がスティマーザールで行ったショパンの夕べに行きました。スティマーザールはとても面白そうな空間でしたが、事情あって長居できなかったので、コンセプト理解のためにはまた行く必要がありそうです。
内藤さんの演奏、またまた心の暖まる音楽が紡ぎ出されていました。最初の幻想曲の出だしからして、肩に手をかけて語りかけるようで、普通のピアニストと違います。そもそも鍵盤楽器は弦楽器や管楽器に比べると自分で音を持続させず、発音体を選ぶスイッチである鍵盤が並んだ「機械」のようなものですが、彼が弾くと肉声のようです。メインはインペリアルで、しかし子守歌と遺作最後のマズルカの二曲だけ場所を変えて1856年製プレイエルを囲んでというのも面白い趣向でした。演奏者との距離が近くサロン風で、ショパン自身のサロンコンサートはこんな感じだったのではないかと当時を彷彿させます。青柳いづみこも由緒あるピアノでのコンサートをよくされていますが、こういった趣向はありきたりのコンサートを脱し新しい試みを開拓するものだと思います。ちょうど1ヶ月ほど前に1841年製プレイエルを弾いた話を書いたばかりなので興味深く聴きましたが、音の傾向は同じでした。音大の博物館なども含めると、歴史的なピアノは日本に結構存在しているようです。
内藤さんの演奏、またまた心の暖まる音楽が紡ぎ出されていました。最初の幻想曲の出だしからして、肩に手をかけて語りかけるようで、普通のピアニストと違います。そもそも鍵盤楽器は弦楽器や管楽器に比べると自分で音を持続させず、発音体を選ぶスイッチである鍵盤が並んだ「機械」のようなものですが、彼が弾くと肉声のようです。メインはインペリアルで、しかし子守歌と遺作最後のマズルカの二曲だけ場所を変えて1856年製プレイエルを囲んでというのも面白い趣向でした。演奏者との距離が近くサロン風で、ショパン自身のサロンコンサートはこんな感じだったのではないかと当時を彷彿させます。青柳いづみこも由緒あるピアノでのコンサートをよくされていますが、こういった趣向はありきたりのコンサートを脱し新しい試みを開拓するものだと思います。ちょうど1ヶ月ほど前に1841年製プレイエルを弾いた話を書いたばかりなので興味深く聴きましたが、音の傾向は同じでした。音大の博物館なども含めると、歴史的なピアノは日本に結構存在しているようです。
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