国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

鈴木宗男が5年半ぶり北方領土へ「ビザなし」渡航参加

2006年05月23日 | ロシア・北方領土
5年半ぶり北方領土へ、鈴木議員 「ビザなし」参加 外務省は困惑  2006/05/15 07:07

 鈴木宗男衆院議員(新党大地代表、比例道ブロック)が、今月中旬以降に根室を出発する本年度初の北方四島ビザなし交流の日本側訪問団に参加し、色丹島を訪れる。

 鈴木議員の北方領土訪問は二○○○年十月以来、五年半ぶり。国後島の「友好の家」をめぐる問題などで、領土返還運動へのかかわりが減っていたが、実質的な活動再開となる。

 鈴木議員は「国会議員枠に空きが出たので申し込んだ。ロシア政府、サハリン州がどれだけ島にテコ入れしているか確認したい」と話す。ただ、鈴木議員との関係を「清算」してきた外務省は困惑しており、「自民党内にも反発がある」(外務省筋)としている。

 鈴木議員は一九九五年五月、国会議員として初めて北方領土に渡航して以降、これまで七回訪問している。

http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060515&j=0023&k=200605147802

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5月18日
7時半羽田発で千歳へ。10時から北海道ウタリ協会平成18年度総会に出席。今年はウタリ協会60周年の節目の年でもあり、加藤理事長のご挨拶も力が入っていた。私も故萱野茂さんのご功績に触れながら、アイヌ民族の権利の確立に向け、新党大地の代表として頑張っていく決意を<RB>披瀝<RP>ひれき<RP></RP>する。また、7件のアイヌ民族に関する質問主意書を提出し、それなりの答えを引き出していることを紹介させて頂く。顔見知りの人も多く、仲間内の感じを持ちながらの今日の総会であった。今日の札幌は気温が26度まで上がり、真夏の様相である。
 13時半の丘珠発で中標津に向かい、15時からの北方四島交流訪問結団式に遅れて出席。平成7年、日本の国会議員として戦後初めて北方四島色丹島に行ったことを想い出し、その後日本の閣僚として初めて平成10年6月島を訪れ、毎年の様に四島を訪ねて、今回は6年ぶりの訪問となる。色丹島がどう変わったのか、サハリン州・ロシア政府の四島への政策展開はどうなっているか、よく見てきたい。
 17時から根室花咲港で中型・小型サケマス船の出漁見送りをする。約20年ぶりの出漁見送りだが、岸壁は大勢の関係者で一杯だった。久々の活気を肌で感じながら、政治の果たすべき役割、重さを痛感する。ロシア側許可証の発給が遅れ、予定より小型船は5日、中型船は3日遅れとなった。色丹・歯舞の二島が返還されれば、サケマス交渉は必要ないのである。200海里の価値を、国民等しく考えなくてはならない。小型サケマスの許可証授与式での挨拶でも、私はこの二島返還の意義、二島が還って次の二島返還があることを言わせてもらった。空想的解決より現実的解決に向けての<RB>舵<RP>かじ<RP></RP>を是非ともきって欲しいものである。日ソ共同宣言から今年で半世紀、大きな決断を元島民、根室市、北方領土周辺町村は心待ちにしていることを強調したい。

5月19日
 ビザなし交流第一陣として9時半根室港出発。藤原根室市長、北海道根室支庁長、私の根室後援会の中林会長はじめ後援会有志、山下商工会議所副会頭、遠藤根室市議会議員等、大勢の見送りを受ける。マスコミのインタビューもあり、久しぶりのビザなし交流に若干の緊張感も湧いてくる。薄曇り空の肌寒い今日の根室だったが、今日の天気は根室が現在おかれている状況と思いながら、現実的解決をすることが根室はもとより日本の国益に資するとつくづく感じ、見送りの皆さんに手を振る。
 出港1時間10分で中間点通過。船員がロシア国旗を揚げる。その姿を写真に撮りながら、平成3年10月14日、日ソ外相往復書簡で「領土問題の解決を含む日ソ間の平和条約締結問題が解決されるまでの間、相互理解の増進を図り、もってその様な問題の解決に寄与することを目的として、かつ、いずれの一方の側の法的立場を害するものとみなしてはならないとの共通の理解の下に、我が国国民の北方領土への訪問を旅券、査証なしで行うこと等」の文書が頭を駆けめぐる。当時私は外務政務次官であった。
 13時45分、予定より早く<RB>古釜布<RP>(ふるかまっぷ<RP>)</RP>沖に到着。14時45分から国境警備隊の入域手続きが始まる。その後コーワリ南クリル地区長、スモルチコフ国後日本センター長との会談となる。二人とも旧知の仲で、私の訪問をとても喜んでくれる。コーワリ地区長から「日本政府、日本国民並びに鈴木先生からの援助である学校、桟橋、ディーゼル発電に、南クリルを代表して感謝申し上げる。それらの施設は十分島民の為に生かされている。」と冒頭発言があった。白崎団長、外務省の渡邉修介さんも同席されていたので、コーワリ地区長の思いは伝わったことだろう。
 私から「友好の家はどうなっているか」と尋ねたところ、コーワリ地区長から「いい状態で維持している。去年も火事で5家族が焼け出されたが、友好の家に避難することができた。ビザなし交流にも使われている。」との返事であった。また、「ロシア政府が7年間で1000億円をクリル諸島に予算措置を講じると言ったことは動いているのか」と聞いたところ、コーワリ地区長は「南クリル地区の検案、サハリン州の検案をモスクワに出している。社会経済発展計画は検討中であり、いつ決まるかわからない。」との答えであった。更に「南クリルに外国企業が進出しているのか」と尋ねたのに対し、「中国、韓国、ドイツはじめヨーロッパへお金は動いている。日本の企業も入って欲しい」と言われた。久しぶりにコーワリ地区長、スモルチコフ日本センター長に会って、人間関係の大事さを痛感した次第である。
 16時半出発し、アナマ沖に向かう。心配された天気だが、雨も降らず波も穏やかで、まずは順調なスタートであったが、17時15分頃船室からボヤ騒ぎ。私の隣の部屋なので驚いたが、原因は漏電で、エンジンに問題はないとのこと、予定通りアナマに向かう。この辺の海水は5℃、ゾッとしながら安全航行を祈るのみ。

5月20日
 色丹島は雨で、風も出てきて心配したが、昼過ぎから太陽が顔を出す良い天気になる。
 7時半(日本時間5時半、時差2時間)朝食。9時から事務打ち合わせがあり、10時に上陸。いつも世話をしてくれるダネーリアさんが出迎えてくれ、「鈴木先生を心配していました」と言ってくれる。
 10時半、セドイフ・レフ・コンスタンチノビッチ アナマ村長との対面式。セドイフ村長とも旧知の仲で、平成7年、私が日本の国会議員として初めて色丹島を訪ねた時、水産会社オストロブロイの社長さんだった。今、村長として活躍されているが、11年前からリーダーとしての素養はあったと感じる。
 アナマ小学校へ行き、ロシア語講習。この学校も平成6年(1994年)10月の北海道東方沖地震による倒壊で、日本が平成7年に建てたものである。その実現に一肌脱いだのが私だった。
 12時からセドイフ村長宅でホームビジットさせて戴いたが、セドイフ村長から「2002年鈴木宗男先生が事件に巻き込まれ、様々なマスコミから島の人に電話取材が入ったが、島の中で誰一人鈴木先生を悪く言う人はいなかった。それは、鈴木先生の島への貢献をよく理解し、知っていたからだ。鈴木先生、必ず時が解決します。偉大な人は遠くから見ていてもわかります。」と話して下さる。嬉しく思いながら、島の人の真心に感謝するものである。
 また、島の掲示板には「島が大変苦しい時様々なことをしてくれた鈴木宗男先生が、今年最初のビザなし訪問で来ます。ディーゼル発電所、学校、診療所を作ってくれました。」と紙が貼られていた。改めて「困った時の友人が真の友人」という言葉は、国境を、人種を越えて生きているものだと感じた次第である。
 ディーゼル発電所も視察したが、立派に機能している。1999年(平成11年)6月の設置で、電力の安定供給を可能にし、島民の生活に大きな寄与をしていると、村長はじめ多くの人が評価してくれる。人道支援をけしからんと言った人達に、是非とも島民の声を聞いて欲しいものである。
 6年ぶりの北方四島への訪問であるが、心が通い合う一日であった。島の皆さんの想いを知り、満足の一日だった。

5月21日
 9時半(日本時間7時半)桟橋が使えず、<RB>艀<RP>(はしけ<RP>)</RP>で色丹島へ向かう。10時からギドロストイの水産加工場視察。冷蔵庫はドイツ、デンマーク、機械はアメリカ。これをみて、「取り残される日本、どうなっているのだ」という思いだ。
 11時日本人墓地お参り。きれいに整理されていた。アイヌ人のお墓もお参りし般若心経一巻あげさせていただく。アイヌ人の墓地はロシア正教墓地の中にあるとのことだが、日程の都合で行く事が出来なかった。また、ここのアイヌ人のお墓はカタカナで大勢の人の名前が書かれており、アイヌ人をまとめてお<RB>祀<RP>(まつ<RP>)</RP>りしているとのことで、心からのお参りをする。今回の色丹訪問の目的の一つが、アイヌ人墓地お参りでもあったので、手を合わせることが出来てよかった。
 12時から斜古丹の診療所視察。平成7年10月完成、引渡し式に出たことを想い出し感無量であった。フィシュク産婦人科の先生が訪問団に挨拶説明し、その中で、レントゲン、各種機械医薬品の援助に感謝を申し述べ、私の名前まで出していただき感謝する。人道支援の重みをしみじみと感じた次第だ。
 14時半から島民との対話集会、日本ロシア文化紹介。日本側団員の1人が「北方領土についてロシアではどんな教育をしているのか」という質問をしたのに対し、セデーフ村長は「18世紀に入ってコサック兵がカムチャッカからクリルに南下、その当時の資料で確認できる唯一の民族はアイヌであった。アイヌは当時ロシアと商取引していたがコサック兵との衝突もあった」とアイヌの先住を話され私は納得した。北海道にも言えることで、歴史の事実に基づいて北方領土問題を文化の面で国際的スタンダードの観点からも話を進めることが出来ると考えた次第だ。島民のドダイエさんが「友好が深まったのは1994年10月の地震後のことで、人道支援、食料のみならず、必要なものを支援してくれ、学校、発電所や診療所に鈴木宗男さんのご尽力があった」といってくれる。金額まであげての説明で、島民の理解を得る話であった。約3時間の集会であったが島民の日本への関心、又、日露関係についての情報は十分に入っており、やはり、お互いの信頼関係が重要だとつくづく思う。私も「日露の最高首脳が過去の発言、声明、条約を守り法と正義に基づいて未来志向で解決すると約束している。外交は相手があることであり、お互いの名誉と尊厳を尊重しながら現実的解決を図ることしかない」と過去の様々な首脳会談の例を出して話をする。出席者からブーイング・反発の雰囲気もなく、セデーフ アナマ村長、ミケーロフ斜古丹村長も耳を傾けてくれ、それなりに真意は理解されたと思う。
 17時半から夕食交流会。ここでもミケーロフ斜古丹村長は乾杯の挨拶の中で「診療所はじめ各種支援に鈴木宗男さんのお力添えがあった」と感謝してくれる。出席者の中に息子さんを北海道大学で治療し見舞いに行ったアレクサンドル・イワノビッチさんご夫妻が来ておられ、心のこもったお礼のご挨拶をいただく。昨日、今日と色丹島の人情を十分感じ、少しでもお役に立てたことを嬉しく思うものである。
 20時船に戻り、古釜布に向け20時50分出発したが、無事予定通りの日程をこなすことが出来た。また、所期の目的を達成できてよかった。日露の関係者に感謝したい。島民の率直な、正直な発言を外務官僚はどう受け止めるのか。今回の私の訪問についても外務官僚がいろいろな雑音を発していたことが、内閣府からも外務省関係者からも入っていた。今回の同行者も居心地はどうだったのか、同情するものである。
 国民に選ばれた国会議員として、私は信念を持って歩いていきたい。正直者が馬鹿をみないためにも、私は頑張らなければならない。6年ぶりにビザなし交流に参加し、新しいエネルギーを得た思いである。

5月22日
 7時朝食(日本時間5時)、7時半出港手続き。19日にコーワリ南クリル地区長と会った際、22日に短時間のインタビューをお願いしたいと言われ、サハリンTV、新聞「国境にて」の記者であるキセリヨフさんがスモルチコフさんに案内されて乗船。「鈴木さんのことを国後の島民は心配していましたが、カムバックされて良かったです。色丹島の皆さんも喜んでいたでしょう。色丹の皆さんも鈴木さんを心配していました。サハリンの皆さんも同じです。」と、とても温かい言葉をかけられ、感激した。今回の訪問の意義、今後の友好関係について私の想いを伝える。
 8時出港。天気も良く、無事根室港に接岸。19日のボヤ騒ぎを考えると、本当にホッとする。
 根室港に海上自衛隊の掃海艇「さくしま」がおり、表敬挨拶。「さくしま」とは平成3年7月ペルシャ湾で機雷除去の国際貢献の時、外務政務次官として激励に行ったのだ。また、平成5年7月、奥尻地震の時に救援に来てくれた。2回とも落合司令(沖縄で亡くなった太田海軍中将の息子さん)であり、巡り合わせを感じながら、第45掃海隊さくしま艇長はじめ、乗組員、自衛隊関係者にご挨拶する。
 13時半から記者会見。私は日本国民の善意である人道支援は感謝され、かつ十分島民の生活に寄与していると伝える。コーワリ南クリル地区長、セデーフアナマ村長、ミケーロフ斜古丹村長はじめ、多くの関係者の発言を紹介する。これからも医療、環境での人道支援が大事であることを強調する。特に環境面では、色丹と根室・北海道は一体の関係だ。色丹での環境破壊は根室・北海道への環境破壊につながり、水産資源に大きな影響を及ぼす。知床が世界遺産になり、将来北方領土ともあわせて世界遺産指定されることを考える時、なお環境問題は重大である。
 また、日露関係について島の皆さんはプーチン大統領の決定には従うという空気であり、現実的対応を考えている。日本の方がこの5年間、空白の日露関係でなかったかと具体的事例を挙げ、特にロシア担当の外務官僚の不作為を、例を挙げて説明した。
 15年目になるビザなし渡航だが、この節目の年に入域手続き、帰港時の税関手続き等、更なる簡素化に向け、外交協議をして欲しいものである。何よりも領土問題解決に向け、日ソ共同宣言から50年の今年、大きな歴史の扉を開いて欲しいものである。小泉首相の大英断を期待したい。
 17時半の飛行機で上京。経済界の人達との懇談会に出席。北方領土の話で盛り上がる。

北方領土訪問中の宗男日記
http://www.muneo.gr.jp/html/diary200605.html

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