全国の小中学校・高校で暴力行為の件数がぐんぐん増えているそうです。逆にいじめは減ったようですが、学校が把握していないだけの可能性もあるとしてして、憂慮すべき状況と文科省が指摘しています。中には死亡者が出てしまっている事件もありますから、ことは深刻です。
家庭の教育力の急激な低下が起きているとの指摘があります。それは確かにそうだと思いますが、そのまた理由に格差社会を挙げられると、それはどうだろうと首を傾げなくもありません。格差社会の広がりが人生の夢を奪って親の心を狂わせているという指摘ですが、人生の夢が出世やお金など瑣末なことであるというのは実に寂しい気がします。
一方で、インターネットやテレビを介して言語が荒れている…という指摘には大いにうなずかされます。言葉が荒れて、感情や感覚の表現が直接的になっているのは確かです。テレビが繰り返し流す言葉、ネットの上で当たり前に流れている言葉は、かなり反射的で直情的です。漫画と文学の違いはそこにあるのではないでしょうか。昨今の活字離れから、漫画ですら活字の1つとして、しかも難解なものを易しく説明するツールとして、世界に誇る日本文化として、その市民権はかなり確立されています。それでも漫画が表現しきれないものがあります。漫画の中で使われる言葉は「ガァァァン」だったり「ドサッ」だったりと実に直感的なものです。感情をいったん受け止めてから表現するといった深みがありません。
GMの最高責任者の退任が発表されています。世の中は、景気も行き詰まり、デフレスパイラルに陥り、八方塞がりの様相を強めています。そうだから人的資産が大切にされるべきかも知れないのに。
「ワード2007での差し込み印刷」
パソコンのワンポイント知識を(ぱぁと2)で紹介しています。簡単なご質問も可能です。
「ぱぁと2」の閲覧には、当方から発行する「ID」と「パスワード」が必要です。よろしければ、メールで(pc_labo@mail.goo.ne.jp)お問い合わせ下さい。24時間以内に返信します。
家庭の教育力の急激な低下が起きているとの指摘があります。それは確かにそうだと思いますが、そのまた理由に格差社会を挙げられると、それはどうだろうと首を傾げなくもありません。格差社会の広がりが人生の夢を奪って親の心を狂わせているという指摘ですが、人生の夢が出世やお金など瑣末なことであるというのは実に寂しい気がします。
一方で、インターネットやテレビを介して言語が荒れている…という指摘には大いにうなずかされます。言葉が荒れて、感情や感覚の表現が直接的になっているのは確かです。テレビが繰り返し流す言葉、ネットの上で当たり前に流れている言葉は、かなり反射的で直情的です。漫画と文学の違いはそこにあるのではないでしょうか。昨今の活字離れから、漫画ですら活字の1つとして、しかも難解なものを易しく説明するツールとして、世界に誇る日本文化として、その市民権はかなり確立されています。それでも漫画が表現しきれないものがあります。漫画の中で使われる言葉は「ガァァァン」だったり「ドサッ」だったりと実に直感的なものです。感情をいったん受け止めてから表現するといった深みがありません。
GMの最高責任者の退任が発表されています。世の中は、景気も行き詰まり、デフレスパイラルに陥り、八方塞がりの様相を強めています。そうだから人的資産が大切にされるべきかも知れないのに。
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といっても、接する機会はたくさんあるし、大好きになったし、結局読むようになっているんですが…。
小さい頃、文章で読んで想像したイメージが、挿絵と全然違ってがっくりしたことを思い出すと、挿絵さえも邪魔なのでは?と思ったりしたのです。ひとつの文から、想像できるものは、きっと無限大(言いすぎ?)
ちょっとずれるかも?ですが、
「風と共に去りぬ」という 映画のタイトルの響きが大好きです。「風と共に…」でもなく、「…去っていった」でもなく、「去りぬ」ってところが、なんとも深みのある素敵な題名だなぁと思うのです。
とはいえ、日々に追われ、娘の味のある部分を、切り捨てるような物言いをしていないか?と、ちょっと最近反省しています。
自分自身を振り返って…今のお嬢さんくらいから本を乱読した覚えがあります。それは、良いにつけ悪いにつけ、私の内なる何かを育てる働きはしたように思います。
私にも娘が二人います。親は背中でその価値観を表現しておけばそれでいい…と思います。伝わっていないように思えても、案外想いは伝わっているものです。もう少し成長されたら、親子という以前に人間同士として、タイの話ができるようになりますよ。お楽しみに!
ことばの教育にも、パソコンってとても大きな可能性があるように思います。
それを伝えるのは、ヤハリ「言葉」でしかありません。私たちを互いに結ぶものは、どんなに以心伝心だと言っても、最後は「言葉」です。だから「パソコンの教育」に「国語的な読解力」と「数学的な論理力」は不可欠だったりします。
でも「ことばの教育」に「パソコン」ってどんな関わり方ができるのでしょう???
もっとも、直接、ことばを使って、対面して話すことは、とても大切だと思います。相手に語って、また、相手からの反応であることばを、受け止めて、考え直したり、相手の考えから、新しく気付きがあったり…話すこと、書くこと、両方ともバランス良く。
直接話すことが難しい相手でも、パソコン(インターネット)を介して、ことばを交換することができます。こんなに速く、離れているらぼさんとも!本当に感謝しています。
パソコンは単なる道具であって、誰ものこぎりの使い方を誇る人がいないように、パソコンの使い方を誇っても仕方がない。それは思考支援ツールのはずですよね。
そうした意味で、ことばの教育であれ、何の教育であれ、いまどきの教育にパソコンと言うツールが便利な道具であることは間違いないと思います。
ネットはその危うい点ばかりが良く取り上げられますが、私は確かにネットの素晴らしい恩恵に預かっています。遠く離れた人達と自由に会話が楽しめるのですから。これからもお訪ねくださいね。