あっぱれ!大沢親分

2010年10月07日 | 健康・病気
「大変ショック」と張本氏=テレビ番組で名コンビ―大沢啓二氏死去(時事通信) - goo ニュース

私は、日曜日の朝、TBS系のテレビ番組「サンデーモーニング」の
「御意見番スポーツ」コーナーに張本勲と共演している大沢親分が好きだった。
日曜日に観られるときは必ず観ていた。
しかし、ここんところ2週間大沢親分が出ていなかった。
ひょっとして、なんて少し心配していたら、こんなことになっちゃった。
9月から日曜日はズーッと夜勤なのでこの時間は家にいられた。

人間なんてあっけないな。
胆嚢癌だって。
私は、胆石手術のとき胆嚢をとってしまったのでない。
手術のあと医師に「もう胆嚢癌にはならないから安心して」といわれた。

これから日曜日の楽しみがなくなってしまった。
張本勲は、ちょっと堅いんだよな。
大沢親分の柔らかい暖かさが好きだった。
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桂小五郎

2010年10月07日 | 健康・病気
昨夜「歴史秘話ヒストリア」(NHK総合 22:00 ~ 22:45)を観た。
「逃げちゃだめだ!幕末桂小五郎の脱出劇▽
 愛の湯けむり紀行▽涙!龍馬の友情と死」

史実を基に桂小五郎の実像をたどると、
土壇場で逃げ出す弱い一面が見えてくるらしい。

桂は長州藩のリーダーとして、
話し合いで徳川幕府を動かし日本を変えるという理想に燃えていた。
しかし仲間たちは、暗殺や焼き打ちなど小五郎の思いとは逆の行動に走った。
彼らと衝突を避けたい思いから現場を逃れ続けた桂は多くの仲間を失い、
臆病(おくびょう)者とそしられた。(gooテレビ番組ーより)

この桂小五郎の気持ちが痛いほど分かる。
私も暴力が嫌いだ。
いや、暴力が嫌いというより、コワイのです。
子どもの頃から私は、そういうことから離れて暮らしていた。
私は、小学生の低学年の頃まで親父にしょっちゅう殴られていた。
それがとても恐ろしかった。
それが今でもトラウマになっている。
だから私は息子たちを殴らなかった。
いや、一度だけ息子を殴ったことがある。
小学校に行きたくないというKの頬を殴った。
あのときは辛かった。
「息子を殴った日」として小説に書いて反省した記憶があります。
話を戻します。
番組を観ていて、暴力の嫌いな桂小五郎に親近感を持った。

京都から姿を消し、気力を失って町人として生きようとしていた
“逃げの”小五郎を救ったのは、幾松という芸者だった。
神戸のほうで町人の女と結婚して町人として彼は生きていた。
その彼を説得して長州に戻したのは幾松だった。
そのとき桂の幼い妻は身を引いて長州には行かなかった。
その後、桂小五郎と幾松は結婚した。
幾松という女性はすごいなと思った。
桂小五郎が幾松の説得を受け、
長州に戻らなかったら薩長同盟はならなかったかも知れない。
そんなことを考えると、
当然、龍馬もすごいが、この幾松という女性がいなかったら、
歴史は変わっていたかも知れない。
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