通夜

2010年10月28日 | 健康・病気
午後4時半、女房の家を出た。
朝から10月らしからぬ冷たい雨が降っていた。
清瀬駅までバスで行き、西武池袋線に乗る。
私は喪服の上にコートを着ている。
今日は、12月末の気候だとラジオの天気予報ではいっていた。
今年の天気はほんとにへんだ。いくらなんでもまだ10月です。
通夜をやる落合斎場までは1時間ほどで行けるかなと考えていた。
練馬駅で西武線を降り、都営地下鉄大江戸線に乗り換える。
大江戸線は、鉄輪式リニアモーターミニ地下鉄というもので、
他の電車より小さい。
だから、対面する客との距離が短い。
前に20代の可愛い女性が坐っていて、へんに恥ずかしかった。
女性がミニスカートで脚を組んでいたからだ。

3つ目の中井駅で降りる。
大江戸線は深いところに駅があるとは聞いていたが、なるほど深い。
ものすごく長いエスカレーターに乗って地上に出た。
駅の外は相変わらず雨が降っている。
さぁ、駅出口に立って私は途方に暮れた。
ネットで地図をプリントしてきたが、分からない。
地図はスマートに小綺麗に描いてあるが、目の前の道と結びつかない。
ええいままよ、と左に行く。西武新宿線の中井駅にすぐ着いた。
戻る。大江戸線の中井駅を通り過ぎて歩く。
篠突く雨の中を通勤帰りの人混みと一緒に歩く。
大きな通りに出た。おそらく地図で見ると山手通りだろう。
これも右に行くか左に行くか分からない。
私の当てにならない勘で左に行く。
しばらく歩くと大きな交差点があった。
おそらく早稲田通りだと思う。
雨の中で地図を広げる。もう地図はびしょ濡れだ。暗い。
戻る。道路に地図があった。それを見ると落合斎場があった。
(えッこの道がネットの地図の道?こんなに細い道なの?)
その車1台すれ違えない道路をどんどん行くと斎場はあった。
時間は、通夜の始まる6時を7分過ぎていた。

落合斎場では三家の名前が書いてあった。
亡くなったいとこの名前があった。
傘を入口の傘立てに差して中に入る。
いとこが2人受付をやっていた。
この2人は、文京区の叔母の長男と新宿区の叔母の長男だ。
中ではお坊さんがお経を上げていた。
すでに親戚の人たちが坐っていた。兄もいた。
その中に坐っていて昔のことを思い返していたら涙が出てきた。
遺影が笑っている。54歳は若い。
親族の焼香の指名があった。
喪主の奥さんがして、叔母が焼香をした。
長男と長女が焼香をした。痛々しかった。

2階に会食の席があった。
ビール・酒・ウーロン茶それに寿司があった。
私の隣に坐っていた女性が誰だか分からなかった。
「ひさしくん?」話しかけられた。
「**子ちゃんですか?」と訊いた。
私が高校生のとき憧れていた人だった。
57歳の今でも充分美しかった。
現在は、埼玉でご主人と子ども3人とで暮らしているという。
子どもたちが結婚していないのが悩みだといっていた。
私は、今の我が家の状態を説明した。
息子たちは結婚して、1人には子どももいるということを、
自慢げに話している私だった。
そういう自分がちょっといやだな、と思いながらも、
これぐらいいいんじゃないか、と自分を納得させた。
私はこれまでいとこの中で何も自慢できるものはなかった。
みんな東京生まれだし(横浜もいる)、私は茨城生まれだ。
大学を出ているいとこが多いし、私は高卒だ。
いとこたちはそれなりの大きな会社に長く勤めている。
私は15回以上(?)、零細企業を転職している。
まぁ、かなりみっともない人生を歩んできた。
(転職した会社がかなり消滅した)
でも、息子たちだけは自慢です。
なので、少しだけ、息子たちのこと話してしまった。
でも、こういう男の話を私が聞いていたら、
鼻持ちならないだろうな、と思う。

1時間ほどで会食は終わった。
文京区のいとこが車に乗せてくれた。
まず、横浜のいとこ夫婦を高田馬場で降ろし、池袋で私が降りた。
このいとこは、子どものときリヤカーにみんなを乗せて遊んでくれた。
そのときのことが懐かしい。
まさか、年下のマーちゃんの通夜でみんなが顔を合わせるとは…。

池袋駅で準急に乗った。清瀬駅でバスに乗り、
降りるとき、もらった紙袋がないことに気がついた。
清瀬駅でトイレによったときそこに忘れてきたことに気がついた。
家に帰って駅に電話をしたら、あったという。
明日取りに行かなければならない。
明日の告別式は午前10時からだ。
その帰りにでも取りに行こう。
コメント
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