~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

効いてくるまでの時間

2017年08月01日 10時11分08秒 | 私のピアノ歴

・・・という2回の前置きのあとで、やっとこさ、2007年3月の公開レッスンの話です。

これは、当時の記事のままがよかろうと思いますので、貼っておきます。<松本氏、公開レッスン>

この記事と私の記憶によると、この日は大荒れのどしゃぶり。替えのスカートを持っていって着替えたことを覚えています。

継続性のない公開レッスンとはいえ、どこの馬の骨、じゃない、どこの怪しいおばさんのピアノを、27の新進ピアニストに聴かせるってどういうことよ・・・って今にして思いますけども、やはりアヤシかったらしく、かなり身上調査されてますね(笑)。

 私はこの年(2007年)は、2月に、60分くらいの仲間に聴いてもらう会(リサイタルなどとは似ても似つかぬもの)をやり、

その後、3人くらいの演奏会をやり、3月ですべての人前演奏が終わっておりました。

コンペもこの年は出る予定はなく、4月以降まったくのフリー。目標を失ったような状態でもありましたので、

とりあえずこの時のレッスンのアドバイスを元に、1年間ひとりで、基礎的なトレーニングや脱力について来る日も来る日も考え、試行錯誤。

考えてみたら、1回のレッスンで1年間もつってすごいことです(笑)。

 

そのあとはたしか1年間があき、その後しばらく3か月に1回くらいだったような気がします。

だいたい1か月に1回(たまにドバっと間隔あきますけど)のペースになって数年。

もちろん教え方そのものが変わってきた点もありますし、先生自身のマイブームっていうんでしょうか?楽曲や奏法で意識が向いていることに関しては、自然レッスンにも反映されますけれども、変わらないこともありますね。

こちらからの疑問点、困っていること、奏法については、丁寧で詳しい指導ですけれども、

音を聴くこと、あと演奏や音楽そのものについての姿勢(体のことではないです、精神的な)という、コアなことに関しては、妥協を許さず、こちらが自分で探り当てるまで待ち、安易な助言はしない。

私は、師事しているのが松本氏だけであり、しかも長期の定期の生徒であるのでよくわかるのですけれども、

その場では「ひどい」とか「きつい」とか「意味わかんない」とか思ったとしても(笑 そうめったにありませんけれども)、

2,3年たってくると、「ああ、こういうことだったのか」というより、すでに自分の中に備わりつつあることがわかる。

基礎的なこと、譜面上のことはともかく、

そういう根源的なことというのは、サジェスチョンを与えて、あとはそれが萌芽し、成長してくるのを待つしかありません。

週単位月単位ではなく数年単位の話です。これは、おそらく、大人でも子供でも変わらない。

よって(というわけでもないですけれども)、私に関していうと、目先の楽曲に関しては、いろいろ間に合わないことも多く、

常に課題は残っていくんですけれども、2年たって3年たって再び立ち返ったとき、なにか確かなものとして残っている。

これは音楽に限らずなんでもそうだと思うんですね。教える側、教えられる側、どちらも焦ってはいけない。

そういう意味で、長期に師事するというのは、どちらにとっても重いことであるし、必要なことだと思っています。

 

ここからは余談です。

私の敬愛する数人の音楽家の方々、

演奏しているとき、話をしているとき、どの時でも素敵だと思うんですけれども、

演奏しているときも話をしているときも、どこかコントロールが効いているんです。

ぱっと楽譜に目を移し、集中している無心な瞬間(演奏せずに譜面をだけを見ている時)、

この時、ちょっと姿が透明になるんですよ、ほんとうに。

いつもこの時「ああホンモノだ」って思います。

 

 

 

 



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