マーちゃん

2010年10月26日 | 健康・病気
朝、テレビを観ていて、逸見政孝の奥さんが亡くなったと知った。
逸見政孝が亡くなって17年、そして奥さんが他界した。
61歳だったそうだ。若いよな。
肺胞蛋白症という病気が死因だそうだ。
逸見政孝が亡くなって1年後に、子宮頸ガンが見つかり、
そのあと骨髄異形成症候群になり肺胞蛋白症になったという。
抗ガン剤の副作用で骨髄異形成症候群になることが多いらしい。
そして合併症で肺胞蛋白症になったようです。

朝、こんなこと観ていて人間なんてあっけないな、と思っていたら、
夜の8時9分、茨城の兄からケータイメールが送られてきた。
東京の中野の叔母さんから電話があり、
従兄弟のマーちゃんが心筋梗塞で他界したことを泣きながら話したという。
兄は、叔母を慰める言葉も見つからなかった、と書いてあった。
54歳だった。大学と高校の息子と娘がいる。
早いよな。早すぎる。

子どものとき、東京の従兄弟たちが毎年田舎に来た。
親父はきょうだいが9人いますので、私はいとこが多い。
マーちゃんもよく来た。素直でいい子だった。
叔父さんは、着物の紋を描くことが仕事だった。
収入が良くて、マーちゃんの家が羨ましかった。
茨城の百姓の我が家とは大きな経済の差があった。
しかし、マーちゃんの父親は10何年か前に死んでしまった。
その頃、彼も紋の仕事をしていたが、和服を着る人が少なくなって、
仕事がかなり少なくなってきていた。
紋の収入だけでは暮らしていけなくなり、
郵便配達のバイトをするようになった。
最近は、正職員になれたそうだ。

亡くなる前、なんの自覚症状もなかったらしい。
54歳か、私は58歳だ。
私のような不規則な生活をしている人間は、いつ死んでもおかしくない。

夏に杉並の叔父さんが亡くなったとき、私は職場に言えず告別式に行かなかった。
(この叔父さんは、着物の柄を描いていた。)

しかし、従兄弟のそれには行かなくてはと心に決めた。
なんとしても行かなくては…。
子どものときの思い出がいろいろよみがえってくる。
マーちゃん、なんで死んだんだ。
コメント
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