若者たちの中には、日本に見切りをつけて海外へ出国する人が増えてきているそうです。若いからできることかもしれません。家庭や子どもを持つ人たちには中々できることではないでしょう。
日本は、今国民を見限ったからこんな現象が起きはじめているのでしょう。日本にとって私たち国民はもう「国民」ではなく、「奴隷」なのです。元気に働ける間は低賃金低福祉でこきつかって、使い物にならなくなればさっさと死んでくれ、と要求しているのです、日本はいま。
次の選挙は、ほんとうに自民党に勝たせてはならない。さもなければわたしたちは殺されてしまう。これは決して大げさな表現ではありません。わたしたちはウソの「映像」、つまり「ビジョン」を見せられている。新聞やテレビはわたしたちをコントロールしているのです。その内実をルポした記事を今回ご紹介します。どうか今回のエントリーが多くの方の目に留まりますように。
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日常の報道についてもメディアの劣化、危機を指摘したい。たとえば、福田政権下でにわかに浮上してきた消費税の増税問題である。
きっかけは、07年10月17日に首相官邸4階の大会議室で開かれた経済財政諮問会議だ。内閣府の試算として、医療などの社会保障制度の給付水準を現状のまま2025年度まで維持するためには、消費税でまかなうとすれば、現在の5%を最高で17%までアップしなければならない、と報じられた。
しかし、メディアの多くが強調しなかったことがある。この試算は同会議の4人の「有識者議員」である、
○御手洗富士夫・キャノン会長、日本経団連会長、
○丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長、元経済同友会政治委員会委員長、
○伊藤隆敏・東京大学大学院経済学研究科教授、
○八代尚宏・国際基督教大学教養学部教授
…が会議に提出した文書にある。
小泉政権時代から露骨になっていたことだが、財界首脳とそれに近いわずかな学者が、全国民の生活や人生にかかわる重大事を経済財政諮問会議で方向づけてしまう。それが福田政権になっても少しも変わっていない。
なるほど毎日新聞は07年10月5日付けの「福田首相はどう使うのか」という同諮問会議を論じた社説で「新自由主義的な性格が色濃い」民間議員(上記4人など)の見直しの必要を指摘し、「多様な考え方の反映も必要である」と主張していた。しかし同紙の報道ではこうした疑問はあまり反映されていないし、他の全国紙にいたっては民主主義から遠く離れた、比ゆ的に言えば民主主義国家では異常な「寡頭政治」(*)にほとんど疑問を呈していない。
(*)「寡頭政治」…少数者によって多数の人間を指導・統治する独裁政治。民意、個々人の要求や必要はあまり顧みられず、指導部の意向だけが押し出される傾向に堕しやすい。エホバの証人の指導方法がその「堕した」タイプの典型。
これは序の口で、主要メディアの報道から抜け落ちていた真実がほかにもある。
たとえば、欧州の先進諸国の多くでは、税率は高いが、食料品、子どもの衣類、薬局で買う薬品など広範な生活必需品は消費税が免除されているか、あるいは低率になっている。
経済協力開発機構(OECD)加盟の30カ国で生活必需品にゼロ税率と低減税率の双方の制度がないのは日本だけである。消費税の報道というなら、国際比較を落とせないはずだ。
OECDの『消費税の傾向』2006年版によると、統計の揃う2004年において、税収全体に占める消費税の割合は、
消費税率5%の日本は15.4%。
これは消費税率20%のイタリアの14.3%よりも高い。
その他の欧州諸国を見ても、
消費税率19.6%のフランスが17%、
消費税率16%のドイツが18%、
消費税率25%のスウェーデンでも18.3%である。
(つまり、日本の消費税率はヨーロッパよりもずっと低いのに、消費税率の高いヨーロッパ諸国に匹敵するほどの、ものすごいたくさんの税収となっている=日本では生活必需品に課税されているからだ、ということ)
だから、「欧州の消費税は10%台後半から20%台だ。だから日本の消費税を大幅に引き上げるのは当然だ」という政財官や一部の学者の声高な主張は、有り体にいって為にするウソである。なぜメディアはこのように批判しないのだろう。
それに「4人組」の試算には、上げるのは消費税ばかりで、このところ財界が主導して下がり続けてきた法人税、所得税(*)、資産課税などが除外されている。メディアに、「これでは不公平ではないか」という当然の疑問もろくに見当たらないのはなぜなのか。
(*)法人税はようするに、企業などが得た収入に課せられる税金。所得税と並んで、国税の中の主要な部分を占める。したがって法人税が下がれば税収も下がる。その代わり国民の暮らしに課税して補おう、という発想。所得税は国民全体にかかわる税ですが、企業のオーナーにもかかわってくる税ですから、増税の対象に上っていない、ということ。まるで子どもの政治ですね、これは。つまりは現在の政財界の人間には「社会性」の発達が見られない、ということです。言い換えれば「公共心」というものが欠落しているのです。自分たちだけで現在彼らが持つ富を築き上げてきたんだと思い込んでいるのでしょう。その富は実は社会の多くの人々がかかわることで集まったものなのです。そこのところが理解できない。だからこんな自民党政治には、もう投票してはならないのです。
この消費税の国際比較について不思議な報道があった。消費税増税論の日経の07年11月6日付け朝刊の国際二面に、「税収割合、消費税高まる」、「主要国二割近く 05年OECD調査」、「『経済効率化や成長』に効果」という見出しが躍った。
OECDの本部のあるこのパリ電は、OECD諸国の平均で「歳入全体に対する消費税の割合は2005年に、1995年より1.2ポイント高い18.9%に上昇した」と強調している。
しかし、日本で手に入る最新の上記の『消費税の傾向』でも、2002年にすでにOECD加盟国の平均が18.9%になっていた。それに「消費税高まる」という見出しと違って、この報告によれば、1965年の13.5%から1995年の17%まではほぼ一本調子で上昇してきたが、2000年の18.5%からは頭打ちになっている。
この記事は「日本と米国は05年度でそれぞれ9.5%(日本)、8.0%(アメリカ)。(歳入に占める)消費税の割合が二桁に満たないのは日米だけだ」と強調している。
日経の増税路線を裏づける格好な統計のようだが、ここで引用している『消費税の傾向』によれば、2004年で日本は、(歳入に占める消費税の)割合が15.4%で、米国は8.4%だった。同報告書のミスプリントなのか、同紙の社論に沿うための「デタラメ記事(=捏造記事)」なのか、読者はとまどっただろう。
日経新聞はかつて、日本の公共事業を小さく見せるために、欧州諸国で日本より大きな公的な住宅建設投資を差し引いた財務省のでっち上げ統計を、それと知りながら引用した「前科」がある。同紙に限らない。霞が関は各種国際統計やさまざまな予測についてしばしば「加工」を行っているが、日本のメディアはそのまま伝えていることが多い。
小泉首相や竹中平蔵前経済財政担当相が叫びつづけた「改革なくして成長なし」という米国直輸入のグローバリズム、市場原理主義のスローガンに、多くのメディアが同調してきた。しかし、その構造改革路線では、小泉政権の03年度から福田政権の07年度の5年間で、中央社会保障推進協議会の計算によれば、国民への税負担は、
配偶者特別控除の一部廃止、
老年者控除の廃止、
公的年金控除の縮小、
高齢者の住民税非課税限度額の廃止、
低率減税の半減から全廃
…などで約5兆2000億円の大増税となっていた。
一方、大企業や富裕層への減税は、主なものを拾っても、
研究開発費減税、
IT投資減税、
連結納税制度の創設、
欠損金の繰越期間の延長、
株式配分などの減税、
相続税・贈与税の減税、
減価償却費制度の見直し、
証券優遇税制の延長など、
減税のオンパレードで総額は約4兆6000億円である。
国民への税負担がそっくり大企業や富裕層の減税分をまかなった構図が浮き彫りになっている。
しかし、それだけではない。
社会保障制度の分野で、国民の負担増と給付抑制政策の結果、これも中央社会保障推進協議会の集計では、02年度から06年度までの間に、多くの国民に7兆2050億円もの負担増が襲い続けた。
その中身をあげると、あらためて負担増の情け容赦のなさに驚く。いちいち年度をあげないが、先からの順に書いてゆく。
1.医療保険改定で世帯主本人の窓口負担を2割から3割に引き上げ、
2.雇用法改定で保険料値上げ、給付減額、
3.介護保険法改定で保険料値上げ、
4.年金保険法改定の物価スライド制導入で年金額引き下げ、
5.年金保険法の改定で厚生年金、共済保険料値上げ、
6.生活保護法の改定で、老齢加算縮減、
7.さらなる年金保険法の改定で、厚生年金と共済保険料の値上げ、
国民年金保険料値上げと給付減、
8.さらなる雇用保険法の改定で保険料値上げ、
9.さらなる生活保護法の改定で老齢加算廃止、
10.さらなる介護保険法の改定でホテルコスト導入、
11.さらなる介護保険法の改定で母子加算縮小、
12.障害者自立支援法の改定で応益負担化、自己負担の強化、
13.この期間で3度目の介護保険制度の改定で保険料値上げ(全国平均で約24%)、
…と際限もなく続いた。
こうした負担増は高齢者や障害者など、国家がもっとも手厚い保護を差し伸べなければならない、いわゆる「社会的な弱者」に、もっとも激しい打撃を与え、また与えようとしている。これが先進国なのだろうか。
(「メディア批評宣言」第1回/ 神保太郎/ 「世界」08年1月号より)
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最後にあげられているリストをもういちどご覧になってください。これが小泉=安倍の人気政権が行ってきた立法なのです。ソフトなイメージ、改革的なイメージに踊らされて自民党に政権を担当させてきた私たちが自分自身に招いた地獄の報いです。大企業と富裕層には減税させて「この世の春」を謳歌させておきながら、自分たちの生活をデッドラインにまで追いつめているのです。
こうまでして自民党へ票を入れるのはなぜでしょうか。左翼的な人々への反発でしょうか。それには理解はできます。左翼と言うのは、自分のインテリをひけらかしますし、大学へ行っていない私のような人間を見下します。左翼の人たちにとっての「運動」は自己顕示の延長でしかありません。それに比べると右翼の人たちのメッセージはずっと分かりやすいのですが、彼らが訴えるのは、国家に殉ずることです。自分を犠牲にして天皇家と国家の中枢部の人々の生活を繁栄させることを求めるのです。
とくに国家とか国民意識というものに自分を同一化させることは、孤立し、弱い自分に自信を与えてくれます。でも自信を得ることができるからってどうして私たちを踏みつけにする人たちのために、わたしたち自身の命と生活を放棄させねばならないのでしょう。わたしたちだって人間として生まれてきたのだから、自分の可能性を精いっぱい試してみたいじゃないですか。そうやって生きているうちに人間の能力を楽しみたいじゃないですか。そうでしょう? 読者の方々にはかわいいお子さまをお持ちの人もおられるでしょう。お子さまにはそういう人生を送らせたいのではありませんか。
自民党は国家国民意識を持ち出して、実はアメリカの権益のため、そこから来る利益に群がる大企業のエリートたちの大儲けのため、わたしたちを道具として使っているのです。わたしたちはもはや人間扱いされていません。牛馬のように、用済みになったらされるのです。わたしたちの生活の保障は何もありません。これがあの弱々しいけれどけなげな安倍さんやリーダーシップに溢れているかのような小泉さんが行ってきたことなのです。政治家を選ぶ際には、その人のイメージで選んではいけないのです。その人の思想、政策をよく聞いて選ぶべきです。
これと言った人がいなければ、とりあえず独裁者たち以外の人に票を入れます。そうすれば独裁色は薄めることができるのです。さらにもっと自分たち国民の要求を気にかけてくれるよう、人や党に働きかけ、選挙を求め、自分たちの要求にかなった政府を作り上げてゆくのです。
いいですか、ここが肝心です。政治を行うのは政治家の専権ではありません。わたしたち国民が主権者なのですから、政治を行うのは私たちなのです。ですからわたしたちは無関心であってはならないのです。多少の労を提供しなければなりませんが、それこそ民主主義を擁する市民のそれは義務なのです。この義務を怠ると現在の生活苦と将来の不安を身に招くのです。わたしたちが今抱いている将来への不安は正真正銘、本物の不安です。つまり私たちが心配しているとおりのことが自分に臨むようになる、ということです。そしてそれを招いたのは、政治を監視し、参加する義務を面倒がったわたしたち自身の責任なのです。
考えることと社会への参加を他人任せにしたくなったとき、その面倒な義務を買って出るのはたいていファシストです。ファシストはとにかく全部自分たちに任せなさい、あなたたちは一切口を出さなくてもよいのです、と言います。ある日、自分たちの生活が困難になっているのでクレームをつけようとすると、そのときにはファシストの顔つきは変わっていて、獰猛で暴力的な本性をむき出しにしているのです。
ですからみなさん、今からやり直しましょう。もはやマスメディアは世の中の真実の姿を私たちに見せることはしません。マスコミが率先して階級格差社会、つまり「新時代の封建制度」を作り上げようとしているのです。それは彼らも封建階級の上部に位置できると、彼らは見て取ったからです。正しい情報は、あまり売れ行きのよくない雑誌や地方新聞などに見いだされます。もう自民党政治には「NO」を突きつけましょう。わたしたちが生きるために!
日本は、今国民を見限ったからこんな現象が起きはじめているのでしょう。日本にとって私たち国民はもう「国民」ではなく、「奴隷」なのです。元気に働ける間は低賃金低福祉でこきつかって、使い物にならなくなればさっさと死んでくれ、と要求しているのです、日本はいま。
次の選挙は、ほんとうに自民党に勝たせてはならない。さもなければわたしたちは殺されてしまう。これは決して大げさな表現ではありません。わたしたちはウソの「映像」、つまり「ビジョン」を見せられている。新聞やテレビはわたしたちをコントロールしているのです。その内実をルポした記事を今回ご紹介します。どうか今回のエントリーが多くの方の目に留まりますように。
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日常の報道についてもメディアの劣化、危機を指摘したい。たとえば、福田政権下でにわかに浮上してきた消費税の増税問題である。
きっかけは、07年10月17日に首相官邸4階の大会議室で開かれた経済財政諮問会議だ。内閣府の試算として、医療などの社会保障制度の給付水準を現状のまま2025年度まで維持するためには、消費税でまかなうとすれば、現在の5%を最高で17%までアップしなければならない、と報じられた。
しかし、メディアの多くが強調しなかったことがある。この試算は同会議の4人の「有識者議員」である、
○御手洗富士夫・キャノン会長、日本経団連会長、
○丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長、元経済同友会政治委員会委員長、
○伊藤隆敏・東京大学大学院経済学研究科教授、
○八代尚宏・国際基督教大学教養学部教授
…が会議に提出した文書にある。
小泉政権時代から露骨になっていたことだが、財界首脳とそれに近いわずかな学者が、全国民の生活や人生にかかわる重大事を経済財政諮問会議で方向づけてしまう。それが福田政権になっても少しも変わっていない。
なるほど毎日新聞は07年10月5日付けの「福田首相はどう使うのか」という同諮問会議を論じた社説で「新自由主義的な性格が色濃い」民間議員(上記4人など)の見直しの必要を指摘し、「多様な考え方の反映も必要である」と主張していた。しかし同紙の報道ではこうした疑問はあまり反映されていないし、他の全国紙にいたっては民主主義から遠く離れた、比ゆ的に言えば民主主義国家では異常な「寡頭政治」(*)にほとんど疑問を呈していない。
(*)「寡頭政治」…少数者によって多数の人間を指導・統治する独裁政治。民意、個々人の要求や必要はあまり顧みられず、指導部の意向だけが押し出される傾向に堕しやすい。エホバの証人の指導方法がその「堕した」タイプの典型。
これは序の口で、主要メディアの報道から抜け落ちていた真実がほかにもある。
たとえば、欧州の先進諸国の多くでは、税率は高いが、食料品、子どもの衣類、薬局で買う薬品など広範な生活必需品は消費税が免除されているか、あるいは低率になっている。
経済協力開発機構(OECD)加盟の30カ国で生活必需品にゼロ税率と低減税率の双方の制度がないのは日本だけである。消費税の報道というなら、国際比較を落とせないはずだ。
OECDの『消費税の傾向』2006年版によると、統計の揃う2004年において、税収全体に占める消費税の割合は、
消費税率5%の日本は15.4%。
これは消費税率20%のイタリアの14.3%よりも高い。
その他の欧州諸国を見ても、
消費税率19.6%のフランスが17%、
消費税率16%のドイツが18%、
消費税率25%のスウェーデンでも18.3%である。
(つまり、日本の消費税率はヨーロッパよりもずっと低いのに、消費税率の高いヨーロッパ諸国に匹敵するほどの、ものすごいたくさんの税収となっている=日本では生活必需品に課税されているからだ、ということ)
だから、「欧州の消費税は10%台後半から20%台だ。だから日本の消費税を大幅に引き上げるのは当然だ」という政財官や一部の学者の声高な主張は、有り体にいって為にするウソである。なぜメディアはこのように批判しないのだろう。
それに「4人組」の試算には、上げるのは消費税ばかりで、このところ財界が主導して下がり続けてきた法人税、所得税(*)、資産課税などが除外されている。メディアに、「これでは不公平ではないか」という当然の疑問もろくに見当たらないのはなぜなのか。
(*)法人税はようするに、企業などが得た収入に課せられる税金。所得税と並んで、国税の中の主要な部分を占める。したがって法人税が下がれば税収も下がる。その代わり国民の暮らしに課税して補おう、という発想。所得税は国民全体にかかわる税ですが、企業のオーナーにもかかわってくる税ですから、増税の対象に上っていない、ということ。まるで子どもの政治ですね、これは。つまりは現在の政財界の人間には「社会性」の発達が見られない、ということです。言い換えれば「公共心」というものが欠落しているのです。自分たちだけで現在彼らが持つ富を築き上げてきたんだと思い込んでいるのでしょう。その富は実は社会の多くの人々がかかわることで集まったものなのです。そこのところが理解できない。だからこんな自民党政治には、もう投票してはならないのです。
この消費税の国際比較について不思議な報道があった。消費税増税論の日経の07年11月6日付け朝刊の国際二面に、「税収割合、消費税高まる」、「主要国二割近く 05年OECD調査」、「『経済効率化や成長』に効果」という見出しが躍った。
OECDの本部のあるこのパリ電は、OECD諸国の平均で「歳入全体に対する消費税の割合は2005年に、1995年より1.2ポイント高い18.9%に上昇した」と強調している。
しかし、日本で手に入る最新の上記の『消費税の傾向』でも、2002年にすでにOECD加盟国の平均が18.9%になっていた。それに「消費税高まる」という見出しと違って、この報告によれば、1965年の13.5%から1995年の17%まではほぼ一本調子で上昇してきたが、2000年の18.5%からは頭打ちになっている。
この記事は「日本と米国は05年度でそれぞれ9.5%(日本)、8.0%(アメリカ)。(歳入に占める)消費税の割合が二桁に満たないのは日米だけだ」と強調している。
日経の増税路線を裏づける格好な統計のようだが、ここで引用している『消費税の傾向』によれば、2004年で日本は、(歳入に占める消費税の)割合が15.4%で、米国は8.4%だった。同報告書のミスプリントなのか、同紙の社論に沿うための「デタラメ記事(=捏造記事)」なのか、読者はとまどっただろう。
日経新聞はかつて、日本の公共事業を小さく見せるために、欧州諸国で日本より大きな公的な住宅建設投資を差し引いた財務省のでっち上げ統計を、それと知りながら引用した「前科」がある。同紙に限らない。霞が関は各種国際統計やさまざまな予測についてしばしば「加工」を行っているが、日本のメディアはそのまま伝えていることが多い。
小泉首相や竹中平蔵前経済財政担当相が叫びつづけた「改革なくして成長なし」という米国直輸入のグローバリズム、市場原理主義のスローガンに、多くのメディアが同調してきた。しかし、その構造改革路線では、小泉政権の03年度から福田政権の07年度の5年間で、中央社会保障推進協議会の計算によれば、国民への税負担は、
配偶者特別控除の一部廃止、
老年者控除の廃止、
公的年金控除の縮小、
高齢者の住民税非課税限度額の廃止、
低率減税の半減から全廃
…などで約5兆2000億円の大増税となっていた。
一方、大企業や富裕層への減税は、主なものを拾っても、
研究開発費減税、
IT投資減税、
連結納税制度の創設、
欠損金の繰越期間の延長、
株式配分などの減税、
相続税・贈与税の減税、
減価償却費制度の見直し、
証券優遇税制の延長など、
減税のオンパレードで総額は約4兆6000億円である。
国民への税負担がそっくり大企業や富裕層の減税分をまかなった構図が浮き彫りになっている。
しかし、それだけではない。
社会保障制度の分野で、国民の負担増と給付抑制政策の結果、これも中央社会保障推進協議会の集計では、02年度から06年度までの間に、多くの国民に7兆2050億円もの負担増が襲い続けた。
その中身をあげると、あらためて負担増の情け容赦のなさに驚く。いちいち年度をあげないが、先からの順に書いてゆく。
1.医療保険改定で世帯主本人の窓口負担を2割から3割に引き上げ、
2.雇用法改定で保険料値上げ、給付減額、
3.介護保険法改定で保険料値上げ、
4.年金保険法改定の物価スライド制導入で年金額引き下げ、
5.年金保険法の改定で厚生年金、共済保険料値上げ、
6.生活保護法の改定で、老齢加算縮減、
7.さらなる年金保険法の改定で、厚生年金と共済保険料の値上げ、
国民年金保険料値上げと給付減、
8.さらなる雇用保険法の改定で保険料値上げ、
9.さらなる生活保護法の改定で老齢加算廃止、
10.さらなる介護保険法の改定でホテルコスト導入、
11.さらなる介護保険法の改定で母子加算縮小、
12.障害者自立支援法の改定で応益負担化、自己負担の強化、
13.この期間で3度目の介護保険制度の改定で保険料値上げ(全国平均で約24%)、
…と際限もなく続いた。
こうした負担増は高齢者や障害者など、国家がもっとも手厚い保護を差し伸べなければならない、いわゆる「社会的な弱者」に、もっとも激しい打撃を与え、また与えようとしている。これが先進国なのだろうか。
(「メディア批評宣言」第1回/ 神保太郎/ 「世界」08年1月号より)
--------------------
最後にあげられているリストをもういちどご覧になってください。これが小泉=安倍の人気政権が行ってきた立法なのです。ソフトなイメージ、改革的なイメージに踊らされて自民党に政権を担当させてきた私たちが自分自身に招いた地獄の報いです。大企業と富裕層には減税させて「この世の春」を謳歌させておきながら、自分たちの生活をデッドラインにまで追いつめているのです。
こうまでして自民党へ票を入れるのはなぜでしょうか。左翼的な人々への反発でしょうか。それには理解はできます。左翼と言うのは、自分のインテリをひけらかしますし、大学へ行っていない私のような人間を見下します。左翼の人たちにとっての「運動」は自己顕示の延長でしかありません。それに比べると右翼の人たちのメッセージはずっと分かりやすいのですが、彼らが訴えるのは、国家に殉ずることです。自分を犠牲にして天皇家と国家の中枢部の人々の生活を繁栄させることを求めるのです。
とくに国家とか国民意識というものに自分を同一化させることは、孤立し、弱い自分に自信を与えてくれます。でも自信を得ることができるからってどうして私たちを踏みつけにする人たちのために、わたしたち自身の命と生活を放棄させねばならないのでしょう。わたしたちだって人間として生まれてきたのだから、自分の可能性を精いっぱい試してみたいじゃないですか。そうやって生きているうちに人間の能力を楽しみたいじゃないですか。そうでしょう? 読者の方々にはかわいいお子さまをお持ちの人もおられるでしょう。お子さまにはそういう人生を送らせたいのではありませんか。
自民党は国家国民意識を持ち出して、実はアメリカの権益のため、そこから来る利益に群がる大企業のエリートたちの大儲けのため、わたしたちを道具として使っているのです。わたしたちはもはや人間扱いされていません。牛馬のように、用済みになったらされるのです。わたしたちの生活の保障は何もありません。これがあの弱々しいけれどけなげな安倍さんやリーダーシップに溢れているかのような小泉さんが行ってきたことなのです。政治家を選ぶ際には、その人のイメージで選んではいけないのです。その人の思想、政策をよく聞いて選ぶべきです。
これと言った人がいなければ、とりあえず独裁者たち以外の人に票を入れます。そうすれば独裁色は薄めることができるのです。さらにもっと自分たち国民の要求を気にかけてくれるよう、人や党に働きかけ、選挙を求め、自分たちの要求にかなった政府を作り上げてゆくのです。
いいですか、ここが肝心です。政治を行うのは政治家の専権ではありません。わたしたち国民が主権者なのですから、政治を行うのは私たちなのです。ですからわたしたちは無関心であってはならないのです。多少の労を提供しなければなりませんが、それこそ民主主義を擁する市民のそれは義務なのです。この義務を怠ると現在の生活苦と将来の不安を身に招くのです。わたしたちが今抱いている将来への不安は正真正銘、本物の不安です。つまり私たちが心配しているとおりのことが自分に臨むようになる、ということです。そしてそれを招いたのは、政治を監視し、参加する義務を面倒がったわたしたち自身の責任なのです。
考えることと社会への参加を他人任せにしたくなったとき、その面倒な義務を買って出るのはたいていファシストです。ファシストはとにかく全部自分たちに任せなさい、あなたたちは一切口を出さなくてもよいのです、と言います。ある日、自分たちの生活が困難になっているのでクレームをつけようとすると、そのときにはファシストの顔つきは変わっていて、獰猛で暴力的な本性をむき出しにしているのです。
ですからみなさん、今からやり直しましょう。もはやマスメディアは世の中の真実の姿を私たちに見せることはしません。マスコミが率先して階級格差社会、つまり「新時代の封建制度」を作り上げようとしているのです。それは彼らも封建階級の上部に位置できると、彼らは見て取ったからです。正しい情報は、あまり売れ行きのよくない雑誌や地方新聞などに見いだされます。もう自民党政治には「NO」を突きつけましょう。わたしたちが生きるために!