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詠里庵ぶろぐ

詠里庵

滝廉太郎

2008-09-06 00:40:18 | 日々のこと(音楽)
について以前書いてからだいぶ経ちますが、その続きです。偶然スコットランド交響曲を耳にして、そうだ書かなくちゃ、と思い出しました。以前の記事で滝廉太郎のドイツ留学は結核発病により中止となり帰国後まもなく亡くなったので、有名な作品は全部留学前のものだと書きました。

留学後の作品もあります。帰国後故郷で療養中、彼は死期が近いことを自覚し、ピアノ曲を一曲作りました。それが絶筆となりましたが、なんという題の曲かご存じでしょうか? 

「憾み」という曲です。

恨みあるいは怨みでなくてよかったと思いますが、それにしてもなんともすごい題です。こんな題の曲は他に知りません。

この曲は、昔NHKの滝廉太郎ドラマで聴いたことがあります。その時は冒頭だけだったので、すごく感動したというわけでもありませんでした。

しかし滝廉太郎記念館にはその自筆楽譜が全曲展示してありました。言うまでもなくその前にたたずみ、冒頭から最後まで鑑賞しました。これだけでも、大分の講演を引き受けた甲斐がありました。これぞ日本最初の本格的ピアノ曲、後の方に行くにしたがって、ピアノのテクニックが要求されるとともに、深みも増して行きます。曲想はスコットランド交響曲の第一楽章第一主題に通ずるものがあります。もちろんその頃メンデルスゾーンはいませんでしたが、やはりライプツィヒで薫陶を受けただけあります。

生きていたとすれば129歳。その間に日本は武満、西村、細川等を輩出するまでになりました。129歳は無理としても、長生きしていたら日本の西洋音楽受容と自立の全てを見たことでしょう。24歳になる前に亡くなってしまいましたが、それでも後に続く人達を奮い立たせる貢献をしたのではないでしょうか。

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ファジル・サイ

2008-06-28 23:36:13 | 日々のこと(音楽)
がアインシュタインのために交響曲を書くという噂を耳にしました。ちょっと考えつかなかった組み合わせ。本当ならいいのですが・・・期待。

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最近いまいち

2008-06-25 07:45:40 | 日々のこと(音楽)
かなという気もする毎日新聞ですが、ウミガラスの記事は頑張っています。種の保存活動はなかなか困難なようですね。作曲家も感じるところがあるのでしょう、広瀬量平は混声合唱組曲「海鳥の詩」を書いています。以前のブログでも紹介したことがありますが、20年ほど前ある合唱団の伴奏をしたことがあるので、少し懐かしくなって再度第1曲オロロン鳥、第2曲エトピリカを紹介します。(以前のブログでは高田三郎作曲と書いてしまいましたが、間違いですね。この曲と違って大変現代的なバイオリン協奏曲などいい曲を書いている広瀬量平の方でした。)
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なかなか土日

2008-06-16 08:22:24 | 日々のこと(音楽)
もなく出張や出勤が続きます。昨晩ウトウトしながらテレビのチャンネルを変えたら、ピアノを弾く手が大映し。ベートーベンのP協3の第2楽章。当然チャンネルを換える手は止まりました。しかしこれゲルバーそっくりの演奏だなと思ったら、顔が映って、ゲルバーでした。最近来ていたのか。グールドみたいに同じ曲は同じようには弾かない人もいますが、ゲルバーは何十年前と同じ。これもまたよし。

全集ものをそれほどは買わない私でしたが、去年ベートーベンのCD全集を買いました。これは往年の名演がずらりなのです。その中にゲルバーのP協3を見いだして、すばらしい、と思う一方、複雑な気持ちになりました。既にレコードを持っているからではありません。この全集、1枚200円強という超安値。裸のCDより安いのではないか? その中に、この曲の演奏としては最高と今でも思っているゲルバーの録音が入っているのですから。値段見ただけで「三流の演奏に違いない」と思う人が出るかもしれません。時が経てば往年の名演と言えど廉価盤になる運命でしょうか。

その逆もありました。昔のコロムビアの1000円シリーズのレコード。そのピアノ曲は大半のレコードがブレンデルでした。これ悪くないのではと思いつつ、少年の私は、廉価盤専属のピアニストというイメージを持ってしまっていました。その後のブレンデルが高い新譜盤シリーズに躍り出て活躍していることは周知の通りです。

入手の難易が価値に影響を与えるのは必然ですが、それに振り回されない価値判断をするのは大変ですね。
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ちょっと多忙に

2007-12-27 23:37:23 | 日々のこと(音楽)
していたら、いつのまにかオスカー・ピーターソンが亡くなっていました。結構好きなんですが、ジャズヲタクに言わせればあまりにもスタンダード過ぎるでしょうか? 近年は便利な世の中で、DVDでジョー・パスとの来日共演や「ウィーンの夜」など見ることができます。これらの晩年の演奏は味があるといえば味があるのですが、まあ私は好みの基本がクラシックなので、タッチが荒く感じられます。やはり数十年前のレコード時代の演奏が白眉に思われるなぁ。
 その頃のピーターソン、どんな凄いパッセージも楽しんで軽々弾いています。左手がでかくて、速いナンバーでも10度のベースと中音域コードの跳躍交代が全く何でもない。技巧派ジャズピアニストの最高峰ですが、私はバラード的なものが好きです。特に(これがまた好きと言うと何とありきたりなと思われそうですが)My one and only one love。いくつかアレンジしてますが、特にA♭ヴァージョン。作曲家としても多くのオリジナルを持っていますが、カナディアン組曲などいいですね。

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さて昨日の徹夜

2007-12-26 01:13:41 | 日々のこと(音楽)
をもって、溜まっていた仕事を相当一掃しました。やれやれというところで、今年楽しかったことでまだ書いていなかったことを思い出しましょう。実は春の終わり頃、ピアノのレッスンを一回受けました。Vovka Ashkenazy (Vladimirの息子) に3ヶ月教わったのを最後に17年ぶりです。しかし今回は彼ではなく、風雅異端帳でときどきとりあげるピアニストのコレヴァールさんのレッスンを1時間受けたのです。

実は、昨年度の多忙役を終えたのを機に、今年度(2007年度)からピアノのレッスンを定期的に受けることが可能かどうか、検討したことがありました。まあ結果としては、やはり今の自分にはそんな時間はない、という結論を下しました。しかし毎年春または夏アメリカからやってくるコレヴァールさん、レッスン料はそこそこしますが、時間と場所の都合が一致することと、こんな不定期でも快く見てくれるというので、思い切って一度見てもらったのです。結果は・・・長くなるので細かいことは書きませんが、いやー無茶苦茶良かった。

前にも書いたことがありますが、彼の演奏、どこをとっても素敵ですが、特に感じ入るところがあるのです。そう彼に言ったら、「当ててみましょう。私のペダリングではないですか?」と当てられてしまったのが、彼との最初の出会い。

とにかくこの方、「楽譜に忠実」なのです。彼がハッキリそう言うわけではありませんが「個性はその上に立つもの」という感覚が伝わってきます。そこのところが強い説得力を持ちます。もっとも「あなたは作曲家の自筆ファクシミリ譜を買うべきだ」というのには閉口しますが。そんなもんばかり買いこんでいたら大変です。しかし来年もまたレッスンを受けたいものです。このところピアノに触っていませんが、来年も是非都合をつけるぞ。

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滝廉太郎記念館

2007-12-08 23:22:58 | 日々のこと(音楽)
に行きました(写真)。一週間ほど前大分大学に出張したときの話です(ボンバルディアに乗ったのはそれです)。帰る日4時間ほど空き時間があったので、豊後竹田(タケタ)市にある記念館に行ったわけです。行くまでは生家なんだろうと思っていましたが、そうではなく東京生まれで、この記念館は12~15才のとき住んだ家ということです。しかし「荒城の月」のモデルになった城跡があったり、短いながらも多感な時期を過ごした滝廉太郎としては思い入れ深い場所だったということです。

写真にあるようにちょうど紅葉が映える季節でしたが、その右にバラが咲きまくっています。バラって5、6月じゃなかったっけ? 何で180度位相ずれているの? と思いましたが、後で調べたら11月もバラの開花時期なんだそうです。

そのバラですが、「メンデルスゾーン」という品種なんだそうです。あるとき、荒廃の進んだメンデルスゾーンの生家を国際メンデルスゾーン基金が復興したとき、日本の後援会が多大な貢献をしたそうです。そのお礼として新種のバラ「メンデルスゾーン」が日本に贈呈されたのですが、植樹地に日本で唯一この滝廉太郎記念館が選ばれたということです。それは何故か? 彼が留学したのはライプツィッヒ音楽院。と言えばピンと来るでしょう。メンデルスゾーンの創立した音楽院として有名です。

知られているように滝廉太郎は留学中に結核を患い、文部省から帰国命令を受けて帰国、大分で23才で夭折しました。つまり彼の作曲のほとんどは留学前のものです。この派遣を当時文部省がどう総括したか、わかりませんが、報告書的には「発病により中断し成果は得られなかった」となるのが普通でしょう。そうだとしてもいたしかたありませんが、後世への影響はそれ以上のものがあったと言えないでしょうか? 研究プロジェクトの報告も「これこれの成果があった」と書くのは当然ですが、世の中へのその後の影響は、「これこれ」の意義は実際には大したことなかったり、「これこれ以外」での意義が見いだされたりするものです。それでいいわけですが、滝廉太郎の留学はどう考えるべきでしょう? 留学が無くても、今でも口ずさまれている彼の作品は全部存在しているわけです・・・

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このところキーシン

2007-11-24 00:46:59 | 日々のこと(音楽)
が好きになっています。というからには、かの12才のときのショパンピアノ協奏曲を聴いてとりこになったのではありません。

ベートーヴェンは神童が好きではありませんでした。そんなベートーヴェンが感心した神童が一人いました。その子のピアノ演奏を聴いたあと、ベートーヴェンは額にキスしながら「そんなにうまく弾くもんじゃないよ」と言ったそうです。誰のことかといえば、フランツ・リストです。

私は神童を見たいとは思いますが、やはり騒ぐ気はことさらしません。特にレコード会社から鳴り物入りで登場したような場合には。もちろんキーシンは本人がそれを望んだわけはないでしょうが。そういうわけでずっとキーシンを聴かずに来ました。例のショパンの2つの協奏曲も、実はいまだに聴いていません! 少年キーシンの上品な風貌からすると、多分心に沁み入る演奏なのでしょう。

10年以上前のことだったでしょうか、家から自転車で行ける地方ホールにキーシンが来ることを知りました。キーシンに関する「鳴り物入り宣伝アレルギー」はその頃はおさまっていたので、ま、そんなにそっちから至近距離に来てくれるなら一度は聴いておこうか、と聴きに行ったわけです。

いや驚きました。それまでの清楚な美少年のイメージと違って颯爽と登場したのは健康そのものの自信に満ちた青年。バリバリ、ズッカーンと弾くのに驚きました。ハイドンの傑作変ホ長調ソナタ、月光ソナタ、リストのイタリア奇想曲、どれも炸裂していました。ハイドンはまるでベートーベンの後期ソナタかと思うようなオーケストラ的迫力。月光も、終楽章でppから上昇する分散和音の最後二つの和音の一つ目がスフォルツァンドですが、その爆発力の凄まじいこと。その一発の和音だけオグドンに入れ替わってfffで弾いているかのようです。どうやって弾くんだろう。何回も出るフレーズですが全部決まってます。リストのスペイン狂詩曲も「アイ・ロボット」の包丁さばきみたいに目にも止まらぬメカニック。イメージ一変です。

ではそれで一気にとりこになったのかというと、まだそれほどでもありませんでした。

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ベーゼンドルファー

2007-11-18 18:31:37 | 日々のこと(音楽)
の売却が避けられないというニュース、悲しいです。単なる経営のしくじりか、社会の変化の背景があるのか、気になります。売却先にヤマハも有力候補とのこと。ヤマハになったら喜ばしいのかどうかも、すぐにはわかりません。売られてもベーゼンドルファーの文化が簡単になくなるとは思いませんが、気になります。

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ハチャトゥリアン

2007-11-11 12:00:38 | 日々のこと(音楽)
をまた書くと言ったきりなので一段落つけましょう。一般にはマイナーだけど私は相当好きな曲、と言ったのは、交響曲第1番と3番です。これにとりあえずピアノ曲「トッカータ」も入れたいと思います。とりあえずというのは二つ意味があって、一つは日本でマイナーでなかった時代があったようなのです。もう一つは、バッハはもちろん、シューマン、ドビュッシー、ラベル、プロコフィエフという素晴らしいトッカータ群と並べるのはいかがなものか、という気がしないでもないからです。しかしトッカータ音楽としては叙情的な部分もあって、リズムや曲想の起伏はバッハに匹敵するほど変化に富む、面白い音楽になっています。

さてもう少し書きたい交響曲について。第1番ですが、これはハチャトゥリアンの音楽学校卒業作品として書かれたもの、つまり学生時代に書いたものです。そういうものは普通「習作」扱いを受けますが、私は実はこの曲、第2番にも比肩し得る傑作という気がします。卒業作品といっても、遅咲きの彼が卒業したのは30才でしたから、充実したものになっていて不思議はありません。この曲、第2交響曲と雰囲気も似ています。導入部が静かに始まる点は違いますが、それでもまあ同じ作曲家だなという感じがします。第一主題はフーガ向きの主題で、通俗的あるいは民族的あるいは近代的に感じられたりもします。第二主題や次々出てくるエピソードは、後年のヴァイオリン協奏曲や第2交響曲を予感させますが、それはこの曲の方が初期作品と知っているから言えることで、初めて聴いたらこの曲の方が後から書かれたと思うかもしれないというほど現代的な曲だと思います。

さて第1交響曲には第2交響曲との決定的な違いがありますが、それはこの曲にあえてつけたい注文と関係があります。まず第一楽章も第二楽章も、あれ、いつ終わったの?という感じで終わります。仮にそれが「まだ続くからまあフィナーレに期待してください」という複線だとしても、第三楽章で曲が終わってしまいす。第三楽章はさすがにフィナーレらしく終わりますが、この楽章、スケルツォにも聞こえるので、「さていよいよ次のフィナーレはどうかな」と思いたくなるのです。第四楽章をつけたらめっぽう長大な交響曲になってしまいますが、それでもいいじゃないか、何でここで止めたの?と思ってしまうのです。

そこで、個人的には次のような鑑賞をお薦めします。実は持っているCDがアルメニア交響楽団のものですが、第1交響曲に続けて第3交響曲が入っています。この第3交響曲も知られざる名曲と思っていますので、まずその紹介を数行はさみますが、これは20分ほどの単一楽章交響曲で、オルガン付きという点が特徴です。しかしサン=サーンスの3番や法悦の詩とはオルガンの扱いがだいぶ異なります。このオルガンパートはかなりの難曲と聞いています。ずっと以前N響が取り上げたとき初めて聞きましたが、それ以来好きな曲です。この単一楽章の曲、第2交響曲のフィナーレと曲想が似ていて、雄大かつ複雑な感じがします。つまり大きな交響曲の大規模な第4楽章といった風情です。そこで鑑賞の仕方の話に戻ると、第1交響曲のあとこの曲を聴くと、この曲をフィナーレとする60分の大交響曲を聴いたような気分になり、大きな満足感が得られるのです。この60分の大交響曲と、50分を要する第2交響曲がハチャトゥリアン音楽の双璧をなしているような感覚になります。変な鑑賞のしかたかもしれませんが、時間があれば一度お試しあれ。
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蛇足ですがペレルマン

2007-10-27 00:35:53 | 日々のこと(音楽)
というのはユダヤ系の名前ですね。パールマンと(わずかにスペリングが違うようですが基本的に)同じでしょう。
そういえばパールマン、この前急病で来日公演キャンセルしたようですが、大丈夫でしょうか?
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ロシア音楽続き

2007-10-07 01:56:04 | 日々のこと(音楽)
に戻りますが、ハチャトゥリアンについてもう少し。この作曲家の最も知られた曲といえば「剣の舞」あるいはそれを含む組曲「ガヤーネ」(ガイーヌ)でしょう。クラシックファンにはさらにヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲、交響曲第2番、仮面舞踏会、スパルタカス、といった順で人気があるでしょう。

ヴァイオリン協奏曲と交響曲第2番、最近でこそいろいろな演奏のCDがありますが、ひところは決定盤的レコードの他はあまりないといった感じでした。ヴァイオリン協奏曲はオイストラフ、モスクワ放送交響楽団、指揮は作曲者自身。交響曲第2番も作曲者指揮のウィーン交響楽団。オイストラフのヴァイオリンはこの協奏曲の躍動感と叙情性を余すところなく表現しています。録音的には、オケに対してヴァイオリンの音が大きすぎる感じもしますが、レコード芸術だと思えばそれもよし。

交響曲第2番の方は憂いを湛えた素晴らしい演奏。「鐘」と呼ばれる交響曲にあってチューブラーベルが聞き取りにくいCDもあるのに対し、この録音ははっきり聞こえていいですね。このレコード、30年ほど前廃盤になっていた頃借りてオープンリールテープに落としたあと、テープが見あたらなくなってしまいました。その後もレコードは廃盤のままだったので、長いこと幻の名盤渇望状態にありました。今ではこの演奏も含めいくつかの演奏が簡単に手に入るので、「ああ、生きている間にあれをもう一度聴きたい」という渇望感情が起きません。モノというのはあまり簡単に手に入るのも考えものですね。この曲、ひところはショスタコーヴィッチの5番と同様、社会主義リアリズムの勝利の音楽として聴かれることもあったかもしれませんが、今はそんなことはなく「いい音楽はいい音楽」と聴かれているでしょう。
 雄大かつ悲劇的な導入部に続く悲愴感漂う静かな第一主題の素晴らしさ。第二楽章の延々と躍動感が続くスケルツォ。大規模な葬送行進曲の第三楽章で効果的に使われる「怒りの日」。映画音楽のような第四楽章の実にカッコイイこと。特に長7の分散和音に乗るファンファーレ風主題の開放感。そして最後に第一楽章冒頭に戻るところの絶妙な処理。最後は長和音に変わって雄大に終わる満足感。バイオリン協奏曲の方が有名ですが、これもハチャトゥリアンの代表傑作と私は思います。

 ピアノ協奏曲。雄大にして不思議なところもある曲です。他の曲と同様アルメニア民族音楽の要素がふんだんに入っていますが、他の曲より不協和音が随所に見られます。傑作群の中で最も若い時期の作品に入りますが、最も現代的かもしれません。その不協和音、たいていワケのわかる不協和音ですが、意図が(私にとって、ハチャトゥリアンにしては)わからない箇所も(特にカデンツァの中間などに)あります。その辺ピアニストによって印象が異なりますが、それは後日。冒頭はプロコフィエフ若書きの第一協奏曲と同じ調で雄大なところは似ています。オケ序奏後のピアノ主旋律は明るく力強い。第二主題は民族音楽。いろいろな要素を含んだ、堂々たる楽章です。
 第二楽章の主題は私は非常に好きです。バイオリン協奏曲の第二楽章と似ていて、それも好きですが、こちらの旋律の方が「よく思いついたな」と思います。最初の呈示は音が薄めで、プロコフィエフに「あなたのピアニストはハエを掴むだろう」と言われて少し音符を足したらしいのですが、それでも音符が少なめ。しかし私は好きです。繰り返されるときフレクサトーンという楽器が添えられるのが有名ですが、ちょっとオンド・マルトノ的でこの旋律にピッタリ。後年のバイオリン協奏曲の第二楽章旋律もフレクサトーン向き楽想だと思いますが、使わなかったのは何故か?もしかしたらヴィブラート旋律楽器というところがカブるからかもしれません。(あるいは奏者を調達しにくいなどの理由かもわかりません。)
 ポルカを激しく躍動的にしたような第三楽章は、前の二つの楽章に比べると少々定型的フィナーレ。これは速く弾かないと魅力が出ない楽章でしょう。中間からは色めき立ち、最後は第二交響曲さながら第一楽章冒頭が再現され雄大に終わります。

ハチャトゥリアン、もう少し続けます。
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知人執筆の新刊本

2007-10-01 01:18:48 | 日々のこと(音楽)
を紹介します。このブログにもちょくちょく登場するブログピアノフィリアの管理人が共著となっているクラシックCD異稿・編曲のよろこび(青弓社)がそれ。詳しくは上記ブログ参照。形式的には大学サークルでオーバーラップせずすれ違った後輩にあたる方ですが、古今のピアニストに関してとびぬけて造詣深くいろいろ教えてもらっています。私は大した貢献していないのに謝辞に書いてくれたりして、彼の人柄がそんなところにも出ています。
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ロシア音楽ついで

2007-09-27 07:55:33 | 日々のこと(音楽)
ということで、少し話題を。まずはケンブリッジに有名な楽譜屋があると教わって行ったBrian Jordan。アカデミアの前の店舗のような風情でした→写真。コナンに出てくる執事のようなピシッとした老紳士がオーナーのようでした。ロシアでない話題から入りますが、いろいろ買った中の一つが、以前紹介したJim Samson編集になるPeter版のショパンCritical Editionの第2弾「Ballade」。うん、この調子なら生きている間に全部出してもらえるかも知れない。日本でもすぐ買えるだろうから何もここで買う必要はないのですが、大した荷物にもならないので記念に買いました。日本との値段比較もしたかったし。

若い学生が入って来て、リゲティのチェンバロ曲を買っていました。それ弾くの?音楽専攻なの?と訊くと、yes、これいい曲ですよねと言う。リゲティのエチュードなんか弾く?と訊くと「僕はチェンバロだからピアノとは弾き方が違う。あなたは弾くの?」と訊いて来たから、あれは難しいと言うと、そうですよね、とsmile。Nice meeting youと言って立ち去りました。

古今の管弦楽曲索引本に興味を惹かれました。一曲あたり数cmくらいの欄に楽器編成や入手可能音源などのデータがそっけなく書いてあります。よほど買おうかと思いましたが、あまり分厚いのでやめておきました。残念なことに日本人は武満くらいしか出ていないようでした。矢代は?黛は?西村は? 聴いてくださいよぉ。

管弦楽スコアのコーナーでは全音楽譜のプロコフィエフとハチャトゥリアンが置いてありました。あ、やっとロシア音楽の話題ですね。さっきの老英国紳士オーナーに何で日本の出版社を置いてあるのですかと訊くと「安いんです、純粋にeconomyの問題です」と言う。なぜ安いんですか?と訊くと、さあそれはわからないと言います。その楽譜、日本の大御所でハチャトゥリアンの弟子だった人が解説書いているから、そういうコネで版権安く買ったんでしょうかね、と言ってみたら「えっそうなんですか、それは可能性ありますね、ちょっと気にかけておきます」とのこと。
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いまドビュッシー

2007-06-27 07:34:11 | 日々のこと(音楽)
の前奏曲集を聴いています。目覚ましFMで案内があったので、歯磨きの手がとまりました。誰の演奏をかけるつもりだろう。そしたら、

「では、マウリツィオ・ポリーニの演奏です」

は?

これぞFM。自分では絶対聴かないだろう組み合わせが聴けてしまう。
しかしそんなのあったとは。まあ、ペトルーシュカとかシューマン、バルトークはかなり愛聴しているポリーニですが、ドビュッシーはぶちこわしにしないでしょうね。まだいま二曲目なので何とも言えませんが、あ、「帆」のアルペジオ、やっちゃいましたね。超光速、ではなかった超高速かつfff。それにピアノはちゃんと調律しておいて欲しい。

でもまあそれ以外は、やはり元の曲が良すぎるのでしょうか。楽譜通り弾けばいい音楽のようです。では朝は忙しいのでこれくらいにしておきます。
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