Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

倒幕までの時代の流れ(中)

2006年06月11日 | 一般
井伊直弼が勅許を俟たないまま、最初にアメリカ、次いでロシア、オランダ、イギリス、フランスと、欧米列強と結んだ条約は、学校の教科書でも「不平等条約」と書き表されています。安政年間に締結された条約なので、安政条約とも言われます。それらの条約は、資本主義列強による、日本の植民地化を図るものでした。ですから、その条約を締結したことは、攘夷派にとって、深刻な日本民族の危機という感覚を持たせるものでした。それは以下の点で「不平等条約」でした。

1.外人に治外法権を認めさせられている。
2.日本の輸入関税率を日本が自主的に決定することが認められていなかった。
  関税は相手国との協定を必要とする、とされていた。
3.外国に、一方的に最恵国待遇を与えさせられていた。
4.貿易港には、外人居留地が設置され、その居留地内では外国が永久借地権を持つとされ、
  同時に自治権をも持つとされていた。
5.これらの条約には有効期限が設けられておらず、条約改定には相手国の同意が必要だった。

ここで、「4」の外国人居留地における永久借地権と「1」の治外法権が結びついて、事実上、外国人居留地は外国の領土同然になります。また関税率を日本人が決定できないので、貿易において利益がだせない。日本はまさに、隣の清国のような欧米資本主義による半植民地の市場にさせられてしまう、危機的状況だったのでした。それだけではありません。欧米列強は圧倒的な軍事上の優位をバックに、政治的、軍事的にも日本を従属させようとしました。

-------------------------------------

1861年春から秋にかけて、ロシアがまず、日本海を中国の東海から切り分けて、日本と朝鮮半島をつなぐ要所、対馬の一部を占領し、対馬藩主に土地の一部に永久租借を要求、そこに海軍基地の建設をすすめた。

ところが幕府は、これに対してまじめに抵抗せず、もっぱらイギリスに頼り、対馬藩主らも、九州本土に新領地をもらえることができれば、対馬を捨ててもよいとした。しかし、漁民や農民や青年郷士たちだけが、自分たちの郷土を守ろうとして、命がけで抵抗した。百姓の安五郎はロシア兵の上陸を阻止しようとして、討ち死にした。対馬は人民の抵抗によってロシアの支配化に乗っ取られることから守られたのでした。幕府も藩もほとんど何にもしなかった。やがてイギリスがロシアに干渉して、そうしてロシア海軍は対馬を去った。対馬危機は人民の抵抗が基礎となって乗り越えられたのだった。

ロシアだけでなく、イギリスもフランスも対馬をねらっていた。彼らは対馬を「極東のべリム島」(紅海とインド洋の接点にある小島。中東とインド洋を制圧する、イギリスの最重要海軍基地)にしようとした。アメリカは対馬を、欧米列強で共同管理する「自由港」にしようとしていた。つまり、列強が互いにひとつの獲物をねらい、互いに牽制しあう構図になっていたので、(日本の)人民がしっかりここを守れば、守り通すことができたのである。

イギリスは、日本に対しては、自由で平和な貿易の発展の他は何も望まない、と口では言いながら、実は日本を、ロシアに対抗するための極東における政治的前哨基地にしようとしていた。そして英・仏両国は、攘夷主義武士から居留外国人を守るという口実の下に、1863年以後、横浜に、条約上の何らの正当な権利もなしに、陸軍部隊と海兵隊を駐屯させた。‘65年には、イギリスは幕府に強要して、横浜駐屯軍の兵舎、弾薬庫、軍病院など、建坪4600坪という広大な陣営を、幕府の費用でつくらせた。その兵力は、多いときは陸兵1200名、海兵隊800名に達した。横浜港はイギリスの軍港同然になった。

今や、日本民族もまた、自国の封建制を倒し、民族の力を結集し、急速に資本主義化して、列強の圧迫から自らを解放するか、ほかのアジア諸国民と同様の(植民地支配に屈するか)の分岐に立たされた。

(「日本の歴史」(中)/ 井上清・著)

--------------------------------------

このような状況で、幕藩体制という当時の「国体」に依存していた幕僚たちは、国体を護持するために、軍事力で列強を打ち攘うことができない以上、彼ら列強に依存して保身を図るより仕方がなかったのでした。しかし、儒教系朱子学によって教育されてきた封建的排外主義を固く守ろうとする武士たち、とくに開国による経済の逼迫にあえいでいた下級武士たちは、儒教的攘夷主義の道徳観、良心をいたく傷つけられます。そこへ、森前首相のような、「日本は神の国だ」という国学に煽られていっそう過激な闘争へと駆られるのでした。また、開国によって、日本から海外視察に出かけていった攘夷論者の指導者たちは、封建的幕藩体制護持などという枠を超えた日本民族防衛・独立という近代的な愛国心を持つようになる人も現れてきました。

---------------------------------

また一部の指導的攘夷論者には、民族防衛、愛国主義の要素がはじめからあった。たとえば、吉田松陰門下の高杉晋作は、1861年に清国上海に旅行し、その地が英仏の植民地同然にされているのに胸を痛め、日本の独立のために戦う決意を固めるとともに、清国の「固陋(ころう)」が自滅をもたらすとし、「外国日新の学」を取り入れる必要を痛感していた。ところが高杉は帰国後、長州攘夷派の急先鋒となって、江戸のイギリス公使館を焼き討ちする(‘62年末)。欧米列強の「日新の学」の必要を認めていたのになぜか。その真の目的は、外国に屈従する幕府を窮地に陥れるにあったことが、事件後、彼らの首領、桂小五郎(のちに木戸孝允)が述べている。

高杉の同志、久坂玄瑞(くさかげんずい)も、開国の必要性は十分知っていたが、外国に屈従する幕府の下での海外貿易には反対して、攘夷をとなえた。この点において彼らは、幕藩体制護持のための攘夷願望からは決定的に離れたのである。

(上掲書より)

-----------------------------------

先にわたしは、「攘夷主義者たちの道徳観、良心」と書きました。「良心」というのはどういうつもりで書いたかというと、儒教では身分の上下を絶対的なものとして受け容れます。数学でいえばそれは「公理」であって、あえて証明する必要も、討論する必要もない、絶対的原理でした。それはまた封建制を特徴づける基本的な要素でもあります。「自然の理において、天が地よりも高いのと同様に、人間の身分にも上下のけじめがあり、それもまた『自然の理』である」というのが朱子学の理論です。そしてその理論が理念として受け容れられて250年以上、人々の心を支配してきたのでした。

被支配者たちは支配者たちを、女は男を、子は親を、何があっても、どんな不公正があっても、不平を言わずに、批判すらせず、無条件に「上」に置いて、服従すべしというのが、封建的良心でした。今日、時代劇が受け容れられるのは、ひとつにこのような身分社会がもたらす「安定・安心」への憧憬があるからだと、わたしは想像しています。そして今日、新自由主義によって搾取される側にいるはずのわたしたちふつうの国民が、小泉流改革に諸手を上げて賛成したのも、その「安定」、「安心」を求めているのだとも、わたしは思うのです。ですが、そこには決して求めるものはありません。時代に逆流する反動的な思想がもたらすのは、格差社会であり、経済格差以上にとくに深刻なのは情報の格差、あるいは知識の格差、知ることの格差です。教育の機会に不平等が持ち込まれ、エリートが大衆を操作しやすいように、知識を制限されてしまうことです。徳川支配にある、「民は知らしむべからず、依らしむべし」の再現です。人間性の剥奪がそこにはあるのです。

次に、攘夷主義者の良心を示す事件からはじめて、歴史を追ってゆきます。

-----------------------------------

開港後の数年は、物価高騰、経済混乱を背景にして、外国公使館員や、日本人商人に対する攘夷派の襲撃事件が頻繁に起きた。そうする間に尊攘派の指導者たちは、攘夷断行のための倒幕を計画しはじめた。

幕府がときの天皇(孝明天皇)の妹、和宮を将軍家茂(いえもち)の婦人に迎え、「公武合体」をはかったのを、尊攘派は、皇妹を人質にするものとして憤怒し、大橋訥菴(とつあん)ら関東地方の志士グループは、倒幕の挙兵を計画したが、十分の準備が整わぬうちに’62年正月、数人で老中主席安藤信正を江戸城坂下門外に襲撃したが、失敗。

同じころ、薩摩の有馬新七らを中心とする九州諸藩の志士は、薩摩藩主の実父、島津久光が熱烈な攘夷主義者であることに望みをかけ、彼をおしたてて倒幕の兵をあげようとした。ところが久光の攘夷主義は、封建秩序を守ろうとするものであった。だから、藩士らが身分秩序を破るのを憤り、’62年4月、家臣をして、京都郊外伏見の旅籠寺田屋で会合中の新七らを斬らせた(寺田屋の変)。

寺田屋の変は、志士たちに諸侯の頼むにたらないことを悟らせた。そこで彼らは最大の望みを天皇にかけるようになるのである。各地の志士たちはぞくぞくと京都に集まった。その中には、信州伊那谷の豪農で生糸問屋と酒屋を兼ねた家の主婦、松雄多勢子(たせこ)もいた。彼女は生糸取引先を連絡場所にして、志士間の秘密レポーターの役割を果たした。長州の久坂玄瑞、土佐の地主で郷士の武市瑞山らが全国志士の指導者として重きをなした。政治の中心はいまや江戸から京都に移った。

(上掲書より)

---------------------------------

寺田屋の変を起こさせたのは、薩摩藩主、島津久光の封建的良心でした。久光の良心にとって、封建的身分制度が破られるということは、どうしても許されないことでした。彼のその良心を形成したのは、では何かといえば、やはり教育です。封建領主として朱子学を徹底的に教え込まれた結果、彼の思考、感情を司る枠組みそのものが、つまり良心が形づくられたのでした。「良心」というとき、人間が生まれつき持っているものとして考えられがちですが、わたしはそうは思いません。良心はその人が生まれた社会や文化、そしてその文化が教え込まれる教育やしつけによって、形成されるのです。だから教育は重大事なのです。

その社会でのスタンダードな道徳は、公正なものでしょうか。自民族の優位を根拠もなく称揚していないでしょうか。外国人や異人種、異民族への寛容な態度を持っているでしょうか、それとも差別的でしょうか。個人個人の尊厳を尊重しようとするでしょうか、それとも全体の前に個人の命、存在を「鴻毛のごとく」軽いものと扱うでしょうか。道徳を教え込む前に、そうした要素を考えてから、教育は施されるべきです。かってに、一部の人々にとってだけ都合の良い道徳を教え込む制度など設けようとする社会は、かなり不健全で、危険な、つまり封建的、絶対専制的な社会だと、わたしは思うのです。

ここまで、軍事的優劣の差を見せつけられた後、欧米列強から不平等な通商条約を推しつけられ、日本が、欧米列強の植民地化するか、あるいは欧米基準まで、社会を変革するかの岐路に立たされるようになったこと。外国の影響を排して、幕藩体制を維持しようとする勢力が、幕府の開国によって幕府と対立するようになったこと。そのために尊皇攘夷主義者たちの考えに内容的な変化が起こり、幕藩体制という国体の護持論から、日本民族独立を目指し、そのために幕府を倒そうという考えに至ったこと、その旗印、後ろ盾として天皇を掲げるようになったことまで、書いてきました。

しかしやがて、朝廷内部にも反動勢力が盛り返し、攘夷派は天皇からも狙われるようになります。そこに至ってようやく、倒幕派は真に味方につけるべき勢力はどこかということに気づきます。民衆です。倒幕派は民衆と結びつこうとしますが、しかし、現代の改憲論者が言うように、日本では市民革命は起きませんでした。日本での改革は上から推しつけられた改革であって、市民が個人の自由と基本的人権を求めて勝ち取った改革ではなかったのです。倒幕派も、しょせん武士階級の人たちであり、欧米諸国を視察した岩倉具視視察団は、イギリス、アメリカ流の民主主義よりも、ドイツ式の方式を取り入れることを望んだからです。

(下)につづきます。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ちぐはぐな部品 | トップ | わーるどかっぷ・じゃぱん・追加 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
この国は封建国家!? (ひよこ)
2006-06-11 20:56:21
この国は格差社会(弱肉強食社会)が急激に侵攻しつつあります

郵政民営化は実質上、郵政米営化、アメリカの植民地にされかねない状況が続いています

ほんの一握りの人間だけが栄華の限りをつくし、ほとんどの人間が奴隷になる社会は封建国家を連想させます

管理人さんの意見はどうですか?
返信する
はじめまして (ルナ)
2006-06-11 22:16:04
ひよこさん、こんばんは。コメントをありがとうございます。



> 郵政民営化は実質上、郵政米営化、アメリカの植民地にされかねない状況が続いています



へえ、郵政民営化はアメリカと関係あるんですか? おもしろい情報ですね、ありがとうございます。



tomorrow is a beautiful dayのほうに書いたんですが、「上流にいる2割の勝ち組が8割の所得を支配し、下流にいる8割の負け組みが2割のおこぼれで食べていかなければならないようなイビツな社会構造は、だれが考えてもおかしい(「きちんと生きてる人がやっぱり強い」/ 内海実・著)」とあるとおりだと思います。



何よりも、そういう社会を「おかしい」とも思わない人もおおぜいいます。何の疑いもなく、エホバの証人の教えを信じ続けているのと同じように。新聞がね、とても重要なニュースを記事にしないんですって、今は。



昨今の憲法改正の焦点は、立憲主義の見直しにあるそうです。近代憲法は、もともと国家権力にたがをかけて、国民個人の権利を守ろうとし、権力が暴走しないようにするためのものなのに、自民=公明=民主各党の改正憲法草案では、個人の権利よりも国家、公共への義務を重視させようというものです。完全に時代錯誤なんです。



ところがメジャー新聞が、この点についてきちんと解説しないし、報道すらまともにしません。これって、背筋が寒くない?



エホバの証人の間違いに反感を持ってやめた人なら、自由に意見を表明し、自由に考え、自由に生き方を選択し、自由に職業を選ぶ、自由に結婚相手を選び、自由に学校を選ぶ、そういうことに対して、処罰されたり、非難されたり、村八分にされたりする、そんな人生がいかに非人間的かよくお分かりだと思います。一部のエリートを喜ばせるだけの生活がどんなに気の重いものか、よくお分かりだと思います。



わたしたちには選挙権があります。これといった党はないかもしれませんが、少なくとも自民党の勢力を削ぐことならできます。自分の持つ一票は、自分の本当の気持ちを反映した仕方で使いましょうね!



長々とお返事してごめんなさい。でも、これはわたしのまじめな気持ちです。
返信する

コメントを投稿

一般」カテゴリの最新記事