◎神の言葉でなくては効果はない
寿命を延ばすのは超能力の話だが、ダライ・ラマ、出口王仁三郎とも恣意的に行使していない点が注意。
1.ダライ・ラマ
ダライ・ラマがインド亡命後、インドでは、チベット密教の力量ある師の不足に悩んでいた。
かつてセラ大僧院のチェ学堂の管長を務めていたロサン・ワンチュク師(1901~1978)は、1975年頃、僧院に大きな布施をして法要を行い始めた。ダライ・ ラマは、これは死ぬ準備をしていると直感し、師に「あなたはもうすぐ死ぬ気ですね。 今チベットがどういう状況かお分かりですか。仏教のためにもう少しこの世に留まってください」と頼んだ。すると師は「私にはあなた様のように自分の意志で寿命を延ばす力がありません」と答えると、ダライ・ラマは「できるかできないかを言ってない。この世に留まりなさい」と言うと、ロサン・ワンチュク師はその時は死ななかった。
三年経った1978年、ロサン・ワンチュク師は説法会が終わると同時に急死してしまった。
ヨーロッパで訃報を聞いたダラ イ・ラマは、「失敗した。 もう一言『この世に留まれ』と命じておけば、あと一年はもったはずだ」と 言った。』
(出典:ダライ・ラマと転生/石濱裕美子/扶桑社P75-76)
ダライ・ラマは、自分の寿命も自分で延ばせるのですね。
2.出口王仁三郎
(1)『年を若くする事
年を若くして呉れと、菓子でもねだる気で頼む人があるが、中々容易にさういふ事が出来るものでは無いのである。
私が頼まれて止むを得ず発する言葉では、要するに駄目なので、私の方から自然に発する言葉、即ち神の言葉でなくては効果は無いのである。
抑々(そもそも)年齢を若くすると云ふのは、年齢を継ぎ足して長生さして上げる事で、今六十歳定命の人に二十年の歳をつぎ足して上げると、其人が八十才になつた時が六十才になる勘定だから、要するに二十年若くなり長生する訳である。私が年齢をつぎ足すには、定命を全ふせずして、たとへば、自殺して死んだ人の余つた年齢を与へるのであるが、これが又なかなかむづかしい事で、もし悪人の余つた年齢をつぐと、知らぬ間に其の人が悪化して仕舞ふから、善人でなくてはいけないので、甚だむつかしい。
先日頭山翁の年齢を若くして四十八歳にしてあげた。翁は大層喜んで、それから誰に遇うても四十八歳だと云ふと云ふて居られた。』
(月鏡/出口王仁三郎から引用)
(2)『心配は毒
人間にとつて心配程毒なものは無い。心配は寿命を縮める。心配事が出て来ても総てを神様に奉納して心配せぬやうにする、これが長寿の秘訣だ。』
(上掲書から引用)
寿命を延ばすことは、非科学的迷信であると思う人がほとんどなのだろう。
長命の人に長命の一生なりの春夏秋冬があるように、短命の人にも短命の一生なりの春夏秋冬がある。
笹目秀和道人が出会った仙人は、200歳と500歳。今や100歳以上の人が日本だけでも10万人いるという。
長寿は、その人生で果たすべき何かが終わっていないから長寿なのだろう。
長寿が無条件に良いことだなどと思っている人は少ないだろう。
この終わりの時代に一体それは、何なのだろう?
英雄は見果てぬ夢を追い、乙女は最愛の伴侶を求める。それだけなら、この世に生まれてはこないのではないか。