停電

2009年12月22日 | 健康・病気
夜、9時前に停電になった。
まわりの家を見てもどこも電気はついている。
ブレーカーが落ちたのかと見ても異常はない。
途方に暮れた。
なんだか分からない。

職場の人に電話して、中部電力の電話番号を調べてもらった。
電話して停電のことを話す。
ここは社宅であることを説明する。
来てくれることになった。

暗くて寒くなる中、女房と待ちました。
女房はニンテンドーDSなんかやっているが、
私は何もすることがない。
10時半、中電の人が来てくれた。
家の外にある機器を見て、ヒューズが切れていることが分かった。
ヒューズを交換して、電気がついた。

一時はどうなるかなと思った。
このところ何回かブレーカーが落ちたことがあった。
それでヒューズに負荷がかかっていたんだろう、と中電の人がいう。
しかし、よく分からない。
それではなんのためにブレーカーがあるんだろう?

それにしても私たちの暮らしは電気がなくなると、
どうしょうもないですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光の森のクリスマス

2009年12月21日 | 健康・病気
午後2時半、私と連れ合いはトンボの湯に行った。
「冬至のゆず湯」をやるというハガキが来ていたからだ。
期間中は5000コ以上のゆずを、
湯舟いっぱいに浮かべると書いてあった。
「トンボの“ゆず”湯」はよかった。
「りんご湯」は香りがあまりなかったが、
「ゆず湯」はありましたね。
浮かぶゆずに鼻を近づけるといい匂いがする。
肌へのぶつかり具合も丁度いい。
明日は冬至です。ゆず湯は最高でした。

外に出て、村民食堂でゆずのシャーベットを食べる。
お洒落な名前がついていたけれど忘れました。
250円のを1つ女房は買う。
それを2人で食べました。ケチデスネ
外を見るとゼッタイ温泉に入るとは思われない若者たちが現れた。
女房が店の人に訊くと、今からハンドベルの演奏が始まるらしい。
私たちは外に出た。演奏が始まりました。






軽井沢の森の中にハンドベルは響く。
クリスマスメドレーを演奏してくれた。
私は、涙を落としてしまいました。
今日の夕方5時から、軽井沢高原教会で「クリスマス特別礼拝」があるという。
そのあとに、アルパのコンサートがあるなんてことをいう。
私たちは、今日の夕方、
旧軽井沢のほうに行ってイルミネーションを見る計画だった。
それを断念しました。
なんか軽井沢高原教会での「クリスマス特別礼拝」に心引かれたのです。
ハンドベルの演奏が終わり、駐車場に戻るとき、
村民食堂の脇の樹木にこんなにツララがありました。
間違いなく気温はマイナス5度ぐらいだったと思う。



それから私たちはツルヤに行き、夕食の食材の買い物をした。
急いで家に戻り、時間を見ると5時10分前だったので、またすぐ車に乗った。
新しいDVDのカーナビに「軽井沢高原教会」と目的地をセットした。
ところが中軽井沢駅から1キロほど行ったところで、
「目的地近辺に来たので案内を中止します」とカーナビがほざく。
この辺までは問題なく来れる。この先が分からないんじゃないか。
しかたなしにトンボの湯の手前を左折する。
トンボの湯は右折する。
ちょっとした坂道を登ると森に沢山の明かりがあった。
私たちは、沢山車のある駐車場にFitを静かに停めた。
森に散らばる明かりをイルミネーションとはいいたくない。
そんな安っぽくない。
地面にあるのはランタンに入ったろうそくの明かりだった。
樹木から吊されているのは電球のようだ。



近づくと、目の前の建物は礼拝堂だった。
軽井沢高原教会だったのです。
教会の人や(あとで分かったのですが)聖歌隊の人が出迎えてくれた。



「クリスマス特別礼拝」は厳粛に始まった。
私たちは座席の中程に坐った。
素敵な礼拝堂でした。
天井はなく屋根の梁が見えるシンプルな建築だった。
聖歌隊の歌がよかった。オルガンの音が荘厳でした。
パンフレットを見ると、「せいなるかな」という賛美歌だった。
牧師が祈祷をし、クリスマスのいわれなど簡単に話してくれた。
次に、聖歌隊合唱で歌は「髪のみこは」だった。
そして牧師から立つようにいわれ私たちは立ち上がりうたった。
「もろびとこぞりて」「きよしこのよる」
久しぶりにうたうその歌に私は感激してしまいました。
涙流しっぱなし、声はまともに出なかった。
また牧師からクリスマスメッセージがあり、祈祷があった。
最後に「レイネ」という歌を聖歌隊が合唱した。
礼拝なんてものをキリスト教徒でない私たちは初めてでした。



礼拝堂を出ると向こうにこんな素敵なツリーがありました。
それに近づいて眺めていると若いカップルが
「写真撮りますか?」と訊くのでお願いしました。
これまで女房は私と写真なんて撮ることを嫌っていたのですが、
ランタンの明かりのせいなのでしょうか、素直にツーショットです。



間抜けな“とっちゃん坊や”ですね。



トイレに行きたくなったので教会の女性に訊くと、「ホテルでどうぞ」という。
女房は、「家までガマンできないの?」とイヤミにいう。
いや、私はガマンできたかも知れないが、ホテルの中も見たかったので行く。
するとホテルで案内しているスタッフはハンドベルを演奏している人たちだった。
なんだ、みんな一緒なんだと思った。
素敵なホテルのロビーだった。
ピアノを弾いている女性がいた。
トイレがきれいだった。
手を拭くのは小さなタオルだった。
階段にツリーがありました。
若いカップルがかわるがわる写真を撮られていた。



ホテルを出るときハンドベルの美しい女性から、
「石の教会はいきました?」といわれた。
「10時まで開いてますからぜひ行って下さい」という。
私たちは道の両脇に置かれたランタンの明かりに導かれて
「石の教会」に行った。
その手前の森の木々にミラーボールの光が散りばめられている。
その向こうに青く映し出された「石の教会」があった。



この「石の教会」にはまいりました。
写真の右の穴のような入口から入るのですが、
礼拝堂が素敵だった。
壁を這うツタに水が滴(シタタ)っているのです。
その滴る水音が静かで新鮮なんです。
礼拝堂の上から空が見えるようです。
こんど昼間こようと思う。
蒼穹の空が見えるらしい。
礼拝堂の地下に「内村鑑三記念堂」がある。
「無教会」という考え方はいいですね。
私は気に入りました。

これまで、あまり中軽井沢をよいとは考えてなかった。
しかし、これからは違います。
中軽井沢の「軽井沢高原教会」と「石の教会」は最高です。
女房もとても気に入っていた。
夏にもイベントをやるそうです。
ぜひ、行きたいです。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生万事塞翁が馬

2009年12月20日 | 健康・病気

昨日(12/19)の「内田樹の研究室」の「及び腰ストラテジー」を読んで、
あぁ…そんな考え方もあるのか、と思った。

> 「先送り」というのはひとつのアイディアである。

こういわれてみれば、それもそうだなと思う。
普天間基地の移転問題のことです。
私はかなり政権交代に期待し、民主党に夢を持っていた。
ところがこのごろの政府の動きを見ていると、
はなはだ心もとない、という気持ちでいる。
鳩山首相の優柔不断というか、指導力のなさというか、
そんなことを感じる今日この頃なんです。

ま、「人生万事塞翁が馬」です。
何年後かに今の政治の善し悪しが分かるんでしょうね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女房が来た

2009年12月20日 | 健康・病気
本日、女房が軽井沢にやってきた。
それだけで軽井沢の空気がビシッと緊張する。
マイナス10度なんて問題じゃない。
温度計なんぞでは計りきれない状態です。
さあ、昨日までののんびりしたおだやかな平和な日常はもう存在しない。
絶対的な“独裁者”のご機嫌をうかがわなくてはならない何日かが待っている。
私の家での行動はすべて“独裁者”の支配下のもとにある。
勝手な行動は許されない。

それでも今日、家に帰ると風呂が沸いていてすぐ入れて、
ちゃんこ風の鍋が、コタツの上のカセットコンロでコトコトいっていた。
これはありがたい。
私一人の暮らしでは考えられないことです。
(しかし、こんなことで心を許してはならない)

好きなテレビが観られなくても(「坂の上の雲」が観れなかった)、
女房が観ているテレビに悪口を言えなくても、
そんなこたァーたいしたことではない。
女房と一緒に軽井沢にいられることが“幸せ”です。
さぁ、明日は私の休日です。
女房とどこにいって“幸せ”を実感しよう。
そんなものはどこにもないのかも知れないが…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カーナビ更新

2009年12月19日 | 健康・病気

今日、愛車のカーナビの最新DVDを購入した。
DVDが定価21,000円で、割り引きしてくれて19,000円でした。
はじめ定価を聞き、愕然とした。
職場の人に1万円ぐらいと聞いていたからだ。
しかし、このへんでどうしても更新したかった。
車を買ったばかりで乗っていて、道なき道を走っていることがたまにあった。

この年末から正月に、茨城の実家に行くことにしている。
行くときは、女房の家(東京)から行くことにしているので、
一般道を通っていく。
高速道路を通っていけば早く着けるのですが(下を通って4時間前後です)、
むかしから(高速料金節約のため)一般道で行っているので苦にならない。
でも帰りは、茨城から軽井沢に帰ってこようと考えています。
そのときのためにカーナビを更新したかったのです。

私の実家の近くを北関東自動車道が開通した。
今、ネットで調べたら平成20年12月20日に、
常磐道と東北道がつながったと書いてあった。
東北道と関越道は平成23年なんですね。

> このナビゲーションシステムの地図は財団法人日本デジタル道路地図協会
> 作成の「2008年度版全国デジタル道路地図データベース」と
> 株式会社ゼンリンの地理情報に基づいて、パナソニック株式会社が
> 2009年3月までの情報を網羅し、制作したものです。

とDVDケースの裏側に書いてある。
どうなんだろう?
平成20年12月に開通した北関東自動車道のことが
地図に反映されているのだろうか? シンパイダ

家に帰る途中ツルヤで買い物をしたとき、
カーナビに実家の近くの岩瀬駅を設定してみたら、189キロという距離が出た。
時間はだいたい3時間だった。
現在、碓氷軽井沢ICから東松山IC(100キロ弱)を利用して、
女房の住む東京の清瀬まで行くと、約3時間かかる。
距離にして軽井沢の社宅から女房の家までは140キロぐらいです。
189キロを3時間ということはかなり高速道路を使っていると思う。
実家の近くの桜川筑西ICがカーナビに載っているといいんだが…。
これは、正月に実際に走ってみれば分かる。
どうなんだろう?
地図に北関東自動車道が載ってなかったらDVDを新しくした意味がない。
そうだ、明日、カーナビに「桜川筑西IC」を目的地に設定すれば分かる。
目的地として設定できれば安心だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初冠雪

2009年12月19日 | 健康・病気
ここまで車に雪がかぶったのは軽井沢で初めてです。
おれの愛車Fitは、向こうから2台目です。
この雪を取り除くのに20分ほどかかりました。
先日、職場の女性からTの字型の雪を除去するものを
勧められて買っておいてよかった。
あれがなかったらもっと時間がかかったでしょう。

しかし、走っていてフロントガラスが曇ってきたのにはまいった。
ウィンドーウォッシャー液が凍っていて出ない。
軽井沢の追分の道路の上に温度表示器があり、その温度が-6度だった。
こんな気温はおれにとって初めてです。
車の中はヒーターで暖かいが、外は氷点下6度なんです。
ウォッシャー液が出るわけない。
この環境に慣れるには、おれはまだまだ時間がかかりそうです。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒波襲来

2009年12月18日 | 健康・病気
今日、仕事を終えて帰るとき雪がチラホラ降っていた。
佐久市を出て御代田町のあたりではチラホラではなくなった。
軽井沢ではしっかり降っていた。

今、私は玄関の外に温度計を置いている。
それを見るとマイナス4度だった。
家の中が寒い。
ストーブをつける。
なかなか温まらない。

さっき外を見たら、しっかり雪が降っている。
車が雪に完全におおわれていた。
明日がやっかいだ。
NHK長野局の天気予報では、軽井沢の最高気温がマイナス1度、
最低気温がマイナス10度といっていた。
明日、私はマイナス10度という気温を初体験しそうだ。
さ・む・い、だろうなと思うより、
なんか楽しみな気がする。
なにしろ人生の初体験。
そんなことに喜びを感じる九想です。

とはいうものの、やっぱりマイナス10度は恐怖です。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1Q84

2009年12月17日 | 健康・病気
「1Q84」や~っと読了。
7/2の九想話「衝動買い」を探して読んで分かったのですが、
「1Q84」を買ったのがこの日なんですね。
そして翌日、私はタバコをやめている。アー、タバコガ吸イタイ
なんでこんなに読み終えるのに時間がかかったのだろう。
つまらなかったわけではない。
いや、むしろ面白いストーリーだった。

スポーツジムの女性インストラクターである青豆と、
予備校の数学教師をしている天吾のことが一章づつ書いてある小説だ。
2人は小学校の同級生だ。
この2人の暮らしが気になってしかたないのだけれど、
私は日々、仕事に行き、家に帰ると食事の準備をして、
テレビを観ながらそれを食べ、ビールを飲む。
適当な時間になると九想話を書き、寝るという生活をしてきました。

私としては、「BOOK1」が面白かった。
物語が始まり、展開し、これからどうなるんだろう?
という気持ちで「BOOK2」を読み始めた。
ところが私はトーンダウンしてしまった。
なんか宗教的なこと好きじゃないんです。
くわしく書くとこれから読む人にわるいので書きません。

2巻を読み終えてしまったが、なんか中途半端な読後感です。
マスコミなどでこの続きを作者は書いていると聞いている。
そうだよな、このままでは1つの小説を読み終わったという気持ちになれない。

私がこの「1Q84」で好きな登場人物は、あゆみという警察官です。
青豆とバーで知り合い、コンビを組んで男を誘い、ホテルに行きセックスをする。
途中で青豆と相手を交換してする。
今、「BOOK1」を人に貸しているので読んで確かめられないのですが、
子供の頃、叔父と兄に性的虐待を受けていた。
そういうことから、まともに、男性とつきあえなくなってしまった。
あゆみは、青豆ともっと組んで夜の街を男を求めて生きていたかったろう。
ところが、それから青豆はそういうことをやめてしまった。
あゆみは、1人で男を誘いホテルに行き、その男に殺されてしまう。
あゆみのことを書くだけで小説ができてしまうな。
(通俗的な官能小説になってしまうかな?)
あゆみとのエピソードは、「1Q84」にとって重要なことではありません。
気にしないでおいて下さい。
でも、読了した私としては“あゆみ”のことが可哀相でしかたないんです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おじさん2人の東京散歩

2009年12月16日 | 健康・病気

昨日は、友人Mと11時に、
池袋の地下の東武デパートの入口あたりで待ち合わせた。
むかしから彼との待ち合わせはあのテレビモニターが沢山あるところだ。
女房から朝「会社の近くまで来てくれれば昼休みをそれに合わせてとる」
とメールがきた。
前日に、もしよかったらMと飲むときに来ないか、と女房にいったら、
「今一番忙しい時期だから残業で行けない」といわれていた。
でも、女房も彼に会いたかったのだろう。
なんといっても私と女房が出会えたのはMがいたからなんだから。
池袋から地下鉄で10分の
女房が勤める会社に近い駅の改札口まで行って、女房を待った。
女房は10分ほどでやってきてそれから駅の近くのドトールに行った。
話したのは30分ほどだったが楽しかった。

それから私とMは地下鉄で青山一丁目駅を目指した。
青山一丁目という住所はないらしいですね。
港区南青山一丁目と北青山一丁目があるという。
駅を上がると銀杏並木があった。
このサイトに沢山写真があります。きれいですね。
ここはいつか葉っぱが紅葉したときに絶対行きたい。

昼飯を食べようということになった。
いくつか店の外にある看板の価格表などを見て物色した。
あるパスタの店に入った。
パスタセットが1000円だったからだ。
前菜とパスタとコーヒーで1000円だ。
青山あたりでこの価格は安いと決めた。
「青山あたり」なんて書いてしまいましたが、
青山のお店の相場なんて私は知りません。
(30ン年前に、劇団仲間と青山で飲んだことが1回あるだけです)

私は、「黒毛和牛の(なんとか)手打ちパスタ(かんとか)ラザニア」
というものを4種類のパスタセットの中から選んだ。
Mは、「トマト(なんとか)風味(かんとか)パスタ」をオーダーした。
それとビールだ(これがなくては青山に来たかいがない。カンケイナイデスネ)。
やってきたのはアサヒ生ビールピルスナーでした。
それを楽しく談笑しながら飲んでいると、
若いウェイターが、「ご注文のラザニアです」と持ってきた。
私は、テーブルに置かれたその料理を見て、“何だろう?”と思った。
友人は自分が頼んだモノではないと、距離をおいた顔をしている。
それじゃ私が注文したモノか?しかし、皿の上にパスタらしき物体がない。
小麦粉をこねて練って何か入れて焼いたような料理だった。
私は、「(前略)手打ちパスタ(後略)」というモノを注文したのだ。
「おれは、黒毛和牛のパスタを頼んだんだけどな…」
友人がいったん持ち去られたメニューを持ってきてもらうようにウェイターに頼む。
確認するとパスタセットの4番目に「黒毛和牛……ラザニア」があった。
ウェイターに「これ頼んだものですか?」と私が訊く。
「そうですよ」冷たい顔で応える。
(おっさん、知らねえモノ食うんじゃねぇよ)という態度だった。
私は、心のなかでムッとした。
店の従業員は、どんな田舎者が来てもバカにしてはいけないんじゃないかナ。
料理に無知な客だって、立てなけりゃ。
私は、ものすごく覚めた気持ちになった。
おいしいラザニアだったけど、まずかった。
今、ウィキペディアで調べたら、ラザニアって、
「平たい板状のパスタの一種、またはそれを用いたパスタ料理」なんですね。
勉強になりました。
私は、麺状のパスタを食べたかった。クヤシイ~
これから私は和食で行こう。
それでも、和食でも私が知っているのなんかホンの一部なのかな?
安い食堂で食べてるしかないのかな。

いい天気になった。朝のうちは曇っていた。
青山をさえない中年の男が2人、歩いている。
でも、Mといろんな話をしながら歩くのは楽しい。
秩父宮ラグビー場・神宮球場などの脇を通る。
30ン年ほど前、神宮球場でヤクルト阪神戦を観た。
阪神が勝ってそのとき私を誘った職場の同僚とそこにいた阪神ファンとで
遅くまで「六甲おろし」をうたったっけ。
そのときの楽しい思い出があり、私は阪神ファンになってしまった。

おじさん2人が歩く。
なんとなく新宿を目指していた。
もともとの計画は、青山から渋谷だった。
新宿御苑があった。入った。入場料が200円だった。
やっぱり30ン年前来たことがある。そんときはタダだったような…。
いや何10円か払ったかな。
10月に行った金沢の兼六園と比べてしまう。
ぎっしり詰まった感じの兼六園より、こっちのほうがいいな、と思った。
広々としていて心が安らぐ。
遠くに見えるビルもなんかのんびりしている。
「グリーンアドベンチャー」なんていうクイズが書いてある立て札がいくつかあった。
「この樹木の名は?」なんて書いてある。ヒントも書いてあるが難しい。
それでも私は3、4の樹木の名を当てた。
友人はそれだけで感心する。
ま、私は田舎生まれなので山で遊んでいたからそれなりに見たことがある木だった。
Mは、東京の生まれで植物のことはまったく知らなかったようだ。
その「グリーンアドベンチャー」が楽しかった。
あなたももし新宿御苑に行くことがありましたら、ぜひ挑戦して下さい。
最近、樹木や花の名前を覚えたいと思う私です。

新宿を歩き駅の南口にたどり着いた。
新宿を歩きながらむかしのことなどを思い出した。
金もなく女もいなくただ安酒を男友だちと飲んでいたあの頃。
名画座で3本立ての映画を観た。
寄席に行って笑っていた。
歌声喫茶(飲み屋?)で喉を枯らして大声でうたったな。

むかし、Mと新宿で飲んでいたとき、女の子を引っかけようとなった。
最初にMが声をかける。
「女の子たちを喫茶店に誘えたら、おれが面白おかしく話をする。
 そのあと酒でも飲んでうまくいったら…」
ということでナンパを開始した。
新宿駅東口から歌舞伎町あたりまでぐるぐる歩いた。
Mは、ほんとに私が感心するほど女性に声をかけた。
声かけて断られたら、すぐ隣の女の子に声をかけていた。
Mの脇にいて私は恥ずかしかった。
結局、すべての女に振られた。
青春だな~(私26歳、M24歳だったかな?)

埼京線で池袋に行った。
山手線だと間に駅がいくつもあるが、埼京線では新宿駅の次は池袋だ。
(むかし、こんな路線はなかった)
池袋駅西口のあるビルの5階の居酒屋に入った。
まずビールをやっつけ、次に日本酒をもらった。
私もMも日本酒が大好きだ。
今日の東京散歩の反省会をし、互いの仕事のことや、旅の話をした。
そのうち、Mが訥々(トツトツ)と現在苦しんでいることを語り始めた。
それを聞いていて私もつらくなった。
私はただうなずいて聞いてるしかなかった。
むかし何も考えず女を求めて新宿をさまよった2人が、
分別ある中高年になり、互いの“今”を語り酒を飲む。
“人生”ですね。
午後8時前か、池袋駅でMと別れた。
Mは、東武東上線、私は西武池袋線、乗っかる“線路”がちがう。
それぞれに道はちがうんだ。
いろいろあり大変だけど、やっぱり人間、生きてくしかないな。


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京散歩

2009年12月15日 | 健康・病気
今日は、友人と東京見学となった。
彼は、東京生まれだ。
池袋のある場所で待ち合わせた。
そこに行く前に池袋の街並みを眺めた。





青山に行くことになっていた。
銀杏並木がありました。
葉っぱのあるうちに来たかった。
来年は、11月の頃に来よう。





秩父宮ラクビー場



こんなところにホームレスのおうちがありました。



なんとなく新宿御苑に行こうとなった。















ジュウガツザクラ

いろいろ書きたいのですが今日は疲れました。
寝ます。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする