かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

ラッシュ前の当直

2011年11月20日 21時13分29秒 | 医者仕事
今日はいつものアルバイトの当直。時間は長いが負担は大したことがないので、落ち着いて勉強をしようと思えばわりとやりやすい場所である。いつもながら終わった後はラッシュの電車にもまれていかなければならないので、大変なのはまずそのくらいのことである。
今日もわりとゆとりのある時間を過ごしているのだが、頭は月曜日からの仕事のことを考えている。かと思えばカレンダーを見てみて、今年の残り日数を数えてみたり。病棟はとりあえず今年いっぱいで終わりなので、もう半分は過ぎただろうかと考えてみるというのもしょうもない話なのだがわりとあることである。
とりあえず、やることはたっぷりと睡眠を取っておくこと。これは最近できていないのでぜひともやっておきたいところである。

つかの間の休息

2011年11月19日 17時08分46秒 | 一般
学会から帰ってきて、朝は体があちこちきしんでいた。前日に動き回ったせいだが、元を正せば普段の運動不足のせいである。
朝に受持患者の病状説明があったので同席して、そのあと用事があったのですぐに帰ってきた。いくつか用事があるときに天気が悪いのはあまり気分のいいものではない。
1つは家の中のハウスキーピングの話で、これについては前々から話をしていたのだが、今日ようやく契約の運びとなった。これから2ヶ月に1回のペースでやってもらうことになった。
そのあとの用事については大したものはあまりないのでここでは割愛するが、雨と風が強かったのでどうしても今日でなければならないもの以外は全て先送りにした。来週なら何とかなるだろうか。

戦国の世に思いをはせる

2011年11月18日 23時56分01秒 | 医者仕事
いよいよ発表当日。学会の会場は福井駅から徒歩20分ほどであった。朝の空気がすがすがしく思えたので、荷物を引きずって歩いて行くことにした。広い道沿いということもあって迷うことなく会場に到着し、参加費を払う。10000円とは結構な額である。領収書を持って行けば医局から出るらしいのでまあいいが、そうでなければ参加を躊躇してしまいたくなる額である。
発表は朝だった。演者の場所には残り時間がわかるようになっており、ちらちらと見ながら話を進めていった。結局ほぼ6分ちょうどで終わりまで持って行くことができた。緊張の質問タイムだが、聴衆からは一切なく、座長の先生がおざなりな質問をしてくれただけで終わり、答えるのも訳はなかった。
そして、午前10時には晴れて自由の身となった。帰りの電車は午後にしたので、しばらくは自由時間であった。この時間をどうしようかと前々から考えていたのだが、以前から行きたかった一乗谷に行くことにした。幸い観光タクシーがあったので、それを利用して行ってきた。戦国時代の町並みに思いをはせるのも悪くはない。かつての栄華も今は土台だけが残るのみとなって、夢か幻かといったところ。
その後、福井城跡と北ノ庄城跡を歩いてまわり、お土産を買って帰りの電車に乗った。東京に戻ってきたのは夜になってからであったが、だいたいとんぼ返りの範疇におさまるような行動ではなかったかと思う。
一乗谷に行けたのはよかった。福井に行くことなどそうそうないだろうから。

時間に追われる移動

2011年11月17日 23時23分52秒 | 医者仕事
今日はいつも通り外勤をこなした後、日本海側まで日本列島を横断する移動をしなければならなかった。行き先は福井で何のためかというと学会に出席するためである。自分が発表するので会場がいかに遠かろうと行かざるを得ない。
さて、外勤先は渋谷なので山手線で品川まで移動するのだが、この電車がまた混んでいて閉口した。平日の昼間の混み様は昔と全然変わっていない。品川から新幹線に乗った。福井まで行くには乗り換えなしでは行けないので、オーソドックスに米原で乗り換えることにした。
なので、乗る新幹線は「のぞみ」ではなく「ひかり」になり、ついぞ止まったことのなかった駅にも止まるところがいつもとは少し違った。木曜日はいつも昼が遅くなるのだが、この日は新幹線に乗ってから食事をした。時刻にすると4時過ぎということになるだろうか。そのあと当然のように眠くなるわけだが、寝過ごすとえらいことになるのでうつらうつらするくらいで我慢した。
米原に着く頃には外は真っ暗。そこから在来線の特急に乗り換えて福井に行くのだが、外が真っ暗では面白くない。家から持ってきた新聞を読んだり、ぼんやりして時間を過ごした。福井駅に着いたら夜の7時を過ぎていた。あまり空腹感もなかったので、そのまま宿に直行した。疲れているだろうと思い、宿は駅の目の前にあるところにした。
ホテルの部屋の中で、明日の発表の練習。なんとなくシュールな光景に思えた。持ち時間は6分。昨日寝ぼけながら作った読み原稿には意味不明な箇所が多々あり、全然役に立たなかったのであちこち書き加えて練習をし直したら時間内に収まった。
あとは実際にやるだけ。そう思わなければやっていられない。

大詰め

2011年11月16日 23時29分20秒 | 医者仕事
明日には出発しなければならないが、スライドの完成には至っていない。これはゆゆしきことである。もちろん、読み原稿もまだできていない。こういうときには読み原稿を作っておくのはセオリーというものだが、内容が確定しなければ原稿は作れないのは自明の理である。
結局できあがったのは夕方になってからのことであった。帰ってから読み原稿を作ろうとしたのだが、これがひどいもので頭は猛烈な勢いで就寝を要求し、文章があらぬ方向にすぐに行ってしまう。我を取り戻した際に修正はするのだが、印刷し終わったときには体はグロッキーで頭は半眠り、いや夢うつつであった。夢の中と現実がごっちゃになりちょっとした荘子の気分である。が、手元に残っている文章は荘子とはほど遠い劣悪なものであることはいうまでもない。

門の先に門

2011年11月15日 23時50分34秒 | 医者仕事
CCが終わった後というのは疲労感と共に解放感があるはずである。ところが、こと今回に限ってはその法則はどこかに消し飛んでしまった。学会が終わらない限り解放感などあり得ないからである。やっと一つ片付いたくらいにしか思えなかった。
確かなのは、これで学会一本になったということである。もっとも、病棟業務があるので完全に専念などできるはずもないが。
所詮、そんなものである。

眠った頭

2011年11月14日 23時22分13秒 | 医者仕事
2時間睡眠で迎えた月曜日の朝。体の実感としては真夜中である。しかし、外界からの刺激で頭は無理矢理目覚めさせられ、体はそれに引きずられてとぼとぼというのが実情であろう。
CCについては夜なべ仕事が効を奏し何とかなりそうではあったが、サマリー作りにはこの頭のだめさ加減がはっきりと出てしまった。凡ミスの嵐は自分でも恥ずかしくなるほどで、頭は何も動かず、口から出る台詞は譫言に毛が生えた程度のものであった。
それでも仕事は仕事。最後まで何とかやりきれてこそなんぼのものである。
当直明けでもないのに体はふらふら。まったくどうしようもない。

これからが本番

2011年11月13日 23時55分20秒 | 一般
幸いにして深夜には何事も起こらなかった。この一日でCCはあらかた書き上げなければならない。病歴の部分はいいとして、肝腎なのは考察の部分である。文献集めはだいたいできたので、後は表を作り文章をまとめる作業になる。これは家でもできる作業なので、ゆっくりと家でやることにした。
当直明けというのは変に張り詰めている何かでむりやり起きているようなところがあって、それが切れてしまうとあっさりと睡魔の軍門に降るという結末を迎えるのである。実際に昼にはやはりというか眠ってしまい、思った通り夜中勝負になってしまった。
これからが本番というのはそういう意味である。ゴールが見えるのでそこに向かうだけではあるのだが、それでも辛いものである。

諸刃の剣

2011年11月12日 23時45分40秒 | 医者仕事
こういうときの当直とはまさにこの言葉にぴったりの状況ではなかろうか。
引き継いですぐのところでやっかいな電話がかかってきたが、なんとか処理できたのでよかった。しかし、すべてを防ぐことはできず救急外来に行って診察をしなければならないことも当然あった。土日の当直は24時間なので、やはり何かしらは起こってしまうようである。
幸いなことに、それほど重い急患は今のところなく、調べ物は予定通りにできているというのが現状である。それでも時間が足りないことに変わりはない。勝負はこれからである。

一応の決着

2011年11月11日 23時08分21秒 | 医者仕事
学会スライドを一度は見せなければならない以上、時間制限はきつくなってくる。なので、窮鼠猫を噛むような思いでやるが自分になかなか追い込まれている実感がないというのも問題である。それでも何とか指摘されたポイントを踏まえて直し、ようやく見せるところまでもっていくことができた。
それでも息つく暇はない。今度はCCが待っている。さらに、直したものをまた直すということも当然あるので、来週はどうなってしまうことだろうか。