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火事

2006年02月06日 | 健康・病気

午後7時頃だったのだろうか、
私が整形外科で腰の治療を終えて外に出ると、
火災警報機の音のようなものが鳴っていた。
歩道で立ち止まって見上げる人たちと同じ所を見ると、
マンションの7階のあたりから白煙が出ていた。
火事かと思ったが、私は女房から頼まれている
中濃ソースを買わなければならない。
Big Aというディスカウントショップに私は入って、
中濃ソースといくつかのカップ麺を買った。
なぜカップ麺を買ったかというと、
家になかったからです。
なぜかカップ麺がないと不安なんです。
意味はありません。

外に出ると消防車が次々とやってきて停車した。
はしご車もでかいのが停まっていた。
歩道には野次馬があふれている。
私はこんなときのためにデジカメはいつも持っているといいな、
なんて思ったとき、携帯電話があることを思い出した。
私が撮っていると、何人かの若者も撮っていた。
とりあえず女房に火事のことをメールした。
別に帰ってから話してもいいのに、
ケータイメールなんてものがあるから、ついしてしまう。
考えればへんですね。
おそらく何人かの人がメールや電話で誰かに報告しているのだろう。
ちょっとした報道関係者のような気分になって。
これはいいことなのかどうなのか。
たんに携帯電話会社を儲けさせるだけのことだろう。

写真は、携帯電話で撮ったものです。
パルコの駐車場の隣のマンションだった。
30分ほどで鎮火したようで消防士たちが階段を降りてきた。
寒かった。家に帰ってすぐに風呂に入った。
私は、うちも火事には気をつけないといけないな、と思いました。


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単騎、千里を走る。

2006年02月05日 | 健康・病気
2月1日に映画「単騎、千里を走る。」を観た。
観たいと思って行ったくらいだから、
私はかなり期待して映画館に入った。

チャン・イーモウ監督の映画を観るのはこれが初めてだ。
かなり中国では有能な監督らしい。
高倉健に昔から憧れていて、今回その夢を実現させて
この映画を作ったらしい。

ストーリーは、
静かな漁村に暮らす高田剛一(高倉健)のもとにある日、
東京にいる息子の健一(中井貴一、声だけの出演)が
重病だとの知らせが息子の妻(寺島しのぶ)から届く。
剛一が入院している病室に行くと、
健一は「会いたくない」と拒絶する。
剛一、健一父子の間には長年の確執があった。

民俗学を研究する息子の健一が撮影しようとしていた
古典文学「三国志」の関羽にまつわる仮面劇「単騎、千里を走る。」
をビデオに撮ろうと剛一が中国に渡る。
そこでの物語が映画の主なところなのだが、
これから観る人のために、詳しいことは書きません。

父と子の確執があいまいでよく分からなかった。
高倉健は、やっぱり高倉健なんだよな。
これまでのどの映画でもみんな同じだ。
この人に演技力を求めるのはいけないんだな。
そもそも演技などする必要もない
“高倉健”というキャラクターのシナリオになっている。
“高倉健”以外の人物にして彼に演技させる監督はいないのか。
たとえば「寅さん」のような人物を彼に演じさせるとか。
これは極端な例えですが…。

高倉健は楽だよな、“高倉健”を演じてればいいんだから。
しかし、今回彼にしては不似合いなことがあった。
おそらく70歳前後の男が、
携帯電話、ビデオ、デジカメを駆使するんです。
この映画ではこのデジタル機器がかなり重要な役割を演じる。
高倉健には、長ドスが似合うと思うが、
デジタル機器がなんとも“板に付いてない”のです。

でもこのことはまったく映画のマイナスにはなっていません。
息子のために、必死になってそれらの機器を
使っているという父親の気持ちが伝わる。

中国の人々、特に子役がよかった。
このあたりのシーンにはかなり満足出来ました。
私は、映画を観ていて何度も泣きました。
だけど、やっぱり“物足りなさ”は心に残っているな。
悪い映画ではなかったが、
観終わって、少々消化不良な気持ちで席を立ちました。

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まだ見ぬ嫁と孫

2006年02月04日 | 健康・病気
近頃、何かというと女房は孫の話をする。
まだ生まれてもいないのに…。

「可愛い女の子だったらどうしょう?」
「どうしょうったって、まだ実感わかないよ」
「私、ぜったい正座なんてさせないんだ。
 脚のかっこが悪くなるから。
 やっぱりフラメンコ習わせたいな」
息子たちの考えも無視して勝手に考えている。

「ちっちゃいのが、目の前よちよち歩くんだよ。
 可愛いだろうね」
「そりゃー可愛いだろう」
「ひさしくんなんて、もうメロメロだろうね」
「ま、そうなるかな…」

「お父さんが生きていたら、喜んだろうね。
 Kの所と近いから毎日行ったりして」
「Kの嫁さんになるひとのことも考えなくてはな」
「お母さんは、『めんどうみてくれ』なんていわれたら
 すぐ飛んでいくよ。ますます元気になっちゃうな」

それにしても私は、これからのことが少し心配だ。
なにしろ息子は彼女のご両親とまだ会っていない。
去年の秋、私は息子にメールを書いた。
彼女の親に会っておいたほうがいい、と。
返事は来なかった。
年末に家に来たとき、「どうなんだ」と訊くと、
「彼女がまだ会わせたくないようだ」なんてことをいっていた。

来週の土曜日、ご両親に会うとこの前メールが来た。
次の土曜日にうちに彼女を連れてくるという。
そして、2月の最後の土曜日、
彼女の親たちと私たちが会うという段取りになった。

緊張します。
貧しいこんな親でいいのか。

私としては、孫のことを考えるのはこれらがすんでからだ。
明日は、母の一回忌の法要でこれから茨城に行く。
忙しい2月になりそうだ。

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久しぶりのカホン

2006年02月03日 | 健康・病気
陶芸教室が終わってから、当然私たちは楽家に行き、
陶芸についていろいろ語りあった。

12時に楽家が店じまいしてから、
ママと女性客と4人でブロックヘッズに行った。
そこにはなんとSさんとSさんがいた。
これじゃよく分からないから区別しなくては。
S原さんとS谷さんとしておこう。

さあ、それからが大変だった。
私たちがテーブルで焼酎を飲み始めたら、
カウンターにいるS谷さんがギターを弾き、
S原さんがブルースハープを吹き出した。
4年前に私たちはここでライブをやっている。

S原さんのハープのベンドが冴え、
それをS谷さんのギターが支えた。
私はふと、ケーナが欲しくなった。

しばらくしてS原さんがテーブルに来て、
「カホン持ってきて下さいよ」という。
「えっ、今日はいいよ。もう遅いし」と私はいったが、
S原さんがいつもの彼らしくないしつこさでいうので、
「それじゃ、持ってくっか」と私はいってしまった。

私は家に戻り、あっけにとられている女房を尻目に、
カホンを荷物運搬用のバギーに載せ、ブロックに戻った。
当然、ケーナも持ってきた。
待ってましたとばかりS原さんがカホンを叩き、
S谷さんがギターで、私はケーナを吹いた。
そのうち3人は楽器を交換し、ライブは続いた。
久しぶりに盛り上がった。
こういう時間を持てることが幸せだった。
その分、翌日は睡眠不足で最悪でした。

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陶芸教室「彩工房」

2006年02月02日 | 健康・病気
陶芸教室に昨日行ってきました。
私としてはあくまでも見学ということで行ったのだが、
なりゆきで入ってしまった。
時間がない人間なのに、やることは沢山あるのに
またこんなことをやってしまう。

陶芸教室「彩工房」は、現在18名いるそうです。
一緒に行ったみっちゃんは4年前ここをやめた。
また陶芸をやってみたくなったというので、
私はそれについて行ったのです。
S夫婦は都合が悪いということで来なかった。

見学だけしていようと思っていたのに、
「手びねりでなんか作ってみろ」
とみっちゃんにいわれやってみる。

回転台の上に丸くした土を載せて、
その中心に親指を入れ少しづつ茶碗の形にしていく。
みっちゃんは、なんの雑作もなく土をひねって形にしていく。
私がやると、これがどうもうまくいかない。
これはしかたがない。今日が最初なのだ。
のんびりやっていこう。

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駄目だ

2006年02月01日 | 健康・病気
もうこんな時間。
寝なければ。ねます。

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