営業マンだった私

2001年12月14日 | 会社・仕事関係

私が27歳のとき、営業マンをやった。
それが最初で最後でしたが…。
26歳の2月7日に、
豊島区役所に籍を入れただけの結婚をした私は、
5月に失業した。
3月に東大生協から東洋大生協に移籍になったのですが、
「店長になったのなら、**党に入らないといけない」
といわれて、私は生協を辞めた。
それから私は、9月まで無職でいた。
8月に1週間、アルバイトとして、
浅草の松屋デパートの地下で、
鮭を売ったことがありましたが。

いつまでも遊んでいるわけにいかないと就職したのが、
新聞の求人広告の代理店をしている
竜功社という御徒町にあった会社だった。
そこは、求人広告の代理店といっても、
大手代理店の下請けのそのまた下の孫請けだった。
社長と部長がいて、その下に、
経理の女性一人と、
女性1人と男2人の営業がいるだけの会社だった。
営業のメインは、読売新聞九州版に毎週、
全2段の求人広告を出すことだった。
なかなか求人募集をしても集まらない、
関東の会社を対象にして、
九州地方から人を集めようという企画だった。

入社したその日から、
私は毎日電話営業をさせられた。
各社の新聞の求人欄、アルバイトニュース、就職情報、
などに求人広告を出している会社に、
片っ端から電話をした。
「先日御社は、**に求人広告を出しましたが、
 反響はどうでしたか?
 そうですか。だめでしたか。
 うちでは九州から、
 良質な人材を集める企画をしてます。
 ぜひ一度話だけでも聞いて下さい」
こんなことを、相手の人事担当者に話していた。
でも、担当者に電話をつないでもらえるだけで幸せだった。
たいがいは、電話に出た女の子に冷たく切られるのが
普通だった。

9時から5時まで毎日電話のかけどうしだった。
いつも断られていると、いやになる。
なにしろ話も聞いてくれない。

                 (明日につづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする