「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ」の国、「メメント・モリ」の国の人達の、約57%が投票して、その95%程が原発再開に反対したそうだ。
原爆は落されなくても、冷戦中の東西帝国主義の国々が次々と核実験して、その破壊力を何度もアピールさせられ、そのあげく東西2大帝国の原発で事故が起こって、東の帝国では数十人(数百人?)の死者も出て、それらを目の当たりにしたフツーの人達。
「食べて、歌って、恋をして」、「 “ 死 ” を想え」のフツーの人達が、核にNOの判断をするのは当たり前だと思う。
しかし原爆落とされたのに、原発には「ノー」が貫けず、地震でその怖さを改めて知らされたこの国の人達は、もし国民投票があったら、どう判断するンだろう。
アイドルグループの総選挙には100万以上の票が集まったそうだが、アイドルに投票した人達は核に対しては、どう判断するンだろう。ちゃんと投票に行って「ノー」の意思を示すンだろうか。
でもまぁ、今回のイタリアの結果、ナルホドそう言う事か、と改めて思ってしまう。
57%の残りの5%は原発再開に賛成した人で、つまり全国民の3%弱。
これ、要するに一握りの裕福な人と言えるのではないか。
資本主義の国なので、この一握りは生産手段を所有している。
それを動かさないとお金儲け出来ない、裕福な状態を維持できない。
それを動かすには電気がいる。発電手段は原発でもいい。事故があってもヤバい作業は直接する事はないし、それでまた儲かるし。
つまり原発は金儲けのため必要。一握りの富裕層の金儲けのため。限りのない金儲けのため。資本主義の原動力は金儲けへの“欲”。
「食べて、歌って、恋をして、永遠に金儲けして」、「余りあるお金を使って、最先端の延命治療を受けられるから “ 死 ” を想う必要もなし」、富裕層は原発、だぁ~い好き、と言う事か。ナルホド。
ノーベル文学賞「候補」で近年有名な作家さんは、スペインのカタルーニャで賞を貰って、その授賞式スピーチで、今回の原発事故は、「効率がイイ」と主張した電力会社とそれを国策とした自らの過ち、とおっしゃって、また核に「ノー」を叫び続け、原発に代わるエネルギー開発を国家レベルで追及することが広島、長崎の原爆犠牲者に対する集合的責任、とおっしゃったらしい。
さすが、ワタクシが後輩になり損ねた(?)お方。(ワタクシ、この作家サンの卒業された高校に入れませんでした。入れてたら、3年後輩だったのにィ)
原発は効率がイイ:低コストだと言う欺瞞。
コストには原発地元への交付金や核廃棄物の処理費用は含まれていなくて、高コォつくと言う事はもうバレている。
だからと言って、ホントはチョット安かった火力発電。石油、石炭ボンボン焚いて発電すればイイ、と言う選択は当然出来ない。風力、太陽光もこれからの話だ。
すると当面我々がすべきなのは「我慢」。
寒くでも「我慢」、暑くても「我慢」、暗くても「我慢」、でもこの我慢、大したことはないと思う。
ほんの数年前までは夜通しやってるコンビニなんてなかったし、郊外の国道沿いにパチンコ屋なんてなかった。 ビルの中の機械の上で走ったりする健康クラブなどもなかった。
夜、会社終わって運動したいのなら、仕事中に階段使うとか、少しの移動は早足で歩くとかしたらいいのに。少し我慢して、少しガンバればイイだけなのに。
何年か前、ノーベル平和賞のアフリカのオバサンは「モッタイナイ」を世界の言葉にした。
スペインで核への「ノー」を貫くべきだったとスピーチした流行作家さん、何かの機会に「ガマン」と言う言葉を使って、それを世界に広めて頂ければと思うンですが、そんなワタクシの低レベルの発想なんぞは無いンでしょうかね。
我が布引・山の家に50年以上住んでいたオフクロも、超「ガマン」の人だった。
庭の咲き終わりかけたサツキ。
このサツキ、ワタクシが移り住んだ頃にはもう生えていた。オフクロより永く「ガマン」して生きている。