アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

悟りと文化的生活は別

2024-10-03 06:40:06 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎趙州十二時の歌

(2008-08-13)

 

虚心坦懐に趙州が、悟った者の生活実感を語る「十二時の歌」。

その一節の辰の刻(午前8時)の段というのがあって、

 

『食事どき、辰の刻-

 

炊飯の煙は四隣にたつが、わしは空しく望み見るだけ。

 

饅頭もむし餅も去年別れたきり。今思い出して空しく唾をのむ。

 

正念を相続するのは、ごくわずかの間で、愚痴ばかりこぼしている。百軒の檀家に善人はおらぬ。

 

寺を訪れる者は、ただ茶を飲ませろというだけ。茶を飲ませてもらえぬと、立ち去る時にぷんぷんだ。』

(世界古典文学全集 禅家語録Ⅰから引用)

 

この中で、正念を相続するのはわずかの間であって、(実生活では)愚痴ばかりこぼしているというというのが核心。

※正念を相続:悟りを持続する。

 

クリシュナムルティなどは、正念がしょっちゅう向こうからやってきて、いわば正念相続を生きているというような有り様だったが、名匠趙州和尚でも、正念相続した時間はわずかだったことを知る(「持念少なく 嗟嘆頻りなり 一百家中 善人無し」)。

 

三度の飯もままならないが、それでも坐るのが、冥想家の真骨頂。衆生を救済しようなどという気負いも消え、ただ坐る。世間から見れば、見る影もない荒れ寺の貧乏住職がただ坐禅だけしている図である。

 

これを見て、冥想を勧めるとは、貧窮を勧めるのか、ワーキングプアとなることを勧めるのかと勘違いな推測を受けかねないが、ここがわからないと、本当の愛も、本当の安心も、本当の歓喜もない。

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自分に対してけちな人間

2024-10-03 06:30:49 | キリスト者の秘蹟neo

◎ベン・シラの知恵-1

(2013-03-01)

 

真剣な求道者でもって、敬虔な生活態度であればあるほど、その物質生活は質素なものである。

さて日本では、他人の富や成功へのねたみ、そねみが文化として根付いてしまっている。これを、旧約外典の一つである「ベン・シラの知恵」では、けちな人物と称する。

けちな人物が数ある中で、最低のけちを自分に対してけちな人間とする。

この文脈からすると自分に対してけちな人間ほど、自分に今すでに与えられているもので満足せず、他人の富をねたむ者であろう。

自分や先祖の幸福を願って感謝報恩行をやっていても、平素から他人の成功をねたみ他人のリッチなことをうらやんでいるような手合い、こうした人こそ自分に対してケチな人なのではないか。

本来人は、少なきを憂えず均からざることを気にしないものである。そうした代表格がマザー・テレサやパオハリー・バーバーであり、またその心情を語るものとして趙州十二時の歌がある。

『一

口をすべらせたこともなく、罪に悩んで胸を痛めたこともない人はさいわいである。

 

良心の苛責をおぼえたことなく、期待を裏切られたこともない人はさいわいである。

 

けちには富は不似合い、そねむ人間が金銭に何の用があろう。

 

守銭奴は他人のために貯めているに等しく、赤の他人が彼の資産の恩恵に与かるであろう。

 

自分に対して冷淡な者はだれに対して親切ができよう。そういう者は自分の資産を楽しむことはけっしてできない。

 

いちばん悪いのは自分に対してけちな人間で、これがそのけちの報いである。

 

たとえ善行をしてもそれはうっかりしてやったのであり、最後には彼の吝嗇ぶりが露呈する。

 

出し惜しみする者は冷酷で、顔をそむけ、危機に頻している人から目をそらす。

 

貪欲な者の眼はおのれの分では満足できず、欲張りの不正は魂をひからびさせる。

 

一〇

吝嗇家はパンを惜しみ、その食膳はお粗末である。

 

一一

子よ、できるだけ人生を楽しみ、主に対する供え物はきちんと献げよ。

 

一二

死の到来が手間どることはなく、黄泉の定めはきみに示されてはいないことを記憶せよ。

 

一三

死なないうちに友人には親切にし、君の力の及ぶかぎりこれを助けよ。』

(聖書外典偽典2 教文館/P114-115から引用)

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知恵の真の始まりは教えを切に求めること

2024-10-03 06:18:20 | 人と神の「実際のところ」

◎ソロモンの智恵

 

西洋錬金術師たちもソロモンの智恵からヒントを得ていたというので、久しぶりに見返してみた。ソロモンの智恵は、ベン・シラの智恵に比べて当時のユダヤ教信者向けの戒めのようなのが多く、純度に欠ける点がある。以下に示すのは、わりと純度の高い部分。

未悟者を友人として扱っているところはなく、あくまで師と弟子が基調であって、一部時間のない世界から書かれたものもある。

 

智恵は、般若心経の般若であって、ヴィシュダ・チャクラの窮極の智恵。

 

早起きはすべての基本。

七 

すべての者の主にいます方は人の顔を恐れず、人の大きさを心にかけない。

何故なら小も大も彼自らが造ったのだし、すべての者を彼は同様に心にとめられるから。

力ある者には厳しい検(しら)べが臨む。

だからわが言葉は、暴君たちよ、君たちにこそ向けられる。

君たちが知恵を学び、離脱せぬために。

 

一〇

 聖なるものを聖く守る者は聖とせられ、それらを教えられた者は弁護されよう。

一一

だからわが言葉を乞い求め、慕い求めて、教えを受けよ。

一二知恵は輝いて朽ちはてることはなく、それを愛する者たちは容易にこれを見、

それを求める者たちに知恵は見出され

一三

祈求する者たちに先んじて自分を知らせる。

一四

早く起きて求める者は労せずして、おのが門辺に坐する知恵を見出し得よう。

一五

知恵を深く想うことは全き悟りであり、知恵のために目を覚している者は、速かに乱れた心をすてる。

一六

 知恵はおのれに値いする者を探しに行き、道で彼らにやさしく出会い、思いをつくして彼らを迎える。

一七

知恵の真の始まりは教えを切に求めること。

一八

教えに想いをこらすことは愛である。

愛は知恵の法(のり)を守ることであり、法に固く着くことは不滅を確保すること。

一九

不滅は神に近づくことを得させる。

二〇

ゆえに知恵を切に求めることは王国へと導く。

二一

もし君たちが王座と王笏を悦ぶのなら、 おお、諸国民の支配者よ、知恵を敬え、

いつまでも王たることが出来るためである。

二二

さて知恵とは何で、いかにして生まれたか、わたしは告げ、その神秘を君たちに隠さない。

むしろその造られた初めから説き明し、わたしは知恵の知識を明るみに出し

その真理の傍らを通り過ぎないようにしよう。

二三

人を滅ぼす妬みと同行すまい。なぜなら妬みは知恵とは合わないからだ。

二四

知者が多くなれば世界の救いとなる。思慮ある王は民の繁栄をもたらす。

二五

それ故君たちはわが言葉に教えられ、益せられるがよい。』

(聖書外典偽典2 教文館/P32-33から引用)

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