◎助かる助からぬと心配する者は助からない
(2007.3.3)
出口王仁三郎は、何人残るかについてその定説を唱える。外国3%、日本2%である。
まず日本人が2%しか残らないことについて
『日本の人民二分になるというのは、百人に二人のことである。お筆先には二割とは書いていない。
問 太平洋岸は危ないですから、日本海岸の山に横穴でも掘って食糧を貯えておいたらどうでしょうか。
答 アッハハハハ虎熊山か。今度の立替はどこにかくれても駄目である。ただ神様だけである。何かあればビックリするが、魂を臍下丹田にウンとこめて気張れば神が守られる。神は汝と倶(とも)にありだ。
助かる助からぬと心配する信者は助からない。不退転の信仰であれば神は汝と倶にありだ。不退転の信仰なら頭の上に爆弾が落ちても大丈夫である。(中略)
昭和二十年二月十九日』
(新月の光/木庭次守編/八幡書店から引用)
※お筆先:大本教の予言書
※立替:次の時代を迎える前に起きる大変動のこと。
※虎熊山:兵庫にある冥想修行場として好適な洞窟のある山
※臍下丹田:スワジスターナ・チャクラ
私が学生であった時、出口王仁三郎が、次の時代にはこれだけしか生き残らないと自信を持って断言するのを初めて知った時は、とてもショックだった。私は文庫本の巨人出口王仁三郎という本を読んだのが出口王仁三郎の読み初めで、それから大本神諭の火の巻で世界の人民は3分しか残らないという部分を確認したように記憶している。
権威あるオカルティストがこのようなネガティブ予言をすると、それを聞いた人はショックでしばらく思考が停止するものである。というのは、どうみても自分が生き残る方に入るとは思えないことと、今の文明が存続するようには思えないからである。私もそうだった。
『助かる助からぬと心配する信者は助からない。』とあるように、助かる助からぬと心配する者が、結局助からない98%になっていくのだろう。
翻って、自分が傷つけられようが、殺されようが、そんなことは自分にとって知ったことではないという態度を自然にとる者しか生き残らないことになるのだという理解をしている。
そういう態度とは、エゴ、利己から完全に離れた人だけがとり得るもので、教育、訓練だけでは決してそうなるものではないように思う。またそれは、いろいろな意味での冥想を人生の各場面で積み重ねていくことで至るステージであり、また不条理な環境にあって、意識の極限状況を通過しないと起きないものでもあるとも思う。