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詠里庵ぶろぐ

詠里庵

一昨日は子供みたいに

2011-10-10 10:00:02 | 日々のこと(音楽)
喜ぶことがありました。いまアシュケナージ親子(ウラジミールとヴォフカ)が来日して2台ピアノのためのコンサートをあちこちでしていますが、先週から研究室に滞在している外国人のヴィジターを連れて、妻とともに大阪でのコンサートに行ったのです。実はヴォフカ・アシュケナージには20年ほど前、3ヶ月ほどレッスンに就いたことがあるので、公演後会えたらと思いました。サイン会でもあればと思って。

しかし何もなく、会場にはCD販売員以外にスタッフも見あたりません。後でわかったのですが、昔からウラジミール・アシュケナージは演奏会が終わったらのんびりせず、すぐ次の演奏の地に出発するらしいのです。さて、ひとり学生バイト風にも見える頼りなげな会場案内係がいたので、どうせわかりませんと言われると思いつつも、Vovkaの昔の知り合いだけど楽屋で挨拶できないかと訊いてみたのです。そしたら意外にもサッと携帯を取り出して連絡を取ってくれて、「どうぞ」となったのです。

知り合いとは言ったものの、20年前のことなのではたして覚えているか全く自身はありませんでした。しかし私を見るなりすぐ名字を呼んで、名前も四文字中三文字まで自力で言いあてた後、全部を思い出してくれました。それから話が弾みましたが、父親であるピアニストの巨星ウラジミールが来て退出をせかしました。初めて聞くその声は低いバリトンでした。そろそろtrainの時間が、とか言いつつも、ウラジミールもヴォフカもCDにサインしてくれました。(後で読んだそのCDの解説に「演奏会後飲みに行こうと言っても、アシュケナージはすぐ次の演奏の地に出発する、とイツァーク・パールマンがこぼしていた」とあったのです。)

久しぶりで子供のように喜びました。たまにはこんなこともあっていいですよね。
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ヨセフ・スク死去の日付

2011-07-09 07:16:12 | 日々のこと(音楽)
を7月6日に訂正します。参照:英guardian紙、および、(なぜかURLを書くとエラーになりますが)チェコ新聞にもそうありました。
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哀悼ヨセフ・スク。

2011-07-08 22:08:05 | 日々のこと(音楽)
日本ではヨゼフ・スークと呼ばれるチェコの名ヴァイオリニストです。7月7日に亡くなったそうですが、日本での報道は今日(一般紙では朝日新聞、少し遅れて産経新聞)でした。ドヴォルジャークの作曲の弟子でドヴォルジャークの娘オッティリエと結婚した同姓同名のヨセフ・スクの孫です。つまりはドヴォルジャークの曾孫ですね。

独奏者としても活躍しましたが、スク・トリオ(日本ではずっとスーク・トリオと言われて来たので私もその方が慣れていますが)を率いて、特にドヴォルジャークのピアノトリオ「ドゥムキー」の演奏は脳裏に染みついています。今は廉価盤になってますが、もちろん超一流の演奏です。

ところで、おじいさんである作曲家ヨセフ・スクの作品としては、いろいろありますが「ヴァイオリンとピアノのための4つの小品」やピアノのための「愛の歌」が人気があります。彼が若かりし頃、ドヴォルジャークの弟子だったわけですが、そのころ登場した蒸気機関車にドヴォルジャークはいたく興味がありました。スチーム・ロコ・マニアのハシリだったんですね。「これこそ人類最大の発明だ」と言って、近くの停車場に蒸気機関車を見に行き、型番をメモするのを日課としていたドヴォルジャークは、ある日忙しかったのでヨセフ・スクにメモを頼みました。ところが機関車の知識がないスクがメモして来たのは炭水車の番号でした。それを見たドヴォルジャークはカンカンになり、オッティリエに「おまえはこんな男と結婚するつもりか」と八つ当たりしたとか(嘱啓成の本より)。

オッティリエとスクが顔を寄せ合ったラブラブの写真が残っていますが、結局結婚してくれたから、孫のスクのヴァイオリン演奏を我々が楽しめるのですね。[合掌]
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フィラデルフィア管弦楽団

2011-04-18 00:21:59 | 日々のこと(音楽)
が経営破綻というニュース。オーマンディ率いる華麗なるフィラデルフィアサウンドを知る往年のファンとしては、なぜ?と思うばかりです。現在首席指揮者は、かのデュトワだそうで、ますます謎。

と書いたところで、現在の首席指揮者がデュトワであることを知らなかった自分に驚くとともに、指揮者とオケの相性ということを考えざるを得なくなりました。デュトワとフィラデルフィアの相性が悪いワケはないのですが、「普通にいい」という程度では生き残れないということなのでしょうか。ストコフスキーが揺籃期を育てたとすれば、最も重要な青年壮年期はオーマンディによって磨かれたフィラデルフィアサウンド。やはりそれが絶頂期だったように思います。ちょうどデュトワがモントリオール管弦楽団を、セルがクリーブランド管弦楽団を、アンセルメがスイス・ロマンド管弦楽団を、少し知名度は落ちますがカイルベルトがバンベルク交響楽団を素晴らしいサウンドにしたのと同じく、相性が極端に良かったのでしょう。しかしこれらのオケは指揮者が去ったらそのレベルを維持できていませんでした。ウィーンフィルやベルリンフィル(N響もそうでしょう)などいわゆるトップのオケは指揮者が変わってもトップのオケであり続けるのですが。フィラデルフィア管弦楽団は指揮者が変わっても平気だろうと思っていたのですが、デュトワをもってしてもその勢いを維持できなかったということは、「相性が普通にいいというだけでは足りない」ということではないでしょうか。

求道者のようにピアノに向かうラフマニノフを尊敬のまなざしで振り返る若いオーマンディ。そのオーマンディが振る指揮棒の動きを見逃してなるものかと追うフィラデルフィア管の団員達。この一枚の写真に若かった私は感激したものでした。

東京交響楽団のように、何らかの形で復活して欲しいものです。
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今日は震災から一ヶ月。

2011-04-11 08:10:20 | 日々のこと(音楽)
あらためて亡くなられた方々、怪我をされた方々、大切な人やお仕事や大事な持ち物を失われた方々にお悔やみを申し上げ、復興を誓いたいと思います。

そんな中でリスト・コンクールに後藤正孝氏が優勝というニュースがありました。自分の国の大震災に心がざわめいたであろうに、よく頑張ったことだと思います。

ところでコンクールのステータスは入賞者がその後どう活躍するかに依りますので、その意味では1986年から3年ごとに開かれているこのフランツ・リスト国際ピアノコンクールはこれからのコンクールだと思います。1999年の第5回で3位のユンディ・リが有名ですが、この人も2000年のショパンコンクール1位で世に出たと言えます。

今回ニュースの後藤正孝氏、YouTubeですぐ見つかるのはショパンの演奏が多いのですが、その限りにおいては大曲を卒なくこなすといった印象でした。新しい音楽家のコンサートに行くようになるには、他の音楽家のコンサートを止めなければこちらも身が持たないので、そこまでなるかどうかはわかりません。

しかしマズルカを何曲か聴いたところ、その妙味のある演奏に惹かれました。もちろんマガロフやフランソワの方が聴きたいですが、それは望めないので、日本で簡単に聴けるならこの人のマズルカ、もう少し聴いてみたい気もします。
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辻井伸行氏がチャイコ1番

2011-03-20 09:27:47 | 日々のこと(音楽)
を題名のない音楽会でやってましたね。いや実は彼の演奏、いままではーもちろん素晴らしい技巧に感服してはいますがー翳りというものが全くなく天真爛漫すぎるところに成長の余地あり、と思っていましたが、今日の演奏、すごかった。また佐渡裕の指揮がさすが。クライバーンコンクールでは必ずしも指揮者に恵まれなかった場面もあった辻井ですが、佐渡は心底協奏かつ共創的。辻井の顔を見やったり鍵盤をときどきのぞき込む様子にもそれが現れていました。これは今後が楽しみだなぁ。
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異色のコンサート

2011-02-22 02:39:53 | 日々のこと(音楽)
に行きました。これから注目を浴びるであろうピアノによる演奏会です。
というと、さてはまたショパン時代のプレイエルか? 1927製エラールか? はたまたクリストフォリの復元ピアノか? 

いえいえ、これです。クリストフォリの対極にある、ローランドの新しいデジタルピアノ「V-Piano」です。おっと待ったぁ、そこで「なーんだ」と去るなかれ。

ハッキリ言ってこれは従来の電子ピアノを完全に超えています。いや、今後「電子楽器」の定義を変えてしまう、新生電子楽器の最初のDNAになるかもしれません。1990年と1995年のショパンコンクールでそれぞれ5位だった実力派の高橋多佳子と宮谷理香が渾身の演奏でこのピアノと対峙していました。一流ピアニストが真剣に思い入れる姿、想像できますか?

もしヤマハのN3の宣伝パンフレットを見た人がいれば、シプリアン・カツァリスが「私がレパートリーにしている難曲をいくつか弾いてみようと思った、と言えばN3のすごさがわかるでしょう」というセリフを目にしたことがあるかもしれません。しかしカツァリスがこのローランドのV-Pianoを前にしたら何て言うでしょうね。実を言うと私はN3もV-Pianoも弾いたことがありますが、もう全く別物です。V-Pianoはタッチが本格的なグランドピアノに酷似しています。酷似というか、目隠しして弾いたらわからないかもしれません。

そしてすごいのは自分で音作りができること。コンサートではフォルテピアノからプレイエル風、現代のグランド、そして低音も3弦のオールシルバーなんていう現在存在しないピアノまでシミュレートした音作りをしていました。今日はこのくらいにしますが、V-Pianoについてはまた書かないではいられないでしょう。注目です。
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上原ひろみがねぇ

2011-02-14 22:51:21 | 日々のこと(音楽)
実はCD持ってます。
カプースチンばりのスピード感なのに、しっとり感もあり、音がきれい。音楽が生きてます。ヨーロッパで複数の物理学者から「Hiromi Uehara知ってるか?」と訊かれたことがあります。あちらではそんなに有名なんでしょうか。
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内藤晃さん

2010-12-05 16:12:49 | 日々のこと(音楽)
スティマーザールで行ったショパンの夕べに行きました。スティマーザールはとても面白そうな空間でしたが、事情あって長居できなかったので、コンセプト理解のためにはまた行く必要がありそうです。

内藤さんの演奏、またまた心の暖まる音楽が紡ぎ出されていました。最初の幻想曲の出だしからして、肩に手をかけて語りかけるようで、普通のピアニストと違います。そもそも鍵盤楽器は弦楽器や管楽器に比べると自分で音を持続させず、発音体を選ぶスイッチである鍵盤が並んだ「機械」のようなものですが、彼が弾くと肉声のようです。メインはインペリアルで、しかし子守歌と遺作最後のマズルカの二曲だけ場所を変えて1856年製プレイエルを囲んでというのも面白い趣向でした。演奏者との距離が近くサロン風で、ショパン自身のサロンコンサートはこんな感じだったのではないかと当時を彷彿させます。青柳いづみこも由緒あるピアノでのコンサートをよくされていますが、こういった趣向はありきたりのコンサートを脱し新しい試みを開拓するものだと思います。ちょうど1ヶ月ほど前に1841年製プレイエルを弾いた話を書いたばかりなので興味深く聴きましたが、音の傾向は同じでした。音大の博物館なども含めると、歴史的なピアノは日本に結構存在しているようです。
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そう、ショパン生誕200年

2010-02-24 22:00:35 | 日々のこと(音楽)
ですよね、今年は。なにげにNHKのニュースを見てたらなんとそれがニュースに。

結構長い時間そのニュースが続いています。そしてインタビューに現れた顔は・・・ブーニン!
あのスラッとしたバネ仕掛けのような青年は、すっかり大人っぽくなっていました。弾いているのはFAZIOLI。いいなぁ。2月28日(日)テレビ朝日の「題名のない音楽会」でもFAZIOLIで弾くようです。(これはもちろんNHK情報ではありません)

ン?しかしなんでドイツ語を喋ってるの?

そしたら、なんでも日本人と結婚して、今は日本とドイツに住んでいるのだとか。日本語は喋らないのかな。それにしてもディーナ・ヨッフェといい、ショパコン優勝・準優勝のロシア人が日本に住んでいるとは。

(ところで武満徹80周年記念は取り上げません? NHKさん?)
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今年は武満徹

2010-01-03 01:56:09 | 日々のこと(音楽)
の生誕80年です。大々的にその種の企画があるというわけでもないようですが。

武満の同世代には大物作曲家がいっぱいいます。±10才違いまででは別宮貞雄、團伊玖磨、芥川也寸志、矢代秋雄、黛敏郎、間宮芳生、湯浅譲二、多田武彦、冨田勲、一柳慧、三善晃、八村義夫、高橋悠治、佐藤眞、野田暉行などの音楽が好きです。この中で5人に絞れと言われたら俄然、矢代秋雄、黛敏郎、湯浅譲二、一柳慧、三善晃を挙げます。

でも武満は独特というか別格というか、ちょっと違うのです。それは私の個人的趣味の問題といえばそうなんですが・・・

私はまず第一に西洋クラシック・近現代音楽を好みます。中でもピアノ音楽は大変好きです。だから詠里庵「音楽の間」でも大部分がこれらに関する記事になってしまっています。

ところがそれとは別に、非西洋音楽も好きなのです。それは音階やリズムが珍しいということもあるのですが、それだけでは、精神において西洋音楽と大差ないものも結構あります。そうでなく、本質的に違うものが好きなのです。私が言うところの「違うもの」とは何か?

ひとことで言うと、「明確な開始とそれに続く必然的発展と終結があり、その間、のべつ幕なしにしゃべり続ける音楽」とそのアンチテーゼの違いです。文学に比喩を求めると、「小説あるいは叙事詩のように構造がはっきりしていて、部分だけ取り出すと意味のないもの」と「詩、それも空白や余白が重要な、途中だけ読んでも鑑賞が成立するつぶやきのようなもの」とでも言いましょうか。非西洋音楽には後者のようなものが結構あります。それと西洋音楽の複雑に発達した書法が結びついたものを創造したら、真の、最もあるべき高みにある音楽になるのではないか? それを実現している1人として武満は第一人者ではないか、と思うのです。上に挙げた彼以外の同世代たちの音楽は、武満に比べると西洋の匂いがします。彼の音楽ー特に彼の後期にさしかかる前後の音楽ーを聴くと、上記のような意味において、深いーため息をついて動けなくなるほど深いー感動を誘うのです。彼の音楽では「無音の間」が極めて重要なのです。

西洋音楽の中でこのコンセプトに近い音楽の例を挙げるとすれば、ドビュッシー、ヤナーチェク、後期スクリャービン、インプロヴィゼーション、などの中に少し見られる気がします。

武満には多くの著作や対談がありますが、その中で印象的なのは
「ぼくの音楽はどこから始まってもいいと思っているから・・・」
という発言。これこそ私が感じて来た上述の感覚を端的に示すものではないかと思います。
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題名のない音楽会

2009-09-13 12:49:15 | 日々のこと(音楽)
を、途中からですが、久しぶりに見ました。そしたらラプソディー・イン・ブルーをやっていました。ピアニストは二十歳ほどの青年。一見してクラシック系でないタッチです。山下洋輔のようなスポーティで打楽器的な感覚。この曲、今となっては古き良きジャズという感じもしますが、こういう演奏、現代的でいいですね。山下洋輔より笑顔が楽しそうで、音もだいぶクラシック的できれいです。ちょっと羽田健太郎を思い出させます。

実はこの若いジャズピアニスト、私の研究室の修了生の弟なんです。一度聴いてみたいと思っていましたが、ひょんなことでチャンネルが合い、ラッキーでした。
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辻井伸行さん

2009-06-09 21:20:49 | 日々のこと(音楽)
のヴァン・クライバーンコンクール優勝のニュース、いいニュースですね。4年前のショパンコンクールで批評家賞をとったときも、ただでさえ童顔なのに当時は本当にポチャポチャした少年でしたから、今でも「さん」じゃなくて「君」あるいは「ちゃん」という感じがします。そのときもOp.10の演奏、すばらしかった。本当に明るい、天使のような演奏です。

ところでヴァン・クライバーン、不思議な郷愁を感じます。彼が23才で第一回チャイコフスキー国際コンクールで優勝したのはキューバ危機より少し前の1958年。小学生になっていなかった私は知る由もありませんでしたが、冷戦がピークに達しかけているときに音楽の宝庫ソ連がアメリカに差をつけようと創立したコンクールの第一回目で絶賛を博したアメリカ青年は、確かに世界平和に少なからぬ貢献をしました。それを私が身近に感じたのはその数年後、チャイコ1番とラフマニノフ2番をカップリングした有名なLP盤を姉が買って来て、その解説を読んだときです。就職してほどない姉の趣味で、たたむとカバンのようで開いてレコードをセットすると本体からはみ出るほどの小さなポータブル蓄音機でよく聴いていました。フルトヴェングラーの「驚愕/40番」盤とともにレコード聴き始めの頃でした。世がいくぶん落ち着いた今からすれば少々荒削りに聞こえるクライバーンの演奏も、コンドラシンやライナー指揮下のオケと一体となって情熱的で、当時の平和への願いの高揚感にピッタリはまっていました。

その後次々と現れたピアニスト群像の中で演奏活動が聞こえて来ないクライバーン。そしていま新進ピアニストに手厚いサポートを用意することで有名になったクライバーン・コンクール。彼の貢献を見ると、1次元の価値観でものごとを見てはいけないことを感じます。ピアニスト=至高の演奏をするかどうか?がもちろん第一義的ですが、それが全てではありませんね。

辻井君、あ、辻井氏の今後の活躍が楽しみです。
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ウィーンフィル

2009-01-02 00:49:45 | 日々のこと(音楽)
のニューイヤーコンサート、見たり見なかったりですが、今年は3分の2ほど見ました。
ウィンナ・ワルツやポルカは普段鑑賞しないジャンルですが、今年はバレンボイムが面白いプログラムを組んでいて、中にジプシー男爵序曲とハイドンの「告別」が入っています。しかし正月といえど暇で困っているわけではないので、ジプシー男爵序曲まで聴いて、あと一番おいしそうな告別を含む残りは録画にして、別のことをし始めました。本当は告別を見てから感想を書きたかったのですが、いつになるかわからない(結局再生しない確率が高い?)ので書き始めてしまったわけです。

いつもながらウィーンフィル自家薬籠中の曲目、音楽が本当に生きています。もちろんバレンボイムの指揮のなせる業ですが、それだけでもないかもしれないとも思います。というのは、調べればすぐわかることですが多分バレンボイムは初登場(かそれに近い)と思います。マゼールのように長いことやれば、彼の指導のなせる業と言い切れると思いますが、ウィンナ・ワルツやポルカ、これらのリズムの揺らし方はものすごく微妙です。それを大ざっぱに言うと、ズンチャッチャーの3拍子の第2拍のチャッだけ、ごくわずか早めに入れるのです。ポルカの場合は裏のリズムをごくわずか短めにとります。もちろんそういう風にシーケンサーやコンピューターに自動的にやらせるのではダメで、もうどこをどう揺らしたか分析が追えないほど逐一変えて行っています。

こんな微妙な生き物のようなリズム感、あらゆる拍をバレンボイムがこと細かに指定しているのでしょうか? まるで酒場のカラオケ客のように楽しそうに演奏するウィーンフィル楽団員の様子を見ていると、もう長年のことで自然に身についてしまっているのではないかという気がします。あとはバレンボイムが大ざっぱな指示を与えれば、細かいところは自然演奏、ではないのかなぁ。

ところでジプシー男爵ですが、20年少し前、ウィーンのフォルクスオーパで見たことがあります。総合芸術としてはそのとき大変満足感を覚えましたが、演奏会としては、今回の序曲の衛星中継の方がはるかにいい音響を楽しめました。そりゃ舞台前のオケボックスの見えないところから聞こえてくるよりはムジークフェラインのホールの方がいいに決まっていますが。後者の音響を持つオペラハウスというのは、ないものねだりでしょうか?

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シベリウス

2008-10-19 10:52:10 | 日々のこと(音楽)
のピアノ曲はなかなかすてきです。「ピアノは歌わないから好きでない」と言ったというのは本当?と思うほど。

ま、ピアノ曲のことは後日にして、ピアノ以外、特にオーケストラ作品が本領の作曲家ですよね。シベリウスを嫌いという人はあまりいないように思います。

しかし私は不思議な作曲家だと思うのです。大ざっぱに言って(I)はずかしいほどわかりやす過ぎるいい曲、(II)わかりやすく深い、いい曲、(III)わかりにくくて深い、いい曲、があると思います。(I)から(II)への変化は連続的で必然性が感じられますが、(III)はいったい何なのか、不思議なのです。

たとえば(I)はクレルヴォ交響曲、カレリア、フィンランディア、Sym.1第1楽章、Vn協第3楽章、Sym.2第4楽章、(II)はSym.1、Vn協、Sym.2、タピオラまで含む交響詩群があります。(III)はというと、俄然Sym.3~7です。(I)(II)は全ての音符の存在に納得が行き、それ以外の解はないだろうと思いますし、特に(II)は精神的にも大きな感銘をもって浸れます。でも(III)はというと、大好きなのですが、理解できないままなんとなく好き、という楽想や音符が非常に多くあるのです。

シベリウスの本当のマニアは、(I)はおいといて(II)の方を、しかしそれよりはずっと(III)を好むだろうと思います。その意味で私はまだ本当のシベリウス・マニアではないかもしれません。なにせ最初期のクレルヴォ交響曲なんかが好きなくらいですから。

しかしです。(I)と(II)の「好き度」が年と共に変わらないのに対し、(III)の交響曲第3~7番の「好き度」が年々上がって来ているのです。これを外挿すると、将来逆転する可能性があります。

まあ6番は元から好きです。5や7も血湧き肉躍るようなことはないにしても、美しく、のびやかで、雄大なところもありますね。3も不思議な冒頭ですがきれいな曲です。

問題は4です。若い頃これがさっぱりわからなかった。今でも楽譜を見ながらでないと、耳で聴いただけでは楽想が掴めません。小節線は何のために引いているのか、全く好き放題に見える展開。若い作曲家がいきなりこれを発表したら顰蹙を買うのではないか? Sym.1、2、V協の実績があればこそ許された唯我の境地ではないか、と思う一方、最も先鋭的なシベリウス・ファンはこの曲を一番好むんだろうななどと思ったこともありました。

それが最近「好き度」上昇の微分係数が一番大きいのがこの曲です。そこで昔買ったBreitkopfのスコアを取り出し、解説を読んでみましたが、面白いことが書いてありました。「ストラヴィンスキーやシェーンベルクをはじめとする最近の音楽の傾向に私は反発を感じる。そのアンチテーゼとして私は交響曲第4番を作った」のだそうです。

古典・ロマン派の語法を崩すというのがストラヴィンスキーやシェーンベルクが採った現代音楽確立派の道だとすれば、それに疑問を感じたシベリウスの感覚もわからないではありません。しかしシベリウスもロマン派にとどまることはせず、独自の方法で新しい道を探ったように見えます。方向はともかくロマン派にとどまることが許されなくなったあの時代から、作曲家は安心して頼れる太い指針を失い、分裂した小さな指針群に頼るか、自分ひとりで立てられる程度の小さな指針で作曲するしかなくなったようにも思います。シベリウスが約60才で創作をストップし、以後約30年間作曲しなかった(しては捨てた)ことはそのような状況と関係があるのではないかと思います。

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