割には精神論で来ますなあ。

ここでメンバーの一人、竹中から、

「高木閣下は本当に不可能と言われたのでしょうか?
もう少し機関の方にも何とかしてもらわないと」

ともっともな意見が出ます。

すると平賀閣下は呆れたように

「君ら・・・それでも帝国海軍の造船官か」

と言い放ちました。

「・・・・・・」

「君たちは援護射撃がなければ敵陣に突っ込めんのか!」

次々と犠牲を出した海軍の猛訓練をどう考えているのか、
そんな不平がましい態度で御船を作り奉るのか云々と平賀先生、
大正論を浴びせかけ、皆(´・ω・`)

「主任・・・っ!」

何か言いたげな竹中に次を言わせず、

「頼まん。僕ひとりでやる」

平賀少将、すねて部屋を出て行ってしまいました。

自宅でもそのことを考え続けて平賀少将、思わず

「馬鹿め!」

と独り言が漏れてしまいます。
びくっとする妻(笑)

「お父さんご機嫌悪いわね」

「疲れてるんだよ」

家族も慣れっこになっているってかんじですか。

「ご飯の支度ができましたよ」(みつ子)

これによると、平賀家には原節子の長女を筆頭に
女、男、男、女と子供がいたらしいことがわかります。

ただし、wikiによるとサントリーの佐治圭三氏に嫁いだのが
「三女」ということなので、もう一人この後できたのかも・・。

 

ちなみに平賀には菊作りの趣味があり、その腕はプロ顔負けで
受賞を何度もしているという一面がありましたが、ここで男の子が

「お父さん、今年はだめだね、菊。
お椀みたいなのちっとも咲かないや」

というと、子供相手に平賀は

「抜いてしまえ、咲かんやつは」

と吐き捨てるようにタバコを投げ捨てながら言うのでした。
男の子は嬉々として

「構わないのお父さん?」

とさっそく菊を抜きにかかりますが、もちろん姉に咎められます。

書斎に入って行った平賀は、またしてもそこに
「土佐」の文鎮を目に止めます。

精魂込めて設計したものの建造し終わらぬまま廃艦になった「土佐」。

条約締結によって手足を縛られたに等しい造船官の無念さの象徴を、
平賀はひとり凝視し続けるのでした。

 


平賀の苦難の日々が始まりました。
如何にして華府条約で削減された軍艦保有率を性能で補うための
「重量を減らしつつ防御力もある船」を作るか。

平賀の頭の中は寝ても覚めても艦艇設計のことしかありません。
(ということを表すための映画的表現)

艦艇装備研究所の実験装置の映像がもう一度出てきたりします。

寝ていたかと思うとむくりと起き上がり、目を爛爛とさせて
机に向かい、やおら図面を引き始めるのでした。

このあたりセリフなしで低音の音楽に乗せて平賀の頑張っている様子が描かれます。

しかしいかに天才の平賀といえども、軽くて装甲力があり、
攻撃力のある巡洋艦など、そう簡単にできるものではありません。

火鉢にもたれかかったりため息をついてみたり・・。
そして何をするでもなく夜が明けてしまいましたの巻。

「しゃあない、風呂でも行くか」

この頃は普通に皆風呂屋に通っていて、風呂屋も早朝から開けていたんですね。

「相変わらずお早いですね、先生」

顔見知りの人が子供を連れて入ってきました。
平賀がしょっちゅう朝風呂に入りにきていたとわかるセリフです。

子供が朝っぱらから風呂場に持ち込んだ船のおもちゃを見て、
当たり前のように目黒の実験場の水切り装置を思い出す平賀(笑)

いきなり難しい顔になり、男が

「今年の菊はいかがでした?」

とお愛想をするのも耳に入らぬ様子で、突然湯船から上がってしまいます。

お風呂のおもちゃで何か思いついたのか?
家に帰るなり高速唾つけページめくりで資料に没頭(笑)

そんな父親を気遣って、娘のみつ子はある策略をしていました。

「あたし自信があるわ」

と弟に向かって明るく宣言するのを母親が聞きとがめ、

「何のお話?」

「みっちゃんがね、今日の演奏会にお父さんをお連れするって言うんですよ」

母親は音楽に趣味のないお父さんが行くわけがない、
と決めてかかりますが、
みつ子はあきらめません。

丸めた紙を床に放り投げたかと思ったら、拾い上げてもう一度凝視し、
ため息をついて頭を抱え込む。

せっかく銭湯でいい考えが浮かんだと思ったのにドツボにはまってしまう平賀。
こんな調子なので、身体に障るのではと言うのが家族の心配なのです。

あきらめて朝食を取ることにし、居間にやってきた父親をみて、
これはチャンス、と顔を輝かせるみつ子。

「おとうさま!」

床に新聞を置いて読んでいる父に彼女は前から編んでいた
セーターを渡します。

「暖かそうだね。なにかご褒美あげようか」

「ええ!」

実は彼女が狙っていたのはこれだったのです。
なかなか策略家ですな。父親似かしら。

なのに父親は

「お母さんからもらいなさい」

するとみつ子、

「あらあん、お父様からいただかなくちゃあ」

「お父さんは忙しくて買いにはいけないよ」

「今日ほんの3時間くらいわたしとご一緒に」

ご褒美にコンサートに一緒に行ってくれ、というのです。
こんな美人の娘さんに一緒にお出かけしてくれと懇願されるなんて
父親冥利じゃないですか。行ってやりなさいよお父さん。

ところがお父さま、話にならんと言う感じで相手にしません。
するとみっちゃんったら、どんな音楽に興味ない人でも
おそらく知っていることを、渾々と父親に向かって説得するのでした。

「でも交響楽にはお父さん、百人前後の演奏者が出るのよ?
とても楽器の種類が多くて、それは複雑な組み合わせになってますの。
ですから指揮者がいて、初めて一つの音楽に纏まっていくんですわ。
指揮者がダメなら、それこそめいめいの演奏者が勝手な調子を出してしまって、
どんな優れた作曲でも魂が抜けてしまいますの」


もし彼女が父親の今置かれている苦悩を知った上で言っていたとしたら
この娘何者?と思わずにいられない深謀遠慮が感じられるアプローチですが、
もちろんそうではなく、娘は無邪気に父親に息抜きをして欲しいのです。

実はさっきの言葉に十分心動かされているっぽい平賀なのですが、
すぐに行くと言ってはなんとなく家族に対する示しがつかんとばかり、

「お父さんは仕事の方が楽しそうだ」

と苦笑いしながらいうのでした。

父思いの娘の策略は、果たしてこの頑固親父を動かすことができるのか?


続く。


「土佐」沈没〜映画「怒りの海」2日目

2020-09-20 | 映画

戦時中の海軍省後援による国策映画、「怒りの海」二日目です。

未完のままワシントン条約の結果を受けて廃棄処分となり、
今横須賀港を後にする「土佐」。

平賀譲主任ら造船官たちだけは帽子を振らず、ただ自分たちが心血注いだ
「土佐」の引かれていく姿を目に焼き付けるように凝視していました。

そしてすべてを終え事務所に帰ってきた平賀のデスクに、
小間使いが置いて行ったのは、「土佐」廃艦の記念品です。

それは「土佐」を象った文鎮でした。

わたしはこれまで進水記念として配られた軍艦の形の文鎮を
いろんな博物館などで見ましたが、廃艦記念の記念品というものは
寡聞にして知りません。

海軍というのはこういう儀式をきっちりやるところですから、
もしかしたらこういう経緯で廃艦される船に対しても
誠意を尽くして通常艦と同じように最後を見送ったのかもしれませんが。

事務所の全員のデスクに小間使いが記念品を配っているそのとき、
遥か彼方から爆音が聴こえてきました。

艦政本部の造船官たちは粛然と静まりかえり、窓の外を凝視しました。

心臓をえぐるような爆音が起こるたび、人々は動きを止めます。

造船士官の竹中は、ちょうど計算式を書き込んでいた紙に
爆音が起こるたびにチェックを書き込んでいます。

実際には廃艦式典をした直後にいきなり実験が始まるなどは
あり得ないのですが、(土佐も実験艦になったのは2年後)
そこは映画ですのでドラマチックに、事務所にいながら
「土佐」がやられている爆音が手にとるようにわかるという設定です。

同じく造船士官の谷(月田一郎)は、手を止めていましたが、
振り払うように定規で線を引きなおします。

しかし民間人の山岸はたまりかねて耳を押さえてしまいました。

自分たちが生み出そうとしていた「土佐」が、
今この瞬間他ならぬ海軍の手によって葬られようとしているのです。

 

1924から「土佐」は、数ヶ月に渡る実験に従事しました。
実験内容は、亀ヶ首試射場(呉港外)からの砲撃、砲弾や魚雷などに対する防御力強化、
新型砲弾(後の九一式徹甲弾)の効果の研究で、この結果得られたデータは
その後の1万トン級巡洋艦、「妙高」型、「高雄」型、「最上」型、そして
「大和」型の設計に生かされることになりました。

そのとき平賀主任が事務所に戻ってきました。

何事も起こっていないかのように、いつも通り竹中に仕事を命じ、
耳を押さえている山岸に目を据えると、

「何の真似だい、山岸」

書類を机に置き、山岸にも概算を命じます。

「はっ・・・今ですか?」

「今すぐだ」

「できません私には!」

平賀は山岸の顔をしばし凝視してから、

「なぜ」

そのときもう一度爆音が起こり、山岸は机を立ち上がります。

「山岸!」

皆そちらを息を飲んで注目しました。

「我々の仕事は土佐や加賀を作るだけですんだわけじゃないぞ」

「わかっております!そりゃあ・・。
しかしあれには、土佐には、わたしどもの魂が籠っています。
土佐を設計したときのあの精魂込めた日々、私たちには
忘れようったて忘れるわけにはいきません」

可愛い我が子も当然の船だ、という山岸の熱弁を皆息を飲んで聞いています。

「竹中さん、そうでしょう?みんなもそうだろう?
主任だってあれを平気で聞かれるはずはありません!」

平賀はそれに何も答えませんでした。
答えられなかったのです。

 

確かに当時の造船関係者の間では自嘲的に

「土佐」が「ドザ」(土左衛門)になった

と口の端に乗せられていたのは事実ですが、造船官たちが
こんなに動揺して嘆き悲しんだというのは若干やりすぎの気がします。

実験結果は造船官にとっても今後の貴重な研究の礎となったわけで、
そもそも当の彼らが実験の意味を知らないわけがないのですから。

 

「土佐」は1925年、2月8日仮搭載物の撤去や自沈用発火装置の取り付けを行い、
「摂津」とともに佐伯を出発し、翌2月9日、艦名の由来となった
高知県沖の島西方約10海里地点にて自沈しました]

自沈開始は午前1時25分、全没は午前7時頃、自沈地点の水深は350フィートです。

 

ワシントン条約後、つまり手塩にかけた建造艦を
涙と共に廃棄したときから
一瞬にして5年が経過しました。
つまり昭和2年のことです。

これから語られるのが同年起こった「美保関事件」のことだとすると、
嵐の中の訓練中、司令官加藤寛治が、旗艦の艦橋でご機嫌です。

「左舷に近づいたのは?」

「第一水雷戦隊です」

「もっと突っ込ませろ」

「なかなか気合が入っとる」

その時、史実の通りだとすれば、「神通」が「蕨」と、
そしてそれを見て避けようとした「那珂」が「葦」と衝突しました。

「神通」は大破、「蕨」の乗員はほぼ全員助かりませんでした。

この事故は、華府条約に伴う軍艦保有数の削減を、東郷元帥のお言葉通り
猛訓練と個艦優秀主義によって補おうとしていた中起こりました。
悪天候を推して激しい訓練を行なったことが原因ともいえます。

しかしここで不思議な展開が。

長官が、

「飛行機は飛ばんのか」

と唖然とするようなことを言い出すのです。
なんのために?

一人がえっ・・という感じで返事を口籠ると、もう一人が
長官に忖度でもしたのか、こんなことをいうのでした。

「長官、飛行機飛ばせます!」

しかし、ここで嵐のシーンはなぜか一旦途切れます。

打って変わって晴天の空を水上機が飛来するシーン。
これは現場に悪天候をおして救難に出動する飛行機が
どんな訓練をしているかという説明のつもりのようです。

ここはおそらく横須賀の追浜。
つまり間違いなく本物の海軍の交通船が登場です。
竿で岩壁を押している水兵さんたちは紛れもなく本物ということになります。

戦中の国策映画でははよく軍協力のもとに本物の兵隊がエキストラをしていますが、
わたしなどそういうのを見るとこの若い人たちはこの後どうなったんだろう、

などと必ず考えてしまいます。

降りてきたのは平賀少将をはじめとするおなじみの造船官たちでした。

早速ここでも考え事に没頭して勝手な方向に歩いて行ってしまう平賀。
平賀には仕事に没頭するあまり周りの些事にかまわず
ちょっとした変な行動をとることが多々あったと言われています。

考え事をしながら歩いていると、顔見知りの軍人たちに遭遇しました。
海軍省検閲済みだけあって、俳優の敬礼はちゃんと海軍式です。

右の人は駆逐艦乗り。

「巡洋艦の方はお進みですか?」

といきなり核心に迫ったことを世間話として口に乗せると、

「小型のね・・・小型でうんと威力のあるのをと思ってね」

すると左の飛行士官が

「ほう・・・写真機で言えば『ライカ』ですな」

当時はライカが「小型で優秀」という代名詞だったんでしょうか。

「早く乗ってみたいですなあ」

「乗り心地は保証できません。あくまでも戦う船なので」

「いや、長屋住まいは慣れてますからな」

そんな和気藹々とした会話を交わす彼らの頭上を旋回していた水上機。
飛行士官も言うように飛行機も激しい訓練中だったのですが、
いきなりきりもみを始めました。

「やった」

このセリフは、じつに現場っぽいと思いました。

さすが現役軍人。
海に墜落した飛行機を見ても、眉を引き締めるだけです。

誰もひとことも発せず、身動きもせず、飛行機の消えた海面を凝視するのでした。

場面は再び嵐の海の上に戻りますが、先ほどの「美保関事件」で
出動した水上機ではなく、今度は
複葉機、艦載雷撃機の着艦訓練が行われています。

この頃の複葉機ですから、当然コクピットは外にむき出しで、
前方に申し訳程度のシールドガラスが付いているだけのもの。

しかしこちらは荒天をおして訓練を行ったのではなく、
訓練中に天候が急変してしまったということのようです。

母艦では全機帰還命令を出しましたが、一機が戻りません。

コクピットの澤井少佐は操縦しながらなぜかにやりと不敵に笑うのですが・・。
記事によると、着艦しようとして機体がマストに激突し、お亡くなりになりました。
(-人-)ナムー

場面は変わってこちら平賀邸では書斎で平賀が仕事中です。
合間に「土佐」の廃艦記念文鎮を手にとって眺めつつ・・。

平賀の妻、カズが夫のためにの紅茶を淹れています。

部屋には原節子演じる平賀の令嬢、みつ子が奏でる
ショパンの「雨だれ」が流れています。
インテリで文化的な家庭であることが窺えます。

しかし母親は、夫の邪魔になるとばかり、

「みつ子さん、もう遅いのよ」

「でもお父様まだおきていらっしゃるでしょ」

「ですからお邪魔になるといけないでしょ」

「お慰めしてるのよ。
お疲れの時は音楽ってとってもいいものなんですけど」

「だめですよ。ご趣味のないお父様には」

ショパンの雨だれが聴こえたくらいで気が散るようなタマだろうか、
という気がしますが(笑)
それにしても
この頃の「山の手言葉」は美しいですね。

妻は仕事中の夫の机に黙って紅茶を置きますが、
夫はその紅茶のカップにタバコの灰を落とします。

右、灰皿。
どうしてこの形状の灰皿を使っている人がカップに上から灰を落とす?
と突っ込みどころ満載です。

今時の妻ならせっかくわざわざ紅茶を淹れたのにお礼もないとか、
カップに灰を入れるなんてとか、そもそもタバコは健康にどうなのとか、
黙っていないところでしょうけど、この頃は違います。

仕事に夢中になるとどうしようもない旦那様、という感じで
彼女は愛しげに笑い声を立てるのでした。

「子供たちは寝たのかい」

「コウイチとみつ子はまだ・・」

「そろそろ学期試験だねコウイチは」

「そうだ、みつ子のピアノはだいぶ上達したみたいじゃないか」

ご興味が全くないってことはないみたいですよ奥さん。

「お紅茶取り替えます」

「はい」

はいじゃないが。あんたが灰いれたんだろうが。一言何かないんかい。

艦政本部での水路実験が行われています。
ここはわたしの記憶に間違いがなければ目黒の艦艇装備庁、
艦艇装備研究所に今でもある実験用水路のはず。

艦体の水の抵抗の実験(らしきこと)が行われています。
山岸さんが悲壮な声で一言。

「だめだ!」

実験結果をもとに平賀先生がお説教。

「君、僕があんなに言っただろう!
要求された〇〇は〇〇せないんだよ!」
(聞き取れなかったのでお好きな言葉を入れてください)

「はあ、しかし、スピードのことを考えますと・・」

「もちろん〇〇33ノット、これは絶対に動かせないんだ。
あちらを立てればこちらが立たんのならば何も苦労はないんだよ。
あちらも立てこちらも立てるのが我々の狙いなんだ」

「大丈夫でしょうか。
自分の設計でも従来のものよりずっと長くなっているんですが」

そこで一般原則に捉われず工夫をしろ、と平賀少将はおっしゃいます。

「とにかくやり直したまえ!」

 

「速力は30ノット以上も出ているんだ。
(次のライン全く聞き取れず)艦体の強度が肝心なんだ。
波に対する抵抗を十分考えに入れてもう一度持ってきたまえ」

実験が失敗して帰ってきた椅子に山岸は座り込み、

「やっぱりあの型じゃ重心が悪すぎるんだ」

急展開した時に倒れるだけでなく、魚雷の発射もできないというのです。

「3000トンで5000トンの威力を持たせるなんて無理なんだよなあ」

ワシントン条約による艦艇激減のしわ寄せは技術者にもきていました。
大型艦の威力を持つ小型の軍艦を作るなど、魔法でもなければ不可能です。
船の形をいくら変えても機関が同じなら何の意味もないですしね。

 

しかし平賀とそのチームは、その不可能に挑戦しようとしていました。

続く。

 

 


華府軍縮会議〜映画「怒りの海」 1日目

2020-09-18 | 映画

アメリカ滞在中にブログ作成するつもりで画面をキャプチャしたときには、
本作が海軍省検閲済みのいわゆる国策映画であること、主人公は
あの平賀譲であること、ワシントン軍縮条約の結果についての怒りが
映画のテーマになっていることなどがわかったわけですが、
さていつものように情報を集めようとしたら、これがびっくり。

ウィキペディアはない、映画評もない、もちろん解説サイトもない。
おそらくこの映画の知名度はほとんど皆無に近いのではと思われました。

制作は東宝。
立体的な五線譜に「東宝株式会社」という字が流れる、
戦時中のおなじみ東宝映画のタイトルです。



「海軍省検閲済み第48号」であり、もちろん後援を受けており、
「情報局選定国民映画」でもあるというバリバリの国策映画です。

場面は大正10年から始まりますが、この映画が制作されたのは
昭和19年、1944年のことです。

つまり四半世紀昔に遡っているという設定なのですが、
それだけ時が経てば風俗などもずいぶん様変わりしているはず。
そんな時代考証はしているんだろうかとか、昭和19年といえば
かなり敗戦色が色濃くなっていた頃なのに、映画作ってる場合だったのかとか、
これだけでいろんなことを考えてしまいますね。

「ごがいご〜が〜い」

鈴を腰につけて新聞束を持って走っている号外売りが登場。

音声が不明瞭で号外売りの滑舌が悪く、何を言っているのか
さっぱり聞き取れませんが、最初の

「ワシントン軍縮会議でアメリカが」

だけはわかりました。
不思議なことにこの新聞売り、新聞を配るでもなく、手を上げて
走りながら叫ぶだけ(笑)

折しも海軍省(絶対本物)に入っていく黒塗りの車あり。
霞ヶ関の海軍省跡は現在厚生労働省の庁舎が建っています。

海軍省発表の記者会見が開かれました。

「11月12日、ワシントン会議劈頭における合衆国全権、
ヒューズ国務長官の提案中、廃艦の条項について詳細を発表します」

これによると

●アメリカ合衆国

目下建造中の主力艦15隻
「デラウェア」「ノースダコタ」を除く老齢戦艦15隻

●イギリス

未起工であるが既に経費を支出したもの、
「キングジョージ5世」級を除く第1戦艦、老齢弩級戦艦15隻

●日本

未起工戦艦、巡洋艦8隻

既に進水した戦艦「陸奥」建造中の「土佐」「加賀」、
巡洋戦艦「天城」「赤城」その他「高雄」など

ただでさえ聞き取りにくい海軍省の軍人の声に悲壮な音楽が重なり、
余計に何を言っているかわかりません(´・ω・`)

横須賀工廠のつもりでしょうか。
建造中の軍艦「土佐」という設定ですが、これはさすがに模型だと思われます。

誰もいない工廠で「土佐」を前に艦政本部のメンバーが、

「この『土佐』やできたばかりの『陸奥』を廃棄するって
そんな取り決めってありますかね」

「世論だよ。新聞を見たまえ。
世間では陸奥一隻助かるかどうかのヤマカン的興味しかもっていないんだ」

「残念ながら僕には希望的観測は持てん」

と絶望的な会話を交わしています。

さてここで熱心に設計図を見ている後ろ姿の主人公が登場です。
平賀譲を演じるのは大河内伝次郎

平賀譲という人は兵学校を志望するも近眼のため体格検査ではねられ、
仕方なく東京帝大に行って、卒業後海軍造兵廠に入り、そこで認められ、
この映画の最初のシーン、ワシントン条約締結の頃には造船少将でしたが、
なんとその年齢が聞いてびっくり、32歳なんですよ。

愚痴を言いつつ帰ってきたこのおっさん、山岸は艦政本部の民間設計者のようです。
帰ってきた山岸に向かって平賀少将、

「なんだいこの設計は!」

「その先だよその先を越すんだよ君!」

「僕らは帝国海軍11号艦を設計している。そうだろ君!」

何回聞き直してもセリフが聞き取れないところがあるんですが、
平賀少将が君君君君連発しながらダメ出しをしているのはわかった。

しかし、この劣悪な録音一つとっても、お金がない中の国策映画であり、
映画の品質は二の次三の次であったことが窺えようというものです。

これはそもそも作品として歴史に残らないのも当然かと・・・。

 

叱られた山岸は憤懣を隠さず、平賀に向かって
ワシントン条約をどう思うか尋ねますが、
平賀はつれなく、

「それが君の仕事に何の関係があるんだ」

「我々造船官はただ脇目も振らず
御船を造り奉ること
努力すればいいんだよ!」

おお、ザ・国策映画ってかんじですな。

なので、平賀が本当に言ったかどうかわからないことを、
しゃーしゃーとセリフにしている可能性が大いにありますが、
このとき平賀先生はちょうど亡くなったあとなので無問題。

というか、平賀譲が亡くなったので追悼の意味で翌年作られた映画なんですねこれ。

しかし、これどうみても32歳の顔じゃないよね?
大河内伝次郎は46歳、32歳から61歳までを演じきって見事ですが、
さすがにこの頃の平賀を演じるには無理があります。

模型を使った廃棄作業の映像には字幕をかぶせて
あまりお金をかけなかった特撮のアラをごまかしております。

「華府」はワシントンの漢字表記で、変換すると出てきます。

「石見」は日露戦争で鹵獲した「アリヨール」です。

日本が設計した当時最大級の戦艦「薩摩」も。

「安芸」は「薩摩」の姉妹艦です。

これらの軍艦を標的とした廃棄作業を行なった海軍飛行隊の
実行部隊パイロットの中には若い頃の大西瀧二郎がいました。

人員削減のためのリストラだけでなく、兵学校でも
入学生の数を大幅に縮小するなどの動きがありました。

さて、そんなことなどあずかり知らぬ「世間」を表すのは
贔屓の芸者衆を三人引き連れてどこかにお出かけする旦那。
彼らが笑いさざめきながら人力で通り過ぎる同じ道で、

対照的な表情の海軍軍人たちとすれ違います。

怒りを含んで彼らの後ろ姿を立ち止まって見送る若い軍人吉野は
すぐに仲間に窘められますが、窘めた軍人もまた苦々しげに、

「大戦景気に浮かれやがって、娑婆の奴らあの体たらくだ」

すると吉野は、

「娑婆か・・・この俺が明日から娑婆の風に当たるんだ」

大戦景気というのは第一次世界大戦による生産業の好景気のことですね。

吉野、じつはリストラ宣告されてきたばかりだったのです。

「飲もうよ。今夜は大いに飲もうよ・・・なあ?」

「貴様はまだ見たことなかったな?矢守の裸踊り」

「そうそう、墨で腹に人の顔を描いてな」

「よし、滅多に公開しない代物だが今夜は吉野のためにご披露するか」

そうそう、海軍軍人は最後までユーモアを大事にね。あまり面白くなさそうだけど。

この後彼らは「加藤閣下」の見舞いに行くことにして歩き出しますが、
見事に四人の歩調が合っているあたりがさすが海軍省検閲済みです。

彼らが通り過ぎたあとには、

「平和記念東京博覧会」

のポスターが映ります。

第一次世界大戦終了を記念し、産業発展のために行われた博覧会です。
折しも彼らが海軍を去る前日、博覧会は佳境に入り、
花火大会が行われていました。

彼らが訪問する「加藤閣下」のお住まい?
加藤閣下とはいったい誰のこと?

おそらく加藤友三郎のことでしょう。

中央加藤

加藤は「八八艦隊計画」を推進した中心人物でしたが、ワシントン会議では
米国発案の「五五三艦隊案」を骨子とする軍備縮小にむしろ積極的に賛成し、
これによって世界の「好戦国日本」の悪印象は一時的ながら払拭され、
各国代表に

「危機の世界を明るく照らす偉大なロウソク」(痩せて背が高いため)
「アドミラル・ステイツマン(一流の政治センスをもった提督)」

と称揚されました。

その後彼は内閣総理大臣に就任しますが、在任期間に大腸癌に斃れ、
青山南にあった自宅で療養中だったのです。

まるで病院のようなご邸宅ですね。

若い軍人たちは、口々に平和に浮かれた世間のアメリカ迎合を嘆き、
華府会議の「敗北」は国民の後押しがなかったせいだ、と言います。

いやちょっとお待ちください。
アメリカの提案を積極的に支持したのは目の前の閣下なんですがそれは。

この頃(昭和19年)には、加藤は決定を覆そうとしたということになってたのかな。

しかし加藤は若い軍人たちを噛んで含めるように嗜めるのでした。

「軍艦は減っても海軍魂は減らんはずじゃ・・
東郷閣下はそう慰めてくださった。

それに訓練に制限はない!この意気だ」

「はっ・・・」

そこにやってきたのは平賀譲でした。
加藤は平賀に彼らを

「海軍大学の強情者共でな」

と紹介します。

そして、辞めていく予定の吉野を呼び止め、

「身の振り方は決まったのか」

吉野が首を振ると、

「故郷の温泉にでも浸かったらまたわしのところに来い」

顔を輝かせる吉野・・・でも加藤閣下この一年後お亡くなりになるんですよね。
吉野の運命やいかに(涙)

加藤は、造船官たちが八八艦隊の計画に対し
無理を言う軍部の期待に応えてくれたことをねぎらいつつ、
今回の条約の結果になったことを詫びます。

「あんたがたにも申し訳ない・・わしらの力が及ばんでのう」

それに対して平賀は、戦艦の分は巡洋艦で補い、量より質で戦う、
と力強く宣言するのでした。
加藤はもう戦争は始まっている、と言った上でこう呟きます。

「敵はアメリカだ。
はっきりと海の向こうに姿を現しおった」

加藤寛治は1939年(昭和14年)2月9日、脳出血により逝去。
対米強硬派でしたが、最晩年にはアメリカ、イギリスとの交戦を
避けたいという心境にあったともいわれています。

条約で決定され、廃艦が決まった「土佐」の廃艦式典が
5月19日に行われるという告示を造船所の工員たちが見ています。

進水式後「土佐」は造船会社から海軍に所有が移譲していたので
廃艦式典も海軍主体で執り行われることになったのでした。

神式の式台が設えられた「土佐」甲板では式辞が厳かに奉じられています。

「まさにその威容を太平洋上に示さんとするとき、
建艦を中止するも止むなきに至り、今や帝国海軍の貴重なる実験の碑となりて
横須賀港外に光輝なる終焉を告げんとす。

嗚呼、我ら再びその勇姿を見る能わずと雖も・・・」



そして、直後に実験海域まで曳航されていく「土佐」。(の模型)
「土佐」は進水式の時に薬玉が割れず、縁起の悪さが囁かれていた艦でした。

実際には「土佐」は廃艦が決まって式典を終えた後、
運用術練習船「富士」に曳航されて長崎港から呉に回航され、
2年後の1924年から6ヶ月かけて実験の標的となって没しました。

ちなみに長崎県端島の「軍艦島」の愛称は、島の形がほかならぬ
この「土佐」に似ていることから命名されたということです。

港湾にいるすべての人々が帽子を振って「土佐」を見送ります。

おそらく撮影当時横須賀に係留されていた実際の軍艦と、
エキストラに動員されたらしい本物の水兵さんたちの帽振れ姿が写ります。

撮影は昭和19年ですが、大正時代の軍艦という設定なので
時代がバレないように軍艦の全体とか艦橋は映りません。

帽子を振る一団から少し離れた岸壁に、
平賀をはじめとする海軍の造船官たちが立っていました。

 

 

続く。

 


映画「Uボート」〜”La Paloma"(押し寄せる波のように)

2020-08-24 | 映画

  映画「Uボート」四日目になってしまいました。
艦長、トムゼン大尉、次席士官ときて今日のタイトル画は機関長です。
登場人物を全員描ききるまで終わらないんではないかという不安が(笑)

さて、散々駆逐艦に翻弄されてそれでも持ち堪えてきたUボートですが、
攻撃の治ったとき、機関室の奥から幽鬼のように彷徨い出てきた影あり。

文字通り「幽霊」という渾名の機関兵曹長ヨハンでした。
機関と暮らし、機関を愛して機関室から外に出てこず現場の主と化し、
スペシャリストとして信頼されていたはずなのに。

 

流石に動揺して「戻れ!」と叱りつける艦長。

ヨハンは9回目の出撃ですが、今回はリミットを超えてキレてしまったようです。

「持ち場に戻れ!」

と艦長が叱りつけてもヨハン、震えながらハッチを上ろうと手をかけます。

しかしヨハンの錯乱よりも乗員がぎょっとしたのは、艦長が
士官室に走って行き、ピストルを手にして戻ってきたことだったかもしれません。

思わず目を伏せる機関長たち。
万が一にでも艦長がヨハンを撃つようなことがあったら、
そのときはどうなっていたのでしょうか。

歴戦の指揮官とて無謬ではないわけですが、このときの艦長は
銃を取りに行くより、説得を続けるべきだったとわたしは思います。

手前にピストル

ショックを受けて静まり返る乗員の視線の中、艦長が呟きます。

「信頼してたのに・・腰抜けめ・・恥を知れ」

そして、聴音員のヒンリッヒが悲痛な顔で
次の攻撃が迫ったことを告げようとすると、静かな声で、

「聴音はいい。聴こえてるよ」

周りの士官たちはその声から艦長の諦めを悟り目を伏せるのでした。

ベテランの潜水艦乗りだからこそ、艦長は今の状況の先に
絶望的な最後しかないことを知っていたということもありますが、
考えようによっては乗員の錯乱に対し思わず銃を持ち出したことで、
潜水艦指揮官として皆を率いる闘志をこの瞬間失ったともいえます。

駆逐艦の不気味なスクリュー音に続き、爆雷が降ってきました。
今までのどの攻撃より激しくUボートを翻弄し、誰もが立っていられないくらいに・・。
このとき激しい振動の中、ヒンリッヒがウルマンと抱き合っているのが見えます。

ヴェルナー少尉は床を這いながら進み、散乱している物の山から写真を
一枚手にしてバンクにもぐりこみました。

機関長が見ていた雪山の写真です。
どうせなら祖国の写真を見ながら永遠の眠りにつきたい・・。

と思ったら・・・・あれ?(BGMペールギュント組曲より『朝』)
俺生きてんじゃん。

周りを見るとちゃんと片付いていて(さすがドイツ人?)
士官たちは食事をした後寝てしまったようです。

あの爆撃の衝撃でも割れなかったらしいワインの瓶は空。
次席士官のかたわらにはなぜか犬のおもちゃが(笑)

茫然と寝床を這い出て音のする方を見てみると・・。

何事もなかったかのように仕事をしている操舵長その他。
ここも昨日は物が散乱していたはずなのに床には何も落ちてません。

艦長の声が操舵長に記録を命じています。

「潜航6時間後に敵駆逐艦は追撃を断念した」

それを聞いて、ヴェルナー少尉は生きて朝を迎えられたわけがわかりました。

「右210度に火災を確認」

「当艦が攻撃を加えたタンカーと推測」

「もう一隻の船」は駆逐艦ではなかったのです。

浮上のため赤色灯を命じた艦長は少尉が起きているのを見て

「よかったな・・・生き延びて」

潜水艦を浮上させ、乗員が目の当たりにしたのは先ほど魚雷を撃ち込んだ船です。
激しく火災を起こしながらいまだに沈んでいません。

ここで艦長はすぐさま止めを刺すための魚雷発射を命じます。

しかしそのうち沈むことがはっきりしている民間船に
とどめを刺すという艦長の判断はあまり実際的だといえません。

そもそも敵国船と一緒にこんな明るいところに浮上していたら
すぐに敵の対潜護衛艦に見つかってしまいます。
本物のごかくにボート艦長なら余計な危険に自艦をさらす愚は決して犯さなかったはずです。

 

「距離650m、深度4、魚雷速度30 照準後部マストの前」

その時です。

「人がいる!」

なんと、甲板から人が次々飛び降りています。

「救助しなかったのか!」

というか、最初に攻撃されてからずいぶん時間が経ってるわけですが、
どうしてこんなに燃えているのに誰も脱出しなかったのか。

「時間は十分あったのに!」

ねえ?

いくら民間船でも救命ボートくらい積んでいるでしょうに。

炎の海に浮かんだイギリス人たちは口々にヘルプミー!と叫びながら
Uボートに向かって手を振って近づいて来ようとして力尽きていきます。

思わず泣き伏してしまうウルマン候補生。

「半速後進」

というような光景を目の当たりにして会話が弾むわけもなく。

なのにこんなときに別の船団発見の知らせが入ると、
すでに戦闘モードを取り返した艦長は行く気満々。

「いやそれは・・・」

2隻撃沈し、死地を潜り抜けたのにすぐさま飛び込んでいこうとする艦長。
機関長と操舵長がどちらも及び腰なのに怒りを爆発させます。

「帰港はいつですか」

すると艦長は長い時間操舵長の顔を睨みつけ、

「俺がそう命令した時だ。ヘア・オーバーシュテウアマン」

ちなみに第三帝国の操舵長は下士官職だったので、これに
「Herr」をつけるのはあきらかに「嫌味」というやつです。

ここで乗員のささやかな期待を踏みにじってみせるのは
艦長が戦時の指揮官としてあえて冷酷に振る舞っていると考えられます。

艦長が行動報告書を書いていると、ヨハンがやってきました。
ちゃんと上着を着て帽子までつけているのが健気です。

「自分は軍法会議に?」

トムゼン大尉のモデル(かどうかわかりませんが)という軍人も
攻撃をせずそれが敵前逃亡とみなされて軍法会議で死刑判決を受けています。

「自分は・・キレちまったんです・・神経が」

「もういい」

「軍法会議は・・?」

つまりヨハンにとって1番の心配事は軍法会議であると。

「寝ろ」

ほっとして引き上げるヨハン。

聴音員ヒンリッヒのデスクには球根(ヒヤシンス?)の水栽培が飾ってあります。
よくあの振動でこわれなかったな。

彼は「極秘電報」を受け取りました。

電報はすぐさま次席士官に渡され、エニグマで解読されます。

「艦長宛です」

それを聞いた途端、艦長はデスクにあった蜜蝋で封印された封書を取り出します。
つまり、前もって指示のあった時に初めて開封する封書が渡されていたのです。

 

このときバックに流れている音楽はドイツのポピュラーソング「ラ・パロマ」。

航海に出て行った男に送る最後のメッセージを白い鳩(パロマ)に託す
残された女性の歌で、その歌詞の一節にこのような言葉があります。

押し寄せる海のように人生はやって来ては去ってしまうもの
けれども誰がそれを知り得ただろう

 

こちら、この後は帰港するものと信じて、帰ってからのプランを語り合い
あれこれと盛り上がるボーイズですが、艦長から悲しいお知らせが。

「イタリアのラ・スペチアに回航する。その前にスペインのビゴで補給」

あからさまに意気消沈するベテラン下士官に

「マカロニ娘も悪くないよ」

「そういう話と違うわー!」

フレンセンはいきなり「聖書屋」の頭を殴りつけ、

「ジブラルタル海峡だぞ!」

狭くておまけに敵がうじゃうじゃいる、というわけです。

静かな凪の夕暮れを航走するUボート。
舳先で語らっているのは艦長と機関長のようです。

操舵長は六分儀を使って天測していますが、知っている人によると
このときの俳優の六分儀の使い方は「たいへん正確である」そうです。

操舵長が天測ついでにジブラルタル海峡を通過することについて

「死にに行くのか」

などというもので、すっかりビビるヴェルナー少尉ですが、
そこに艦長がやってきて、ビゴで機関長と一緒に艦を降りろといいます。

ヴェルナー少尉はゲストなのでそれはわかりますが、重責の機関長をなぜ?

「機関長は限界だ。降ろしたい」

見たところ限界なのはヨハンだと思うんですが。
艦長には長い付き合いである機関長の限界が見えていたということでしょうか。

下艦することが決まったので、ヴェルナー少尉はふと思いついて
ウルマン候補生が彼女に書いていた手紙を預かってやることにしました。

その後ビゴに到着し、夜間静かに浮上した我らがUボート。
ドイツの商船に偽装した補給船と合流する手筈が整えられていました。

艦体を接舷させるシーンは模型の製作手間の関係で音声のみの表現です。

士官のみ要求されて補給船に乗船していくと、そこは先ほどまでとは別の、
真っ白な世界。

彼らの姿を見るなり全員で整列して右手を挙げ、

船長「ジーク!」乗員「ハイル!」
船長「ジーク!」乗員「ハイル!」
船長「ジーク!」乗員「ハイル!」

(ドンビキー)

ところがここで元ヒトラーユーゲントの血がつい騒いだのか、
先任士官がマジモードで前にずいっと出てきたのものだから、

すっかり艦長だと思いこんだ補給船の船長、
ためらいなく握手を求めるので、次席士官は噴き出し、
艦長は憮然として腕組みを・・

「いや、艦長はこちらです」

「これは飛んだ失礼を・・・。
ヴェーザー号へようこそ!ヘア・カピテンロイテナント」

このおっさんがまた、艦長の神経を逆撫でするかのようにはしゃぐんだ。

「武勇伝を話してください。楽しみにしてたんです」

「何隻沈めたんですか?当ててみましょうか」

乾杯の時には、ついつい「我らが総統」とか言いかけると、
なぜか空気読んだ主席士官が咳払いし、それをやめさせると言った具合。

「艦長どの、話を聞かせてくださいよー」(くどい)

艦長は「初めてだ」といいながらイチジクを食べ、ただ一言、

「もてなしに感謝する」

すると船長、

「驚いた・・・諸君、これが英雄の言葉だ!」

でもお話を聞かせていただきたい」

好き嫌いも聞かず食べ物を皿によそって艦長に渡し、

「どんな感じです?潜航中に上に敵がいるって」

そレでも答えない艦長に代わって機関長と次席士官が返事を混ぜっ返し、
先任士官がそれをうまく取り繕ってはぐらかします。

なかなかいいチームプレイです。

そのとき海軍部から代表がやってきました。
船長もこの海軍部(軍令部のことかな)の代表も、
普通に「ハイルヒトラー!」と挨拶を交わしています。

彼がもたらしたのは海峡を突破するための資料ですが、
ついでにビゴで人員を降ろす件については拒否してきました。

「悪いが二人とも残ることになった」

しかし、彼の後任の機関長に気心の知れない相手がくることを考えると、
ジブラルタルの難局を乗り越えるのにその方が心強いのも確かです。

そしてビゴを出航したUボート。

ジブラルタル海峡は狭く、しかもイギリス軍の港があります。
実際にもここではUボートが少なくとも二隻撃沈されて沈んでいるそうです。

水上艇だけでなく哨戒機も飛んでいる、と艦長は説明します。

「そこを突破する」

ギリギリまで闇に紛れて海上を航走し、それから沈んで
潮流に乗って静かに流れていこうというのです。

「これだと燃料が要らん。どうだ」

艦長はまたしても操舵長に意見を求めました。

「名案です」

先ほどいつ帰港するのかと聞いて叱責され、
意気消沈していた操舵長ですが、不敵にも微笑んでいます。

そしてジブラルタル海峡突入の時がやってきました。

海峡の様子をうかがいながら時は過ぎていきます。

ビゴで補給した食料のバナナをかじっている次席士官。
「ピルグリム」はこんなときなのに「臭いポマード」で髪を撫で付けています。

そのときです。

「アラ〜〜〜〜〜〜ム!」

艦長に指名されて艦橋に出て監視をしていた操舵長が
艦内に向かって叫びました。

「注水!」

なんと敵はマークしていた駆逐艦ではなく哨戒機でした。

哨戒機の銃弾に艦橋にいた操舵長負傷!

ほぼ初めて登場する烹炊担当。

ここで先任士官が「メディックはどこだ!」と叫びます。

負傷兵の手当て担当は通信員のヒンリッヒです。

Uボートは艦橋に艦長を乗せたまま全力で航走を続け、
再び艦長の「アラ〜〜〜ム!」を合図に潜航を開始。

「90mまで潜航」

しかしこんな時に舵輪が動かせず、操舵ができない状態に。

結果として自動的にどんどん沈んでいく潜水艦。
潜航開始の時に例によって前部に向かって駆けて行った「人間バラスト」は
機関長の指示によって今度は全員後ろに移動です。

右往左往する乗員の側では、痛みで暴れる操舵長を二人がかりで押さえ込む
ヒンリッヒと先任士官が・・・・。

「止まらない・・・沈み続けている」

「排水管破損!」

「止まれ!」

震度計の針はレッドゾーンへと・・・

痙攣するように震えながら深度計を見つめますが、
圧壊の恐れのある200米をすでに突破。

喘ぐように呼吸をする次席士官。
深度計の針は全く止まる気配を見せません。


計測できる最大震度の260mを超えてもまだ進み続ける針に
艦内を沈黙と絶望が支配していくのでした。

「マインガッド」(My God)

艦長が呟くと同時にどこかでビスが飛ぶ音が聞こえます。

発令所付きのメルケルが神への祈りの言葉を唱え始めたとき、
艦全体に異音が響き渡りました。

次の瞬間、衝撃がUボートを襲います。
圧壊か、それとも・・・?



続く。


映画「Uボート」〜”J'attendrai”(待ちましょう)

2020-08-22 | 映画

            

 

映画「Uボート」三日目です。

爆雷攻撃を仕掛けてきた駆逐艦が去っていったとおもいきや、
また別の艦が現場にやってきたらしいという調音長の報告に
絶望が走った我らがUボートですが、息を殺して待っていると、

なんと遠ざかっていくではないですか。
そして遠くで爆雷の音が聴こえました。

「22発目」

なんと爆雷の数をこの状況下でチェックしている人がいました。
いつも冷静な操舵長です。

浮上して暗視モード(赤灯に黒メガネ)で潜望鏡から捜索した結果、
とりあえずは近くにいないということが確認できましたが、
待ち伏せされている可能性を勘案し、潜航して時間を稼ぐことに。

とはいえ皆の様子にはわずかにほっとした空気が漂います。
音楽が流され、次席士官がめずらしく無邪気そうに

「好きな曲だ♫」

このとき士官たちが食べているのは
プディングにラズベリーを乗せたようなものです。
潜水艦の中なのにちょっとおしゃれなカフェデザート風。


その中でショックが解けずただひとり固まっているヴェルナー少尉でした。

緊張が解かれた艦内は早速下士官主催の
どんちゃん騒ぎで思いっきりハジけております。

どこにメイクの道具があったのかって話ですが、
このダンサーは、当時パリで絶大な人気があったダンサー、
「黒いビーナス」ことジョセフィン・ベイカーをオマージュ(笑)しています。

ちょっと見にくいですが、ちゃんとベイカーのお得意ダンスも取り入れて。
どうやって調達したのかミラーボール風照明まであってムード満点です。

ジョセフィン・ベーカー(1906ー1975) - 空の鳥これですわ

しかし水を指すようですが、「Uボート」原作者のブーフハイムは、
この映画を観たときに、

「本当のUボート乗員はあんな騒ぎ方はしないし、
後ろでそれを囃し立てて喜んだりしない」

と言い切ったそうです。

方や調音室に入り込み、深刻な顔の掌帆長。

イライラしながら帽子をかぶると、下士官バンクに向かって

「おい静かにしやがれ!」

警戒態勢でもないのになんなんだ?と兵たちが黙り込むと、

「5対0で負けた。準決勝は無理だ」

贔屓のサッカーチームが負けて八つ当たりかよ。

こちら医務室(というか医務官のいるところ)。
ゲラゲラ笑われながらパンツを脱いで診察を受けているのは
さっきまで頑張っていた操舵員(左)くんです。

戦闘中はずっとイヤフォンを聴き続けた調音長、
メディックを兼ねているので平時だというのにこのハードモード。
何が悲しくてシラミの発生した人の秘所を見なくてはいけないのか。

そこでなぜかシーンが切り替わり士官の食事がアップになるのでした。
なんなのこの肉・・・。

 

ここでまたしてもハイになったヴェルナー少尉、艦橋で大はしゃぎ。
感情がエスカレーターのようにアップダウンしております。

「あーっはっははは」「少尉、見張りを」「ナニー聞こえないー」

すぐにこうなるんですけどね。

大しけで艦内はこのとおりですが、

仲間の婚約者の写真を盗んでみんなでからかったりして皆元気です。

艦長など、この揺れでもコンパスを使える超人。
船団を追うのが不可能だと航海長に言われると途端に不機嫌に。

潜航して揺れが収まると皆床の上で
ごんずい玉みたいになって安らかにおやすみに・・。

そんな状態でも寝ないのが艦長と調音長。

そこで艦長は「音楽係」でもある調音長に「いつものやつ」
をかけさせるのでした

Rina Ketty - J'attendrai

艦長お気に入りというこの曲はシャンソンの「J'attendrai」、
待ちましょうというリタ・ケリーのヒット曲です。

潜水艦にとって「待つ」という言葉は特別の意味がありますが、
待つのが商売の歴戦の潜水艦乗りがこの曲を愛聴している、というのは
監督の洒落というか皮肉が効いた設定だと思われます。

そういえばこの曲は、ドイツ占領下のフランスで
「自由になる日を待ちましょう」という隠された意味を持って歌われ、
レジスタンスのテーマのようになっていたと聞いたことがあります。

アウシュビッツ収容所の音楽隊のために編曲していた囚人の女性は、
マスネの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の最初の部分がこの
「待ちましょう」に似ていることから、これをナチスのために
演奏するたびに
内心快哉を叫んでいたと戦後告白しています。

このシーンにはナチスの海軍である艦長がレジスタンスの愛唱歌を愛している、
という二重の裏の意味が込められているのです。

一方「待ちすぎた」潜水艦乗員たちは夢の中・・。

事件発生。
悪天候下でワッチを行っていた乗員(艦長、次席、毛ジラミ、ピルグリム)
の一人が波にさらわれました。

落ちたのはワイ談コンビの片割れピルグリムです。

幸い海にではなく銃座に落ちたのですが、負傷です。

このシーン、実は元々の台本にありませんでした。
水の中にセットされた艦橋で撮影しているとき、ピルグリムを演じていた俳優、
ヤン・フェダーが手摺りを掴み損ねてが本当にセットから落ちたのです。
一緒に演じていた俳優がすぐさま「人が落ちた!」と叫ぶと、
監督は

「ヤン、それいただき!もう一回やってくれ」

しかしヤン・フェダーは脳震盪を起こし肋骨を骨折していたので、
落ちたシーンをそのまま維持し、脚本を書き直して
ピルグリムがベッドで寝ているシーンを付け加えたそうです。
フェダーは毎日病院から撮影所に通うはめになったとか・・。

おそるべし非情な監督魂(笑)

無茶しやがって・・・。

「ひどいもんだ」

ええ、映画監督ってだいたい酷いもんですよ。
スタントを使わせず俳優を怖い目に合わせたり酷い目に合わせたり、
実際に怪我させたりした監督なんて星の数ほどいますから。
負傷した俳優を病院から担ぎ出すくらいは良心的な部類です。

ってそういう話じゃない?

このあと次席が肉のカビを取る作業をしながら

「肋骨三本骨折、裂傷一箇所」

とピルグリムの怪我についていうのですが、これは
実際のフェダーの怪我について語っています。
レントゲンもないのに肋骨が何本折れているかなんて、さすがに調音長でも
音を聞いたくらいでそこまで診断はできないはずです。

機関長は写真を眺めて物思いにふけっています。

髭面のヨレヨレである現在からは別人のように男前の機関長と
それにふさわしい金髪美人の奥さん。

「何年も雪を見ていない」

メンバーは雪の故郷に思いを馳せるのでした。

次のワッチでなんと別の潜水艦発見。

物凄いドルフィン運動です。

この撮影は実写プラススクリーンかな。

艦長が出てきて興奮気味に「トムゼンの艦だ!」
なんと、涙ぐんでU 96を見送っていたトムゼン大尉のUボートと
大西洋で遭遇するということに。

「どうなってんだ!」

発見したときには大喜びして(かのように見え)発光信号で
「健闘を祈る」などと通信していたのに、
艦橋から降りてきた艦長、むっちゃ不機嫌に。

「だだっ広い大西洋にUボートが1ダースいて
なんでそのうち2隻がこんな近くにいるんだ!」

まあね。
それってつまりどこかが手薄になってるってことですから。

「位置は確かか」

「だいたいは」

「だいたいってなんだ!(激怒)」

「2週間嵐で計測不可能です。カーロイ」

「ぐぬぬ:( •ᾥ•):」

静かな夜はいつまでも続きません。
夜中、気配に起こされたヴェルナー少尉が艦橋に上がってみると、

気色満面の次席士官が5隻の船団を見つけたと報告します。
民間船団は潜水艦にとっていいカモってところです。

ただし護衛の艦がいなければの話ですが。

「護衛艦も駆逐艦も見えません」

「妙だな・・・後ろにいるのかな」

しかし艦長は攻撃を決断しました。
この決断に際しては、操舵長に意見を尋ねています。
寡黙な操舵長を艦長は誰より信頼していると分かるシーンです。

月が雲に隠れるのを見て、攻撃準備命令が下されました。
距離2200の位置まで全速で接近です。

「照準よし」「右舷15微速前進」「発射口開け」

「1番、2番用意」「位置変更63」「目標追尾」

次々と出される命令にワクワクしている風のヴェルナー少尉。

艦内で糸巻きしてるんですけど・・・これ何しているんでしょう。

「発射!」

発射命令を出すのは主席士官です。

1隻目、2隻目、3隻目に次々と魚雷を放ち、4隻目に行こうとしたら

駆逐艦出えたああああ!

手の空いているものはおなじみの「人間バラスト」となって
艦首にぶっ飛び、急速潜航です。

しかし今の総員はそれより撃った魚雷の行方が気になる・・。

着弾予想時間からストップウォッチを作動させ始める
航海長の手元を息を飲んで見つめます。

そのとき衝撃音が響きました。
喉の奥から声にならない声を上げる次席士官。

2発目の魚雷も命中です。

三発目は・・・

三発目は?

爆発音の代わりに聴こえてくるのは駆逐艦のレーダー音のみ。


何人かはあからさまにがっかりしますが、艦長はニヤリと笑って

「2隻撃沈だ」

指揮官たるもの常にプラス思考です。
コップに水が半分残っているのを見て、ある人は半分しかないと考えますが(略)

この頃からすでに挙動不審な幽霊ヨハン(予告)

「奴らはお陀仏だな」

このときそれを聴いた機関長がゆっくりと彼の顔を凝視します。

軍人であるからには敵国の船を撃沈するのは任務ですが、
そのさい失われるはずの「人の命」については考えたくない、
あるいは考えないようにしている、という者もいるでしょう。

この映画の機関長はそういう人間だとわかる描写です。

「お返しが来るぞ」

顔面神経痛のように顔をひきつらすヨハン。

そして第一波の攻撃が襲いました。

「両機関 全速前進!」

第一波が去り、不気味な沈黙の中に駆逐艦のソナー音が響きます。
実戦を経験した潜水艦乗りは生涯この音に夢でうなされるに違いありません。

次席がこれを「ASDICだな」と呟きますが、アスディックとは

Anti-Submarine Division"の略語に 接尾辞-icsをつけたもの

または

Anti-Submarine Detection Information Comittiee

Anti-Submorine Detection Investigation Commitee

などといわれており、つまり潜水艦探査装置のことです。
1910年代イギリスが開発した頃はこの名称で、「ソナー」は」
第二次世界大戦の時のころアメリカが「発明した呼び名」です。

1941年代のドイツではイギリス式の名称で呼んでいたのかもしれません。

蛇足ですが我が帝国海軍はアメリカ式からきた「ソーナー」が正式名称であり、
さりげに海上自衛隊にもこの呼び名が継承されています。

 

ソナー音の中、操舵員の一人が豚野郎、の意味で

「シュバイネン」

と呟きます。
そういえば、アメリカ映画「ペチコート作戦」で、さらってきた豚さんを
酔っぱらった水兵ということにして浴室に閉じ込め、MPに

「彼は飲むと手がつけられない野郎 (スワインSwine)でね」

というシーンがあったのを思い出しました。

潜水艦のことは「ピッグボート」と呼ぶなんて超どうでもいいことを、
わたしはみんなこの映画で知りましたが、「Uボート」監督だって
ハリウッドの潜水艦映画の名作「ペチコート作戦」を観ていないはずはないので、
この一言も無自覚に選ばれたものではないと思います。


息を殺すUボートに降り注ぐソナーの音が大きくなり、
だんだん音の感覚が短くなってきてついにはひっきりなしに・・。

と思ったら第二波攻撃がきて、浸水と火災が発生。
機関長がそれを消し止め、全員にマスク着用が義務付けられます。

艦長は「しつこい奴らだ」と言った後、操舵長に笑いながら

「魚雷は命中した。2隻も仕留めたんだぞ」

流石の操舵長も呆れたように顔を逸らします。

深度を深く取ったUボートにまたしても近くソナー音。

「・・・・・さあ来い」

「機関長、もっと深く潜れ」

そして不敵な笑みを浮かべながらいうのでした。

「逃げてやる」

沈黙の時間が破られる瞬間をいち早く知った調音長、
目の前の装置を慌ただしく動かしていたかと思うと、

「(シャイセ!!!!)」

(ドイツ人の生シャイセもう一ついただきました〜)

「援軍か・・・あいつらめ」

字幕ではあいつらですが、艦長ここでも「シュバイン」と言ってます。

「もっと潜れ」

演習で行った深度を遥かに超えてきました。

「190m」

「200・・・210・・220」

ヨハンにはこの後何が起こるかがよくわかっています。

「ボルトが飛んだ!」

「10m浮上!」

そのとき・・・・

ダメ押しの攻撃にパイプは破れパッキンが破損、機関室浸水。
魚雷発射管ハッチからも浸水。

艦長自ら機関室に突入してダメコンを行い、なんとか浸水を食い止めました。
動揺する皆に向かって

「そのうち奴らも爆雷を使い果たすさ」

そのときです。

機関室の奥から這い出してくる影が・・・。
人か?幽霊か?それとも?

 

続く。