アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

冥想道手帳 ダンテス・ダイジ-9

2023-02-16 06:45:47 | ダンテス・ダイジの風光

◎宇宙意識の感情的表現

 

冥想道手帳の続き

『【宇宙意識の感情的表現】

 

つぎに述べる情感が、君の中に響いていなければ、君の冥想修行が中途半端な状態であるか袋小路に迷いこんでいるといってよい。

 

安らかさ・喜び・さわやかさ・力強さ・解放感・清らかさ・充実感・深い悲しみ・なつかしさ・すべてを美しくいとしく感じる・やさしさ・楽しさ・ありがたさ・落着いた静けさ・その他あらゆる肯定的感情。

 

君が宇宙意識とふれ合う時、君は自己れんびんやセンチメンタルとは無縁の透明な涙を知るだろう。また、嘲笑や自虐性やこっけいさからのそれでない大いなる笑いやおおらかな微笑があふれ出すだろう。

そして君は知る、完全な沈黙や深くやすらかな静寂が何であったのかを。

 

形而上学や哲学や神学や教義イデオロギーの論義は、もういらない。君が、どんなに整然とそれらの論理的構造を理解したとしても、君がハッピーそのものでなければしかたがないんだから』

(冥想道手帳 MEDITATION WAY MEMO ダンティス・ダイジから引用)

 

宇宙意識(ニルヴァーナ)を神学的に究極の属性から説明した次には、感情的表現として肯定的な情感を並べ上げる。肯定的感情からも宇宙意識に入ることがある。それはクリシュナムルティの瞑想録などにも肯定的感情からニルヴァーナを兆すシーンがよくあるが、そういうものが例の一つでもある。

 

禅語録を読めば、大悟覚醒した際に、全身全霊がその感動で我慢できず、思わず師家にまで失礼千万な態度をとることがよく描かれているものである。ダンテス・ダイジの沖縄万松寺の隻手の公案シーンでもぶち抜けたシーンが描かれている。OSHOバグワンも爆発した。

 

またマントラ念唱から肯定的情感経由で入る道もある。

一休は、最初禅で極めたが、蓮如の弥陀の本願に抱き参らせるというふんわり優しい情感にころりと参り、念仏の信徒にもなった。

「襟巻の あたたかそうな 黒坊主 こやつが法は 天下一なり」 一休

と、蓮如を賛した。

 

また、

「極楽は十万億土と説くならば足腰立たぬ婆は行けまじ」 一休

と、極楽は遠すぎると皮肉ったところ、

「極楽は十万億土と説くなれど近道すれば南無のひと声」 蓮如

と返歌したという。もっとも禅は極楽を目指す宗教ではないが、極楽的な生き方となる宗教ではある(諸悪莫作衆善奉行=悪いことをしない、善いことをする)。

 

最初の大悟覚醒シーンには、感動的爆発が大体あるものだ。その一方でしみじみというのもある。

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