かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

末長くお幸せに!

2011年11月26日 20時56分15秒 | 一般
今日は部活の先輩の結婚式に招かれた。
私は結婚式に招かれたのはこれが初めてで、図らずも自分の結婚式のほうが先であった。久々に式服を引っ張り出し、試着してみた。以前着たときは胸まわりと太腿のまわりがきつかったが、今日はまったくそんなことはなかった。
シルバーのネクタイとポケットチーフ、そして真珠のタイピンとカフリンクスを用意し、ご祝儀も用意し、準備万端で出発した。
神経内科には部活の関係の人は誰一人としていないので、部活関連の人に会ったのは本当に久しぶりだった。もちろん、本日の主役とも。卒業して以来会わなかった気がするから、5年ぶりくらいになるだろうか。野球をしていた頃はついこの間のように思えたが、カレンダーをめくってみると確かにそれだけの年月が経ってしまったのであった。一緒にやっていた人々は皆医者になっている。
式はチャペルでとりおこなわれ、花嫁姿は実に美しかった。そして、幸せそうだった。儀式ではあるのだが、人生の晴れ舞台、それそのものに大きな意味があるのはもちろんである。非日常の中だからこそ。
そして、披露宴。私は「存分に愛されて育った人は人を存分に愛する人になれる」というようなことを率直な印象として持った。どれだけ愛し愛されたか、それが少しも嫌な形でなく、しかもはっきりと表わされていて、心がポカポカと暖まるような心持ちがした。私はかつて自分の結婚式で挨拶したとき、自分がどれだけ愛されて育ったかがわかったと語ったことがある。古い写真のなかにあった光景はそれを確かに物語っていた。今日、客の側から見て、感じたことは、当事者と第三者という違いこそあれ、感情としては同じものだったように思えた。
そして、私は先輩という人間をどこまで知っているかといえば、野球を通してしか知らないわけで、
ましてやお嫁さんに関してはそれこそ皆無である。今日見た様子だけでは何も的確なことは言えないかもしれないが、見た様々なことから推して私としてはうらやましいばかりのお二人であると言わずにはいられなかった。隣の家の芝生だとしてもである。
私は心の底から祝福する。本当におめでとうございます。末長くお幸せに。

先輩はここのフォロワーであったようである。
とかれば、まだまだ書き続けなければなるまい。