ある会社の閉鎖

2001年12月12日 | 会社・仕事関係

今日は、楽家で1回目の忘年会だった。
客のみっちゃん企画の忘年会だった。
年末には楽家主催の2回めの忘年会がある。
10人が集まった。
楽しかった。
こういう時間を過ごせることがうれしかった。

忘年会に行く前に、
パソコンを立ち上げ見ると、
メールが来ていた。
私が以前いた会社は3年前に2つに別れた。
半導体製造の前工程のときに使われる
アッシャーという装置を製造する会社と、
後工程に使う
ハンドラーという装置をつくる会社とに別れた。
私は、アッシャーを製造するほうに所属していた。
その会社は山梨に移り、
そのうち静岡のほうに行くと聞いていた。
メールをくれたのは、
ハンドラーを製造している熊本の会社にいる人からだった。
セミコンショーのブースで
アッシャーを造るほうの会社の人に会って聞いたことは、
1月で会社が閉鎖になるということだったらしい。
私がもし残っていたとしても、
来年の1月で失業者になっていたということだ。
半導体業界の落ち込みはここまでひどかったのか。

複雑な想いで私は楽家に行った。
酒を飲んでいても、
私は山梨の会社のことを考えていた。
東京の小平から移るときかなりの人が辞めた。
私は山梨にいたが、戻るところがなくなったので辞めた。
あの会社の遺産を引き継いだ会社がなくなる。
私のある時期、
一所懸命働いて沢山のアッシャーという装置の部品を集め、
それらがいろんな会社で動いている。
そんなことが“ゼロ”になってしまう。
あの頃、ほんとうに忙しかったとき、
深夜まで働いていたときもあった。
酒を飲んでいたとき、ある部品が欲しいといわれ、
12時過ぎに会社に戻ったこともあった。
今思えば楽しかった。
しかし、あのときも苦しかったはずだ。
でも、今よりは仕事のやりがいがあった。
3年前に小平にあった会社の土地が更地になったが、
こんどは世間からも消滅してしまう。
さびしい。

楽家で私はケーナを吹いた。
かなしかったな。

コメント
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