61歳の誕生日

2013年05月20日 | 健康・病気

今日、私は61歳になりました。
この歳まで生きてこられたことに感謝します。

今日は、たまたま仕事がオフでした。
午前中は、ラジオ「すっぴん!」を聴いていた。
今日のパーソナリティは松田悟志。
彼の映画の観方がなかなかいいな、と思った。
評論家の目で観ないで、なるべく映画のいいところを見つけて観たい、といっていた。
若い人に教わってしまう。
10時台のすっぴん!インタビューに別所哲也が出た。
彼は、米国アカデミー賞公認国際短編映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア」を主宰している。
役者としての彼の話、ショートショートフィルムフェスティバルについての話が興味深かった。
午前中に、トンボの湯でも行こうかなと思っているうちに午前が終わり、あっという間に午後に突入。

「笑っていいとも」なんてのを観ているうちにすぐ午後1時を過ぎてしまう。
トンボの湯は諦めて、ケーナの練習をすることにした。
6月8日(土)に、北軽井沢のパンカーラでワイワイガヤガヤコンサートがある。
そのための練習をしなければならない。
実は、昨日職場に新しいケーナを忘れてきてしまった。
昼休みに、ケーナの練習をちょこっとやったのです。
なので、古いケーナで練習した。
吹いてみて思いました。
こんどのコンサートには、古いケーナを吹こうかな、と。
古いケーナのほうが、音が出るのです。
サンポーニャも練習した。
これがむずかしい。
今度のワイワイガヤガヤコンサートには、1曲ぐらいはサンポーニャを吹きたいと考えている。

午後3時40分、家を出た。
佐久に映画を観にいくためです。
スピルバーグ監督の「リンカーン」を観た。
帰ってきて焼きそばを作りニセビールを飲む。
こんな風に誕生日が終わる。
ま、今日はそこそこの誕生日だった。
むかしひどい誕生日があった。
この九想話に書いてあります。
2002年5月20日「最悪な誕生日」、21日「始末書
15年前までの九想話に書かれた5月20日を全部読んだ。
誕生日のことを書いてない年もあった。
あと何回私は誕生日を迎えられるのだろう。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

句会のこと

2013年05月19日 | 健康・病気

先月の句会「わいわい雑俳塾」で久しぶりに優勝した。
先月といってもこの句会は月末が投句締め切りなので、実質は5月の句会になります。
1日にASAHIネットの「わいわい雑俳塾」の会議室に投句一覧が出て、
10日までに句会の参加者が選句をします。
そして、15日に結果が発表される。
私はいつも、月末の深夜にメールで投句している。
締め切り間際ではなく、もっと前に句をつくって投句すればいいのだがいつもそうなる。

今回の兼題は、「藤」「行く春」<“門”しばり>でした。
「行く春」は、それなりに思いもありなんとかつくれるだろうと考えたが、「藤」には困った。
藤という花になんの思い入れもなかった。
そして<“門”しばり>だ。
“門”という文字を入れて句をつくるのですが、途方に暮れました。
                   
 ひとはみな藤棚の下寡黙なり       3 
 行く春や悲しきことも連れて行け     3 
 轟々と水門流る春の水           6 

これが私の句です。
結果は、12票入って優勝しました。
今回の参加者数は7名でした。
選句はそれぞれの兼題の句から1人3句選びます。

この句会、15・6年前は20人近く参加者がいました。
それから比べると現在はさびしいです。
亡くなった方も何人かいます。
1997年の4月の句会を読んで見たら、私が優勝していた。
このときの参加者は17人でした。
兼題は、「蛙(かわず)」「柳」 <春の装いしばり>だった。

  遠蛙ぽつりぽつりと母の愚痴         14
  野良着かけ父は一服猫柳              6
   春柄の缶ビール買い街をゆく          9

このときはまだ母が生きていた。
私が茨城に帰ると、母の愚痴をいつも聞かされました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

篝火草の窓

2013年05月18日 | 健康・病気

今朝のラジオ文芸館(NHK第一 8:00~8:45)は、
田辺聖子の篝火草(シクラメン)の窓という小説だった。

独身を通して生きてきた戸沢瑠璃(64歳)は、郊外の線路沿いの一軒家に住んでいた。
親からもらった土地の半分を売り、小さな家を建て暮らしていた。
窓辺には、冬から春はシクラメン、夏から秋はベゴニアやゼラニウムと、いつも赤い花が飾られている。
定年になり、ミナミのブティック「イレーネ」で働く彼女は、年齢よりずっと若く見えて美しい。
68歳になる塚田は、いつも通勤電車の中から瑠璃の家を眺めていた。
車窓から見かける窓辺の赤い花に、心をなぐさめられていた。
ある日彼は、ほんの感謝の気持ちを込めて、白いシクラメンを瑠璃にプレゼントする。
何度か食事を共にするうちに、二人は次第にひかれ始める。
塚田が山陰のひなびた温泉への旅に誘う。
そして…。

いい小説でした。
こういう話は好きです。
今日は午後から仕事なので、この九想話を書いて出勤します。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京ディズニーランド

2013年05月16日 | 健康・病気

   

 

 

いったい何を間違えたのか、私は15日に、
東京ディズニーランドというとんでもないところに行くことになりました。
女房が前々から行きたいといっていた。
私もあれやこれやとはぐらかしていたのですが、もうダメです、
行かない理由が何も見つからない、それで諦めて行くことにしました。

前日、私は遅くまで飲んでいた。
九想話を書こうとしていたのですが、結局酔ってしまい書けずに寝た。
15日朝、私は5時に目が覚めた。
どうも女房はそれ以前に起きていた。
私は、夫婦関係が平安であることに命をかけることにはやぶさかではありません。
心の中では、なんでこんなに早く起きているんだ?
と疑問に思いながらも私は起きて女房に「おはよう」といった。
どうも朝早くからディズニーランドに行きたいらしい。
私としては向こうに10時頃着けば御の字と思っていた。
しかし、夫婦間の波風に敏感な私は、先回りしていう。
「6時には家を出ようか」
「大丈夫?出られる」
「大丈夫だよ」と笑顔で答える私の頭は眠たく、心は重かった。
バスに乗ったのが6時10分ぐらいだった。
清瀬駅に6時半に着いた。
駅に行くと地下鉄有楽町線の新木場駅行きが6時48分発だった。
ホームで待ってそれに乗った。
女房も私も坐れた。
私は電車でほとんど寝ていた。
1時間10分で新木場駅に着いた。
武蔵野線に乗り換えて2つ目が舞浜駅だ。
8時半頃にディズニーランドに到着した。

こんな風に書いていくと、あと何時間かかるか分からない。
明日も私は仕事がありますから、適当に端折って書きます。

舞浜駅に着いたあたりから女房はもう舞い上がっていた。
ディズニーランドに対して、女性は年齢関係ないのでしょうか?
私たちが乗ったり見たりしたアトラクションを簡単に書きます。
スタージェット、グランドサーキット・レースウェイ、スペース・マウンテン・
スターツアーズ・ザ・アドベンチャーズ・コンティニュー、ウェスタンリバー鉄道、
ジャングルクルーズ、魅惑のチキルーム:スティッチ・プレゼンツ“アロハ・エ・コモ・マイ”
ホーンテッドマンション、ビッグサンダー・マウンテン
一番長く待ったのはスターツアーズで約1時間30分でした。
このときが一番辛かった。
まわりを見ても60歳過ぎた中高年の姿は見なかった。
ビッグサンダー・マウンテンは、ディズニー・ファストパスを使ったので5分ほどで乗れた。

昼は、ハウス食品提供のハングリーベア・レストランでチキン・カレーを食べた。
ビールを飲みたかったが、ディズニーランドには売ってないのでした。
机に突っ伏して少し寝た。
そのときの私の幸福は、ただただ眠ることだった。
しかし、元気なわが女房は、私をある時間寝かせたら起こして“市中引き回し”にした。
私は、引きつった心を笑顔でかくし、何食わぬ顔で女房の脇を歩いていた。

私は、夜のパレードを覚悟していたのだが、女房はパレードには興味ない、という。
それでなんとうれしいことに午後5時に門を出られることになった。

でも、女房とディズニーランドに行けたことはよかった。
2人が健康だから行けたんだ。
ものすごい借金がないから行けたんだ。
息子たちが順調に大人になり、結婚し子どもが生まれて世間並みの暮らしをしているから、行けたんだ。
深い悩みごとがないから、行けたんだ。
(浅い悩みはたくさんあります)

家に帰って、私が風呂にお湯を入れ、入っている間に、女房が天ぷらを揚げてくれた。
職場のひとに貰ってきた、こしあぶらの天ぷらがうまかった。
あと西友で買ってきたキスの天ぷらも美味しかった。
一日中飲みたかったニセビールを1本、やっつけました。




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダブル・ファンタジー

2013年05月13日 | 健康・病気

村山由佳著「ダブル・ファンタジー」(文藝春秋刊)を5月11日(土)に読み終えた。
494ページの長編で、この本の装丁がいい。
表紙から裏表紙にかけて女性の下半身のセピア色のヌード写真です。
村山由佳は、軽井沢に住んでいる。
2010年の秋からだから、2009年の3月から軽井沢に住んでいる私のほうが1年半ぐらい早い。
でも、彼女は大きな家でしょうが、私は小さな会社の寮です。
そのへんが、忸怩たる思いの私です。
朝日新聞の「どらく」(ひとインタビュー)を読みました。

小説の始まりは、デリバリーくん(出張ホスト)とのセックスシーンからだった。
高遠奈津の職業は、シナリオライター、ドラマの制作会社を辞めた夫の省吾と、埼玉で暮らしている。
省吾は、奈津の仕事のマネージャー的な存在で、家事も畑の仕事もしている。
奈津の書き上げたシナリオの最終的チェックをしたり、仕事をくれるところとの交渉などをしていた。
しかし奈津は、その省吾の存在をうとましく思い始めていた。

10年ほど前に、戯曲講座の講師をしていた演出家の志澤一狼太とのメールのやりとりがある。
講座の卒業制作として書いたものが志澤の目にとまり、
勧められるままに戯曲のコンクールに応募した作品が、<高遠ナツメ>のデビュー作になった。
志澤の演出した芝居の楽日、奈津は東京に行く。
そして志澤と同じホテルに偽名で部屋をとった。

奈津は、省吾との生活に疲れて東京のマンションに引っ越す。

次に奈津がつきあう男は、同じ大学の演劇サークルにいた先輩の岩井良介だった。
大学時代に2ヶ月ほどつきあったことがあった。
奈津が、テレビの仕事で香港に行ったときに偶然に出会った。
この岩井とのつきあいが長く続く。
岩井は、奈津の気に入るセックスをし続けてくれた。

奈津が放送局主催のとあるシンポジウムに招かれた際に、同じパネリストとして松本祥雲と会う。
精神科医でありながら三十代で仏門に入った男だ。
奈津は、祥雲とのセックスには物足りなさを感じた。

そして次は、
「去年の十一月でしたか。出版社のパーティの二次会でお目にかかりました。志澤先生と同じ
テーブルで御一緒したんですけど」
という大林という男に出会う。

その男で小説は終わりになるのだが、これから奈津はどのような男と出会っていくのだろうか?
それともあるときに、1人のひとと人生の最後まで一緒に生きていくのだろうか?
あるいは、1人で死んで行くのかも知れない。

奈津のエッセイの担当で、ある雑誌の副編集長をしている岡島杏子という存在がうまい。
この女性にいろいろなことを相談することによって、物語の説明や確認をしている。

私は、それなりに官能小説も読んでいる。
私も、官能小説のようなものをいたずらで書いたことがある。
村山由佳のセックスシーンは微妙なところがうまい、と思った。
男の作家が書く、“そのとき”の女性は想像だろうが、女性の小説家が書く“している”女性の状態は…。
でも、この小説は官能小説ではない。
やはり、きちんと人間が描かれている。

これから村山由佳の小説を読んでみようと思う。
中軽井沢図書館に、「軽井沢にゆかりの作家」という本棚があり、村山由佳の本がたくさんある。
村山由佳さん、本を買わないで読んですみません。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

工場閉鎖

2013年05月10日 | 健康・病気

ドキュメント72時間「工場閉鎖の街で」(NHK総合午後10:55~午後11:20)を観た。
ソニー美濃加茂工場が3月31日に閉鎖した。
多くのそこで働いていた人たちが仕事を失った。

観ていて10年前のことを思い出した。
2003年の7月10日、私の勤めていた小さな会社が閉鎖になった。
親会社はA硝子で、Hの車のウィンドウガラスの製造をしていた。
A硝子は、私のいた会社を潰して、
神奈川県にあったN、Mのウィンドウガラスの製造をしていた子会社を残し、
Hのウィンドウガラスもその会社で製造するようにした。
そのことを書いた九想話がある。
6/23 最後の注文
6/26 会社に“感謝”
7/10 会社最後の日
あらためて読んでみて、あ…、そんなことがあったな、といろんなことがよみがえってきた。

あの工場で働いていて、仕事を失ってしまった人たちのその後が思いやられる。
今、転職するのは難しいだろうな。
私の会社が閉鎖した2003年に息子たちは大学を卒業し、社会人になった。
とりあえずは女房と私のことだけ考えればよかった。
そのことは、少し気持ちが楽だった。
私はこの10年間で、5回転職した。
いろいろありましたね。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トンボの湯の桜

2013年05月09日 | 健康・病気

 

昨日、悩んだ末にトンボの湯に行った。
なぜ悩んだかというと、まずトンボの湯まで車で行くことが面倒だった。
車に乗っちゃえば5分ほどで行けるのにです。
休みの日は車にも乗りたくない私です。
入浴料の500円が惜しかった。
遠くから来た人は1,200円なんですけどね。
500円あれば、晩飯のつまみが豊かになります。
しかし、午後2時過ぎ、行ってしまいました。
やっぱり温泉はいいです。
身も心も安まりました。
洗い場の桶とイスが新しくなっていた。
木の香りがいい。
露天風呂のところの山桜が咲いていました。
温泉につかりながら花見が出来るのは贅沢です。
湯の中で、ここ4・5月にあったいろんなことを考えた。
考えたってしかたないんですけどね。
いろんなことを反省し、これからがんばって生きていこうなんて、心の中でうだうだ考えていた。
いくつになっても成長出来ない九想です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中軽井沢の花

2013年05月08日 | 健康・病気



夕方5時過ぎにウォーキングに出かけた。
家を出たところに桜が咲いていた。
これは満開だと思う。
中軽井沢の桜は、今日満開です。
あくまでも私の感想です。

湯川ふるさと公園を歩いていて、目についた花の写真を撮った。
ほとんど私は名前が分かりません。

 
 
 
 
 
これは菜の花だと思うんだけど…                 これはタンポポ

 
 
桜                                         コブシ


(浅間山)


こんな花?も咲いてました

午後6時に家に着いた。
ここんところウォーキングをしていないので疲れました。

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅間しゃくなげ公園まつり

2013年05月06日 | 健康・病気

第1回浅間しゃくなげ公園まつりというイベントに行ってきました。
軽井沢の隣町の御代田町で行われた。
今年が第1回だと開会式の挨拶で話していた。
小さなおまつりでした。
これからの発展に期待したいです。

  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5並び

2013年05月06日 | 健康・病気



さっき九想庵に行ったら、旅人の数が「155565」だった。
私は密かに、「155555」を狙っていた。
残念。
昨日は5月5日でした。
私は5月生まれなので「5」という数字が好きです。

仕事から帰ってからパソコンを見ていない。
家に帰って何もする気がしなかった。
女房が作ってくれた夕食を食べて8時前に寝てしまった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする