・・・という2回の前置きのあとで、やっとこさ、2007年3月の公開レッスンの話です。
これは、当時の記事のままがよかろうと思いますので、貼っておきます。<松本氏、公開レッスン>
この記事と私の記憶によると、この日は大荒れのどしゃぶり。替えのスカートを持っていって着替えたことを覚えています。
継続性のない公開レッスンとはいえ、どこの馬の骨、じゃない、どこの怪しいおばさんのピアノを、27の新進ピアニストに聴かせるってどういうことよ・・・って今にして思いますけども、やはりアヤシかったらしく、かなり身上調査されてますね(笑)。
その後、3人くらいの演奏会をやり、3月ですべての人前演奏が終わっておりました。
コンペもこの年は出る予定はなく、4月以降まったくのフリー。目標を失ったような状態でもありましたので、
とりあえずこの時のレッスンのアドバイスを元に、1年間ひとりで、基礎的なトレーニングや脱力について来る日も来る日も考え、試行錯誤。
考えてみたら、1回のレッスンで1年間もつってすごいことです(笑)。
そのあとはたしか1年間があき、その後しばらく3か月に1回くらいだったような気がします。
だいたい1か月に1回(たまにドバっと間隔あきますけど)のペースになって数年。
もちろん教え方そのものが変わってきた点もありますし、先生自身のマイブームっていうんでしょうか?楽曲や奏法で意識が向いていることに関しては、自然レッスンにも反映されますけれども、変わらないこともありますね。
こちらからの疑問点、困っていること、奏法については、丁寧で詳しい指導ですけれども、
音を聴くこと、あと演奏や音楽そのものについての姿勢(体のことではないです、精神的な)という、コアなことに関しては、妥協を許さず、こちらが自分で探り当てるまで待ち、安易な助言はしない。
私は、師事しているのが松本氏だけであり、しかも長期の定期の生徒であるのでよくわかるのですけれども、
その場では「ひどい」とか「きつい」とか「意味わかんない」とか思ったとしても(笑 そうめったにありませんけれども)、
2,3年たってくると、「ああ、こういうことだったのか」というより、すでに自分の中に備わりつつあることがわかる。
基礎的なこと、譜面上のことはともかく、
そういう根源的なことというのは、サジェスチョンを与えて、あとはそれが萌芽し、成長してくるのを待つしかありません。
週単位月単位ではなく数年単位の話です。これは、おそらく、大人でも子供でも変わらない。
よって(というわけでもないですけれども)、私に関していうと、目先の楽曲に関しては、いろいろ間に合わないことも多く、
常に課題は残っていくんですけれども、2年たって3年たって再び立ち返ったとき、なにか確かなものとして残っている。
これは音楽に限らずなんでもそうだと思うんですね。教える側、教えられる側、どちらも焦ってはいけない。
そういう意味で、長期に師事するというのは、どちらにとっても重いことであるし、必要なことだと思っています。
ここからは余談です。
私の敬愛する数人の音楽家の方々、
演奏しているとき、話をしているとき、どの時でも素敵だと思うんですけれども、
演奏しているときも話をしているときも、どこかコントロールが効いているんです。
ぱっと楽譜に目を移し、集中している無心な瞬間(演奏せずに譜面をだけを見ている時)、
この時、ちょっと姿が透明になるんですよ、ほんとうに。
いつもこの時「ああホンモノだ」って思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます