蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

移り、消え、空間が出来て、寂しいけれど、おもしろい

2012-10-15 15:23:17 | 一人ブラブラ

今年の暑い夏は、自転車にも乗らず、山にも登らず、北海道へ2回、高知へ1回、車でひたすらブラブラしただけだった。
運動せず、汗をかかず、ダラ~っとしていたので、筋肉はゼイ肉になり、2つかみ程がハラ周りに付いていて、醜い。
29インチのLevisがキツイ。屈んで靴のひもが結べない。あぁナサケナイ。

北海道と高知、車で走った道沿い、町の飲食エリアはどこも人がいなくて寂しかった。
京阪神と比べたら寂しくて当たり前、しかし京阪神と比べると正に無人状態に限りなく、近かった。

国道沿いの街は店が閉まっていてシャッター街道、夜の飲食街はシャッター通り、開いている店を見つけるのが大変だった。
そしてたまに見かけるのはお年寄りばかり。若者はコンビニにチョコっといたけど。

しかしまぁ、アラカンのオッサン一人旅、観光客で賑わうスポットには行かなかったので、寂しいのはアタリマエ。
皆が集うネットワークなどとは縁を切り、人のいない所を好んでウロチョロしていたのだから、アタリマエ。

しかし、お年寄りばかりで、若者がチョコっとしかいない土地でも、産業があり生活がある。

「都会の人から見ると確かにサビレてますけど、ボクら、生まれた時からこんな感じで育ってきたし、まぁナントカ喰えてますしねぇ、ただ小学校、毎年合併とかで無くなっていくし、確かに寂しくなっていきますねぇ」と、霧多布で居酒屋のオニイチャンは言っていた。
「そやけど、そんなンそう心配せんでもええでェ、神戸でも閉校は多いし、しかしウチの廻りは新しい住宅街出来て、ヒト増えてるなぁ、そうか都会は都心から郊外へ移ってルだけやねぇ」
「そうですよ、ここは消えていくだけです」
立ちあがれニッポンとか、ガンバロウとかの勇ましい掛け声は、この人達にどう届いているのだろうか。どんな希望が伝わっているのだろうか。(余計なお世話ですけど)

都会では消えない、移るだけ。

垂水駅前の市場もほぼシャッター通りになっている。しかし、直ぐ近所に大きなスーパーが出来ている。
店は消えてはいない、移っただけ。市場の小さなお店は大きな資本のスーパーに移っただけ。市場跡はいずれ区画整理され、また大きな店が出来るのか。(余計なお世話ですけど)

四国の製紙工場が集まる地方都市、駅前はシャッター通り。四国道のIC近くに大きなショッピングセンターが出来ていた。ここも小さな駅前の店が、大きな資本のスーパーに移った。しかも離れた場所に移った。
ICを降りて直ぐだから、高速道で遠くの客も沢山来る。そしてドカッと買っていく。
しかし、車がないお年寄りはどうするのだろう。また、今は元気で車飛ばして遠くでも行ける現役層も、やがて運転できなくなるハズ。その時はどうするンだろう。近くのタンボに年寄り用の住宅街でも出来るのか。(余計なお世話ですけど)

先日、用があって三ノ宮へ出た。時間が余ったので、二宮から布引への、昔通ったルートを散歩した。ヒマやし、町の散歩は好きやし。

二宮の市場は、数年前はまだ店が数軒あったが、完璧にシャッター通りになっていた。
市場の北には、大衆演劇の芝居小屋があって、オフクロはいつも、避ける様にワタクシの手を引いて、足早に通り過ぎていた。ワタクシは蠱惑的な何かを小屋の中に期待し、いつか行ってみようと思っていたが、気がつけばスーパーに変わっていた。
この日、そのスーパーもあまり人がいなかった。三ノ宮までは歩いても直ぐだ。

布引から、通っていた小学校のある熊内へ、更に進む。
小学校から市電が通っていた大きな通りを隔てた南側の一角には、昔、小さな市場があったが、影も形もなくなっていた。
その前の通りには友達の家が数軒あった。家やアパートが密接しているエリアで、真昼間でも日が射さない部屋に友達はいた。
しかし、いくつか空き地になっていて、車が停められていた。
当然、当時の友達はいない。一人は東京にいるし、一人はHAT神戸、一人は鈴蘭台にいるらしい。
下校時間だったので、小学生がグループで歩いている。
「コンニチワ」、女の子の一人がいきなり挨拶して来たので驚いた。他にウロチョロしているオトナはいなかった。若い女性から声をかけられるのはアリガタイ事だ。キチンと挨拶を返した。

小学校の東側の通りを山に向かって上がる。ワタクシの通学ルートだ。毎日通っていた。
昔、小学生が広く感じたこの通りも、空き地が目立った。
南欧風(?)デザインの比較的新しい一戸建がズラ~っと並んだ一角があった。そこには中学の時に通っていた塾の家があった。娘さん二人の家庭だったハズだ。結局皆さん、ここから離れたと言う事か。
しかし、タタミ屋サンとお米屋さんはまだ昔のまま残っていた。

Imgp4071_2 そしてこの店、うどん、そば、丼、巻き寿司などを供していたメシ屋さん。、確か熊内庵と言ったはずだ。
何度かオフクロに連れられて行った。父兄参観が終わった後、ここで親子丼やきつねうどんを喰って帰った。この先、布引谷・山の家へまでの通学ルートにメシ屋はない。
かなり前から閉まったままだが、今でもこの景色を見るとナゼかウドンダシの臭いが甦る。
この路地の先には当時、駄菓子屋などもあった。この日はサビシイ路地だった。

バス通りを渡った突き当りにはラブホテルがあったが、今は大きな一戸建になっている。

Imgp4072_4 そこを西に曲がると昔からのアパートが立派に残っていた。キチンとメンテしながら使い続けられている様子、頼もしい。
背景の高級、高層マンションにはないヒトの何か、がこのアパートにはあるような気がする。

この先を左に進むと、新神戸駅を跨ぐ陸橋があり、神社への階段に繋がっている。神社には幼稚園が併設されていて、54年前、ワタクシは園児だった。

陸橋を渡ると、園児と若いママ達が階段の下で歓談中。
そこから振り返ると、先月末、兵庫の遠矢浜の町工場で、無辜の女性事務員を道連れにガソリン被って死んだオッサンのマンションが見えた。同居していたらしいオバアサンのミイラが発見されて大騒ぎになったあのマンションだ。報道された写真は多分この陸橋から撮ったモノだと思っていたが、その通りだった。

布引谷・山の家へはここから歩いて30分以上。行くにはもう遅いので戻ることにする。

西へ進むと新神戸駅の2階。外では修学旅行の高校生が並んで座り込んでいた。

新神戸駅は布引谷・山の家に行く度にくぐっているが、2階へ上がるのは久しぶりだ。

30歳半ばに特殊機械メーカーに転職した後、バブル後期から失われた10年が終わる頃まで、ほぼ毎週この駅から出張していた。火曜日の早朝に出て、木曜の21時頃戻るパターン。翌金曜には東京へ日帰り、と言うハードな週もあった。
もうウンザリだった。そして、早期退職すると2階へ上がる必要はなくなった。

コンコースのレイアウトは以前とゴロッと変わっていた。改札や切符売場がエライおしゃれな感じになっていた。おしゃれな改札をスーツ姿の旅人が通過していく。
スーツ姿なのにほとんどがノーネクタイで、ワイシャツの前をダラ~っとハダケている。
昔からスーツ姿でネクタイをしていないセールスマンはいた。それはフーテンの寅さん。つまりカタギではない。
クールビズとは言え、こんなダラしないファッションがビジネスの世界に流行っていて、まともに仕事しとンのやろか、コイツら。(余計なお世話ですけど)

1階へ降りずにコンコースを突っ切り、ホテル下のショッピング街に通じる陸橋を渡る。

20年程前、毎週、中四国の田舎から帰って来ると、直ぐ地下鉄には乗らず、必ずこの陸橋を渡ってショッピング街をブラッとして帰った。キラびやかな店舗の前を通ると、地方から間違いなく都会へ帰って来た、と実感できた。
しかし、このショッピング街は不思議な空間だった。

客のほとんどいない煌々とした空間、ここは生きているのか、死んでいるのか。ウィークディの21時過ぎだから当然だが。
不思議と言えば、出来た当時からこのショッピング街には、神戸の所謂老舗、三ノ宮の地下街などにある店は出店していなかった。
初めて聞く名前のスポーツ用品店やレコード屋サン。どちらも東京が本店だった。浮かした出張費でよくテニス道具やCDを買って帰った。
地下にはシャレたお菓子屋さんがあり、ホワイトディの前日はそこで義理チョコのお返しを調達したりした。
その時間はそこそこシアワセだった。

その後、それらの店はドンドン閉まっていき、ある時期からシャレたお菓子屋さんは食品スーパーになり、階上の広いフロアーは家具の展示倉庫の様になっていた。夜遅くなくても、家具を買いに来ている様なヒトは見掛けなかった。

Imgp4073_5 そして、家具の展示倉庫も無くなり、そのフロアー2~3階部分全体がパーティションで覆われた。

Imgp4074_2 パーティションで囲われた空間をエスカレーターだけが静かに動いている。

Imgp4075 不気味だが面白い。アラカン親父のヒマつぶしには丁度いい。

デジカメもって登り降りしていたら、ガードマンに呼び止められた。
「あのォ~撮影の許可はとっておられますゥ?」
「アレっここ、写真アカンの」
「エエ、館内の撮影はご遠慮頂いております」
「ああそう、撮ったンはどないしょ」
「イヤ、それは消して頂かなくて結構です」
「ゴメンな、そやけど店やヒト、写してへんし」

と、言うか、ウィークディの午後だったが、相変わらず人はほとんどいなかった。

そもそもバブルの頃からこのショッピング街の、各店は儲かっていなかったのではないかと思う。
三ノ宮からは地下鉄に乗らないと来れない。ワザワザ来るほどの店もない。布引谷・山の家からの帰り寄った事もあったが、ウィークエンドの夕方もあまり賑わっていなかった。
客はワタクシの様に、新幹線を利用する出張のついでにフラっと寄るモノ好きだけ。ワタクシはCDやLP、かなりここで買いましたけど。

バブルの頃は店を出しておけば、売れに売れて笑いが止まらなかった、と言う話をよく聞いたが、売れる、売れない、儲かる、儲からないに関わらず、店を出しておけばいい、と言うのもバブルの一面だったような気もする。
毎週、地方へ特殊機械を売りに行っていた立場から言うと、店を出しているだけで売れる、などと言う事はあり得ない。
バブル:泡とは中は空間、所詮何もない。
そして、今、2~3階分の売り場はただの空間になっている。ある意味、面白い。

昔、このホテルとショッピング街の場所には市民病院があった。

Imgp4076 その対面に見える駐車場辺りには、当時「アイドル」と言う喫茶店があった。マンガ雑誌の新刊が毎週揃っていて、ワタクシは大学生の頃からの常連。入り口直ぐの二人席が定位置で、週に数日は夕方、その席で過ごして帰った。
医師も白衣のまま、よく来ていたし、病院への出前もよく出ていた。

それから10年以上経ち、毎週、新神戸駅から地方へ出張する様になった頃、「アイドル」はなくなっていた。
どこかへ移ったのか、消えたのかは判らない。

Imgp4078_2 このホテルが出来た時、六甲連山を背景にニョキッと聳え立つ異様な光景を、雑誌「山と渓谷」なども批判したものだったが、今や周辺には同じ程度の高い建物が数棟建っている。

ホテルの下のショッピング街に並んでいた、キラびやかな沢山の店はどこかへ移って、今は大きな空間になっている。
周辺の新しい高層マンションなんかも、その内沢山の空間が出来たりして。