◎谷神不死、是れを玄牝と謂う
垂直の道であるクンダリーニ・ヨーガの極みは上昇であって、無上の垂直道を経て中心太陽に突入。一方水平の道の極みは、下降であることがほのめかされている。
水平の道の代表格である老子の道徳経に具体的な下降シーンがあるわけではないが、以下のような記述、特にタオの極みを「谷神不死、是れを玄牝と謂う」(第六章)と称していることで、プロセスが下降であることは想像される。下降した底なしの底(無底の底)で玄牝に出会うのだ
参考までにGeminiの意見を挙げる。
『老子道徳経の窮極は、下降によって起こると思われるが、分析お願い致します。
ご指摘の通り、「老子道徳経」の思想における究極の境地は、一般的な上昇志向や積極的な行動とは逆の、下降、あるいは「柔弱謙下(じゅうじゃくけんげ)」、そして「無為自然(むいしぜん)」といった状態によって到達されると分析できます。
老子の思想の核心には、**「道(タオ)」**という概念があります。「道」は、宇宙の根源的な原理であり、万物の生成と変化を司るものです。しかし、この「道」は言葉や形では捉えられない、究極の「無」として表現されます。
窮極が下降によって起こるという分析
この「無」に至るプロセス、つまり老子の思想における究極の境地が「下降」と表現できる側面について、いくつかの要素から分析してみましょう。
- 柔弱謙下(じゅうじゃくけんげ)の思想
老子は、強さや剛直さを尊ぶ世俗的な価値観とは対照的に、**「柔弱謙下」**を理想とします。
水の比喩: 老子は「上善は水の如し」と説きます。水は、万物を利しながらも争わず、人の嫌がる低い場所へと流れていきます。これは、自らへりくだり、目立たず、他者と争わない生き方が、最終的に最も強靭で持続可能であることを示唆しています。
へりくだること: 自らを低く置き、へりくだることは、上昇志向とは真逆の「下降」の姿勢です。しかし、これにより、万物を受け入れ、争いを避けることで、かえってあらゆるものと調和し、究極の安定と安寧を得られると考えられます。
- 無為自然(むいしぜん)の思想
老子のもう一つの重要な概念は**「無為自然」**です。「無為」とは「作為がないこと」「無理に手を加えないこと」を意味し、「自然」は「あるがままの状態」を指します。
作為の否定: 人間が自らの知識や欲望に基づいて積極的に行動しようとすることは、かえって事態を複雑にし、調和を乱すと老子は考えました。無理に何かを成し遂げようとする「為」を捨て、自然の摂理に身を委ねることが重要です。
「無」への回帰: 無為自然とは、自己の「有る」という意識や欲望を捨て、宇宙の根源である「無」の状態へと回帰することです。これは、上昇や増加ではなく、むしろ自己の存在感を希薄にし、究極的には「無」に近づいていく「下降」のプロセスと言えるでしょう。
- 谷神不死(こくしんふし)と玄牝(げんぴん)
「老子道徳経」第六章には、「谷神不死、是れを玄牝と謂う」という言葉があります。
谷のイメージ: 「谷」は、低い場所であり、何も存在しないかのように見える「虚ろ」な空間です。しかし、その「虚ろ」こそが、万物を生み出す源であり、尽きることのない生命力を持つ「神」として捉えられます。
下降と生成: 谷は水を受け入れ、万物を育む場所であり、そこから生命が生まれます。これは、表面的な「無」や「下降」に見える状態が、実は深遠な創造と生命の源である、という逆説的な真理を示しています。
- 積極的な放棄と受容
老子の思想は、何かを積極的に獲得したり、外的に達成したりすることよりも、何かを放棄し、受け入れることに重点を置きます。
知の放棄: 知識や分別を捨て、素朴な状態に戻ることを奨励します。これは、意識的な「上昇」や「蓄積」とは反対の、知的な「下降」と言えるでしょう。
謙虚さの重要性: 自らの小ささを知り、謙虚に振る舞うこと。これは、自己を拡大するのではなく、縮小し、他者と調和することを目指す「下降」の姿勢です。
結論
老子道徳経における究極の境地は、確かに一般的な意味での「上昇」や「進歩」とは異なるベクトルにあります。それは、「柔弱謙下」、「無為自然」、そして**「谷神」**の思想に象徴されるように、自らを低く置き、作為を排し、虚ろな状態を受け入れる「下降」のプロセスを通じて到達されます。この「下降」は、弱さや退行を意味するのではなく、むしろ内なる強さ、普遍的な調和、そして尽きることのない創造性へと繋がる、老子独自の究極的な悟りの道と言えるでしょう。』
更にGemini
『※老子の思想における柔弱謙下
老子の主著である『老子』(道徳経)には、「柔よく剛を制す」という考え方が繰り返し説かれています。これは、柔軟で弱いものが、かえって強固なものを打ち破る力を持つという思想です。
具体的には、以下のような記述がその思想的背景となっています。
「柔弱は生(せい)の徒(と)なり。剛強は死の徒なり。」(老子 第76章)
柔らかく弱いものは生き生きとしており、強く硬いものは死んだものである、という意味合いです。
「上善は水のごとし。水はよく万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に近し。」(老子 第8章)
最高の善は水のようなものである。水は万物に恵みを与えながらも争わず、皆が嫌がる低い場所に身を置く。だから道に近い、という意味で、謙虚さや争わない姿勢の重要性を示しています。
これらの老子の思想が、後に「柔弱謙下」という四字熟語としてまとめられ、柔和でへりくだる態度こそが真の強さであり、物事を円滑に進める上で重要であるという教えとして広まったと考えられます。』