かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

引っ越し騒ぎ

2011年03月21日 23時23分53秒 | 一般
結婚式から明けて一夜。今日は私の引っ越しの日である。かなり無茶な日程だと思っていたが、やはり無茶であった。というのは、片づけが不十分でけっこうな草堂になってしまったからである。業者は聞いたことのない業者だったが、手際よくてきぱきと作業をしてくれたために早く終わった。家具の搬入も予定通りに終わり、それはよかったのだが、まだ住んでいた部屋には大量のものが残っていた。
そして、その他にトランクルームに入れるものがあったのだが、箱に詰まったままではどうにもならないということで、すぐさま箱から出しておさめていった。これに関しては至極順調に進み、わりと早い時間で終わった。
夜は嫁さんを我が家に招待して一緒に夕食。そのあとは新しい住処に移動した。

結婚式

2011年03月20日 23時03分49秒 | 一般
特になんということもなく朝を迎えてしまった。あまりそこまで気にする余裕がなかったというのが正確なところか。
とりあえず、1泊の支度を整え、挨拶文を確認して、誓いの言葉といくつかのプレゼントを持って会場に向かった。最初は和装(紋付き袴)なので、すぐに着替え室に連れて行かれて衣装を着ることになった。
最初は写真撮影で、初めて花嫁を見た。どきっとするほどきれいだった。写真を撮った後で親族控え室へ行った。自分の席が正面に用意されていて何だか面映ゆかった。しばらくおしゃべりをした後に式場に移動。神前式なので神職が祝詞をとなえるのをじっと聞いていなければならない。あとはウェディングフェアーで見たのをなぞるようなものであった。三三九度はちゃんと日本酒だった。誓いの言葉は自分で考えたものだったが、過たず読むことができて指輪の交換も無事に終わった。
その後は親族を交えて記念撮影。そして、それが終わってから控え室でしばし休んだ後に、披露宴。音楽は事前に指定しておいたものが流れ、料理も試食したものがそのまま出てきた。すばらしいことに総料理長自ら出てきて料理の説明をしてくれた。妹のピアノ演奏は不覚にも胸うたれてしまった。
お色直しで中座し、スープは飲みそびれてしまったが、今度は洋装(グレーのタキシード)に着替えた。そして、ドレス姿の花嫁さんと合流。これまた美しかった。写真撮影を済ませてから披露宴に再び登場。料理を平らげつつ、祝辞も済み、最後になぜか自分の挨拶。用意しておいた挨拶はもちろん暗記していたが、正解を知っている人がいるわけもないのでところどころ端折ったり言葉を換えたりして最後まで終えて、深々と頭を下げた。
そのあと、部屋に移動した。二次会までの間休息を取った。
二次会は紆余曲折があったが、ようやくここまでこぎつけられた。みんな頑張ってもらって、本当にうれしかった。華やかな雰囲気の中、最後まで終わってほっと一息。
その後、夜食を食べたり、シャンパンを飲んだりして夜をゆっくりと過ごしたのだった。
みんなが集まってくれて、うれしくて、ありがたかった。よかった。

結婚式前

2011年03月19日 18時47分10秒 | 一般
結局頭が眠るのと同じようにして身体も眠ってしまい、昨日はろくなことができないまま朝になってしまった。バックアップだったが、電話はかかってこず。それはそれでよかったのだが、何もしないままひたすら眠り続けていたというのもどうなのかと思う。やはり睡眠不足が重なっていたためだろうか。
午前中にトランクルームと新居にそれぞれ荷物を運んだ。これもまだまだこれからやるべきことが残っている。
明日が結婚式で、明後日が引っ越し当日になってしまうので、やれることは今日のうちにやっておかなければならない。これが一番大変なことである。

頭が眠る

2011年03月18日 22時07分42秒 | 医者仕事
最近ほとんどまともに夜に眠れていないこともあり、かなり朝はしんどいというのが実状である。今日は病棟当番であり、点滴と採血の仕事があった。当然のことながらどれもそれほど大した仕事ではないのだが、まともに眠れていないとそれも少々怪しくなってくる。
結果としてようやく済んだのだが、それでも精度には疑問が残るような結果になった。
やはりきちんと眠っていないとろくなことがないようである。

がらくたと格闘

2011年03月17日 23時55分20秒 | 一般
仕事については大したことはないので割愛するとして、引っ越し間近の我が家の状況が問題である。難物は様々なものがつまっているクローゼットである。燃えるゴミの収集日を控えた今日が引っ越し前最後の日であったことから、何としてでもそこを片づけきらなければならなかった。思い入れのあるものもないではなかったが、思いきってどんどん捨てていった。
それにしてもあるわあるわ、ゴミ袋は飛ぶようになくなっていった。そして、ようやくめどがついたのは日付が変わってからだいぶ経ってのことであった。

平穏な業務と多忙な生活

2011年03月16日 21時04分25秒 | 医者仕事
地震の影響は報道されていることに比べればわずかなものだが、確実に私の生活にも影響を与えている。もっとも、命はおろか生活も変わらないのだから、はなはだ贅沢な悩みといわなければならないだろう。しかしながら、頭を悩ませていることは確かである。
仕事はというと、落ち着いており特にやることもない。予診を一人とるくらいで、他には大したことはなかった。日程上は精神科も3週目で折り返し点を過ぎたところである。つまり、研修医も残り2週間ということである。これまでの1クール6週間に比べると、折り返し点が早い分だけ気が楽とも言える。
そのこと自体は、この状況下では大変ありがたいことである。それだけ時間を割けるからである。ただ、頭を悩ませるのはさすがにあまりうれしいことではない。あと結婚式まで4日というのに、これほど早く時間が過ぎて欲しいと思うことはない。

初めての回診

2011年03月15日 22時45分54秒 | 医者仕事
精神科で初めての火曜日を迎えた。精神科にはあまりイベントがないのだが、火曜日はカンファレンスと回診というイベントがある日である。初めてということもありなかなか様子がわからなかったのだが、受け持ちが1人のみということもありそれほど負担ではなかった。
独特だと思ったのは回診でのやりとりを記録に残すこと。やはり言葉のやりとりが大事になってくるという精神科ならではのことであった。
今日は予診はなしで、そのために昼前に少し眠ることができた。やはり3時間睡眠だけでは辛いようである。目を覚ましたら回診間近になっていてちょっと焦ったが。

真面目な仕事ぶり

2011年03月14日 21時59分16秒 | 医者仕事
精神科に来て長く経っているようだが、何のことはない、2週目とは言っても1週間休んでいたのだからまだ1週間も経っていないのである。
受け持ち患者は1人で、しかも休息のために入院しており何もすることはないので実質いないも同然である。時間があったのでCPCレポートを出しに行った。これで研修修了に必要な書類は全て提出済で、あとは発表会だけである。
昼前に予診に呼ばれたのだが、だいたい呼ばれるのがいつもこの時間であり精神科に行ってからまともな時間に昼が食べられたためしがない。
それはいいのだが、終わってからしばらく時間をつぶしていたら帰れる時間になって帰ってきた。時間が惜しく、少しでも早く帰ってきたいのでこれはありがたいことだった。今週は家の片づけと発表会の準備とさらには結婚式まで控えているのでとても生活面で忙しいからである。

次から次へと

2011年03月13日 18時45分10秒 | 一般
てんやわんやの一日であった。
午前中はバックアップの仕事があり、拘束患者の診察と救急からの兼診依頼について回り、午後早々に午後の分の診察を済ませて帰ってきた。
その後が大変で、息つく間もなくトランクルームに荷物の運搬をしてから、結婚式で着る衣装(洋装)の最終確認。鏡の中の自分は非日常的な衣装に身を包み、まるで別人のようだったが、顔だけは何も変わらなかった。それを見ると、やはり自分なのだというおかしな安心感があった。
チェックの後は急いで帰って引っ越しの見積もり。時期が時期だけにかなり高くついたが、敷金がもどってくれば十分にお釣りがくる額ではあった。引っ越しの日取りも決まり、電話がきちんと引ければ何も問題はなさそうだが、そちらについてはちょっと困っているのが現状である。

地震の爪痕

2011年03月12日 17時27分01秒 | 医者仕事
一夜明けて、我が家の中は本が散乱する程度で済んだが、世間はやはり凄まじかったようである。また、余震と思われる揺れが何回かあり、それもまた若干困りものではある。
今日は引き続きバックアップであるため、午前中に出勤して拘束患者の診察をして、昨日の入院患者の入院サマリーを作り、午後の拘束患者診察を済ませて帰ってきた。呼ばれたのはちょうど病院にいる間だけで、さすがに診に行かなければならないものではあったが、病棟にいるときだったので何も問題はなかった。
地震の余波は今日予定の新居のネット接続工事にも現れた。今日の予定が、いつできるかめどが立たないという。もう少し早く知らせてもらえれば無駄足を踏ませることもなかったのにと思ったが、地震では仕方がない。