Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

日本軍関与削除の内幕

2007年10月14日 | 一般
教科書検定は以下の手順で行われます。

まず、編者・出版社から「原稿本」が出され、それを文科省に提出します。教科書検定を受けるためです。

それに対して、文科省所属の教科書調査官がまず、事前調査を行います。誤記・誤植の調査です。

この事前調査を合格すると、原稿本は教科書用図書検定調査審議会による検定審査を受けます。審査の結果、不合格となったものを除き、「改善意見」かあるいは「修正意見」が出され、条件付合格とされて、出版社・編集者に通告されます。「修正意見」というのは、絶対に直さなければならない条件です。出版社の方は修正意見に対して意見申し立てを行うことができます。

それらを受けとめて、編集者の方で手直しして、今度は内閲本という形の修正本を提出します。その内閲本について、また調査官の方でクレームをつけるなどのことが繰り返され、最終的に合格となれば、出版社は今度は採択に出すための「見本本」を提出し、合格すれば採択、となるとのことです。

しかし、このたびの「集団自決」削除については、そもそも教科書用図書検定審議会により審議が行われていませんでした。文科省による半ば強制的な操作だったようです。集団自決書き換え要求を突きつけられたある教科書出版社の編集者は、「文科省の強い意思を感じた。これだけは絶対譲れないとでもいうような、文部官僚の “決断” だけは伝わってきました」と述べています。

教科書修正を強行したのは誰か、取材したレポートをご紹介します。

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実は文部科学省で教科書を担当する調査官の中には、あの「新しい教科書を作る会」と密接な関係を持つ者がいるのだ。村瀬信一氏はその一人である。全国紙の社会部記者が次のように指摘する。

「村瀬氏は『つくる会』の歴史教科書を監修した伊藤隆・東大名誉教授の弟子として知られています。東大大学院時代の指導教官が伊藤教授で、その後も共同研究を通して二人の師弟関係は続いている。2001年に『つくる会』の中学歴史教科書がはじめて文科省の検定に合格した際も、担当の調査官は村瀬氏でした」。

村瀬氏は皇學館大学、帝京平成大学の教員を経て、2000年に文科省の調査官に就任した。これは文科省に影響力を持つ伊藤教授の推薦によるものだと言われている。村瀬氏の前任の福地惇氏(現在、大正大学教授)、お伊藤教授の弟子で、今は「つくる会」の副会長を務めている。

いわば「つくる会」一派ともいうべき人物が代々、教科書検定に大きな影響を与えているのである。

「まるで出来レース。正直、そこまでするかと思いましたよ」。
呆れた表情で話すのは、民主党の川内博史代議士だ。川内氏は今年(2007年)4月25日の「教育再生に関する特別委員会」において、伊吹文明文相との間で次のようなやり取りをしている。



川内: 新しい歴史教科書を執筆した伊藤隆さんと(文科省教科書検定調査官の)村瀬信一さんは師弟関係にあるのか。

伊吹: 何を意図して(そんな)質問をしておられるのか。教科書調査官が最終的に検定意見を付せる立場にはない。

川内: 何も関係ないということか。質問をはぐらかさないでほしい。

伊吹: 師弟関係にあることが、なぜ検定意見と関係があるのか。



「まったく誠意のない答弁だった」と川内氏は振り返る。「伊藤・村瀬両氏が師弟関係にあることは明白なのに、それをはっきりと認めようとしない。しかも検定に関しては、最終的に外部の学識経験者によって組織される検定調査審議会が決めるもので、調査官をはじめとする文科省の意思など反映させることができない、口出しなどできないと言っているのです。まるで審議会がすべてを決めたかのような口ぶりでした。つまり集団自決に関する修正意見に、文科省は一切関係ないと言っているわけです」。

ところがこれが真っ赤なウソだったのだ。教科書検定の手順は、誤記や記述の是非について「調査意見書」にまとめたうえで、審議会に提出する。審議会ではこの「調査意見書」にもとづいて答申を作成、同省を通じて教科書会社に示される。

川内氏は国政調査権を使い、昨年度の文科省「調査意見書」を取り寄せた。

「驚きましたね。なんと、審議会の答申を基に作成した『検定意見書』とまるで同じ記述・内容だったのです。つまり、集団自決に関する “軍命の削除” は、審議会ではなく、文科省によって決められていたことが明確となったのです。ありていに言えば、文科省の指示によって教科書が書き換えられた、ということですよ」。



その後、さらに新事実も発覚した。審議会メンバーの中には沖縄戦の専門家は一人も存在せず、集団自決に関しては何の議論もされなかった、ということだ。この問題を報じた『沖縄タイムス』によると、審議会メンバーの一人は「専門家がいないのだから議論のしようがなかった。教科書調査官(村瀬氏ほか)の意見を聞いただけで通してしまった」と答えたという。

「早い話、『つくる会』の影響を受けた調査官の思想が、教科書に反映されたとも言える」(川内氏)。教科書という公的な存在が、これほどまでにも恣意的な段取りによってつくられていたのだ。


(「誰が教科書記述を修正させたか・沖縄『集団自決』をめぐって」/ 安田浩一/ 「世界」2007年11月号より)

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このレポートによると、教科書修正は一方的に文科省の意図の下に行われたということですね。レポート筆者の安田さんの取材によると、村瀬氏は、高校日本史を担当したある出版社の編集者と執筆者に対し、沖縄戦における集団自決の記述について、「軍隊から何らかの強制力が働いたかのような受け取られ方をしてしまう表現は避けていただけませんか」と指摘したというのです。その出版社の教科書は、自決用の手榴弾を日本軍が住民に配って、集団自決に追い込んだ、という内容の記述になっていたのだそうです。ところが、ここ20年間は同じ内容で検定をパスしてきたのです。どうして今年はダメなのか、出版社はいぶかりました。

それに対し村瀬氏が主張するには、「軍隊から集団自決の命令が出ていない、という見方が定着しつつある。要は、もう少し薄い表現にしてもらいたい」。何を根拠に「定着しつつある見方」というのかというと、村瀬氏が持ち出した事例は、関東学院大学の林博史教授が著された『沖縄戦と民衆』(大月書店)でした。「この本を読みましても、集団自決は事実であっても、軍隊からオフィシャルな命令が出たとは記されていない」と村瀬氏が力説します。

ところがその図書の著者である林教授は憤って反論しています。「わたしは個々の軍人の命令ではなく、日本軍の存在そのものが住民を集団自決に追いやった、ということを著書で表した。はっきりと軍の責任を問うているわけです。いったいどんな読み方をしたら、集団自決と日本軍を切り離すことができるのか」。

村瀬氏はこういう「読み方」をしたらしいのです。『沖縄戦と民衆』は現地調査を通して、沖縄戦の中で日本軍が住民を集団自決に追い込んだ背景を詳細に解き明かしているそうです。安田さんはお読みになったようですが、その感想は「あくまでも自決は日本軍によって強要されたものである、といった視点が貫かれており、間違っても日本軍を免罪する記述は見当たらな」かったそうです。

「ただし」と安田さんは書きます。「ただし著者の林教授は、自決命令を出したとされる特定の軍幹部(個々人)が、直接に命令を下した立場にあったかどうか、ということにのみ、疑問符をつけている。実はこの部分の表記が、まるで集団自決における軍命がなかったかのような “決定的証拠” として利用されたのだ」ということです。

つまり、文脈を無視して、文脈から一文を切り離して日本軍の名誉挽回に持ち込もうとしているわけです。こういう態度を牽強付会といいます。「自分の都合のよいように、無理に理屈をこじつけること(岩波国語辞典第4版)」という意味です。エホバの証人お得意の手法ですね。牽強付会な手段によって、学者の言葉を、その講演記録や著書などの文脈から切り離し、生物進化は創造説によって論破されてしまっているかのような文章を作り上げ、信者はそれを本気に受けとめているのです。

沖縄における9.29集会では、住民に手榴弾が手渡されていること自体が、軍の意図のもとに集団自決が行われたことの証だ、と主張されました。出版社も同じように思うわけです。「わたしたちは、集団自決に軍の手榴弾が使われたこと、さらに軍がスパイ容疑で住民を殺害したことについてはどうか、と訊きましたが、村瀬調査官は『それは構わない』というわけです。つまり、集団自決においては、主語が日本軍であっては絶対に困ると、そういうことなんですね」(前出の教科書を書いた出版社の編集者)。

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2007年3月30日、文部科学省は08年度から使用される高校教科書の検定結果を公表した。日本史教科書では「集団自決」について、「日本軍に強要された」などの記述7箇所(5社で)に、修正を求める検定意見がついたのである。

申請段階の記述が、検定によってどのように修正されたのか、代表的事例を以下に示す。



「日本軍は(中略)くばった手榴弾で集団自決と殺し合いをさせ」→「日本軍の配った手榴弾で集団自決と殺し合いがあった」(実教出版)

「日本軍に集団自決を強いられたり」→「追いつめられて『集団自決』したり」(三省堂)

「なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた」→「なかには集団自決に追い込まれた人々もいた」(清水書院)



いずれも「集団自決」における軍の関与がすっぽりと抜け落ちている。どうやら沖縄住民は誰からも強いられたわけではなく、勝手に望んで自決したのだ、と文科省は言いたいらしい。

「それにしても」と、前出の編集者は首を傾げる。「前回(4年前)の検定では、同じ記述であっても何の問題もなかった。あまりに唐突であることに、何か背景があるのではないかと疑いたくなる」。

確かに結果は「唐突」であった。しかし沖縄での集団自決をめぐっては、ここ数年、水面下では奇妙な動きが進行していた。


(前掲書より)

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背景は「新しい教科書をつくる会」、そして安倍首相のグループがある、と安田さんは書きます。「つくる会」の藤岡信勝拓殖大学教授が代表を務める「自由主義史観研究会」のメンバーが、2005年5月二十日から沖縄に取材に訪れました。その取材をもとにして、同年6月4日、自由主義史観研究会は東京都内で「沖縄戦集団自決事件の真相を知ろう」と銘打った「緊急集会」を催しました(参加約80名)。

その集会で藤岡氏は「現地調査を行った結果、旧日本軍が沖縄住民に集団自決を強要したと言うのは虚構であることが判明した」と報告したのです。先ほどの林教授も現地調査をしたのに、林教授と自由主義史観研究会の結論がなぜ正反対になるのでしょう?

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「集団自決に軍命がなかった証拠」として藤岡氏らが発表したのは、集団自決を生き残った人の証言をまとめたビデオ映像である。件の沖縄取材で撮影したという「検証ビデオ」には、沖縄在住の3人の証言者が登場。それぞれ「自決の際、軍からの命令はなかった」と話した。この3人の証言をもって「画期的な成果」と強調したのである。

当時、藤岡教授は私の取材に対して次のように述べている。
「沖縄戦に関する教科書の記述は、部分的な悲劇ばかりを強調している。少なくとも集団自決に軍命があったというのは作り話だということをはっきりさせ、旧日本軍の名誉を守りたいと考えています」。

この集会では、次のような決議文が読み上げられた。
「社会科や歴史の教科書・教材には、過去の日本を糾弾するために、一面的な史実を誇張したり、そもそも事実でないことを取り上げて、歴史を学ぶ児童・生徒に自国の先人に対する失望感・絶望感をもたせる傾向がしばしば見受けられます。

 事例の一つに、大東亜戦争時の沖縄戦で、民間人が軍の命令で集団自決させられた、というのがあります。しかし、これは事実でないことが、関係者の証言や研究によって明らかになっています。

 私たちは、敗戦60年の今年、この『沖縄集団自決事件』の真相を改めて明らかにし、広く社会に訴える」。


(前掲書より)

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こうして、作家の曽野綾子さんたちが、「沖縄ノート」の著者である大江健三郎氏や「沖縄ノート」の出版元である岩波書店を告訴し、また、教科書修正のために、「つくる会」に関係する村瀬信一氏に影響を及ぼさせて、今回の事態となったようです。「つくる会」のかつての理事には安倍政権のブレーンである京都大学教授の中西輝政氏や高崎経済大学教授の八木秀次氏がいました。「つくる会」は分裂し、この二者は「つくる会」を去ったのですが、安倍元首相がまだ幹事長時代だったころ、つまり強気で押せ押せだった時期に、「従軍慰安婦」を取り上げたNHKの番組を改編させたなど、強気だったころに、先の自由主義史観研究会の集会が開かれていたことを考え合わせると、安田さんはこう推測します。

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いまとなってはガレキの山となった「チーム安倍」だが、往時の勢いを考えれば、それなりの影響力があったことは想像に難くない。

「今回の問題の源流には、官邸、もしくは安倍側近の意向が反映されていることは間違いない」(前出・社会部記者)。


(前掲書)

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“Luna's Scrap-book” の方のコメントにも書いたのですが、国家が歴史教科書に介入してくるときには、民主主義に反した目的を持っていることが多いのです。歴史認識は、国民として持つときには、実証的な研究によって得られた記述にもとづかなければなりません。しかし、明治以降、日本は自国絶対中心主義で大陸に進出し、現地を植民地化し、そして日本の文化を押しつけました。それには国民的な合意が必要ですが、国民がそういう国策に賛成するよう、教育を通して思想改造を施してきたわけです。歴史の実証主義的な研究者に対し、神道家であり、国体史観派の人々はこのように攻撃をしました。

「夫れ教科書は将来の国民を鋳造する所の模型なり。其の善悪によりて、将来の国民は忠誠楠公の如きものともなり、凶賊尊氏が如きものともなるべし」(「国光」4-2 明治25年5月10日)。

歴史教科書は国民を将来、国家・国策に喜んで殉ずるよう指導するものとなりうるから、実証主義的(つまり科学的歴史研究)はその邪魔になる、天皇を敬わなくなる、家族国家思考を持たなくなる、危険な学問手法だと感じたらしいのです。

今回、本土の方では、新聞をはじめ、世論はまったく盛り上がらなかったのですが、沖縄県民は目が黒かったですね。自分の手で家族を殺してしまったという罪業深い体験が、あの行動を起こさせたのだと思います。それと、多くの人が団結して運動することには、政府に対する力をもつことも目の当たりにできました。わたしも、「何か違和感を覚える」と感じたら、どんどん発言して行こうと思います。
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3 コメント

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あの日の「新しい歴史教科書を作る会」 (秋本弘毅)
2007-10-29 23:52:29
ちょうど「新しい歴史教科書を作る会」のいわゆる"歴史創作教科書"の一番最初の検定があった年だったと思います。その会の副会長が大学の指導担当で、この教科書をベースとしたゼミがあったんですが、もうほとんどの人がその問題教科書に肯定だったので驚きました(おいおい、出だしに"歴史は事実でなくて良い"って書いてあるやん、本当に学問なの?)。そういった中でわずか三名程度で教科書批判の論陣を張ったのを懐かしく思い出します。そこで展開した批判が「この教科書だと日本人の誇りや愛国心が失われる」という逆説的な主張。長期的視点では「自虐」なのはまさにこの教科書だってやりました。その当時そういった批判は皆無だったので、反論できなかったみたいで、それに対して副会長だった教授の反論は、日本人を不登校児と一緒にして「不登校児は励まさなければ学校に行けない、だから傷ついた日本人を励ますのが歴史教育だ」という幼稚というか明後日の内容(そのほうが子ども扱いしてて「誇り」がない自虐じゃないの?マッカーサーの「日本人12歳」発言で激怒したのはそういった人たちだったはずだが、腹が立たないのかな。自分はむかつくけれど)。今でもそういったレベルでしか彼らの教科書を見られないものです(でもその教授は人間的には決して悪くない、むしろ左よりの教授のほうが性格は悪かったりして)。
最近も出版界にいますからこういった動きはすごく気になるところです。これって継続的に続くタッグオブウォーみたいなもので、本当はシステムの問題だと思います。
「つくる会」も歴史の産物でそういった流れってのは戦前・戦後直後にもあったのがジョン・ダワーの著作なんて見るとよく現れてますよね(戦後の「逆コース」なんてまさにそうでしたし)。こういったことが起きるベースにある教育の中央集権化なんてのも、その歴史を追ってみるとよく分かります(ただし集権化したから現在まで右傾化が抑えられた可能性もあることには注意)。
でも元JWって結構右翼にはまる人が多いですよね。一応自分は右には批判的、左には懐疑的な人間。経済的にはニューケイジアンとか、そちらにより共感を感じるから、左系にはなれないでしょう。そうなるとよく元JWの右翼的な発言を批判して問題になることが多いんです。なんというかな、もう少し「ゴー宣」のような幼稚で分かりやすい本ではなくて、地道に積み上げた重厚なやや分かりにくい論理を咀嚼する能力を鍛えていってもらいたいですね。ある種の(日本でしか通じないような特殊でない)普遍的な感覚、事実への冷厳な視線を持つ努力をしないと、と思います。
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秋本さんへ (ルナ)
2007-10-30 23:23:18
秋本さん、こんばんは。ようこそルナのブログにおいでくださいました。またその上コメントまで書いてくださってほんとうにうれしいです。

リンクから「えびのしっぽ」の当該記事を拝読させていただきました。簡略だったので、もうひとつ経緯が呑みこめませんでしたが、でも「陽のあたる場所」と「昼寝するぶた」の歴史がうかがえて、興味深かったです。当時からインターネットを活用されていた方々は感慨深く読まれたことでしょう。

ほうほうの体でエホバの証人社会を脱出してきた人々にとって、秋本さんのHPも、ゆーじさんのHPも、自分を見つめなおしたり、自分の中のどろどろしたものを吐き出して、浄化するのにほんとうに助けになったと思います。私自身がそうでした。感謝いっぱいです。

> 「この教科書だと日本人の誇りや愛国心が失われる」という逆説的な主張…

とても興味深い内容ですね。詳しくお聞きしたいです。わたしも、国を愛するからこそ、過去の過ちには率直に向き合うべきだとは思います。もちろん、理論的な話し方はできませんけれども(^^)。

> 不登校児は励まさなければ学校に行けない、だから傷ついた日本人を励ますのが歴史教育だ…

秋本さんたちお三方にとっては稚拙に思われたんでしょうね。事実、教育を受けた人ならみなそう思われるにちがいありません。でもわたしには、それが単に反論のための論点以上のもの、つまり「本音」だと思いました。「傷ついて」いるのは日本人全部ではなくて、おそらく彼ら自身ではないか、と、インスピレーションを感じました。エホバの証人が、「エホバの組織」によって自分のよりどころとするような、それと同じような気持ちなのではないかと、そんな風に感じました。心の成長の程度はまた、知性の習熟とは別だと思います。トップクラスの大学の先生でも、内心は弱くて未熟なのでしょうね。

ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」、しばらく品切れで、入手をあきらめていたんですが、今年増補版として(写真が増えたそうですが)復刊しました。これから読みます。とても楽しみです。

それと、秋本さんとわたしとの共通点があるなあと、気づきました。ちょっと心強く感じました。わたしも共産主義では人間は(物質的だけではなく、精神的にも)豊かに生きることはできないと思います。っていうか、「カルト宗教と共産主義は大嫌い」です(^^)。労働問題への関心については大いに買えますけれどもね。

「えびのしっぽ」、たくさんの本が紹介されていて、親しみを覚えました。リンクさせてくださいね。「大御所」の目に留めてもらって、ちょっと得意な気分です。ありがとうございました。

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Unknown (秋本弘樹)
2007-11-08 21:54:42
>「傷ついて」いるのは日本人全部ではなくて、おそらく彼ら自身ではないか、と、インスピレーションを感じました。

おっしゃるとおりです、愛国者という方に「じゃあ日本人や自分のことが好きか」聞いたら否定されていました。じゃあ仰せの愛する国って人間がいないのかなってね。

>ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」、しばらく品切れで、入手をあきらめていたんですが、今年増補版として(写真が増えたそうですが)復刊しました。これから読みます。とても楽しみです。

「吉田茂とその時代」も古いけれどお勧めです。最近人気の白洲次郎とかそういった保守派の考えが良く分かります。

>それと、秋本さんとわたしとの共通点があるなあと、気づきました。ちょっと心強く感じました。わたしも共産主義では人間は(物質的だけではなく、精神的にも)豊かに生きることはできないと思います。っていうか、「カルト宗教と共産主義は大嫌い」です(^^)。労働問題への関心については大いに買えますけれどもね。

結構考えは近いものがありますね。共産主義は経済学としてちょっと論理に問題があるように感じます。それよりもアマルティア・センとかスティグリッツとか弱者の側から論陣を張るマルクス以外の経済学者もいますからね。カルト宗教は・・・、その定義から入ると話が長くなりそうなのでやめます。

>「えびのしっぽ」、たくさんの本が紹介されていて、親しみを覚えました。リンクさせてくださいね。「大御所」の目に留めてもらって、ちょっと得意な気分です。ありがとうございました。

大御所かどうかはともかくまあ古いだけがとりえです。でも書いてある若い勢いに懐かしさを覚えました。それって重要ですね。
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