◎気が弱い人々
(2012-05-27)
教団の武装化と暴走の原因を探るという視点からのドキュメンタリー。
古参信者の女性の方は、ニューナルコという記憶喪失処置を10回も受けさせられたからこそ、無事だったのだろう。
印象に残ったのは、麻原に対して宗教教団設立を進めた人物の麻原に対するアドバイス「気の弱い人間が宗教には集まってくる。そんな連中を魚釣りのようにどんどん吊り上げればいい」。
麻原にとって教団は、権力欲を実現するための手段であって、ハルマゲドンもポアもサリンもそのプロセス上のアイテムに過ぎなかったわけだ。
気の弱い部分とは、自分の感性に誠実であるという部分であって、気が弱いと往々にしてこの世を渡りづらいことになる。しかし、無常を感じるというのは、他の現代人から見れば気が弱いと見られがちである。なぜならば、現代人は人を功利性、自分へのメリットの有無の点から見がちだからである。
しかし人は、その柔弱な部分なくして、「本当に生きる」という方向に向かうことはないのではないか。
一連のオウム関連事件から既に17年も経つが、真相は明らかにされていない。番組では、1988年後半から麻原の念頭に武装化があった可能性を指摘していた。同年上九一色村の3県県境に本部を設置。
たとえば上九一色村の3県県境に本部を立地するのは、警察の手入れを受けにくいというのは当時からテレビでも言われていたことであって、そういうような専門の警察知識、化学兵器製造・使用、武器製造、テロなどの軍事知識、資金や部材調達と決済、対マスコミ・対政界対策など広範で専門的な情報を与えうる組織がその頃から深く関与していたのであろう。高学歴でも素人の集団が為しえる技ではない。そうしたことが事件後20年にもなろうとするのに真相が明らかになっていない原因なのだろう。
求道方面でいえば、悟っていない者が本物のグルを見分けるのは困難であることを改めて思った。充分な社会常識や少々の宗教知識や少々の無常感を持っていたあなたであっても、その人が悟った人かどうかを断定することはできないのだ。また悟っていない者同士が大勢集まってもリーダーが悪いと暴走することがある。
この一連の事件の結果、かなりの人が現代宗教、宗教教団、そしてその教祖についての欺瞞性を知ることになった。教団を維持していく以上は必ず商売の部分(信者からの金の吸い上げなど)があるのだが、そこを強調して、宗教すべてが宗教商売であるとか、無名のグルの宗教はカルトだみたいな先入観を世間に与えることになったのは、遺憾なことだった。
1995年はちょうど、OSHOバグワン、クリシュナムルティなど、20世紀をリードした覚者たちが亡くなってまもない時期であり、実にタイミングが悪いと思うと同時に、グル・マスター・師匠をあてにせず、本当に自分自身が悟りに向かわねばならないのだと考えさせられたものだった。