◎ネーチュンは非常に控えめで峻厳
ネーチュンの予言の実際。
ダライ・ラマとネーチュンは、親密であった。
『こうした親愛さはあっても、ネチュンはわたしに対する敬意をつねに示していた。摂政時代の最後の数年間のように、政府との関係が悪くなったときでも、彼はわたしに関する質問にはどんなときでも心から反応してくれた。だが政府の政策に対する彼の反応は無残なものであった。ときには辛辣な高笑いだけのこともあった。わたしが十四歳のとき起こった出来事をよく覚えている。中国のことについてネチュンが問われたときのことだ。直接答える代りに、“クテン(霊媒)"は東方を向き、激しく前に体を曲げはじめた。見ていて恐ろしいほどだった。というのは彼の被っている巨大な冠の重さで首の骨が折れるおそれがあったからである。彼はその動作を少なくとも十五回は繰り返し、危険がどの方向に迫っているか疑う余地もなく人びとに告げ知らせたのである。
ネチュンを扱うのは決して容易いことではない。彼が口を開くまでいつも時間と忍耐を要した。非常に控えめで峻厳であり、まるで古の大長老を思わせた。彼は些細なことは無視し、関心はもっぱら大きな問題に向けられた。だから質問もそれに合わせて考える必要がある。彼はまた好き嫌いがはっきりしており、しかもおいそれとは表に出さないのである。
ネチュンは自分の寺をダラムサラにもっているが、ふだんは自分から出向いてくる。公式の場では凝った七重の衣をまとい、いちばん上は、赤、青、緑、黄色の古代模様で飾られた、豪華絢爛な金の錦織のローブで着飾る。胸にはトルコ石とアメジストの束で囲まれた大きな鉄の円鏡を下げ、ドルジェ・ダクデンを表わすサンスクリット・マントラ文字が、磨き上げられた鉄鏡にきらきら輝いている。儀式が始まる前に彼は四本の幢幟(のぼり)と三本の勝利の幟を支える一種の背負い皮のようなものを身につける。すべての装身具の重さは総計三二キロを越え、トランス状態にないときはほとんど歩けないほどだ。』
(ダライ・ラマ自伝/ダライ・ラマ/文芸春秋p260-261から引用)
この引用文では言及がないが、ネーチュンは、観想法を多用しトランスに入るようである。
浄土真宗東本願寺の “ヘッドバンキング“坂東曲(ばんどうぶし)は、トランス誘発を想定したものである。ただし総重量30キロに及ぶかぶりものなどはつけない。
またトランスに入りさえすれば、首の骨折などの怪我がないなどとは言えない。
スーフィの円舞もトランス誘発を想定。
トランスと言っても低級霊憑依、高級神霊憑依などいろいろなバリエーションがあって、究極に入るかどうかは、このトランスでは問題になっておらず、ただ歴代ダライ・ラマの個人的守護者であるドルジェ・ダクデンが登場してくるかどうかだけが問題である。
そして大きな鉄の円鏡。これは、タロットでも自分が鏡になることを要求されるホドロフスキーの心得と同じ。自分が鏡になって、未来をありありと写し出して見せるのだ。