陶芸教室2日目(2)

2006年02月09日 | 健康・病気
8時10分、私はF公民館の陶芸教室に着いた。
みっちゃんはろくろを使ってぐい飲みを作っていた。
私は彼しか知らないのでどうしても探してしまう。
「あー来たきた。2回目で来なくなっちゃう人多いんだよね」
陶芸教室の会長さんがうれしそうにいう。
そして先生に紹介してくれた。
S夫婦が先生に、てびねりで茶碗を作るのを教わっていた。

先生は私に、先週作ったものの高台の削り方を教えてくれた。
「茶碗・鉢・椀などの底にある輪状の基台」(大辞林 第二版)
を高台(こうだい)っていうんですね。
知りませんでした。
回転板の上に陶器を載せ回転させ、道具で削るのですが、
これが難しい。へたするとせっかく作ったものを壊してしまう。
なかなか思うように削れなかった。

先週、8時半に終わったのは先生がいなかったからのようです。
昨日は、掃除後かたづけが終わったのが9時10分だった。
短かったけど、充実した時間を過ごせた。

みっちゃん、S夫婦を車で新所沢まで乗せていき、
とうぜん、楽家で反省会をしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陶芸教室2日目

2006年02月08日 | 健康・病気
作業が午後5時半に終わり、作業報告や日誌など書いても
6時半には出られると考えていたが甘かった。
フォークリフトを置いて作業所に戻ると、
強風でシャッターが煽られ、支柱がズレひどいことになっていた。
右側のシャッターは支柱から外れ、風になびいている。
1人ではどうしょうもなく応援を頼んだ。
古い建物で風の強い日にはいつも苦労している。

シャッターが直り、作業報告と活動日誌を書き終え、
いざ帰ろうと思ったら、電話がなった。
所沢駅の中にある喫茶店からだった。
「そちらにMさんという人は勤めていますでしょうか?」
「はい、いますが…}
「Mさんがコーラを飲んだのですが、お金を持っていないんです」
(あぁ…)私は絶望的な気持ちになった。
「自宅に電話したのですが、留守のようで出ないんです」
「すみません。今すぐ行きます」
「あの人たちはどうしましょうか」
「え、もう1人いるんですか?」
「はい、太っている方が…」
ダウン症のAくんだ。
「バスの最終が7時半頃なので帰して下さい」
2人は、昨年末にもそこで無銭飲食をしていた。
絶対しないように注意していたのだが…。

私が所沢駅に着いたのが7時35分だった。
喫茶店の店長に2人の様子を聞き、お詫びをいって、
450円を払って所沢駅を出たのが50分。
さて、先週8時半に終わった陶芸教室に、
九想は間に合うのだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんのための気象予報士

2006年02月07日 | 健康・病気
今日の昼間は、4月上旬のような暖かさになると、
昨日の天気予報ではいっていた。
それじゃ、1枚着ている物を脱いでいくか、なんて考えた。
私はこの冬、Tシャツ、ポロシャツ、カーディガン、フリース、
そしてその上に作業服を着て仕事をしている。
ほんとに寒い日は、もう1枚フリースを着るときもあった。

雪は朝のうちにやんで、5センチほど積もっていた。
ここまでは天気予報はあっていた。
仕事を始める前に、フォークリフトの通るところの雪かきをした。
さて、何時頃から温かくなるのかなと楽しみにしていた。
しかし、いつになっても空気は冷たいままだった。

なんだよ、あの天気予報は。だまされた。
午後5時に通所者を帰してから8時まで、
作業所で野菜を入れる袋に産地シールを貼っていた。
1人黙々とシールを貼っていたのだが、寒かった。
体が冷え切ってしまった。
車いすの通所者が来ていれば、シール貼りは彼にまかすのだが、
今日は雪のため休んでしまった。

体がぞくぞくする。風邪の引きはじめか?
これはまずい。作業所では休日以外休むことはできない。
代わりがいないのです。

10時前のNHK の天気予報で気象予報士の女性が、
「今日は寒かったですね」といいやがった。
そりゃないだろう。
気象予報士がみんなして「明日は4月上旬のような暖かさになる」
といっていたんじゃないか。
その中の1人のあんたから、そんな今日の感想は聞きたくない。
しっかり視聴者に詫びて、
どうして予報がはずれたか説明する責任があるのではないか。

これとは関係ないが、よく晴れた日などに気象予報士たちが、
「今日は、いい天気なので洗濯をしておきましょう」という。
ふざけんな、たいがいの家では、雨が降ろうが、曇りだろうが、
毎日洗濯はしなければならないんだ。
雨降りだから洗濯はよそう、なんて呑気なことはいってられないんだ。
子どものいる家庭は洗濯物がたまってしょうがない。
だから、衣類乾燥機や部屋干し用の洗剤があるんじゃないか。
きれいな顔しやがって、生活感のないこと喋るな!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

火事

2006年02月06日 | 健康・病気

午後7時頃だったのだろうか、
私が整形外科で腰の治療を終えて外に出ると、
火災警報機の音のようなものが鳴っていた。
歩道で立ち止まって見上げる人たちと同じ所を見ると、
マンションの7階のあたりから白煙が出ていた。
火事かと思ったが、私は女房から頼まれている
中濃ソースを買わなければならない。
Big Aというディスカウントショップに私は入って、
中濃ソースといくつかのカップ麺を買った。
なぜカップ麺を買ったかというと、
家になかったからです。
なぜかカップ麺がないと不安なんです。
意味はありません。

外に出ると消防車が次々とやってきて停車した。
はしご車もでかいのが停まっていた。
歩道には野次馬があふれている。
私はこんなときのためにデジカメはいつも持っているといいな、
なんて思ったとき、携帯電話があることを思い出した。
私が撮っていると、何人かの若者も撮っていた。
とりあえず女房に火事のことをメールした。
別に帰ってから話してもいいのに、
ケータイメールなんてものがあるから、ついしてしまう。
考えればへんですね。
おそらく何人かの人がメールや電話で誰かに報告しているのだろう。
ちょっとした報道関係者のような気分になって。
これはいいことなのかどうなのか。
たんに携帯電話会社を儲けさせるだけのことだろう。

写真は、携帯電話で撮ったものです。
パルコの駐車場の隣のマンションだった。
30分ほどで鎮火したようで消防士たちが階段を降りてきた。
寒かった。家に帰ってすぐに風呂に入った。
私は、うちも火事には気をつけないといけないな、と思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

単騎、千里を走る。

2006年02月05日 | 健康・病気
2月1日に映画「単騎、千里を走る。」を観た。
観たいと思って行ったくらいだから、
私はかなり期待して映画館に入った。

チャン・イーモウ監督の映画を観るのはこれが初めてだ。
かなり中国では有能な監督らしい。
高倉健に昔から憧れていて、今回その夢を実現させて
この映画を作ったらしい。

ストーリーは、
静かな漁村に暮らす高田剛一(高倉健)のもとにある日、
東京にいる息子の健一(中井貴一、声だけの出演)が
重病だとの知らせが息子の妻(寺島しのぶ)から届く。
剛一が入院している病室に行くと、
健一は「会いたくない」と拒絶する。
剛一、健一父子の間には長年の確執があった。

民俗学を研究する息子の健一が撮影しようとしていた
古典文学「三国志」の関羽にまつわる仮面劇「単騎、千里を走る。」
をビデオに撮ろうと剛一が中国に渡る。
そこでの物語が映画の主なところなのだが、
これから観る人のために、詳しいことは書きません。

父と子の確執があいまいでよく分からなかった。
高倉健は、やっぱり高倉健なんだよな。
これまでのどの映画でもみんな同じだ。
この人に演技力を求めるのはいけないんだな。
そもそも演技などする必要もない
“高倉健”というキャラクターのシナリオになっている。
“高倉健”以外の人物にして彼に演技させる監督はいないのか。
たとえば「寅さん」のような人物を彼に演じさせるとか。
これは極端な例えですが…。

高倉健は楽だよな、“高倉健”を演じてればいいんだから。
しかし、今回彼にしては不似合いなことがあった。
おそらく70歳前後の男が、
携帯電話、ビデオ、デジカメを駆使するんです。
この映画ではこのデジタル機器がかなり重要な役割を演じる。
高倉健には、長ドスが似合うと思うが、
デジタル機器がなんとも“板に付いてない”のです。

でもこのことはまったく映画のマイナスにはなっていません。
息子のために、必死になってそれらの機器を
使っているという父親の気持ちが伝わる。

中国の人々、特に子役がよかった。
このあたりのシーンにはかなり満足出来ました。
私は、映画を観ていて何度も泣きました。
だけど、やっぱり“物足りなさ”は心に残っているな。
悪い映画ではなかったが、
観終わって、少々消化不良な気持ちで席を立ちました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだ見ぬ嫁と孫

2006年02月04日 | 健康・病気
近頃、何かというと女房は孫の話をする。
まだ生まれてもいないのに…。

「可愛い女の子だったらどうしょう?」
「どうしょうったって、まだ実感わかないよ」
「私、ぜったい正座なんてさせないんだ。
 脚のかっこが悪くなるから。
 やっぱりフラメンコ習わせたいな」
息子たちの考えも無視して勝手に考えている。

「ちっちゃいのが、目の前よちよち歩くんだよ。
 可愛いだろうね」
「そりゃー可愛いだろう」
「ひさしくんなんて、もうメロメロだろうね」
「ま、そうなるかな…」

「お父さんが生きていたら、喜んだろうね。
 Kの所と近いから毎日行ったりして」
「Kの嫁さんになるひとのことも考えなくてはな」
「お母さんは、『めんどうみてくれ』なんていわれたら
 すぐ飛んでいくよ。ますます元気になっちゃうな」

それにしても私は、これからのことが少し心配だ。
なにしろ息子は彼女のご両親とまだ会っていない。
去年の秋、私は息子にメールを書いた。
彼女の親に会っておいたほうがいい、と。
返事は来なかった。
年末に家に来たとき、「どうなんだ」と訊くと、
「彼女がまだ会わせたくないようだ」なんてことをいっていた。

来週の土曜日、ご両親に会うとこの前メールが来た。
次の土曜日にうちに彼女を連れてくるという。
そして、2月の最後の土曜日、
彼女の親たちと私たちが会うという段取りになった。

緊張します。
貧しいこんな親でいいのか。

私としては、孫のことを考えるのはこれらがすんでからだ。
明日は、母の一回忌の法要でこれから茨城に行く。
忙しい2月になりそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりのカホン

2006年02月03日 | 健康・病気
陶芸教室が終わってから、当然私たちは楽家に行き、
陶芸についていろいろ語りあった。

12時に楽家が店じまいしてから、
ママと女性客と4人でブロックヘッズに行った。
そこにはなんとSさんとSさんがいた。
これじゃよく分からないから区別しなくては。
S原さんとS谷さんとしておこう。

さあ、それからが大変だった。
私たちがテーブルで焼酎を飲み始めたら、
カウンターにいるS谷さんがギターを弾き、
S原さんがブルースハープを吹き出した。
4年前に私たちはここでライブをやっている。

S原さんのハープのベンドが冴え、
それをS谷さんのギターが支えた。
私はふと、ケーナが欲しくなった。

しばらくしてS原さんがテーブルに来て、
「カホン持ってきて下さいよ」という。
「えっ、今日はいいよ。もう遅いし」と私はいったが、
S原さんがいつもの彼らしくないしつこさでいうので、
「それじゃ、持ってくっか」と私はいってしまった。

私は家に戻り、あっけにとられている女房を尻目に、
カホンを荷物運搬用のバギーに載せ、ブロックに戻った。
当然、ケーナも持ってきた。
待ってましたとばかりS原さんがカホンを叩き、
S谷さんがギターで、私はケーナを吹いた。
そのうち3人は楽器を交換し、ライブは続いた。
久しぶりに盛り上がった。
こういう時間を持てることが幸せだった。
その分、翌日は睡眠不足で最悪でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陶芸教室「彩工房」

2006年02月02日 | 健康・病気
陶芸教室に昨日行ってきました。
私としてはあくまでも見学ということで行ったのだが、
なりゆきで入ってしまった。
時間がない人間なのに、やることは沢山あるのに
またこんなことをやってしまう。

陶芸教室「彩工房」は、現在18名いるそうです。
一緒に行ったみっちゃんは4年前ここをやめた。
また陶芸をやってみたくなったというので、
私はそれについて行ったのです。
S夫婦は都合が悪いということで来なかった。

見学だけしていようと思っていたのに、
「手びねりでなんか作ってみろ」
とみっちゃんにいわれやってみる。

回転台の上に丸くした土を載せて、
その中心に親指を入れ少しづつ茶碗の形にしていく。
みっちゃんは、なんの雑作もなく土をひねって形にしていく。
私がやると、これがどうもうまくいかない。
これはしかたがない。今日が最初なのだ。
のんびりやっていこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駄目だ

2006年02月01日 | 健康・病気
もうこんな時間。
寝なければ。ねます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする