◎第四得牛
【大意】
『序
長らく野外に隠れていたその牛に、やっと今日はめぐり逢った。
牛飼い人は四辺の美しい風景に見とれて、牛に追いつくことが難しく、牛もおいしい草むらが、気になって仕方がない。
人も牛も、頑な心が依然として奮い立ち、野性がまだ残っている。
おとなしくさせたいと思うなら、どこまでも鞭を与えることだ。
頌
精力の限りを尽くして、その牛をとらえたが、牛は頑固で力も壮んで、簡単には手におえぬ。
突然高原に駆け上ったと思うとさらに深い雲の中に居すわってしまう。』
牛(仏、神、ニルヴァーナ)が手におえぬとは何か。やや分不相応な形で見性、見仏(ニルヴァーナとの一時的遭遇)が起こったことを示唆しているようだ。
つまり十分な精神の成熟なくして、それが起こってしまった。従って自分でも手にあまるペットを飼わされるようなもの。しかし十分に精神が成熟した場合は、手に負えぬ場面があるとは思えない。
白隠は、大悟〇回小悟〇回などと数えているのだが、最初の悟りは見性であって、第三図の見牛。その牛を慣らし始めるのだから、2回目以降の悟りが、第四図得牛にあたる。
白隠は、江戸時代の禅者で、自分の禅病をクリーム白色のエネルギーの観想法で治したことで有名。これを軟ソ(柔らかバター)の観と呼んだ。至道無難の弟子が正受慧端で、その弟子が白隠。白隠は禅の中興の祖とまで言われている。
さて白隠は24歳新潟県高田の英巌寺で十数日徹底して坐禅をして、ある朝、鐘の音を聞いて突然大悟したと思った。そこで白隠は『過去3百年間でおれほど悟った奴はいない。天下無敵である。』と宣言したが、性徹和尚は評価しなかった。それにもかかわらず白隠は、意気揚々と長野県飯山の正受慧端に弟子入りした。
正受が「趙州という坊さんの無という字は何か」の公案をぶつけた。白隠は、「趙州の無にどこに手足などありましょう」と応えた。が、正受(70歳)は何も言わない。そのうち急に振り返り白隠の鼻をぐいぐい押さえて、「ちゃんと手足をつけているではないか」とやった。これで白隠は、自分の大悟はまだまだであることがわかった。
正受老人は『お前のような穴ぐら禅坊主は自分一人でわかったつもりでいるとんでもない奴だ、しばらく叩かれろ』と言って、そのあと8カ月にわたって滞在した白隠を怒鳴りつづけて、まったく何も教えない。ある時白隠は数十発げんこつで殴られた上に、引き倒され、縁側からころげ落ち、死んだようになり動けなかった。白隠はずっとただ怒鳴られるだけで、作務(労働)をしているばかりだった。
しかしある日托鉢をして他家の門に立ったとき、夢中で経を読んでいたので、老婆のあっちへ行けという声に気がつかなかった。
その時老婆が箒を持ってきて、ぐずぐずするなと白隠の腰をしたたかに叩いた。その途端に、白隠は与えられた南泉遷化の公案(南泉という坊さんの死はどういう意味か?)がはっとわかった。その見解を正受老人に呈すると、にこやかに微笑し、以後穴ぐら禅坊主とよばれなくなった。
正受は、8カ月間白隠が何を言っても相手にせず、怒鳴り続け、なぐりつづけたが、これは、今ならパワハラでイジメ。
意識のブラックアウト、孤独と不条理と絶望の真っ暗な深淵にたたき込むための、とっても親切で徹底したいじめ。
ユダヤの生命の木では、深淵(十球中上位三球が深淵の上側に位置する)を経ないとその先の『聖杯』にはたどりつけない。
このいじめは、正受に、ちょっとでもいじめそのものを楽しむサディズムや支配欲の満足があっては、単なる曲がった人間性の発露に落ちてしまう。だからむずかしいのである。これは師匠の話。
このように牛(仏、神、宇宙意識)をちら見した(見牛)だけでは、まだまだ遠く、牛を得ても手に負えぬ牛は殴りつけるなどしないといけないものであることがわかる。
【訓読】
『得牛
序の四
久しく郊外に埋もれて、今日渠(かれ)に逢う、
境の勝れたるに由って以って追い難く、芳叢を恋いて已まず。
頑心は尚お勇み、野性は猶を存す、
純和を欲得せば、必ず鞭楚を加えよ。
頌
精神を竭尽して渠を獲得す、
心強く力壮(さかん)にして卒(にわ)かに除き難し。
有る時は纔(わず)かに高原の上(ほとり)に到り、
又た煙雲の深処に入って居す。』
白隠-1(初期の悟り)
白隠-2(正受にしたたかに殴られる)
白隠-3(世界はどう変わるか)
白隠-4(生死はすなわち涅槃である)
白隠-5(白隠の最後の悟り)